〜 AVENGE 〜 オアシス



 放課後。

 今まで、街でしか遊ばなかった可奈に「家に来ない?」と誘われたアサミは驚いた。

 家族の事をあまり話そうとはしなかった可奈だっただけに、いきなり家に招待された事が珍しいと思ったからだ。

  アサミとは駅で反対方向になる為、お互いの家に遊びに行き来する事が今まではなかった。半年も一緒にいて、お互いがどんな家で育ち、どんな家に住んでいるのかさえ知らなかったのだ。

 アサミにはそれが寂しいと感じた要因の一つだったかもしれない。

 アサミは可奈に先導されるまま、高級住宅街に立ち並ぶ大きな家々にうっとりしながら歩いていた。その並びにある大きな門構えの家に辿り着いたアサミは絶句した。

「ここよ」

 可奈は当然のように大きな家を指差し、門を開け入っていく。アサミは口が開いたまま塞がらない。

 高いコンクリート壁に囲まれ、敷石が続く。まず視界に飛び込んできたのは広く、細部まで手入が行き届いた立派な庭だった。中心に噴水がある庭など、アサミは見るのが始めただ。そこを進んでいくと、テレビでしか見たことがないような大きな洋館が現れ、いくつもの大きな窓が並ぶ綺麗な家だ。

「どうしたの? 入らないの?」

 不思議そうに言う可奈に、アサミは「う、うん」と慌てて追う。

 玄関に入ったアサミは、また溜め息をつかされることになった。

 高く拭き抜けた玄関に、床には光った大理石が敷き詰められている。中央に二階へと上がる螺旋階段があり、まるでお姫様が住む城みたいだとアサミは思った。

 きゅっと音を立てる足元を気にしながら、辺りを物色するように見まわし、ぎこちなく進むアサミは気が気ではない。だが、可奈は至って当たり前のようだ。

「……金持ちのお嬢様だったのか」

 アサミは、小さく呟いた。でも、それなりの悩みは抱えているようだった。

 ここに来るまでに、可奈は少しずつ自分の家族の事を話してくれていた。

 両親は共働きで夜遅くまで帰っては来ない。

 父親は弁護士。母親は女医。可奈は立派なお嬢様だという事がわかった。

 けれど、もう一人小学六年の弟がいるが、もう二年ほど前から、食事の時以外は部屋から出てこない引きこもりだと、溜息を吐きながら言った。その弟は、食事さえ誰もいない時を見計らってばかりで、それこそ透明人間のようだと、心配そうに可奈は話していた。

 その会話を思い出しながら、二階の可奈の部屋に通されたアサミは、またその広さに驚きを隠せない。可奈が「お茶を持ってくる」と言って部屋を後にし、一人残されたアサミの瞳が爛々とした。舐めるように部屋を見まわす。高い天井に天窓が設けられており、そこからの空が気持ち良いほどに澄み渡っていた。

 何不自由ない生活空間。しがないサラリーマン家庭のアサミには、眩いほどに飾られた部屋の高級品の価値などわからないからかもしれないが、あまり心を落ち着かせるものではないらしい。座る場所も定まらず、そわそわとしている。アサミ自身、羨ましくないと言えば嘘かもしれないが、今はこの空間が重く感じられているようだった。

 だが、その空間にも一個所だけアサミに近い場所を見つけた。

 陽の当たりが良いはずの部屋にも関わらず、そこまでは陽が届かないのか、部屋の一角に枯れかけたパキラがあった。余程のほったらかしに合わなければ枯れ様がないだろう観葉植物だ。

 アサミは、そっとパキラに近付き枯れた葉を撫でた。

「アサミ、紅茶でいいよね」

 言いながら突然入って来た可奈にビックリして、アサミはとっさにパキラから手を引っ込めた。

 花柄の綺麗なお盆の上に並ぶエルメスのカップが、アサミには眩しく映る。可奈は部屋に入ると、ドアを後ろ手に閉めた。

 アサミは少し背伸びをしてカップの中を覗き込んだ。薄く澄んだ色合いが綺麗な紅茶が入っている。だが、アサミにとっては、ただの紅茶には見えない。

「すごい……」

 アサミはうっとりとした声を出し、まるで初めて紅茶を見たかのように目を丸めた。紅茶の上にピンクの花弁が浮いているのだから、アサミには初めてといえば初めてなのだろう。

