〜 AVENGE 〜 距離の狭間で




 暫らく歩き続ける二人の目前が、長蛇の列にさしかかった。

 

 少し先の曲がり角へと続くこの列の先には『未来の森』がある。

 

 可奈はメールをしていた携帯を閉じると、すぐさま足取りが早くなった。それに続くアサミの足も自然と早くなる。角を曲がり、可奈の視線が列の前方まで伸びた時「真紀子!」と大きく手を挙げた。 

 

「可奈! おそ〜い!」

 

 可奈に気付いた真紀子が、手を大きく振り上げ叫んだ。

 

「ごめ〜ん! 変な男に捕まってて」

 

 行列の横を当たり前のように通り抜け、駆け寄る可奈に対して並ぶ人波の視線がアサミには痛かった。その可奈の行動に再び吐き気を感じたアサミは、俯き加減に口を押さえながら後に続く。

 

 誘い主の真紀子の所に辿り着いた可奈は、早速眉間にシワを寄せながら、先ほどの太郎の事を話し出した。

 

「今時さ〜行方不明の家族を探してるって言うの! ウッザイでしょ〜?」

 

「何〜? 何の話〜?」

 

 赤い髪に、眉毛なんてほとんど描いてます状態に細くしている真紀子が聞き返す。いつも人の話を聞いていない真紀子らしい返答に、アサミは苦笑いするしかなかった。

 

「良い男だった?」

 

 今度は金髪のアリサが、くちゃくちゃと音を出しながらガムを噛み、獲物を狙うようなニヤついた顔で言った。ほとほと男に目がない感じで、友達同士で『寝た男の数』を競い合ってる変な女。

 

 時折吹きつける風に舞い上がった短いスカートを押さえようともしない。そこに集まる男の視線が気持ちいいのだとか。

 

 かといって、自分の好みじゃない男に見られたとわかると物凄い形相で睨み返すのだ。何だか矛盾している、といつもアサミは思っていた。

 

 あとは、アサミにとっては初対面の女の子が三人。

 

 皆、似たり寄ったりの人種に見える。

 

 この中では唯一、可奈が一番マシに見えるが、そんな事は今のアサミにはどうでもよかった。

 

 さっきまでは普通に見えていたが、この頃、この吐きそうになる原因は可奈のせいかも知れないと気付き始めていたからだ。

 

 可奈の言葉遣い、顔、仕草。何もかもがアサミの嫌悪を誘うらしい。それにも増して、みんながつけている香水の混ざった匂いが嫌でも鼻に絡みつく。

 

 一人でいる事と変わりはしないと気付いたアサミだが、今でもここから弾かれるのは正直怖いと感じていた。

 

 今更、新しい友達なんて見付けられるはずがない。周りは、すでにグループが出来あがっている。グループからはみ出してきた人間を、他のグループは受け入れてはくれない事は、アサミは重々承知だった。

 

 だから、一人にはなりたくない一心で、今まで『友達』に合わせてきた。

 

 グループ同士の合流は有り得るが、一人でその輪を切って入るものではなかった。でも、アサミが限界を感じているのは確かで、もう、どうにも吐き気は治まらなくなってきていた。

 

 八百屋でピーマンのたたき売りをやってるような中身のない会話に、更にアサミは顔を歪めた。

 

――ピーマン……嫌い……。

 

 もう、我慢なんて必要ないのかもしれない。そう確信したアサミは、意を決して、目の前で下品な爆笑が飛び交う八百屋のバーゲンに飛び込んだ。

 

「ねぇ、誰かナプキン持ってない?」

 

 もう、どうにでもなれ、という自暴自棄の感情にアサミは流されていた。

 

 人間なんて生まれてくる時も、死ぬ時もどうせ一人。生きている時に一人になるのも同じ。胃の中に、燃え切らない生ごみが腐ったようなモヤモヤから、どうしてもアサミは抜け出したかったのだ。

 

「何? アサミ、アレになった?」

 

 可奈が眉をひそめて聞いてきた。こんな形でしか抜け出せない自分に苛立ちを募らせる。

 

