〜 AVENGE 〜  聖地



そんな中、太郎は常に、ある一点を見つめたまま、動かない。アサミは必死に、太郎の袖を引っ張った。

 

「逃げよう! 太郎っ! ここにいたら……」

 

 言いかけて、ようやく太郎の視線に気付いたアサミは、同じ方向に視線を送る。

 

「どう、したの?」

 

 太郎は風に煽られながらも、大木の根元を指差した。その先を、アサミは凝視する。激しい風に、目を開けていられない。しかし、その視界に映った光景に、アサミは息を飲んだ。

 

「ひ……っ!」

 

 アサミは言葉にならない叫び声を発して、一歩退く。

 

「な、に……あれ」

 

「……人、みたいだ」

 

 二人は、目を離す事が出来なかった。

 

そこには、連れ去られたであろう人間がひしめき合い、体の半分以上を地に刺し込まている。根に絡まれた状態で、うめき声をあげている姿が痛々しい。その周りの空間が、澱み歪んでいるようで、まるで地獄への誘いのようだった。

 

乾いた皮膚は、水分も生気も吸い尽くされたのだろう。にも関わらず、まだ意識だけはあるようで、痛みと辛さに、苦しみもがいている。

 

「いずみも……あの中に、いるかもしれない」

 

 恐る恐る、声を震わせた太郎は、一歩一歩を踏みしめながら、前に歩き出した。咄嗟にアサミは太郎を掴み止める。

 

「やめてっ太郎っ! 太郎まであそこに吸い込まれちゃうよっ! そんなのヤダよっ! お願いっ太郎! 行かないでっ!」

 

 アサミは必死で太郎の袖口を引っ張り、連れ戻そうとした。だが、太郎は最早、聞く耳も持たない。

 

「お願い! 行かないで!」

 

 何度叫んでも、太郎には届かない。

 

 太郎は、前を見据えたまま、アサミの腕を振り払った。

 

「太郎!」

 

 太郎が離れていく。なのに、アサミは成す術がない。

 

――どうしたらいいの?! 太郎が行っちゃう! でも、足が動かない……。

 

 焦りが止まらないアサミは、強く拳を握り締めた。恐怖が体を縛り、動く事さえできなかった。だんだん、二人の距離が遠くなる。

 

「好きなのっ!」

 

 アサミは無我夢中で叫んだ。

 

「一緒に可奈を探してくれた時から、ううん、きっと初めて会った時から気になってたんだもん! だから! だから行かないで! 傍にいて! お願い! 太郎っ! 初めて人を好きになったの! 行かないで!」

 

 頬に涙が伝い、止まらない。しかし、太郎は何かに引き寄せられるように足を止めない。アサミの声が、風と共に通り過ぎていく。

 

「太郎っ!」

 

 アサミの声も虚しく、太郎の体は、舞いあがった砂煙にかき消され、とうとう見えなくなった。

 

『この森を早く出なさい』

 

 どこからともなく、アサミの耳に届いた声は、砂になったはずのお爺さんの切ない声だった。

 

「どうして……どうしてみんな、いなくなるのよ……」

 

アサミは、泣きながら後退りし「いやぁ!」と叫びながら、踵を返し、道もわからない森へと走り出した。

 

「お願いっ! 夢なら覚めて――っ!」

 

 平原だったそこは、既に草で覆われ、歩く道もない。生い茂った木々が行く手を阻む。だが、アサミは必死に、その背丈ほどに高い草むらをかき分け走る。木の根に足を取られても、立ち上がり走り続ける。飛び出した枝に腕が擦っても、流れる血を気にもできず走る。もがきながら、とにかく必死に走り続けた。

 

どんなに遠くへ走っても、それでも、低い声が容赦なく届いてくる。

 

『逃がしはしない』 

 

 それは、お爺さんの声ではない。お宮の、憎悪に満ち溢れた声だった。

 

 耳を塞ぎ、アサミは我武者羅に走っていた。だが、突然と足元の地面が崩れた。同時にアサミは地面に体を叩きつけられる。既に体中がボロボロで、息も切れ切れだ。

 

あたりは暗く、周りも見えない状況。アサミの恐怖が頂点に達する。

 

太郎――――――っ!」

 

叫んではみたものの、自分のこだまする声以外の返事はない。上を見上げても、木々で覆われ空さえ見えない。

 

「どうすればいいの」

 

 涙声で呟くアサミだったが、ふと、下から吹きつける風に気付いた。そこは、先程の吊り橋のかかった岸壁だった。しかし、吊橋などどこにもない。

 

「どうしよう……」

 

そう呟いた時だった。

 

冷やりとした感触がアサミの足首に纏わりついた。

 

ひっ」

 

全身に悪寒が走り抜けたアサミは、震えながら足元を見遣る。

 

「い、や……」

 

アサミの足首が、土の中から伸びた、細く白い手が伸びて、がっちりと捕らえられている。足首を捕らえた手が、だんだん伸びる。そして、ぼこぼこと地面が盛り上がり、アサミの足を這い上って来た。

 

「やだやだやだやだ!」

 

恐怖に動けないアサミは、泣き叫ぶ事しかできない。

 

――ここで死んじゃうの?!