「あ、ありがと」

 アサミの家なら、客が来てもせいぜい安い緑茶がいいとこだった。しかも、その辺のスーパーに売っている一九八円の売れ残りが関の山なのだから、紅茶の花弁に驚くのは当然だったかもしれない。

 可奈は、紅茶を部屋の真ん中に置かれたガラス製のテーブルに並べ座った。アサミも、出された紅茶の前に腰を下ろす。と同時に、すぐさま可奈は嬉しそうに話し始めた。

「ねぇ、これ見てよ! 可愛くない?」

 早速、可奈は愛用の携帯に飾られた新しいストラップを、アサミの目の前に差し出して言った。

「何これ?」

 可愛くないよ……と言う言葉は、とりあえず飲み込んだアサミ。

「昨日、占いの帰りに路店で買ったんだよ」

 可奈は、それがすごく気に入ってる様子で、そのストラップを両手に包むように眺めた。

 タコ糸のようなものでつなげられただけの、木で出来た人形のような安っぽい物体。丸い顔に目がただ黒く点々とついていて、ちょこっとのった少し高めの赤い鼻。あとは胴体にぶら下げただけの手足がくっ付いてるだけの、お世辞にも「可愛い」と口に出して言えるような人形ではなかった。

 まるで童話に出てくる「ピノキオ」のミニチュア版だ。

「みんな買ったんだよ!」

 自信満万に言った可奈の言葉に、アサミは耳を疑った。

「えっ? みんなって?」

「アリサも真紀子も、それに朋……あっ昨日いた三人の女の子。朋に、ナツキに、里奈っていうの」

「みんな同じ物買ったの?」

 アサミは、少し呆れて聞き返す。

「そうだよ。あっ、ナツキは買ってないや……」

 そういう問題ではない気がする、とアサミは思ったが、それ以上、人形の形体には突っ込まないようにした。

「でも、五人とも同じなんでしょ? 何でまた……」

「引かれるものがあったってゆうの? ってかその店これしか売ってないんだもん」

「はぁ?」

 一つの商品しか売ってない店と聞いて、また呆れ顔のアサミ。しかも、安っぽくて可愛くないストラップは誰が見ても明らかだろう。これのどこに惹かれたのか不思議だった。

「まぁ……可奈がいいって言うんなら、良いんだろうけど……」

 そう言いながら、手を伸ばしたアサミは、可奈の持つ人形に触れた。すると、ぞくりと背筋に悪寒が走ったようで、思わず手を引っ込めた。

――何……この感じ……今、動かなかった?

 声に出さないまま、アサミは可奈の手の中にある人形を凝視する。ごくりと喉元が上下した。だが、アサミのひそめた眉などお構いなしに、可奈は話を続けていった。

「それより昨日の占いすごいんだって!」

「え、あ、うん?」

 アサミは、その人形から視線を外し、きっと気にし過ぎだ、と自分に言い聞かせて可奈を見遣った。

「きれいな『ティンク』って名前の女の人一人でやってるんだけど、行列できるのも無理ないよ。これからもっと流行るかもしんない。そうなったらアサミ見てもらえないよ!」

「何がすごいって?」

 アサミは紅茶を啜りながら、興味など無い振りをしていた。少々馬鹿にしたような態度だったかもしれない。しかし、可奈は気にしていないらしい。余程、アサミを招いたのが嬉しいのか、終始にこやかに微笑んでいる。今までにない可奈の対応だった。アサミは困惑を隠しきれずに、もう一度、紅茶を啜る。

