〜 AVENGE 〜 ティンク




 

 あれから、アサミが次に目を覚ました時には、既に眩しいほどの朝日が窓から差し込んできていた。そして、薄っすらと明けたアサミの瞳に、あのパキラが飛び込む。

 

枯れたはずの植物の葉が、青々と茂っている。心なしか、また成長しているようにも見えた。

 

アサミは、ゆっくりとパキラに近付くと、名前の彫ってある部分を撫でた。すると、指先に触れた幹が、脈打ったように感じた。

 

「やっ……」

 

 慌てて引っ込めた指先を眺めるアサミの唇が震える。

 

「やっぱり、おかしい……」

 

 と、呟きながら、震えを伴う拳をぎゅっと握り締めた。

 

 その横に、可奈の携帯が転がっているのを見遣った。もう、どこまでが夢で、どこまでが現実なのかがわからなくなるほどに、アサミは心も体も疲れきったように憔悴し切った表情を浮かべる。

 

 その時、またもや携帯が鳴った。

 

アサミの体が条件反射のようにぴくりとあがる。しかし、よく聞けば、その音は可奈の携帯ではなく、アサミの携帯だった事にホッと胸を撫で下ろす。

 

それでも、どこからか湧き出る恐怖に、恐る恐る手を伸ばし、自分の携帯を開けて見た。だが、名前を確認するや否や、慌てて出る。

 

「もしもし! 太郎!」

 

『あ、おはよう。どうしたの? そんなに慌てて。何かあった?』

 

「何かあったじゃないよ! 会いたい! 今すぐ会いたい!」

 

『わ、わかった。じゃあ、すぐに迎えに行くよ。でもいいの? こんなに朝早く』

 

 時計に目をやると、まだ六時少し前だ。

 

「いい! 太郎だってそのつもりで電話くれたんでしょ?」

 

『うん、まぁ、なんて言うか。昨日眠れなくて、その』

 

「いいから早く来て! 私待ってるから!」

 

 そう言ってすぐにアサミは電話を切ると、昨日の着の身着のままで部屋のドアを開けた。だが、ふと立ち止まり、部屋にある可奈の携帯を見遣った。だが、怖くて手にする事が出来ない。

 

アサミは、ごくりと喉元を上下させた。持って行こうか行くまいか、悩んでいるようだ。しかし、そのまま可奈の携帯は置いて行こう思ったらしく、アサミは部屋を出た。

 

だが、その足が止まる。もしかしたら、という思いが心を過ぎったのだろう。

 

 それは、ここに何もかも置いて行けば、自分の家族にまで忍び寄るかもしれない恐怖だ。可奈の家族が巻き添えになったかもしれないのに、佳奈美や、父や母にまで、その恐怖を味合わせるわけにはいかない。

 

アサミはそう思うと、携帯はやはり置いては行けないと思いなおし、踵を返した。

 

もう、ここで止めなくては。これ以上、犠牲者を増やしてはならない。

 

――私が正体を暴いて止めてやる! きっと、太郎と一緒なら出来る! そう思うしかないじゃない!

 

 アサミは自分に言い聞かせるように、きゅっと唇を噛締める。さっきまでの恐怖は、家族を守りたいという思いから、不気味な相手への怒りへと変わっていた。

 

アサミは、まだ寝ている家族に気付かれないように、そっと玄関の脇にある物置へと急いだ。工具箱を取りだし、父が愛用している日曜大工セットの中からノコギリを取りだすと、再び、そっと部屋に戻った。

 

そして、アサミは可奈との思い出のパキラを切り始めた。

 

根元の部分に刃を宛がい、力を込める。アサミは歯を食いしばりながら、パキラを切り刻んだ。すると、切った部分から、どろり、とした液体が流れ出てくる。

 

「なに、これ」

 

 アサミの恐怖は増すばかりだった。どす黒く、澱んでいるそれは、樹液のようで、樹液ではない。その液体に、アサミの表情は強張ったが、ぐっと再び、のこぎりを握る手に力を込めて、切り続ける。

 

「こんな、あり得ないものなんか、置いていけない」

 

