〜 AVENGE 〜 聖地
辿り着いた場所は険しい山の入り口だった。この山は活火山で、整備もきちんと行き届いていないらしい。
「こっちは全然、人が入る場所じゃないからな」
太郎は、目の前の山を見上げ呟いた。
「他に道はないの?」
「でも、ここからしか神楽御村へは行けないらしいから……」
お爺さんの話だと、一般的には全く知られていない場所が、そこにたった一箇所だけあるのだというのだ。険し過ぎて、誰も行けない神秘の場所で、人が足を踏み入れる事は少ないらしい。
「なんでも、ここは、遠い昔は聖地として崇められていて、神に恐れ多くて入れなかったんだって、さっきのお爺さんが言ってた」
アサミは、ふうん、と頷いて見せた。
どうやら、この地には神が宿っているのだと信じられていたらしい。そして、神楽御の村人だけが、その土地の神に受け入れられ、守っていたのだと、太郎が聞いてきた。
ガタガタと車の揺れが増す。太郎も、ハンドルを握っているのが、やっとという状態だ。
「あのお爺さんの曾爺さんが、その神の番人が暮すとされていた神楽御村に住んでいたんだって。でも、神の番人とされていたのは太古の事で、曾爺さん達の代で、多くがその村を離れたらしいんだ」
「へぇ」
「でも、そんな時でも、そこに残る村人がいたらしい」
「え、じゃぁ、その村には子孫が残ってるの?」
「いや、今では子孫もクソもないみたい。そこに村があったって事すら、現在では忘れられているって、お爺さんが……って、ひでぇ、道じゃねぇよ、これ」
話している最中に、大きな石にタイヤが乗り上げたらしく、揺れると同時に車は動かなくなった。アクセルを踏み込んでも、タイヤが空回りするばかりだ。
「ああ、ダメだな……ま、ここまで車で来る事自体、おかしいんだけど」
そう言って、太郎はシートベルトを外すと、ふうっと大きく溜息を落とした。
「噂では、その村には神木があって、その根元から涌き出る『神の血』とされる水を飲んだ者は、不老不死になれるんだって」
「不老、不死?」
「ああ、昔は噂を聞いた探検家も結構いたらしいんだけど、誰も、その村に辿り着ける者はいなかったって……それより、生きて帰って来たとも聞かなかったらしい」
「……」
アサミは言葉を無くす。
「でも、そんな噂も次第に風化していったらしい。だけど、その噂すらも一五〇年も前の事で、道を尋ねたお爺さんすら、子供の頃に聞いたおぼろな記憶なんだって言ってた」
「一五〇年も前の話……って」
アサミも同じく、溜息を漏らした。
「なんだか神話みたいな話しだけど、でも今までの事が神業なら、真紀子が壁に吸い込まれたり、人が突然と消えたり出来るのかも知れない」
そんな呟きと共に項垂れるアサミを、太郎は見遣る。
「けど、神様なんて実際存在するのかさえ科学の発達した今の時代では空想だ。もしも、いたとしても、どうして神様なのに、人を殺すような事をするんだよ」
太郎はそう言って、車から降りた。
「どこ行くの?」
更に険しさを増した道は、それ以上は車では進めない。車を降りた太郎は、すかさずトランクを開け、懐中電灯を探り出した。
空を見上げれば、木々の隙間から赤々とした夕日の空が見え隠れはしているものの、その光は森の中には届いては来ない。
まるで、暗闇の底に突き落とされたような深い森だ。
太郎を追って、ゆっくりとアサミも車を降りる。すると、目の前に「これ」と言って、太郎がアサミに上着を貸してくれた。
「険しそうな山だし、ここからは俺が……」
「え?」
「って言いたいとこだけど、こんな森に一人でなんていられないよね?」
「当たり前でしょ! 行くに決まってんじゃん!」
アサミは少し頬を膨らませて声を荒げた。こんな所に一人で待ってなんかいられない。アサミには、その言葉が冗談にしても、少々キツかったらしい。
