〜 AVENGE 〜 残されたもの




 アサミは急いで電車を駆け下りると、人波をかき分け改札を潜った。形振り構わず、一目散に可奈の家へ向かって走る。

 

 息も切れ切れに、走り続けるアサミの背後から、近付いてくる消防車の音に振り向いた。真横を通りすぎる消防車に、アサミの鼓動は不安に高鳴り、思わず可奈の家がある方向の空を見上げた。

 

 

 立ち昇る黒煙が、唐突にも目の中に飛び込んできた。

 

「まさか……」

 

 と、アサミは、更に速く走った。

 

―――お願い! 可奈の家じゃありませんようにっ!

 

 そう願いながら、我武者羅にアサミは走り続けた。だが、その願いも虚しく、可奈の家から吹き出す炎に、呆然と立ち尽くす現実を目の当たりにするしかなかった。

 

「可奈――――――――っ!」

 

 既に群がる野次馬をかき分け、炎の熱を感じる際をアサミは目指したが、到底、中に入れるはずもなく、呆気なく慌てた消防士に捕まえられてしまう。

 

「危ない! 下がって! 入っちゃ駄目だっ!」

 

「お願いっ! 友達の家なのっ!」

 

 力強く押さえ付けられた消防士の腕の中で、アサミは必死にもがきながら叫んだ。しかし、消防士も遊びではない。簡単にアサミの言う事を聞き入れるはずがない。

 

「今、みんな頑張ってるんだ! 友達も必ず助け出して見せるから、君は下がってなさいっ!」

 

「助けて、お願い……親友なの! やっと巡り会えた親友なのっ!」

 

 アサミは、そのまま消防士の腕に中で泣き崩れた。

 

「ここで、こうして見ているだけなんて、何もできないなんて! 可奈は今、この炎の中で苦しんでいるかもしれないのにっ!!」

 

 そう涙ながらに泣き叫ぶアサミを、あざ笑うかのように、炎は火の粉を撒き散らしながら、火柱を空高く舞い上げている。辺りは夕暮れのように赤く染められた。そんな中、野次馬の主婦らしき女の声が後ろで囁いた。

 

「これじゃあ、助からないんじゃない?」

 

 簡単に片付けられた言葉に、アサミは、誰とも分からない後ろの野次馬を睨みつけた。

 

だが確かに、荒れ狂う炎に消防士の誰一人として近付ける者はいないのが現状だ。放水も虚しく、一向に鎮火の気配すら見せない炎相手に、消防士達は苛立ちを覚えているようだった。

 

時折鳴り響く爆音に、周りの野次馬は合わせるように体をかがませる。そんな時、アサミの耳に、消防士の無線連絡を交わす声が入ってきた。

 

「さっきの救急車で運ばれて行った子は息を吹き返したそうだ!」

 

 運ばれた子、そう聞いてアサミは、思わず自分を捕まえている消防士のむなぐらを掴み揺らした。

 

「救急車で運ばれた子って? 可奈なの? そうなんでしょ?」

 

 涙ながらに訴えるアサミの目を見つめた消防士は、唇を一文字に固く結ぶと、アサミの両肩をグッと掴んだ。

 

「裏の勝手口から、放り出されるように倒れて気を失った子は確かにいた。顔に相当の火傷を負ってて、判断はつきにくかったけど……体が君よりは小さかった。多分、私が見た限りだが、体型からして君の友達ではなかったと思う……」

 

 消防士は申し訳なさそうに話した。

 

 それを聞いたアサミは、再び泣き崩れた。

 

「可奈……」

 

 火事の激しさから、それから炎を消し止めるのには二時間もかかった。

 

鎮火してからも燻っている火があるために、家に残された人の捜索は、それから更に一時間だ。

 

その頃には野次馬も半分以上減り、消防関係の人が多く残されただけだった。

 

アサミは、ずっと同じ場所にへたり込んだまま動けないでいる。黒い骨をあらわにさらけ出した家を呆然と見つめたまま、可奈が出てくるのを待っていた。

 

もしかしたら、あの後、どこかに出掛けて留守だったんじゃないかと、助かっている方の思いを巡らせながら、ただ座っていた。

 

 暫らくして「お〜い、こっち! 見つかったぞ!」と、言う声が聞こえた。

 

 アサミは思わず顔を上げた。助けられたのではなく、見つけられたと言う言葉に、アサミの心は穏やかではない。

 

