〜 AVENGE 〜  聖地


 

 

 

 

 老人は、今度はゆっくりと双眸を開け、アサミを見据える。

 

「ワシは、あのお方に生かされる者。とうの昔に、肉体は朽ち果てておる」

 

「あの……お方?」

 

「あのお方は、お宮様と言うてな、四百年余り前の、この村に住む普通の娘じゃった。今は……ティンクと呼ばれておるがな」

 

「ティンク? あの! あの占い師っ!」

 

「当時、自然災害が後を絶たず、村の者は皆、神のお怒りだと言うた。神の怒りを鎮める為には、生娘の生贄が必要だと……その時、偶然この村に立ち寄ったイタコが言うたんじゃ。皆はそれを信じ、お宮様を生贄に選んだ。お宮様は……親のない哀れな孤児じゃったが、それは綺麗なお方でな、幼かったワシも恋焦がれたもんじゃった」

 

「そんな……生贄だなんて……」

 

 アサミは絶句し、両手で口を塞ぎ震えた。老人は、そんなアサミを見ながら、言葉を繋ぐ。

 

「お宮様は、首を横に振る事もせず、ただ村の為になるならば、と身を捧げたんじゃ」

 

「それで? 災害は治まったんですか?」

 

 太郎が小さく呟いた。その問いに老人は、心持ち重く首を横に振る。

 

「そんな事で災害なんぞが治まるわけがない事くらい、今のお前さん達には百も承知じゃろう? それどころか、お宮様は騙されたんじゃよ」

 

「騙された?」

 

「イタコなんて嘘じゃった。色々な村や町を渡り歩いては、嘘をつき、娘達をさらっていた身売りの山賊じゃったんじゃ。お宮様はそれに気付き、山賊から命からがら逃げ出した……じゃが、容易に捕まり、山賊の快楽の餌食にされた挙句に、殺されてしまった可哀想なお方なんじゃ……」

 

「そんな……」

 

「でも、だからって今、俺たち人間を、どうしても良いなんて事にはならないじゃないですか!?」

 

 太郎は逆立った怒りを老人にぶつけて怒鳴った。

 

「そうじゃ、その通りじゃ。じゃがワシは、お宮様を慕っていた。だから、死んだ後もお宮様の為に、この身に巣くい、人間を恨み、怨念の生き血を吸い、枯れた木々で人形を掘り続け、お宮様に尽くして来た」

 

「あなたが、人形を……?」

 

「じゃが、ワシも限界じゃ、お宮様が悪霊に成り果てて行く姿を、見てはおれんくなったんじゃ」

 

「人形……あれは、いったい何だったんですかっ?」

 

「あれはな……木霊の分身とでも言うべきか。ワシが掘った人形に、お宮様は人間を恨みながら死んだ獣や木々の魂を吹き込み、人間界へ解き放っていたのじゃ」

 

「……そんな事……有り得ない」

 

 アサミは、そう言いながら震えていた。

 

「今の世に蔓延る電磁波は、我々にとっては格好の波だ。底知れぬ怨念の波数が、電磁波に似ている、そして共鳴し、流れていくのじゃ……それによって、食らう人間のいる空間と、お宮様の支配する空間は繋がる」

 

「繋がる……そうやってみんなを、人間を消していたのね?!」

 

「消していた訳ではない。確かに、怨念は人間の体を徐々に蝕み、狂気に破壊する。人間の恐怖は怨念に吸収され、そして、この地へと人間を生身で導くのじゃ……その人間たちは、木々の根に吸い集められ、栄養として身を預ける役目を果たす事になる」

 

「それに何の意味があるのっ?」

 

 アサミがそう訊いた瞬間だった。

 

「人間どもを滅ぼす為だよっ!」

 

 どこからともなく響いてきた声は、憎悪のこもったものだった。アサミも太郎も、おぞましく、冷酷な声に震えあがる。

 

二人は恐々と視線を頭上に向けた。老人はそんな二人の横を通り過ぎ、背後に立ち止まると、両手を高々と上げ闇の空を仰いだ。

 

