〜 AVENGE 〜 見えない友達
青い空が、次第に雨雲に覆い始められた。今にも降り出しそうな雨に、路地を歩く人影は、少なくなっていった。
アパートが軒を連ねる街並み。その細い路地の一角に建つ、古ぼけた二階建ての『新宮荘』と掲げられた看板。看板は今にも崩れ落ちそうで、ガタガタと小さな風に揺られる。
その二階角の部屋窓が、軋んだ音を弾きながら少し開けられた。
そこからひょっこりと顔を出したのは学生らしい男。
「雨か?」
空を見上げそう呟くと、窓を開けたまま顔を引っ込めた。男は、暗くなった部屋の照明をつけると、すかさずパソコンの前に座った。
静まり返った部屋の中で、パソコンのキーボードを叩く音だけが響き渡る。
壁が見えないほどに設置された本棚には、いろんな本が所狭しと並んでいる。机の上には、遣り掛けのレポート用紙が乱雑に置かれ、呑み残したコーヒーのカップと開いたままの携帯が置いてあった。
男の手馴れた音は止む事無く、ひたすら光る画面に文字を打ち出していく。
どうやら、チャットに夢中らしい。
―――ホストR □ 俺、この前、占いに行って来た。
―――ヒッキー □ そうなんだ
―――王様 □ 女みてぇーやつだな
その書き込みを見るや否や、面白くなさそうに男の眉間に皺が寄る。それでも、男はひたすらキーを打つ。
―――ホストR □ そこに売ってた人形買った
―――ヒッキー □ へぇー、どんなの?
―――ホストR □ 木で出来た人形のストラップ。ピノキオみたいなやつだよ。
―――王様 □ 人形だって、キモ――ッ!
「うるせぇな」
ポツリと呟きながら、まだ話が出来そうな相手、ヒッキーに目をやる。
―――ホストR □ 友達が出来るっていうお守りみたいなもんだよ。
―――王様 □ そんなのに頼らなきゃ友達もいねぇのかよっ
―――ホストR □ うるせーお前出ていけ!
打ち込んですぐ「あっ」という声を発する。普段は温厚な対応を心掛けている男にとって、馬鹿にされたことが嫌だったのだろう。そしてそれは男の心の奥を突いているらしい。
「友達か……確かにいないよな。でもお前に言われたくねぇ……」
届くはずのない言葉と共に男は短い溜息を落とし、すぐさまヒッキーの相手に戻った。
―――ホストR □ ごめん
―――ヒッキー □ 気にするなよ
―――ヒッキー □ で? 友達は出来たの?
―――ホストR □ それが、怖いくらいに、すぐ出来た。
―――王様 □ 女か??
「まだいたのかよ」
ムッとしながらも、男は気にしないように言葉を繋いだ。
―――ホストR □ わかんね。でも、たぶん女。
―――王様 □ うっひょー、いいじゃん。やっちゃえよ。
―――ホストR □ そんなんじゃないよ。俺の相談とか親身になって聞いてくれるんだ。
―――王様 □ 所詮、メルトモだろ?
―――ホストR □ お前よりはマシだよ。
―――王様 □ だったら一生一人でやってろ、カス! つまんね
―――― 王様が退室しました ――――
男はその欄を見るなり、ホッと胸を撫で下ろした。閑散とした部屋を見回し、自分が一人なのだと思い知る。
ふと、床に落ちている手鏡を拾いあげ、男は自分を映した。
寂しさを誤魔化すように、毎日パソコンを開いては、見えない相手と会話をする。ただそれだけが、男にとって、孤独を感じない為の日常だった。
冴えない容姿に溜息を落とす。そして再びパソコンに向かう。
―――ホストR □ 俺さ、リアルであんまり喋れないから
―――ヒッキー □ 大丈夫、俺もだよ
―――ヒッキー □ でも良かったね、友達出来て。
―――ホストR □ サンキュ〜
―――ホストR □ 今度、迎えに来てくれるらしい。
―――ヒッキー □ ??? 迎えに? 遊びにじゃなくて?
