〜 AVENGE 〜 迎えにきた友達




 

 

 可奈の自宅。

 

 朝日が差し込むはずの窓のカーテンが閉められたままのリビングで、可奈は一人思い悩むように、深くソファに越し掛けていた。

 

何をする気力も覗えない面持ちで、ただ、一点を見つめたままピクリとも動かない。あれ以来、可奈は学校には行っていない。頻繁に連絡を取り合っていた大好きなアサミとさえ、ここ最近はそれさえも絶ったままだった。

 

 そんな時、玄関の鍵が外される音がリビングまで響いた。

 

 宿直を終えた小百合が帰宅してきたのだ。

 

 スタスタと颯爽に歩く足音は、次第に可奈のいるリビングへと近付いてくる。

 

「今日も学校には行ってないの?」

 

 ドアが開くのと同時に、小百合の嫌味が可奈に飛んだ。

 

「…………」

 

 しかし、可奈は小百合の顔さえ見ようとはしない。

 

「まったく、うちの子はどうして皆こうなのかしら?」

 

 ブツブツと言いながらも、小百合はキッチンに行き、冷蔵庫を開けた。小百合専用のミネラル水のボトルを手にし、蓋を開けると、大胆にそのまま口にする。静かすぎる部屋に、小百合の喉を通り抜ける水を飲み干す音が、可奈の耳障りになっていた。

 

「うるさい……」

 

 可奈は無表情に、前を見据えたまま呟いた。

 

「何か言った?」

 

 小百合は、微かに聞こえた可奈の声に反応した。

 

「…………」

 

 だが、返事をしない可奈に溜息を落とすと、部屋を見回した。

 

「そういえば、あの人は?」

 

 あの人、とは可奈の父親の事だ。小百合も父も、最早「あの人」と呼び合い、家族という輪を否定しあっている。

 

「…………馬鹿みたい」

 

「また帰ってないのね、仕事だか浮気だか解らない言い訳ばっかりして、子供が登校拒否してるって言うのに、だらしないんだから」

 

「自分だって……」

 

 また可奈が呟く。

 

 流石に、この言葉は聞こえたらしく、小百合の眉がピクリと動いた。

 

「ったく! 広志はまだ義務教育だからって目を瞑ってるけど、アンタにはお金が掛ってるんだよ! 学校にだって安くない寄付金払ってやってるのにっ。無駄な事するのやめてくれる?」

 

 親が言う事とは到底思えない台詞だ。だが、可奈には聞きなれた台詞だった。うつろな目を開けたまま、それでも可奈は、小百合を見ようともせずまた呟く。

 

「じゃあ……辞める」

 

「何を辞めるって!」

 

 小百合の金きり声が部屋中に木霊する。

 

「……学校……」

 

「ふざけんじゃないわよ!」

 

 叫ぶと同時に、小百合はボトルを床に荒々しく叩き付けた。キッチンの床に満遍なく水が広がる。

 

「辞めるって意味が違うんじゃないのっ! アンタのその態度を辞めろって言ってんのっ、わかんないのっ!」

 

 すかさず可奈の目の前に走り寄り、小百合は仁王立ちに見下ろした。

 

「お母さん達の顔に泥を塗る気なのっ? 親の仕事の足引っ張るような事ばっかりするの辞めなさいよっ! まだ、あのろくでもない山根って患者の事引きずって言ってる訳?」

 

 小百合の一言に、可奈は反発するように上目遣いに睨み付けた。

 

「何よその目っ! あれはああするしかなかったんでしょっ! でなきゃ、お母さん仕事無くなっちゃうじゃないの! 何っ? アンタ自分だけで大きくなったと思ってるわけ? 誰がアンタを育ててるの? 誰がアンタに金出してるの? 誰がアンタを産んでやったと思ってるのよっ!」

 

 怒りの血が沸騰し、頭に上り詰めた小百合は、大きく肩を揺らしながらハアハアといきり立って怒鳴った。だが、そんな小百合を見つめる可奈の瞳は、冷ややかなものだった。

 

「産んでくれなんて頼んでないじゃん」

 

「は?」

 

「外面ばっかり気にして、良い親ぶってたって、ウチん中じゃただのヒステリック。金があったって愛情の一つもくれない親なんていらないし」

 

「可奈……あんたって子は」

 

「でも、もし親を自分で選べるなら、どんなにお金を積まれても、あんた達の子供になんかならない。特にあんたっ! 人間として最低だよっ! 親以前の問題だよっ!」

 

可奈は、今までの募った怒りとばかりに、心の中でくすぶっていた言葉を小百合に浴びせた。

 

 小百合の唇が震え出す。手も、体も、何もかも怒りに震えを増していく。だが、何も言い返せない自分が悔しいらしく、子供に馬鹿にされているのかと感じると、腹の中が煮え繰り返る思いだったに違いない。

 

「何様だと思ってんの! もう勝手にしなさい!」

 

 小百合はそれ以上の言葉を見付けられず、まるで小さな子供が怒った時のように、足を踏み鳴らしてリビングを出て行った。

 

自分の寝室に戻ったのだろう、部屋のドアを勢いよく閉める音が家中に響いた。

 