「人間に怨念を渡さぬまま帰ってくるとは、どう言うつもりだ!」

 

 跪く老人に、どこからともなくお宮の怒声が轟く。だが、老人はその体制を崩さない。

 

「お宮様……ワシはもう疲れ果てました……あなたの御霊を御守して四百年、最早これまでと観念しております。木々を彫り、罪のない人々をこの地へ誘い入れた罪が……ワシには重うございますっ!」

 

「どこにいるのっ! みんなを帰してっ!」

 

 アサミは言いながら、老人に近付こうとした。しかし、またもや先程の突風が目の前を通り抜け、行く手を阻む。

 

 勢いよく弾き飛ばされたアサミの体を、太郎が受け止めた。

 

「大丈夫か?」

 

「うん、大丈夫よ……」

 

 言いながらに、また二人は老人に目を向ける。すると、老人は力尽きたように膝を地面に落とした。老人は、凄しい風に負けまいと、更に両腕を高々とあげた。

 

だが、風は止むどころか、まるで生きているかのように、老人の周りを強く吹きつけている。その時、低く鈍い声が、風と共に再び辺りに轟いた。

 

「このっ裏切り者めっ!」

 

 その瞬間、風は嘘のように止み、今度は凪を醸し出す。不気味な静寂が、辺りを包み込んだ。

 

「あ……あれ、何?」

 

 アサミが恐る恐る指差した先を、太郎が見遣った。

 

 目の前に突然と現れたのは、空をも突き刺すほどに伸びた大木。よく見れば、人の形をしている。その太い幹には、歪ではあるが、あのティンクと呼ばれていた占い師の顔があった。

 

「お前は私を裏切るのだな……」

 

 その幹から、低い声が弾き出され、辺りに響き渡る。

 

 老人は大木を目の前に、両手を真っ直ぐに伸ばしたまま、ゆっくりと地に頭を擦りつけ、土下座をした。

 

「あなたのお怒りはわかりますとも……あなたに命を頂いて感謝もしております。しかし、こんな事を続けていても虚しいとは思いませんか? あなたを捨て、生贄に捧げた族は全て朽ち果てております……あなたを殺した山賊もです! 罪もない人間に復讐などしていても……」

 

「ええぇい! うるさいっ!」

 

 お宮は老人の訴えを遮り、地の底から突き上げる重低音のような声で怒鳴った。

 

老人は肩を震わせながら顔を上げた。そして、真っ直ぐにお宮を見据え、視線を外さないまま動かなかった。

 

「罪のない人間だと? 笑わせるなっ!」

 

「しかし」

 

「では罪のない動物達はどうなるのだっ! 私は大昔、この地に埋められ、幾年も大地を見つめてきたのだ」

 

「存じております、しかしお宮様も一度は人間をお許しになられたはずです」

 

「黙れ……私は人間の欲の塊に殺された。だが、確かにお前の言うように、それも自身の定めと諦め思い、許しの心さえ初めはあった……なのに実際はどうだっ!」

 

 叫びが風のうねりを増す。

 

「山の崩れも洪水も、全て神の力などではないっ! それも人間の欲に蝕まれた結果ではないかっ!」

 

「……それは」

 

 老人は、下唇を噛みしめて項垂れてしまった。

 

「動物も皆どうだっ! 最早、生きる為の食料などではなく、快楽の餌食だ、どれもこれも人間の欲ではないかっ! 私の体に獣の怨念が沁み渡り、復讐心をあおってきたのだ。切り崩された木々達の怨念が、私の魂と一体になったのだっ!」

 

「だからって……私たちが悪い訳じゃ……」

 

 アサミは、涙ながらに抵抗して見せた。

 

「人間はみな同じだ! 森が人間どもを栄養にし、食らい、繁殖して何が悪いっ!」

 

 徐々に風が動きを取り戻していく。

 

「何が悪いのだっ! お前たち人間も同じ事を、我らにしてきたではないかっ!!!」

 

 お宮の怒りが頂点に達し、再び風が嵐を呼ぶ。気性を露わすように荒れ狂う。

 