―――ホストR □ どっちでもいいよ、会えるんだから。
―――ヒッキー □ そか。今度また報告してよ。
―――ホストR □ わかった。
そう打ち込んだところで、机の上に開いたままの携帯が鳴った。
男は思わず驚いて肩を上げたが、その着信音に振り返り口端を上げた。
―――ホストR □ 噂をすればメール来た。じゃぁ落ちるわ。バイ。
男は徐にパソコンから離れ、広げっぱなしの携帯を手に取った。メール欄を確認し、にやけた面持ちで届いたメールを眺める。 「もうすぐ会えるね……か」 男はすぐさま返信するべく指を動かす。そうしているうちに、メルトモからの言葉が届いた。 『もう、待てない。今から行ってもいい?』 「え? 今からって」 男は、慌てて返信を打ち返した。 『困るよ。明日は大事なレポートを出す日なんだ、今から取りかかる所だし、明日じゃダメかな?』 送信してすぐ、相手からの返事が返ってくる。 『あんなに貴方の悩みを聞いてあげたのに、会いたくないの?』 どれだけメールを打つのが早いんだ、と思いながらも男は携帯のボタンを押していく。 『そうじゃないよ。会いたいけど……今からってのは急だなと思って』 『だったら、今から迎えに行く。貴方とは永遠に一緒に居たい……』 男は息を呑んだ。 「永遠、に……?」 その言葉に男は背筋に悪寒を感じたのだろう、ハッとして後ろを振りかえった。 そこにあるのはただの壁で、いつもと変わりない。それでも妙な重圧が、男の体を震わせた。 「何もない……何でもないんだ……」 自分に言い聞かせるように呟く男だったが、それも束の間、男は手に持つ携帯がうごめくのを感じた。 「うわっ」 驚いてとっさに放した不気味な携帯。その画面は受信したメールを勝手に開いていく。 『今から行くよ』 『今から行くよ』 『今から行くよ』 『今から行くよ』 『今から行くよ』 次々に並んでいく同じ文字に、男は思わず身を引いた。 「嘘だろっ?!」 すかさず立ち上がり部屋を出ようとドアまで走ったが、どんなにドアノブを回しても扉は開かなかった。鍵などかけられていないはずの状況に次第に心は焦り、冷や汗が額を伝う男の顔は蒼白だった。 どうしても開かないドアを後ろ手に男は震え、視界に入った携帯を見つめた。すると、部屋の明かりが、じりじりと嫌な音を立て点滅を始める。 「な、何だよ、これ」 その照明の下の床から、何かが這い上がってくるのを男は目の当たりにした。床が揺らめきを増す。 そこから、にゅっと腐りきった細い腕が突き出したかと思うと、男に向って手招きを始めた。瞬間に男は悲鳴を上げる。 「何なんだよぉ―――――っ!!」 その手をかわきりに、次々に伸びてくる無数の手。その手は徐々に男に近付き、その足を掴んだ。 「う……わぁ……」 男は懸命に足を振り、追い払ったが、その手は執拗に群がる。男はこの状況に足が竦んで動く事さえままならなかった。一刻も早くここから逃げ出したくて、また何度もドアノブを回すが、それはピクリとも動かなかった。 焦った男は必死にドアを叩き続けた。 「誰かっ!! 助けてくれっ!! 誰かぁっ!!」 無数に涌き出る手の中心から、今度は、ぽっこりと人間の頭部が浮かび上がった。その頭部が床から目だけをギロリと窺わせ、男を睨む。 男は背後に視線を感じたのか、ぴたりと体を静止させた。 『イジメラレテ アナタハ ヒトリナンデショ』 低い声が、部屋中に響き渡った。 「何……で……」 『トモダチ ウンザリ サミシイ』 その言葉は、以前に男がメル友に相談した台詞ばかりだった。 恐る恐る男は振り向き、その声がする方向を凝視した。だが、男は涙ながらに首を横に振るだけで、振るえる足をもうどうにも動かす事が出来なかった。 男の足に絡み付く長く気味の悪い手が、ゆっくりと体を這い上ってくる。次第に伸びてきた手は、男の口を塞ぐと同時に、部屋の明りを奪った。 刹那。瞬きするよりも早く、床の中へと男の体は引きずり込まれた。 悲鳴すらもあがらなかった。 暫らくして、じりじりと点滅を取り戻した照明に照らされた部屋には、誰もいない。 外には、いつのまにか静かに雨が降り出している。 まるで男の悲しみと恐怖をそこからかき消すように、ゆらゆらとカーテンが揺さぶられた。無造作に机の上に取り残されたレポートが、隙間の開いた窓から吹き込んでくる雨風に舞い上がる。
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