「そうみたい……何か気持ち悪い感じ」

 

「タンポンならあるよ」

 

 アリサが面白そうに言った。

 

「えっ? 何であんたが持ってんの?」

 

 アサミの知らない子が不思議そうにアリサに突っ込む。だが、アサミにはその言葉の方が不思議だった。

 

「そうだよ! あんた妊娠したって言ってたじゃん!」

 

 と、真紀子の言葉に納得したアサミは、呆れたように溜め息を落とす羽目になる。

 

「そんなの、とっくに堕ろしちゃったさ〜」

 

 得意そうな顔で、アリサは何度もお腹を叩いた。

 

――おかしい、絶対におかしい……なんでそんなに喜んでんの? そんな簡単なこと?

 

 アサミの疑問などこの中には成立しないらしい。誰もが笑顔で、誰もが普通にとらえているようだ。

 

「マジ〜? いつ?」

 

「先週。だから生理がウザくってさ!」

 

「だよね〜」

 

――やっぱ、ピーマン……大嫌い。

 

 脳みそが空っぽそうな会話に、アサミはもろに嫌悪感を顔に出してしまい、軽く咳払いをした。アサミは、早くここから逃げ出したくて、もう一度話を戻そうと試みる。 

 

「私、タンポン使わない、から」

 

 アサミは必死で作り笑いを浮かべた。それでも引きつりが伴い、今にも涙が溢れそうだった。

 

「何で〜? タンポンの方が楽だよ」

 

「そうだよ、タンポンにしなよ」

 

「っていうか、アサミはまだセックスの経験ないから怖いんじゃないの?」

 

と、真紀子が、明らかにこの場では関係のない話で入って来た。

 

 

――なんでその話になるの?

 

 そう思いながらも、ますます吐き気に輪が掛かったらしく、今度はお腹を押さえながら必死で笑った。笑う必要なんかないと思っても、体が条件反射のように笑顔を弾き出す。

 

「ほらぁ、アサミってばぁ超痛そうじゃん。そういう話は後ですればいいじゃん、誰かナプキン持ってないのぉ?」

 

 可奈が「大丈夫?」と心配そうにアサミの肩に手をかけた。それでも、アサミは何もかもが余計なお世話と思いながらも、反発するのが馬鹿らしく、また苦笑いするしかなかった。

 

「セックスしてなくても入るよ〜」

 

「入るよね、最初は痛いけど」

 

「でも、男のよりは痛くないよ!」

 

「当たり前じゃん!」

 

「でも、大きさにもよるよねぇ」

 

「キャハハハハ!」

 

何がそんなに面白いのか、みんなで爆笑中だ。既にアサミの事はノー眼中らしい。

 

その視界に、やはり可奈も入っているのだから、アサミはいい加減「信じらんない」と小さく呟き、うんざりしていた。

 

アリサの自慢話から、だんだん火が付いた。若いのに自分は大勢の男を知っているとひけらかす会話。それこそウザイのだとも気付かずに会話に花が咲き始める。

 

 

―――男とセックスする事がそんなに偉いの? 不特定多数とのセックス=変な病気持ちって決め付けるのは私だけ?

 

 アサミは眉間に皺を寄せながら、会話についていけないと思った。というより、付いていきたくない。それが、セックスの話だからではなく、最早、人種が違うのだ、と感じている。

 

 時と場所を考えない、浅はかな友達。人通りの多い場所で大声を出して下ネタ披露。男自慢。

 

 周りの視線がアサミには痛かった。アサミも、この輪の中にいる限り同じ目で見られている。それだけは避けたい、とアサミは感じていたのだろう。再び、アサミは会話を切った。

 

「ねぇ……だから、ナプキン」

 

 誰もがその一言で会話を止め、一斉にアサミを見る。話に乗らないアサミの方がウザがられてるらしい。

 

「あ、ごめんごめん。ナプキンね。私、持ってたかも」

 

 真紀子の連れの一人が呆れたように言った。カバンを探りながらナプキンを一つアサミの目の前に面倒くさそうに差し出す。

 

 持ってるなら早く出してよ、と言わんばかりにアサミの頬が引きつりを増す。

 

「アサミはさぁ、やっぱ、まだお子ちゃまだから、セックスの話にはついて行けないかぁ?」

 

 なんて、アリサが棘のある言い方をした。

 

 

―――別に、ついて行きたくないよっ!