「もしかして、昔この村を焼き尽くしたのも、あなたなのねっ!」

 

 アサミは風に倒されまいと、両足で大地に踏ん張りながら、お宮を睨み上げた。

 

「そうだ。それがどうした。人間は最早、憎しみの対象にしかならぬっ。家族や友達など、浅はかな関係にしがみ付く愚かな存在だ……心の中では皆、自分さえよければいいと思っている存在だ!」

 

「しがみ付いて何が悪いのよ!」

 

 アサミの叫びに、お宮は失笑を漏らした。

 

「少し心を蝕めば、操るのは容易い事よ……弱い心は人を疑い、そして殺し合う。愚かな人間どもを観察するのは、楽しさこの上なかったわ」

 

「ひどい……自分の復讐の為に、人間を操って村の人を殺させたのね! それに飽き足らず、今もまだ続けてるなんて、あなたの方こそ愚かだわ!」

 

「ふん、人間どもの心は、いつも疑念だらけ、くっくっくっ……私は無意味に存在する生を狩っただけだ……我らの命を奪った人間こそ、生きる価値などない」

 

「そんな事ないっ!」

 

 アサミは必死に叫びながらも、辺りに荒れ狂う風に巻かれそうになる。立っているのがやっとだった。

 

それでもアサミは、お宮に対抗心を露わにし、力の限り踏ん張った。

 

「人間だって悪いかもしれないっ! でも、だからって私の友達を連れて行く事ないじゃないっ! あなただって勝手だよっ! 人間と何にも変わらないじゃないっ!」

 

「うるさい……忌々しい人間めっ!」

 

「憎しみからうまれた憎しみで、またそれを繰り返すなんて! 一度は人間を許したことがあるんでしょ?! だったら!」

 

「ええぇいっ!! 黙れ小娘っ!」

 

 更に激しい風がアサミに突き刺さる。

 

と同時に、折れた枯れ木が、アサミ目掛けて飛ばされてきた。

 

アサミは、飛んでくる枯れ木に、観念したように目を伏せた。ずぶり、と生々しい音が響く。だが、その鈍い音はするものの、アサミ自身に痛みはない。

 

アサミは恐る恐る瞼を開ける。

 

「お……お爺さんっ!」

 

 アサミの目の前には、老人の背中があった。無残にも、その胸には枯れ木が突き刺さっていた。そして、ゆっくりと老人は、アサミの目の前に倒れ込んだ。

 

「大丈夫……も、もう、お宮様にこれ以上……罪をきせたくはない。そなたを帰してやりたいんじゃ……だから頼む……あの方を止めて下され」

 

「と、止めるったって、どうすればいいのよっ! わかんないよぉ」

 

「頼みます……あの方をどうか……」

 

「出来ないよっ! そ、その前に、友達を、可奈を見つけなきゃ……」

 

「残念じゃが友達は諦めなさい……最早、手遅れ……お友達は、この森の栄養となり、精気も肉体も、吸い尽くされておるはずじゃ」

 

「そんなっ!」

 

「ワシには、お宮様を殺す事など出来んかった……」

 

 老人は悔しそうに涙を流した。

 

「お宮様は、貴方たちを新たな栄養分としておびき寄せたかもしれないが、ワシは貴方たちに未来を賭けたのじゃ……だから、あの橋を渡らせ、この地に呼び寄せたんじゃ……」

 

「でも」

 

「頼み、まし、たよ……お宮様を、止めてくだされ……」

 

「何? 何をするのよっ! 教えてよ! 自分でしなさいよ!」

 

 アサミは、倒れた老人の体を揺さぶった。しかし、既に息が浅い。

 

「ワシは、四百年も、この地に、居る……人……げ…ん……では………ない」

 

 老人はそう言い終えると、皮膚は見る見るうちに乾燥し、やがては砂のように朽ちていった。剥き出しにされた骨も同じく、何もかもが砂となり、風に舞い上がっていく。

 

「お爺さ―――――んっ!」

 

 アサミの叫びも風に乗りかき消される。

 

    









              

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