そう言いながら、切り続けるアサミの目に涙が光る。切っている最中は、何故か涙が止まらなかった。

 

ようやく不気味なパキラを切り終えると、更に土も穿り、根っこも丸ごと鉢植えから取り出す。そして、全てを切り尽くす。

 

こんな事をしている自分は正気だろうか、とアサミは思った。これをやっている意味が、どうにも解らなかったが、どうしても、そうしなければならないような気がしていたらしい。

 

アサミは、パキラを切り刻む事を止めなかった。

 

やがて、原型がないほどにパキラを切り終えたアサミは、急いで可奈の携帯をかばんに詰め込み、部屋を飛び出した。振り返る事無く家を後にする。

 

昨日、太郎が帰っていった道を行けば、必ず鉢合うはず、アサミはそう思って、俯いたまま、早足で歩き出した。

 

 暫らくして、車のクラクションが前方から聞こえ、アサミは顔を上げた。

 

「太郎?」

 

 横付けされた、白い車の助手席の窓が開く。

 

「お嬢さん。どこ行くんですか? 良かったら乗りませんか?」

 

 その声を聞くと、安堵からか、また涙が止めどなく溢れ出た。

 

「うん、乗る」

 

 アサミは、涙を拭いながら助手席に乗り込んだ。

 

「太郎、車、持ってたんだ」

 

「まぁね」

 

 そう言いながら、発進させた太郎は慣れたように路地を進み、大通りまで一気に走りぬけた。

 

暫らく会話もないまま、どこへ行けばいいか解らない様子で、太郎は同じ道を何度も回っているようだった。

 

その間、アサミは、ずっと可奈が言った事と、昨日の出来事を必死で頭の中で繋げようとしていた。その深刻な表情を見兼ねた太郎が、口を開く。

 

「何かあった?」

 

 太郎の心配そうな言葉に、アサミはようやく太郎を見遣った。。

 

「うん。昨日はありがとね、家まで送ってくれて。それに、ごめんね。うちの家族うるさかったでしょ? でも、悪気はないんだ」

 

「うん、俺は気にしてないよ。それに、あんなに明るい家族は好きだよ……って。違うでしょ? アサミが言いたい事は何?」

 

「……うん……」

 

 太郎にはアサミの心が透けて見えるのか、お見通しらしい。

 

「実はね」

 

 そう切り出そうとした時、ずっと流れていたはずのラジオの音が、今になってアサミの耳に届いたらしい。アサミは、目の前のラジオを凝視した。

 

「これ、昨日のニュース……だよね」

 

「あ、ごめん。うるさかった? 消そうか」

 

 言いながら、ラジオを消そうと伸ばした太郎の腕を、アサミは掴んだ。

 

「待って!」

 

 静かに耳を澄ましながら、ラジオに聞き入る。

 

「何? 昨日、何かニュースになるような事でもあったの?」

 

「しっー」

 

 アサミは人差し指を唇に当て、ボリュームを上げた。ラジオの音楽番組の途中に、DJとゲストがニュースを読みながら、コメントしていくコーナーだった。

 

『昨日また不思議な事に、人が二人消えたらしいですね』

 

『未明のニュースでしょ? 世田谷のS病院から、またしても二人の方が行方不明になるという騒ぎ、ありましたねぇ』

 

『朝一に飛び込んできた不可解なニュースですよね』

 

『先日、火事で亡くなられた女医さんの夫、丘本和夫さんと長男の広志君が、真夜中に、こつ然と姿を消したとか』

 

『そうらしいですね』

 

『長女は今だに、行方不明らしいですし』

 

『ただ事じゃない、何かを感じますね』

 

『病院側の説明じゃ、行方不明と言うよりは、父親の和夫さんが長男を連れて出て行ったのではないか、と言ってますよねぇ』

 

『有り得なくはないかなぁ』

 

『でも最近多いでしょ? やっぱり平成の神隠しですかね?』

 

「これってっ……!」

 

 太郎は息を飲み込みながらアサミに聞いてきた。

 

「やっぱり、夢じゃなかったんだ」

 

 アサミはポツリと呟いた。

 