「私が相談しに行ったのはさ、恋愛なんだけどね。まず驚いたのが、お父さんは弁護士、お母さんはお医者様ですねって」

「マジ?」

 アサミは、紅茶を吹き出しかけて驚いた。

「で! 引きこもりの弟がいることも当てられちゃって……もうビックリよ!」

「そんな事ありえるの?」

「だって初対面だよ! 信じるしかないでしょ? しかも事前調査って出来ないじゃん。誰が占いに来るのか解らないのに……でしょ?」

「……まぁね……」

 可奈の言葉が、正直アサミにはまだ半信半疑だった。 

 これだけの金持ちなのだから、みんなにお金でも出して、手の込んだからかわれ方をしているのだろうか、とアサミは思い、苦笑いを返すと、また紅茶を啜った。

――どこかにみんなが隠れてたりして……。 

 そう思いながら、アサミは上目ずかいに可奈を見た。だが、その先にあったのは、笑顔ではなかった。少し寂しげに俯いた可奈の表情に、アサミの鼓動は一鳴りした。

「それから……」

 そう言って可奈は少し俯き、声も心なしか小さくなったようだった。

「ど、どうしたの? 大丈夫?」

 自分の疑惑でも感じ取られたのかと思い、アサミは慌ててフォローするように聞き返す。

 その問いに、暫し考え込みながら、乾いた唇を噛みながらも、ゆっくりと顔を上げて可奈が言った。

「……アサミは私の友達だから言うけど……私の両親はもうすぐ離婚するだろうって」

「え?」

 正直、アサミが驚いたのは、両親の離婚ではなく、可奈が「友達」と言った部分だった。その言葉に戸惑いながらも、心なしか浮つく感じがしたのだろう。アサミの頬が少し赤くなった。

「占ってもらった恋愛って両親の事なんだけど、お互いにもう良い人がいて、二人の間は冷めきってるんだって、まぁ、それは何となく感じ取ってはいたんだけど、まさか離婚するとは思ってなかった。弟の事もあるし」

「う、占いでしょ?」

 沈んでいる可奈を、少しでも元気付けようとしたアサミの言葉が空回りしたようで、可奈をさらに不安にさせたらしく、また俯き呟いた。

「でも、家族とか、仕事とか当たってるし……」

 アサミはゆっくりと紅茶を置き、テーブル越しに身を乗り出して言った。

「まだ当たってないよ!」

「アサミ……」

 可奈は少しだけ、顔を上げた。

「朝はあんなに元気だったじゃん! 気にしてないから、いつも通りに過ごせたんじゃないの?」

 アサミはそう言ってハッとした。

――あれ? 一番面倒臭いと思ってた会話に、真剣に答えてる私がいる。

 不思議な感じだった。

 しかも、吐き気の原因である可奈の、どうでもいいと思っていた家庭環境だ。その上、自分なんて相談を持ちかけられるタイプじゃないと思っていたのだから、この状況に驚いていた。

 悩みなんか一つも無い、お嬢様だと思ってた可奈に、アサミは困惑した面持ちでゆっくりと身を引き、座りなおした。

 すると可奈は、辛そうに目をかたく閉じ、思いの丈をアサミにぶつけてきた。

「いつも通りにしてなきゃやってらんなかったんだよ。誰かと常に喋ってなきゃ辛くって。友達と馬鹿な話でもしてれば嫌な事は全部忘れられるし……自分の家の事、誰にも話せないし……アサミに話したのは、何か同じようなトコあるような気がして……」

「同じとこって……」

 アサミは金持ちでもないし、特に両親が不仲な訳でもない。どこに共通点があるのか不思議だった。

 そして、可奈は再びアサミを見据えた。

「可奈……?」

 この居心地の良さは何だろう、とアサミは感じていた。

――悩んでる可奈が私に相談したって言う優越感? いや、同情? いや違う。そんなんじゃなくて……誰が上とか下とかじゃなくて、もっと……。もっと大切にしたい気持ち。

 そう考えあぐねている間に、可奈は恥ずかしそうに口を開いた。

「昨日、アサミは帰ったじゃん。あの時初めて気付いたんだ。今まではアサミにとって、私は一緒にいるだけの友達だって感じてた。だから必死で悪ぶって、何も考えてないような振りしてアサミに合わせてた。でも、昨日アサミは、みんなから抜けた。あぁ、きっとアサミも私と同じに違いないって思ったの。私は勇気が出なかった。でも、昨日は占ってもらいたい気持ちもあったからなんだけど……」

 アサミは、孤独を閉じ込めた風船が、耳の奥で弾けた気がした。

――私と可奈は同じだった? 気付きもしなかった。ううん、気付こうとしなかったのは私自身かもしれない。お互いに調子を合わせていたなんて。

 そんな事を思い巡らせるアサミは、ふと、どうして可奈が自分の気持ちに気付いたのかが疑問に思った。

「でも、何で私の気持ちわかったの? 腹痛って誰でもあるじゃん?」

「だって、アサミは生理じゃないでしょ? それにタンポンだって使ってるの知ってるよ。なのに昨日は否定した。もし私が同じ嘘をつくとしたら、きっとその場にいたくない時だろうなって。窮屈な時間を感じる時だって……」

