〜 AVENGE 〜  再会




 アサミと太郎は暫らく、ただ座っているだけだった。

 

 西日が傾き掛けると、どちらからともなく立ちあがり、歩き始め公園を後にした。少し歩いて、太郎は軽い息を「ふぅ」と吐き出し、呟きに似た言葉を発した。

 

「俺は、いずみに、ちゃんと兄貴としての愛情を向けていたのかなぁ。今思えば、いずみが家事をするのは当たり前で、俺が仕事をして、いずみを食わしてやってるって考えがどっかにあったのかもしれないな」

 

「そんなことない、と思う……」

 

「アサミは、俺達兄妹の事なんか知らないでしょ?」

 

「うん、知らない」

 

「だったら、わかんないでしょ」

 

 太郎は少し笑って言った。

 

 アサミも太郎を見て少し笑って見せた。

 

「うん、わかんないね。でも、そんなに必死になって探してる太郎が、妹をそんなふうに見ていたとは思えないよ。きっと、いずみさん、太郎の事、大好きだったと思うよ」

 

「アサミって、良い奴だな」

 

 また、太郎は笑って言った。

 

だが、少し寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。良い奴、その響きが何となくくすぐったく感じたアサミだった。

 

 二人はまた、静かになった。

 

 太郎は、アサミの歩調に合わせるかにように歩いている。

 

言葉にはなかったが「家まで送るよ」と太郎が言っているような気がして、アサミは自分なりに家路に向かって歩いていた。

 

周りを通り行く人達がアサミの視界には入ってはきていなかった。アサミの全神経が太郎に向いてしまっているのだ。

 

一歩ずつ家に近付いている事が、妙に寂しくて、いつもより遅く歩いているのが自分でもわかっていた。内心、太郎に気付かれているんではないかと冷や冷やしながら、それを必死に隠そうとしている自分もいて、初めて出会う自分自身に、戸惑いを覚えたのも確かだった。

 

息をする事もままならなくなっている状況で、本当に不謹慎としか言いようがない、と思うアサミだった。

 

まだ可奈の事が宙に浮いたままになっているというのに、と自分を責めてしまう気持ちがある。

 

だが、それは太郎も同じだった。何の進展も無いまま、ただ一日を二人で過ごしただけだったのだから、気持ちの整理がつかないままだろう。

 

アサミは、静かに溜め息をついていた。

 

電車に乗り、二人はサラリーマン達の帰りのラッシュにもまれる事になった。

 

アサミは出入口のドアに窓の外を眺める形で立っていた。そんな時にも、太郎の優しさが感じられた。自然にアサミをかばう様に、背後に立つ太郎の両手が、アサミの目の前に伸びている。車窓を眺める振りをしながら、アサミはその手を見つめていた。

 

電車を下り、アサミは家の方向を目差した。やはり、太郎は何も言わずに付いてきている。暫らく歩いて、アサミは足を止め太郎に視線を送ると、自分の家を指差した。

 

「太郎。私の家、ここなの」

 

 そう言って指差したアサミに、太郎は軽く頷いて家を見上げた。

 

「あぁ。そうなんだ」

 

 太郎の言葉が、少し寂しそうに呟いた。

 

「寂しい?」

 

 と、とっさにアサミは、口から出した言葉に顔を赤く染める。

 

――何、聞いてるんだろう。

 

と思いながら、恥かしさに思わず、アサミは下を向いてしまった。

 

速い鼓動が、表情にまで出ているんじゃないかと焦り、ひた隠しにしようとしている。そんな赤くなった顔は、耳にまで伝わってしまっている。だが、太郎は、そんなアサミを見て、優しく微笑んだ。

 

「うん、そうだね。寂しいかもしれない」

 

「えっ?」

 

 思わずアサミは顔を上げて聞き返していた。

 

「でも普通、付いて来ないで。とか言わないの?」

 

 太郎が冷やかし半分で言った言葉に、アサミは、誰でも男を家に連れてくる女の子だと思っているかもしれない、と焦りを醸し出した。

 

「わ、私は別に、そんなつもりないし」

 

 そんなアサミの反応を遮るように、太郎は頭をクシャッとかきながら目を逸らす。

 

「まぁ、俺も、送るって言うタイミングを見付けられなかったんだけどね。でも、何となくアサミには通じてる気がして」

 

 その時、ちょうど時を同じくして、帰って来た佳奈美がポカンと口を半開きにして立っている姿が、太郎の後ろにあった。

 

「やっぱ、お姉ちゃんだったの。マジ?」

 

 そう言いながら佳奈美はニヤついた顔で、二人に近付いて来る。太郎は佳奈美の存在に気付き、軽く会釈した。

 

「こんばんは」

 

「こんばんは〜。で、何? お姉ちゃんの彼氏?」

 

 佳奈美はアサミと違って、いわゆる今時の女の子。ジロジロと太郎の全身を舐めるように見回している。

 

「やったじゃん! お姉ちゃんにもやっと春が来たんだ! 男連れてきたの初めてじゃん! 男なんてっ、て言ってたくせに、最近レズなのかとも疑ってたのに〜。しかも格好良いし〜きゃぁ〜」