 

 と、アサミは思いながらも「ありがと、じゃあ、私は帰るよ」と、いらないナプキンを受け取った。

 

「えっ? 帰るの?」

 

わざとらしい可奈の聞き返しに、アサミは小さくため息を漏らした。

 

 

―――帰ってほしいくせに……。

 

 その言葉を飲み込み、アサミは「うん」と小さく頷くと、精一杯の笑顔を作って応えた。

 

「何で? もうすぐ順番来るよ?!」

 

「いい……かなり腹も痛くなってきたし、また今度にする」

 

「そう……じゃあ、また明日学校でね」

 

「うん……」

 

 アサミは軽く息を吐くような声で、いかにもダルそうに「じゃあ」と片手を上げ『友達』に背を向けた。しらじらしい演技に見えたかもしれないな、と思いながらも、やっとピーマン軍団からアサミは抜け出せたのだ、と安心した面持で歩き出した。

 

 その後ろで、早くもアサミへのバッシングが始まった。

 

「アサミって冷めてるよね、いつも」

 

―――真紀子の声だ、聞こえてるっての。

 

 アサミには、後方からの会話に、また顔を歪めた。

 

「体調悪いんだよ」

 

―――これは可奈の声ね。

 

「っていうか〜。アサミの視線が何か冷めてるって感じ〜?」

 

―――アリサってば、真紀子と同じ事言ってるよ。

 

「あんた、アサミの好きな男とでもやったんじゃないの?」

 

「え? マジ?」

 

―――やっぱバカだ……違うっつうの。

 

「だから冷たく感じるとか?」

 

―――みんな好きな事言ってるし……。

 

「あの子、良く言えばクールなんだよ」

 

―――知らない子にまで早くも分析されてる私って……。

 

「淡白って事かい?」

 

「やっぱセックスは濃厚でしょう〜!」

 

「もしかして、レズとか〜?」

 

「やだ〜」

 

「キャハハハハハハ」

 

―――声がデカイからまる聞こえだっつうの! 何の話しをしても最後にはセックス。ノコギリで頭の真ん中からブチ切って、その脳みその思考回路を一度拝んでやろうか……あ、いけない……変にグロテスクな想像したもんだからマジ気持ち悪い……。

 

 

「うっ……」

 

 堪え切れない吐き気に口元を押さえ、とっさにアサミは人影のない路地裏に駆け込んだ。

 

「おえっ〜〜〜〜!」

 

 胃の底から湧き上がってくる胃液で、アサミの口の中は一瞬で酸っぱくなったらしく、その感触に、何もかも吐き出してしまいたい衝動に思いきり舌を出した。

 

 吐いても、吐いても治まりの効かない吐き気。空吐きしすぎて頭痛にまで襲われたアサミは、苦痛の面持でこめかみを押さえた。

 

「う〜〜〜でも……ここにいたって仕方ない……か」

 

 アサミは酸っぱい口の中の胃液を何度も飲み込みながら、路地伝いに歩き始めた。

 

 顔中の筋肉が緩み始め、唇の端から流れ出るヨダレの感覚。とっさに手の中に握り締めていたナプキンを破り出し、ティッシュ代わりに口を拭いた。

 

 それをすかさず殴り捨てる。

 

 見れば、微かに滲んだ血。吐き過ぎて喉が切れたのだろう、その痛みにアサミは、また顔を歪めた。

 

「痛ってぇ〜」

 

 それでも、体の中が切れたにもかかわらず、アサミは笑みを零した。

 

 今までの吐き気の元凶でしかなかった『友達の糸』がやっと切れたのだと思うと嬉しかったのかもしれない。

 

 アサミは、おぼつかない足取りながらも、心は軽く家路へと足を向けていた。









    









              

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