〜 AVENGE 〜  エピローグ




 

 暫らく走ると森が開け、二人は平原に辿り着いた。

 

太郎は、ここなら安心だろうと言いざま、どっと、力が抜けたように倒れ込んだ。アサミもその傍らに膝をつき、息を切らしている。

 

「ハァハァ……いったい……ハァハァ、何が……あったの?」

 

 アサミは、呼吸も整わず、早々に切り出した。

 

 太郎は大の字に仰向けになり、ゆっくりと視線をアサミに向ける。

 

「ああぁ……いずみに、助けてもらったんだ……」

 

「えっ?」

 

 アサミは太郎の言葉に耳を疑い、すぐさま訊き返した。

 

 太郎は、ゆっくりと一度目を閉じると、大きく深呼吸してから「あの時」と言って、また目を開けた。

 

「俺は無我夢中で、あの木の根元に近付いた。そこは、おぞましいほどに人間がひしめき合ってて、俺を引きずり込もうと必死で腕を伸ばしていた……まるで地獄絵図のようだったよ。でも、その中にいずみがいて……」

 

 言葉を詰まらせながら震える唇をぎゅっと噛みしめ、流れる涙を隠すように、両腕で顔を覆った。

 

「昔の面影すらない、変わり果てた姿だったけど……それでも俺にはそれが、いずみなんだとわかったんだ。思いきり、いずみは俺を跳ね返して、来ちゃ駄目だって聞こえた気がしたんだ。突き飛ばされた俺の後ろには、誰かが立ってて……」

 

 再び太郎は言葉を詰まらせた。

 

「誰か?」

 

 その声にハッと我に返ったように目を見開くと、太郎はアサミを見遣る。

 

「ああ、見たこともない子だった。でも、その子は皆とは違って、こう、腐ってなかったんだ」

 

 アサミは、確信に近い何かを感じ、ごくりと喉を上下させた。

 

「それって、もしかしたら可奈かもしれない……」

 

 そう言ってアサミは視線を落とした。

 

「ホントは諦めてたんだけど、可奈は生きているのかもしれないんだよね……私も見たんだもん。栗色の髪で、ウェーブのかかった……女の子じゃなかった?」

 

「そこまではわからないよ、咄嗟の事でまともに見た訳じゃなかったし……ただ言えるのは、触れた手が氷のように冷たかったから……きっと生きた人間じゃないと思う」

 

 期待が大きかっただけに、太郎の言葉を聞くや否や、アサミは大きく溜息を漏らし肩を落とした。

 

「でも、多分……アサミの言う通り、あの子は可奈って子だと思う」

 

「え?」

 

「その子は、倒れた俺の腕を、女の子とは思えない力で引き上げて、あの小屋を指差したんだ。俺は誘われるまま、急いで付いて行った。あそこに囲炉裏があっただろ?」

 

「うん」

 

「その子は俺に、それを教えてくれたんだと思う」

 

「なにを?」

 

「爺さんは、いつも火を絶やさなかったんだよ。いつも苦しんでたんだと思う……いつか誰かがやって来ると願ってたんだ」

 

「私たちを、待ってた?」

 

 アサミの言葉に、太郎は頷いた。

 

「例えどんな姿になっても、あのお宮って人が好きだったから、自分では殺せなかったんだと思う……でも、好きな人の心が腐るのは見たくなかったんだ」

 

「じゃぁ、さっきの火柱は?」

 

「ああ、俺だよ。所詮、あの化け物も木だった。燃やしてしまえばいいって教えてくれたんだよ……俺は必死になって松明を片手に外に飛び出した、そして、奴の根元に火を付けた。あの火の中で誰もが苦しそうにもがいてた。でもその中で、いずみは笑ってたんだ」

 

 再び太郎は両手で顔を覆い、嗚咽を漏らした。指の隙間から、止め処なく流れる涙を拭う事さえ出来ずにいる。アサミは、そっと太郎の手に、自分の手を重ねた。

 