 

 一人で勝手にはしゃぐ佳奈美の口を、アサミは必死に塞ごうとしている。

 

「やだっ! そ、そ、そんなんじゃないよ」

 

「またまたぁ〜」

 

 佳奈美はヒジでアサミを突付くように茶化し始めた。その佳奈美の大きな声を聞き付けたのか、家の玄関が勢いよく開いた。すると、アサミの母親まで、嬉しそうな顔で飛び出してきたのだ。

 

「何? アサミが彼氏連れてきたってっ!」

 

佳奈美と同じようにはしゃぐ母親を見て、アサミは大きく溜め息をついた。横に立つアサミなど、既にお構いなし状態だ。

 

佳奈美も母親も何の遠慮なく、太郎をまじまじと見つめていた。

 

「あ、あの……」

 

 太郎も困惑した様子を隠しきれない。

 

「私、アサミの母です。よろしく」

 

「だから、そんなんじゃないんだってば!」

 

 必死に抵抗するようにアサミは言った。

 

だが、既に二人にはアサミが見えていない。そのままアサミの言葉は軽く弾き出された。

 

「上がってお茶でも?」

 

「いえ、結構です……そろそろ帰りますんで」

 

 身じろいだ太郎にすかさず母親は言う。

 

「そんな、お構いなく〜」

 

「ちょっと、それはお母さんが言う言葉じゃないでしょ? 太郎の台詞だっちゅうの」

 

 アサミは、母親の少し天然の性格を、まだ太郎には知られたくはなかった。太郎は明らかに母と妹に圧倒されている感じだ。

 

「あら、太郎くんって言うの? 平凡な名前なのねぇ」

 

「じゃ、じゃぁ。また電話するよ」

 

「あっうん、ごめんね」

 

「え? もう帰っちゃうの?」

 

 残念そうな母親を尻目に、アサミはさっさと太郎に手を振った。

 

 太郎も軽く手を上げ、この場から逃げるようにして帰っていく。アサミはその姿が、暗闇に見えなくなるまで立ち尽くして見送っていた。

 

「じゃぁ。また電話するよ、だって〜」

 

 からかう様に母親と佳奈美はそう言いながら、家の中へと入って行った。

 

「はぁ〜っ」

 

 と、アサミはまた、溜め息を一つもらしながら、後を追うように家に入った。

 

そう、アサミの家族はこんな感じだ。脳天気に明るい、しゃしゃり出るのが大好きな母親に、それによく似た性格の妹。きっと、父親が仕事から帰ってきていたら、間違いなく母親のように、太郎を見に出て来ていたに違いない。

 

そう考えると、アサミは背中に鳥肌がたった。

 

小さい頃から、よく遊んでくれる子供みたいな両親だった。アサミは、それが普通なんだと思っていた。

 

でも最近、それは間違いだとわかった。アサミは、誰よりも幸せ者だったのだ。

 

仲の良い家族、心から笑い合える家族。たったそれだけで幸せなんだと気付いた。

 

普通という基準などはわからない、しかし、子供が居心地の良さを家族に感じられたら、それでいいんじゃないかとアサミは思った。こんな、明るい家族である事に、アサミは心から感謝している。幸せを感じている。

 

でも、時々は遠慮もしてほしいと思うアサミだった。

 

 

 

                  ◇

 

 

 

 

 部屋に戻ったアサミは、そのままベッドに身を沈めた。いつものように仰向けになって天井を眺めながら、可奈に悪いと思いつつも、思い浮ぶのは太郎の顔ばかりだった。

 

「電話する」という言葉ばかりが、アサミの脳裏に反復する。

 

本当にかけてきてくれるだろうかという不安ばかりだ。

 

そう思いながらゴロゴロしている時に、突然、可奈の携帯が鳴り響いた。アサミはハッと我に返り飛び起き、携帯の着信を覗いた。

 

「あ、可奈のお父さん」

 

 そう呟きながら電話を耳にあてた。

 

「もしもし?」

 

『もしもし! アサミさん?』

 

「は、はい」

 

 和夫の慌てているような口調に、アサミは戸惑った。

 

「何か、あったんですか?」

 

『その、あの、その……』

 

 うまく言葉が出ないらしい。尋常に感じられない和夫の声に、アサミの不安だけがつのっていく。

 

「落ち着いて下さい」

 

 その言葉に、和夫の唾を呑み込んだ息が伝わってきた。一体、何があったというのか。

 

『驚かないで聞いてください。あ、でも、この状況が私には信じられない。よく考えたらこんな馬鹿げた話……』

 

 聞いてほしいのか、独り言なのか解らない和夫の言葉を、アサミはもどかしく聞いていた。

 

「あの……用件は? 広志君に何かあったんですか?」

 

『いえ、あの……この携帯は、間違いなく可奈の物ですよね?』

 

「そうです」

 

――何を言ってるんだろう、自分でかけてきておいて。

 

アサミは思わず首を傾げた。

 

『広志が……広志が言うにはですね』

 

 また、和夫は息を整えるように唾を飲み込んだ。

 

「はい?」

 

『可奈の携帯は、ないはずだって……言うんですよ』

 

「えっ?」

 

 一瞬、アサミの心臓が止まった。いや、時間が止まったのかと思う程に、アサミの体中の神経が研ぎ澄まされていく。

 

鼓動が今、生れたように動き出した脈拍を、アサミは体中で感じ我に返った。だが、思考回路が付いて行かない。

 

――何がないって? じゃあ、今この手にある物は……何? 