「………」

「アサミはいつも学校に行くの早いじゃない。すごいよ。私、そこは逆なんだ。教室が苦しいの。だから、なるべく遅く行くようにしてる。本当は今日も学校には行く気なかった。でも、どうしてもアサミに確かめたくて」

「確かめる?」

「私が本当に友達なのか。同じ思いでいるのか。それが知りたくて」

 静かな沈黙が流れていた。でも、それは決して重いものではない。

 コップに入った二つの硬く冷たい氷が、お互いの温もりを感じ合って溶け合っていくような、心地いい沈黙だった。

――二人はきっと親友になれる。

 アサミはそんな気がした。

 友達なんてウザイと思ってた自分。でも、それは分かり合える友達がいないと壁を作っていたからだと気付いた。ふとアサミは、可奈の手の中にある「ピノキオ」に視線を落して、軽く笑いながら言った。

「これ、買う必要なかったんじゃないの? 気の落ち着かない友達とお揃いなんて」

「違うの!」

 間髪いれず答えた可奈は、優しく微笑んで話を続けた。

「占いをしてもらった人達はね、終わったら裏から出て行くようになってるんだよ。そこにこれを売ってる路店があって『友達を作れる』っていう人形なんだって。だから、私はアサミと本当の友達になりたくて、自分の意思で買ったの。アリサ達はこんなものって言いながらも、みんなが買って行くの見て流行ってると思ったんじゃない? それか『ただの友達』を作りたかっただけとか。私は、同じ物は買ったけど、アリサ達とは気持ちは違うの」

 必死に可奈は訴えるようにアサミに言った。

「本当の友達……か」

 今のアサミには、とても温かい響きだったに違いない。

「アサミとなら、本当になれる気がしてこの人形買ったの。お守りみたいなものなの?」

「……お守り」

「それとね『ティンク』にね、これから一生一緒にいられる友達が出来ますよって言われたの」

「一生一緒に?」

「うん、何て言うのかなぁ。きっと本音で話せる友達。アサミの事だって直感した。その友達は絶対に私を裏切らないから良い友達になれるって、悩み事でも何でもこれからは本当の友達に相談して行けばうまく乗り越えられるって!」

 可奈が少し遠慮がちに聞いてきた。

「あ、ウザイ?」

 今にも捨てられそうな子猫のようにすがった目をして可奈が聞く。アサミは、途端に唇を噛みしめた。

 暗闇で一人だと思って、もがいてた手が、何を探し求めていたのかようやくわかった気がしたのだ。カラカラに乾いた大地に、音を立てて泉が湧き出してきた。潤いに満ちていくアサミの心。

「全然。反対に嬉しいよ。毎日が窮屈で人に合わせてる自分にうんざりしてたんだ。家族以外に、やっぱり本音をぶつけ合える親友って必要だとわかった。切りたくても切れなかった理由もようやくわかった気がする。心のどっかで私達は繋がってたんだね。だから、自然にいつも一緒にいたんだよ」

 アサミの言葉に、可奈の表情が明るくなっていく。

「うん……ありがと」

「もうちょっとでさ、人生つまらなくするところだった。可奈が気付いてくれたおかげだよ。私達は同じだって」

 それはアサミの本心だった。

 アサミは、徐に可奈の温かい手を初めて握り締めた。二人の視線が、ようやく心と共に繋がる。

「これからは何でも相談して。親の離婚をどうする事も出来ないかもしれないけどさ、出来るだけの支えにはなるつもりだから。ケンカだってバンバンやちゃうよ! これからは言いたい事は遠慮無く言わせてもらうし」

「うん。私も、これからは遠慮しない」

 そう言って可奈は、照れくさそうに笑った。

 アサミにも、自然と笑顔がこぼれていた。いつものぎこちない笑顔ではなく、自然な柔らかな笑顔だ。

 案外、心の殻を破り合うのは簡単なものだったのだ。素直に自分の思った事を口にするだけだったのだから……こんな簡単な事が出来ずに、心がくすぶり続けていたのかと思うと、アサミは妙に笑えた。

 長かった友達ごっこ。

 吐き気の源だった友達は、オアシスに変わっていった。





 
 その傍らに静かに沈黙する「ピノキオ」の首が、僅かにカタリと動いた。だが、二人がその微かな動きに気付く事はなかった。








 

    









              

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