「きっと、かなり歩く事になるけど大丈夫? 山登り」
「太郎こそ!」
「俺は大丈夫。こう見えても大学時代には山岳部だったんだ」
「マジ? そんなふうには見えない!」
アサミは驚愕の声を上げた。その様子に、太郎はムッと口を尖らせる。
「よく言われる」
太郎の声のトーンが心なしか下がっている。しかし、だからこそ焼山に詳しかったのだと、アサミはようやく理解出来た。
「うそ、うそ。見えるよ」
アサミはとっさに取り繕うように慌てて言った。
「無理すんなよ。顔が引きつってるぞ」
太郎は苦笑いしながら、トランクを探っている。さすが元山岳部だけの事はあるのか「何でこんなもん車に積んでるの?」というような、山登りの必需品を太郎は取り出していく。しかし、ふてくされた様子でアサミを見ようとはしない。
「本当だって! マジ頼りにしてるんだから! じゃなきゃ付いて来ないよ。とっくに帰ってるとこだよ!」
アサミは、太郎の肩をバンバン叩きながら言った。だが、実際に本当にそう思っている。取って付けたような口調だったからか、暫らく、太郎は信じないような仕草だったが、慌てているアサミを見て、また、からかう様にフッと笑うと、大きなリュックを背負った。
「行こうか」
そう言って、アサミにも懐中電灯を手渡し、歩き出した太郎の背中を、追い掛けるようにアサミは大きな一歩を踏み出す。
元々暗い森だ、いつ夜になったのかさえわからない。
アサミが、やっとの思いで、力を振り絞り見上げた空は、既に木の隙間も空も見分けがつかなくなる程に暗かった。
吹き出る汗をぬぐいながら、無言のまま山道を歩き続けて、かなりの時間が過ぎ去った。アサミの両足の感覚が麻痺しているようにガクガクと震える。変わらぬ景色の中、同じ所をグルグル回っている気さえする。
山岳部だった太郎にはわかっているのだろうか、ただ黙々と歩き続けている。時折、アサミを心配そうに振り向く事はあったが、さすがに太郎も疲れているのか「大丈夫か」とは声には出せない様子だった。
少々高い岩を登るときも、太郎は無言で手を差し伸べるだけだ。それでも、アサミは太郎の優しさを感じていた。だから、アサミもまだまだ頑張れたのかもしれない。
アサミの頭の中は、大昔の探検家のように、自分たちも目的の場所へ辿り着けないのではないか、と不安だった。その上、本当はそんな村は無いのではないか、という思考も、森のようにグルグル回っていた。
ザワザワと木々の枝が風に吹かれている音が、不気味さをかもし出している中、どこからか水が叩き付ける微かな響きを感じたらしく、アサミは立ち止まり、耳を澄ました。
アサミは、途切れ途切れの言葉で、搾り出したような声を出した。
「はぁはぁ……太郎? これって……滝の……音じゃない?」
太郎もすかさず立ち止まり、耳を澄ました。
「本当だ。水が流れている……こっちからだ!」
太郎は暗い斜面を指差し歩き出した。
「大丈夫か?」
「うん……」
期待に胸膨らんだ太郎が、初めてかけてくれた声に、アサミは嬉しくて、必死に付いて行こうと太郎の後を追った。道ではない山道、慣れないせいもあって、アサミは足を滑らせた。
「きゃぁ……!」
「アサミ!」
太郎は慌てて振りかえり、手を差し伸べながらアサミに近寄った。太郎の手にアサミは捕まる。やっとの思いで立ち上がったアサミだったが、疲れが出たのか、突然と足が小刻みに震え出した。
「ごめん。アサミは慣れてないのに、早く昇り過ぎた」
太郎が申し訳なさそうに謝った。
「ううん……平気、私こそゴメン。足手まといになっちゃって」
「そんな事ないよ」
お互いに労り、頑張ろうと心で励まし合いながら二人は歩き続けるしかなかった。