 可奈は「はぁ〜」と溜め息を一つもらした。

 

そしてまた、一点を見つめたまま、真紀子の言葉を思い出していた。

 

『可奈は大丈夫なの? メール』

 

 アサミにではなく、可奈にだけ向けられた言葉の意味を考えていたのだ。

 

 可奈は、テーブルに置かれた携帯にそっと手を伸ばしてみる。

 

 携帯を開き、グループ検索になっている『友達』の欄を押した。そして、『アサミ』とだけ記されている文字を押そうかどうか迷っていた。

 

可奈には、まったくもって、真紀子の言葉を無視できない理由があったのだ。

 

思い当るふしはある。それをアサミに相談しようかしまいか迷っていた。何でも話せる親友になろう、そう言ってくれたアサミにまで、振りかかるかも知れない、あの時の恐怖を思い出し想像すると、簡単には話してはいけない事のように思えた。

 

可奈の指が躊躇する。

 

 やがて、可奈は『アサミ』という欄を閉じ、今度はメールボックスに動いた。

 

受信メールの迷惑フォルダに残された、送り主不明のメアドがある。消しても消しても毎日のように入ってくるメールがあったのだ。 

 

今まで、特に気にはならなかった。最近多い悪戯か、高額な迷惑有料サイトだろうとしか思ってはいなかったから、開ける事がなかったのだ。

 

だが、真紀子の言った『メール』が、もしかしたら、この事ではないのかと確信に近く感じていた。

 

 可奈は、真紀子に起こった事が、本当にこのメールが原因なのかどうか、確かめる気持ちでメールを開くボタンを押した。

 

 もし違っていたら、それはそれでいいのではないか。可奈は、このメールが真紀子達には関係のない方に賭けてみることにした。

 

『こんにちは。友達になりませんか? 返事待ってます』

 

 文章を読む限り、何の変哲もないメールだ。可奈はホッと胸を撫で下ろした。ただのメル友探しだった事に、可奈は強張っていた肩を緩めた。

 

――これが?

 

 そう思いながらも、何かに背中を押されるように可奈は返信を押した。

 

『件名 友達間に合ってます』

 

「どうして毎日、あたしにメールをくれるのですか? メル友なら他にもなってくれる人はいると思います。お断りするので、もうメールは送らないで下さい、っと」

 

 可奈は安堵の表情で送信を押し、気が抜けたように、再びソファに沈み込んだ。

 

自分の気にしていたメールは大丈夫だったのだ。

 

――あんな光景を目の当たりにしたから、真紀子の言葉も引っ掛ってたんだ。とんだ取り越し苦労だったな。

 

そう思っていた時だった。携帯が、メールを受信する音楽を鳴らした。面倒くさい、そう思いながらも、可奈は何気なく携帯を開く。

 

「は?」

 

 先程、返信した相手からのメールだった。断りのメールに返信とは、律儀な相手だ。そう、可奈も気安く考えていた。

 

 だが、その内容を見て唖然とする。

 

『返してくれてありがとう。ずっと待ってたんだ』

 

「何? 気持ち悪い、返すなって言ったのに。シツコイ人」 

 

 可奈はブツブツと言いながらも、もう一度返信を押した。

 

「友達になる気はありません……これで懲りるでしょ。送信、っと」

 

 だが、可奈は押してから気付いた。

 

「そうか。もう何でもなかったんだし、返さなければいいのか」

 

 そう独り言を洩らしながら、携帯を閉じ掛けた時だった。早くもまた、メールは返ってきた。

 

「早っ!」

 

 呆れつつも、可奈はまたメールを開く。瞬間、その手は時間を失ったように止まってしまった。

 

一気に背筋に冷や汗が溢れ、全身の血液が凍てつき、可奈は暫らく動けなかった。

 

 可奈は瞬き一つ出来なくなっている。

 

『真紀子は友達になってくれたよ。可奈も、もう友達』

 

 可奈の手が、ようやく震え始める。

 

「どうして私の名前を知ってるの? 真紀子の言ってたメールって、やっぱり……これなの?」

 

可奈は、自ら足を踏み入れたメールに、あの時の恐怖が蘇えった。

 

何でもないと思っていた事に、真紀子の身に起きた真実を突き止めてやろうと意気込んだ事に、今更ながら後悔していた。

 

「そうよ……もう返信しなければいいんだ……」

 

 可奈は声を震わせながら、恐る恐る携帯を閉じようとした時、また、携帯が鳴った。

 

「ウソッ! あたし返信してないじゃんっ!」

 

 慌てて携帯を床に落とし叫んだ可奈だったが、携帯は命が吹き込まれたように、ボタンを押さずとも、勝手に受信メールを開いていった。

 

『返信しなくてもいいよ。もう可奈とは繋がった。友達』

 

『何をそんなに震えているの?』

 

『真紀子は早く会いたいんだって』

 

『みんな、いるよ……』

 

 次々に送られてくるメールに、恐怖を感じた可奈はもうそれを見てはいられなくなった。硬直した腕が解放され、携帯を拾い上げた可奈は、思いきり壁に投げ付けた。

 

「何なのよ――――っ!」

 

 可奈は錯乱したように叫んだ。









    









              

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