 

 そう思い、訝しく眉間にシワを寄せるアサミ。

 

「い、意味が……言ってる意味が、よく、わからないんですけど?!」

 

 動揺した心をアサミには隠せない。

 

『広志は、可奈があなたとの電話を切った後に、その携帯をバットで殴り壊したはずなんだって言うんです。信じられないでしょ? だって、今、私達を繋げている携帯が可奈の物なんですから』

 

「……は……い……」

 

『それと、その携帯についているストラップも壊したはずなのに、と広志は言っている。だが、あなたはそれを持っていた。私はそれが、どんなものなのかは見ていないけど、広志は『ピノキオ』だと言っています。『ピノキオ』は生きている……と』

 

「い、生きてる?!」

 

 アサミは恐る恐る携帯を耳から外して見た。だが、あんなにぶら下がっていたはずのストラップが、今、なくなっている。その『ピノキオ』さえも見当たらなかった。アサミが手にしている携帯には、何一つ付いてはいない。

 

「どういうこと? 『ピノキオ』はさっきまであったはずなのに……どこかに落としたの? え? 生きてる?」

 

 アサミの頭が混乱し始めた。

 

『アサミさん? もしもし? もしもし?』

 

 アサミは和夫の声に慌てて、また携帯を耳に戻した。

 

「は、はい。あの、ストラップが、ない、ないんです」

 

『えっ?』

 

「さっきまではあったと思うんですけど、でも、記憶違いかも」

 

『本当ですか? おかしいな、広志は確かに病室で見たと言っていた。それを、あなたに伝えて……くれ……と』

 

 和夫の語尾が、激しく震えた。

 

「もしもし? どうかしましたか?」

 

 和夫の途切れた会話にアサミは、あの時と同じ不安が込み上げてきた。

 

可奈との最後の電話。広志が嘘をつくはずない。あの広志の怯え方をアサミは見ている。そして、更に受話器越しに、和夫の力の抜けたような声が届いた。

 

『も、も、もしかして。その『ピノキオ』ってやつは、丸い頭に、赤い鼻が乗っかってて……その、紐だけで繋がってる……胴体のような?』

 

「えっ? さっきは見たことないって言いましたよね? どうして解るんですか?」

 

 アサミは、自分が言い終わるか終らないかの内に、ハッとした。

 

「まさか!」

 

『し……信じられない』

 

「そこにあるんですかっ?!」

 

『……ある、と言うよりも……いる、でしょうか。ひゃ……こ、こ、こっちに近付いてくるっ……』

 

「逃げてください! 早く! お願い! 広志君を連れて!」

 

『そう……したいのだが……う、動けない。どうしたらいいんですか! 私は! これは可奈にも関係がある事なのか!?』

 

「それより早く! その場から離れて!」

 

 力強くアサミは叫んだ。

 

――まただ! また、私は助けられないの? 可奈の時と同じように、私は、ただ受話器越しでしか知り得ない状況の中で、また謎の『何か』に連れ去られそうな人を助けられない!

 

 もどかしい苛立ちだけが、アサミの心を焦らせる一方で、やはりアサミには何もできなかった。

 

「早く逃げて!」

 

 力一杯の叫び声を上げて「逃げる」事を促すしか出来なかった。

 

『ガガガッ!』

 

「痛っ!」

 

 アサミは思わず携帯を耳から離した。

 

――この前と同じだ! 耳の奥に突き刺さるような無気味な音だ!

 

『うわっ! やめろ! 一体これは何なんだっ!』

 

 離した受話器の向こうから、和夫の怯える叫び声が響いている。   

 

 アサミは携帯を足で思いきり遠ざけるように蹴り、強く両耳を塞いだ。にもかかわらず、その声はアサミの耳の奥に響き渡ってきた。

 

『ガガガガッ! 次……お前……ガガガッ……プツッ……』

 

「イヤだ! 助けてっ……可奈! 助けて! 太郎!」

 

 アサミは横たわった体を思いきり縮こませながら、震える全身を必死に止めようとした。

 

「これは夢! 全部夢っ!! 目が覚めたら、きっといつものような毎日が待ってるはず! 学校へ行ったら、可奈はいて、それから笑って『変な夢見たね、長い夢だったね』って言ってくれるはずよ! そう! これは夢よ! こんなに次々に人がいなくなるはずがないんだから! 人形が動くなんて信じられないよっ!」

 

 止めどなく流れる涙に濡れながら、アサミは耳から離れない不気味な声をかき消すように叫び続けた。








    









              

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