 しかし、可奈以外の誰がいるというのか。アサミは、少ない希望のカケラを胸に秘めて祈った。

 

――可奈じゃありませんように。

 

 白く大きな布をかぶせられて、担架に乗せられ運ばれてくる遺体がそこにあった。

 

絶対に可奈じゃない、そう願いながらも、アサミは素早く立ちあがり、遺体に駆け寄る。

 

「関係者?」

 

 だが、そう言って突然、アサミの目の前に腕を伸ばし、行く手を阻む男に捕まる。

 

「友達かも知れないんです!」

 

 アサミは訴えるように言った。

 

「友達?」

 

「はい!」

 

「多分、違うよ」

 

「えっ?」

 

「だってこの人、結婚指輪をはめてたよ。きっと、ここの奥さんだ」

 

「可奈の、お母さん?」

 

「多分ね……」

 

「じゃあ! 友達は? 可奈はまだ?」

 

「いや。隈なく探したけど、この人だけだった。君の、その友達って家にはいなかったんじゃないのか?」

 

 その言葉にアサミは、少し安堵した。

 

「もしかしたら、そうかもしれない」

 

 可奈ではない遺体を乗せたタンカは、司法解剖でもするのだろうか、黒いワゴンに速やかに乗せられようとしていた。

 

その時、白い布の裾から、ぶらん、と真っ黒な腕が垂れた。

 

少ない野次馬を気にしながら、慌てて、先程アサミを止めた男は、その腕を元に戻した。あまり見たくはないものだ。

 

ふと、アサミはその腕の指から抜け落ちた光るものを目にした。男はそれに気付かないまま車に乗り込むと、急ぐように発進して行ってしまった。

 

 アサミは周りを見回しながらそれに近付く。誰も気付いていないそれは、男が言っていた遺体の指にはめられていたという結婚指輪だった。

 

 アサミは、その指輪を拾った。

 

「S ТО S?」

 

 と、指輪の裏には彫られてある文字をアサミは呟く。

 

「S……小百合……?」

 

 やはり可奈ではなかった。多分、もう一つの「S」は岩木志郎のイニシャルだろう、とアサミは思った。

 

「助からない」

 

 そう、さっきの野次馬と同じ声が、また、後ろでポツリと話し出した。

 

「きっと、奥さん宿直開けだったのね。可哀相に、よっぽど疲れてて火事に気付くのが遅れたのよ」

 

「でも、息子さんは助かって良かったわねぇ」

 

「そうね、可奈ちゃんもいなかったみたいだし、それにしても旦那さんよね。あれから随分時間は経ってるのに、帰って来ないなんて」

 

「離婚寸前だったみたいよ」

 

「あら、そうなの?」

 

「息子さんだってホントなら学校行ってる時間よ。引きこもりで家にずっといたんだって……」

 

「学校に行ってれば、こんな目に合わずに済んだものを」

 

「そうよね」

 

 アサミの後方では、早速、主婦の噂好きな会話が始まった。

 

 アサミは短い溜め息を洩らし、そっと指輪をポケットにしまい込んだ。そして、その場を離れようとしたが、何かに引きつけられるような感じがして、足を止める。

 

煙を漂わせた庭先の隅に、可奈の部屋で見たのと同じ鉢植えのパキラが見えたからだ。   

 

アサミは周りの目を盗み、張り巡らされている黄色いテープを潜った。

 

可奈の部屋以外にもパキラはあったかもしれないから、それほど気にするものではない、とアサミは思った。

 

しかし、可奈の部屋に置かれていたパキラは既に枯れていたはずだった。しかし、それはどう見てもみずみずしく誇らしげに、緑の葉っぱをピンと広げている。

 

「違う、よね?」

 

自分に問いただしながらも、そのパキラに近付く。何かしらの疑問がアサミの頭に過ぎったのだろう。だから、それはあのパキラではないと、確認をしたかったのかもしれない。

 

だがアサミは、そんな疑問よりも、そのパキラに、何か引き付けられるような念のようなものを感じ、無性に気になって仕方がなかったのだ。

 

『何となく捨てられないの、枯れてるんだけどね』

 

 そう言って、笑っていた可奈を思い出していた。

 

 アサミも、何となく初めて見たときから、あのパキラは好きだった。何でもすぐに捨ててしまうような時代なのに、金持ちの可奈が、パキラが枯れても尚、捨てられないと言った気持ちが、身近に感じた一つだったからかもしれない。