暫らくすると、水の音は次第に大きくなっていった。立ち止まった場所の脇にある、一本の大きな木の陰から、太郎は懐中電灯を照らし、行く先を見つめる。
そこにあるのは、暗すぎて底が見えない断崖だ。
「渡れない、か?」
それでも太郎は照らし続けると、その少し遠く先に、ぼんやりと浮かぶように滝が見えた。
「どうやって渡るの?」
アサミは隠しきれない不安を声に出した。太郎も悔しそうに拳で木を叩きつけた。
「もう……無理なのか? これ以上、進めないのか!? 畜生!」
光はなくても、太郎の表情はどんなに沈痛なものなのかがアサミにはわかった。同じ気持ちだから。やっとここまで来た。手がかりらしい手がかりなど何もなく、ただひたすら歩き続けてきた。
何もわからない土地で、ただ大切な人を求めてやってきたのに、道はここで塞がれた。もう、途方に暮れるしかないのか、と思っていた時だった。
アサミは何かに心が引っ張られる感じで、視線を暗闇に凝らして見た。ぼんやりと、滝のある方とは逆に、ほの暗い灯りが見えた気がしたのだ。
アサミは、すかさずその方向に懐中電灯を向ける。
「太郎! あれ見て!」
思わず声を上げたアサミに、太郎もすぐさま寄って来た。アサミの見つめる方に、太郎の懐中電灯も重なり、それは、はっきりと照らし出された。
「こんな所に、吊り橋が?」
十メートルほど先の斜面に、渡る先さえ見えない、長い吊り橋があったのだ。
「こんな所に誰が作ったんだ?」
アサミと太郎は気を付けながらも、かつ急ぎながら急斜面を下り、吊り橋に辿り着いた。人が一人やっと通れる、と言った感じの細い吊り橋がある。それは時折吹く風に、木々のざわめきと共鳴するように、ギシギシとぎこちない撓りたてて揺れている。
吊り橋が繋げられた太い柱に『かぐらみばし』と、乱雑にナイフで彫ったような文字が、太郎の懐中電灯に照らされ浮かび上がる。
「太郎……かぐらみばし……だって」
アサミは興奮した声で言うと、唾を呑み込んだ。
「ああ。……やっと、ここまで来たな」
二人は顔を見合わせた。
「行くぞ」
そう、太郎には再び気合が入り、誘導すりょうにアサミの腕を引っ張った。
懐中電灯が足元を照らすように腰に括り付け、吊り橋の細いロープを握り締めた太郎は、電灯の光を頼りにゆっくりと進んで行く。
二人の重みを乗せた吊り橋はギシギシと音をたてて軋み、懐中電灯の光も同じように揺れた。轟音のように下から突き上げ響いてくる水の音が、更なる恐怖心を奮い立たせているようだった。
息を殺し、ようやく辿り着いた吊り橋の最後、何も変わらない深い森に二人は足を踏み入れた。
どっちに向かえば良いのかわからないままだ。
太郎は懐中電灯を手に持ちかえると、道のない森を照らし出しながら、行く先を決めようとしているのか辺りを見まわした。山道に慣れているせいか、太郎は一つの先を照らし呟く。
「ここ……人が通ったような跡がある……ほら。所々の草が倒れているんだ」
「え? どこ?」
アサミは細めた目を凝らしたが、例え今、朝であって森が明るくても、きっとわからないだろう、と思うほどに、その倒れた草とやらはアサミにはわからなかった。
さすが元山岳部、と密かにアサミは呟き、感心していた。
「こっちだ!」
太郎は躊躇いなく歩き出始める。
すかさず、アサミも後を付いていった。さっきとは違って、格段に歩きやすい道だった。もうすぐだ。と言う気持ちも重なって、足取りは軽くなっていたようだ。
五分も歩いただろうか。遠くにぼんやりとした灯りが見えてきた。
山道から抜け出すと、そこには広い草原のような場所があり、二人の目の前に広がった。
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