「そしたら、耳の奥に響いてきたんだ、いずみの声が……今までありがとう、お兄ちゃんの言う事を聞かない妹でごめんね、でも幸せだったよ……って」

 

「太郎……」

 

「その後、助けてくれた子が、次は俺に『走れ』って……そしてアサミが行った先を指差したんだ」

 

 太郎はアサミの手を握り返すと、ぐいっと体を起こして向き合った。

 

「その時、聞こえたのが……西に向かってひたすら走れ、平原に出れば助かるから、アサミを連れて逃げて……そう聞こえたんだ。だからあの子はきっと」

 

「……やっぱり、可奈?」

 

「多分、そうだと思う」

 

 重い絶望を胸に抱きながらも、可奈が助けてくれた事に、アサミは胸がいっぱいになり、その瞳に涙を溢れさせた。

 

「でも、どうして、いずみ達とは別の場所に、可奈ちゃんだけがいたのかは、解らない」

 

 不思議そうに呟いた太郎の言葉に、アサミは何かを思い出したようにハッとし、涙を拭った。

 

「そう言えば……太郎が助けに来てくれる前に、可奈が私の中に入って来たような気がした」

 

「え?」

 

「可奈がって言うより、可奈の記憶っていうか……」

 

「記憶?」

 

「あの時、可奈は私の頭の中で言ったんだよ……ありがとうって。私がパキラを切ったお陰で魂が開放されたんだって……そう言ってた」

 

「……そっか……」

 

 太郎はそう言って笑顔を向けたが、それ以上は何も言わなかった。ただ、アサミの手を放さないようにぎゅっと握りしめていた。

 

「火事の日の記憶だった」

 

 アサミはゆっくりと口を開く。

 

「可奈が見た光景が、そのまま鮮明に見えたの……」

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 あの日、可奈を連れ去ろうと、やはり、お宮はあの家に来ていた。

 

お宮は、まず人間の魂を自分の魂内に取り込んでいた。だが、それには人間自身にやましさや寂しさ、生きる事への喪失感などがあってこそ、付け込める術だった。

 

しかし、可奈には、お宮が入り込むような心の隙間がなかったのだ。

 

可奈の全てを連れ去ろうにも、意思が固すぎたのだ。だから可奈は、他の人間のように、同じ場所に連れて来られる事がなかったのだった。

 

それでも、お宮の怨念の呪縛からは逃れる事が出来ずに、奇しくも、可奈が手放せずにいたパキラに魂を閉じ込められていたのだった。

 

そして、お宮は肉体だけを、他の人間と同じように連れ去った。

 

お宮の怨念は、人間の魂によって増幅する。そして、肉体によって木々の生命力を維持してきたのだった。

 

可奈の魂が入り込んだパキラが、生命力に溢れていたのはそのせいだった。そのパキラをアサミが切り刻んだお陰で、可奈の魂は開放され、肉体に呼び寄せられたのだ。

 

お宮の呪縛に負ける事無く、穏やかな心のままでいられたのは、アサミを護ろうとする強い意志があってこそだったのかもしれない。

 

 

 

 

       ◇  

 

 

 

 

 全てを把握した可奈の記憶。自分を護ろうとしてくれた心に、アサミの涙が止め処なく流れる。そんな震える肩を、太郎は強く引き寄せ、抱締めた。

 

 互いに流れる温かさに、更に涙は枯れる事を知らない。

 

やがて、空に立ち昇っていた火柱は、空に吸い上げられるように渦を巻き始めた。竜巻となった炎は、空高く舞い上がり、そして消えていく。

 

跡には、何もなかったかのような静寂だけが残されていた。

 

お宮の姿を模った樹は朽ち、焼け焦げた大地が姿をあらわす。その真ん中には、たった一輪、朝露に濡らされた花が地面から伸びている。蕾から覗く花弁はまるで、血に染められたような色をしている。静かに時がきて、開くのを待っているようだった。

 

 二人が抱き合う場所に、穏やかな風が吹き抜け、次第に東からの光に照らされていった。









 

    









              

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