 

 アサミはしゃがみ込み、パキラの根元を触って見た。

 

「えっ?」

 

 と、呟くアサミの触れる指先が止まる。

 

『じゃあ、この根元の太い茎の部分に名前書いてもいい?』

 

 アサミはあの時、どうしてそう言い出したのか、自分でも解らなかった。だが、その言葉を可奈は、気味悪く思う事もなく承諾した日を思い出していた。

 

 綺麗に編み込まれた茶色い根元にアサミは「KANA AND ASAMI」と彫った事を思い出す。

 

 可奈が、中学時代に使っていた彫刻刀を借りて、この茎のように、いつまでも二人の心が絡み合い、仲良くできますように、と願いを込めてアサミは彫ったのだ。

 

アサミはその時を思い出しながら、指先にあたる茎を覗き込んだ。

 

KANA AND ASAMI

 

 やはり、そう彫ってある。

 

 アサミは思わず目をこすったが、何度見ても同じだった。

 

「これが……あの……パキラ?」

 

 枯れかけていたとは想像すら出来ないほどに甦っている。しかもあの炎の中でたった一つだ。もしも、再生していたとしても、こんな短期間で、こんなにも青々と茂るものだろうか。

 

妙にアサミの心はかき立てられ不安になった。そして、だんだんと鼓動は早くなる一方だった。そんな中、アサミの心に再び湧き上がった疑問。

 

――炎の中、可奈は本当にいなかったの?

 

 行方不明になったアリサや、目の前で消えていった真紀子も、同じくアサミの脳裏に過ぎった。

 

『もう、始まっちゃった』

 

 そんな可奈の言葉が、アサミの思考回路を駆け巡る。

 

「携帯!」

 

 そう思い出したように叫んだアサミは、ポケットから真新しい携帯を取り出し、入力してあった可奈の短縮を押した。すぐにも、可奈の携帯への呼び出し音が鳴る。

 

「繋がった!」

 

 アサミは慌てて携帯を耳に押し当てた。 

 

 前にクラスメイトの雅代が言っていた事を思い出していた。

 

『行方不明になった子達は、みんな携帯と共にいなくなったらしい』 

 

アサミの携帯も、やはり真紀子と共になくなっていた。だが、見つかっていた所で気持ち悪くて使う気は更々なかった。もし可奈も、真紀子たちと同じように、いなくなったとしたら、携帯を所持しているはずだとアサミは考えたのだろう。

 

どこかで元気に出てくれることを願いながら、アサミは、ずっと呼び出しされる携帯を耳から離さないでいた。だが、そんなアサミの背後から、聞いたことのある音楽が鳴り響く。

 

 ゆっくりと、その音がする方へと振り向いたアサミは、音の出所が、焼け焦げた家の柱の下からだと気付いた。

 

 アサミは一目散にそこへ向かって走る。

 

 少しばかり熱さの残っている灰を、無我夢中で掘り起こした。舞い上がる灰に、時折咳き込みながら可奈の携帯を探した。

 

 その時だった。アサミの手に硬い何かが触れた。その塊を一気に取り上げる。見慣れた携帯。

 

「可奈のだ!」

 

 灰まみれの携帯は、アサミのかけた携帯を着信しながら、イルミネーションを光らせていた。

 

「ここにあった。可奈は確かにここにいた……だったら可奈はどこへ行ったの? 可奈も、真紀子達と同じように『誰か』に連れ去られたって言うの?!」

 

 アサミは、そう呟きながら、涙が止まらなくなった。アサミは鳴り続ける携帯を胸に抱きしめた。

 

「……可奈………」

 

 アサミは悲しみに打ちひしがれた声で呟いた。

 

 真紀子達と違う事は一つだけ。

 

 それは可奈の携帯がここにあると言う事。これが何を意味するのかさえわからないまま、アサミは二つの携帯を抱えたまま泣き続けた。

 

 鳴り響く着信音に、反応しているイルミネーションに照らされたストラップ『ピノキオ』が、太陽の沈みかけた夕闇に、不気味にも浮かび上がりながら、アサミの腕の中で映し出され、焼け落ちた場所に長い影を作った。

 

 可奈の手で壊されたはずの携帯とストラップが今、アサミの手の中に握られている。

 

 この事実が不思議な事であるなど、アサミには知る由もなかった。








    









              

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