 太郎は、すぐ目の前にあった駐車場に入ると、車を止めた。そして、昨日の事をちゃんと話してくれないか、と言った。

 

アサミは隠すつもりもなかったし、全部話そうと決心していた。だから今、アサミは、ここにいるのだ。

 

太郎となら、立ち向かえる気がする、そう思ったからだ。

 

アサミは、ぎゅっと汗ばんだ拳を握り締めると、昨日の事も含めて、洗いざらいの考えを太郎に話した。

 

「実は、昨日、可奈のお父さんから電話があって……」

 

「え?」

 

「可奈の携帯は、もう既に壊れているはずだとか、目の前に人形が現れたとか言って……」

 

 太郎は、アサミの言葉を聞き入るが、次第に眉間にしわを寄せていった。

 

「ごめん、行ってる意味が……よく」

 

「だよね、信じられない事ばっかだもんね」

 

「いや、別に信じてないとかじゃなくて、人形が、動くの?」

 

 アサミは静かに頷いた。

 

「まさか、そんな事」

 

「私だってあり得ないと思ったよ、でも……ついさっきまで付いてた人形がなくなってて、その人形を見た事もなかった可奈のお父さんが、人形の姿形まで知ってて、おかしくない?」

 

「ん、まぁ確かに」

 

「それに、広志君、携帯が鳴った途端、怯えてたじゃない……広志君は見てたんだよ、可奈が、自分の携帯を壊すとこ……だからあんなに……それに、あの人形、他の人はどうだったか知らないけど、少なくとも私の友達はみんな持ってた」

 

「みんな?」

 

「うん。いずみさんは、持ってなかったの?」

 

「いや、覚えが、ない……」

 

 アサミは、自分の掌を見つめていた。

 

「私、あの人形を可奈に見せられて触った事があったの。でも、なんか違和感があって、なんて言うんだろう、動いたっていうか……それに、あのパキラも」

 

太郎は静かに、アサミの言葉に耳を傾けている。両ひざに乗せられた拳に、だんだんと力が入っていった。

 

「でもいったい、そんな気味悪い人形、どこで」

 

「太郎は知ってる? 『未来の森』っていう占いの館」

 

太郎は、少し間を置いて「……いや」と首を横に振った。

 

「あの人形は、そこの出口の路店で売られてたんだって、可奈が言ってた。占いをした人は、大半が買ってたって聞いたし、そこへ行けば分かるんじゃないかと思うの……その人形を売ってたお爺さんって人が怪しい気がする……」

 

「お爺さん、ね」

 

 太郎は呟きざまに、溜息を零した。それを見たアサミは、思わず眉間にしわを寄せる。

 

「信じてくれないの?」

 

「いや、信じるけど、信じがたいって言うか……その」

 

 太郎は慌てて否定した。

 

「とにかく。その『未来の森』に私達も行かない?」

 

「え? 占いに?」

 

「占いに行くんじゃないの! 何か解らないけど確かめに行くの!」

 

「…………」

 

 太郎は、暫らくハンドルに肘をかけながら、前を見つめたまま何かを考えあぐねていた。

 

「……そう言えば……いずみも」

 

 ポツリ、と太郎が言葉を漏らす。

 

「何?」

 

「人形の事は、気が付かなかったけど、随分前に、いずみも、何とかって占いをしてもらったとか言ってた気がする。それはよく憶えてないけど。うん。確かに、いずみも占いに行ってたよ」

 

「だったら話し早いじゃない! 行こうよ。駄目元で」

 

 アサミの真剣な眼差しに太郎は、今度は躊躇いなく頷いた。

 

「そうだな。行って見るか。ここから、そう遠い場所じゃないし、歩いて行こうか」

 

「うん」

 

 二人は早速、車を降りると『未来の森』に向かう。

 

 太郎の後ろをついて歩く形で、その背中を見つめるアサミの頬が、心なしか紅潮している。

 

――デートみたい……。

 

 そう思い、アサミは、その思考を振り払うかのように首を横に振る。

 

こんな状況でもデートみたいだと思ってしまった事に、アサミは申し訳なさそうに俯いてた。









 

    









              

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