 

 そんな思いが、アサミの脳裏を駆け廻る。

 

 白い手は徐々に土の中から、その姿を現した。緑の髪が見え始め、次に、ぎょろりとした目が、恨めしそうに覗く。そして、冷たくアサミを睨み付けながら、尚、這い上がってきた。

 

「やめ……て」

 

 そう、諦めに似た言葉を吐き出した時だった。崖の向こう側にアサミの視線が止まった。そこには、探し求めた姿があったのだ。

 

「……まさか? 可奈?」

 

 よく見えないはずだったが、その背格好から、アサミは確信に近い安堵の表情を浮かべた。

 

足元から来る、お宮の恐怖と戦いながら、必死でアサミは叫び、届くはずのない手を伸ばした。

 

「可奈! 可奈なのね!」

 

だが、既にお宮は、アサミの腰の辺りまで這い上がって来ている。

 

「可奈っ! 逃げて!」

 

 アサミは大声で叫んだが、薄暗い辺りに浮かび上がるだけの姿見る限り、呆然と立ち尽くしたままの可奈は動かない。気のせいか、可奈は全身に鈍い光を帯びている。

 

その時アサミは、可奈が生きているという確信が持てなくなっていった。

 

「可奈……」

 

 涙に震えた呟きが風にさらわれ、あきらめの表情を浮かべるアサミが落胆し、眼差しを伏せようと時だった。可奈の右腕がゆっくりと上がり、北の空に向かって指した。

 

「な……に?」

 

 アサミは呟き、その指差した方向に目を向ける。

 

 すると、空が煌煌と赤く染まり、高い火柱をあげているのが見えたのだ。

 

「火事?」

 

アサミが目を見開いた途端だった。

 

「ぎぃやぁぁっ――――――――――っ!!!」

 

と、けたたましい声が、辺りに響き渡った。

 

アサミは、鼓膜が破れそうな勢いのある奇声に驚いた。そして、お宮の手が緩んだ隙に、慌てて立ち上がり、お宮から恐る恐る離れた。何が起こったのかさえ、まだ解らないアサミは、お宮を見据える。

 

お宮が目の前で、苦しそうに両耳を塞ぎ、体を反らせ、もがき始めた。徐々に皮膚が爛れ、異臭を放つ。緑だった髪がくすみ、灰になっていく。

 

そのおぞましい姿に、アサミは両手で口を覆った。

 

すると、崖の反対側にいた可奈が、突然と一つの大きな光りとなった。アサミは「やっぱり……」と呟き、全てを把握した。

 

可奈が生きていない。そう思うと、今度は悲しみの涙が襲う。

 

光となった可奈は、物凄い速さでアサミに真っ直ぐ向かってきた。瞬きする事もままならないうちに、アサミの脳内を突き抜けていった。

 

そして、可奈の記憶が一瞬入ってきたかと思うと、すぐさま光はどこへともなく消えていった。

 

とてつもない風圧と衝撃に晒され、アサミはよろめき倒れかけた。だが、その腕をしっかり掴んでくれる大きな手があった。

 

「大丈夫か!」

 

 肩で大きく息をしながら、アサミの腕を引き寄せ、抱きしめたのは太郎だった。

 

「太郎……」

 

 アサミは、下唇を噛締めた。

 

「ごめん、アサミ」

 

「心配したんだからぁ……」

 

 そう言って、アサミは太郎の胸の中に飛び込んだ。太郎は、優しくアサミを受け入れる。強く抱締め合った二人は、まだ目の前で苦しむお宮の姿を見遣った。

 

 苦しみもがくお宮は、骨と化した腕を、震えながらに伸ばした。

 

「キ、サマァ……何を……したぁ……」

 

 だが、そんなお宮に、太郎は遺憾の眼差しを向けるだけだった。

 

「行こう!」

 

 太郎は、ここにいつまでもいられない、とアサミの腕を引っ張り、まるで道を知っているかのように走り出した。

 

「人間どもめぇ〜……にんげ……ん……ど……」

 

 突然、お宮は炎に包まれた。

 

「うぎゃあl〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」

 

、最後の奇声を上げると同時に、そのままお宮は、跡形もなく消え失せていった。地面が燻った跡だけを残して……。

 

「いったい何が……」

 

 振り向こうとするアサミに、太郎は「見るんじゃないっ!」と叫びながら、ひたすら走り続けた。








    








              

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