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沙織の過去


 

 

 

 

――……頭が痛い。

 

 夢の中で、隆哉を感じていた。繋いだ手から伝わってきた温もり……抱きしめられた時の昂る感情……そして思い知らされた。

 

 まだ……隆哉が好きなんだって――……でも、もういないんだって。

 

 遠くに感じていた笑顔が、夢の中では鮮明に映し出されていた。

 

 いろんな思い出が、走馬灯のように駆け巡って――……。

 

 私は今、ベッドの上? ここは、私の部屋?

 

 過去じゃない、未来の、私がいるべき場所なの?

 

帰りたい……そんな思いに唇を噛みしめながら、重い瞼をこじ開けた。かすかな視界に人影が見える。ベッドの傍ら、誰かが座っている。

 

「……たか、や?」

 

 無意識に出た声は、恋い焦がれた人の名を呼ぶ。

 

「目が覚めた?」

 

 だけど、その声はしなやかに優しい沙織さんの声だった。

 

 思わず涙が伝った。

 

 今までの事が夢じゃないんだって知らしめる現実がここにある。

 

 沙織さんは、読んでいた本を静かに閉じると「大丈夫?」と、顔を覗き込んだ。

 

 私は力なく唇を動かすけれど、決して今は「大丈夫」だと、はっきりと言えなかった。震える唇を噛みしめる。

 

「ごめんね」

 

 そう言って、沙織さんは私の額に手をあてた。

 

 どうして謝るの。沙織さんは悪くない。そう――……誰も悪くないのに……。

 

 そう思いながら、私は身体を起こした。

 

「あんまり無理しないで」

 

「はい……」

 

 言いながら、そのままベッドの脇に座る。

 

「気持ち悪いとかもない?」

 

沙織さんの心配そうな顔を見ながら、こくりと頷いて見せた。そして、沙織さんの手に持つ本が視界に映る。それは、私が隆哉に借りた本だった。あの日、一緒に買いに行った本。返せなかった、隆哉の思い出。

 

沙織さんは私の視線に気付いて、慌てたように本を傍らのデスクに置いた。

 

「あ、ごめんなさい、勝手に見ちゃって」

 

「いえ」

 

 そう言ったなり、置かれた本の横に、小さな箱を見つけた。

 

 私の目は、そこに釘づけにされ、知らず知らずのうちにまた、涙が溢れていた。

 

「凄く、大切なものなんでしょ?」

 

 沙織さんの言葉に、私は涙声で「はい」とだけ答えた。

 

 いつまでも流れる涙に、いつしか嗚咽が混ざる。沙織さんは、そっと、私の背中を撫でてくれていた。

 

 どうすればいいのか解らない。

 

 

 

『有馬隆哉は死んだんだ』

 

 

 

 誰かにまだ、嘘だって言ってもらいたい。隆哉がいないなんて、受け入れたくない。

 

 どんな形でもよかった、もう一度会えると信じてた……ううん、会いたかった。親子でもいい、娘としてでも、もう一度あの腕に抱きしめられたかった。

 

 過去の想いなんか、そこに無くてもいい。好きだって言ってくれた記憶も無くていい。ただ、隆哉に「おかえり」って言って欲しかった。

 

 なのに、もうそれは叶わないんだって……突きつけられた。

 

 止まらない涙を拭う事も忘れ、ただただ泣き続けるしかできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暫くして、涙が枯れた今でも、沙織さんは私に寄り添ってくれている。

 

 互いに無言のまま、どれくらいの時間が経っただろう。そう思っていた時だった。沙織さんは思いだすように静かに言った。

 

「あなたは……私と同じく記憶を持って帰ってきたから、今は物凄く辛いでしょうね」

 

「え? 同じって」

 

 そう言って沙織さんの顔を見ると、ふっと寂しげに笑った。そして、すっと立ち上がると「紅茶飲む?」と言って、部屋の隅に設置された小さなキッチンに足を向けた。

 

「あ、はい」

 

 ここは、さっき私を案内すると言った部屋なのかな……これから、私が生活する部屋。そう思いながら、ゆっくりと見回す。ここは、白い壁に囲まれたワンルームマンションのような作りだった。

 

 入口脇に、今、沙織さんが立っている小さなキッチン。反対側の扉はシャワールームかな。そして十畳ほどの空間の壁際にデスクとベッド。真ん中には丸い絨毯に長方形のロ―デスクがある。クローゼットも広そう。

 

 何もかも生活するには十分過ぎるほどが揃っている感じ……でも、こんな部屋を私なんかが使ってもいいのかな……そうこう考えているうちに、沙織さんはロ―デスクの真ん中に紅茶を運んだ。

 

「ここでいい?」

 

 そう聞かれて、私は頷き、徐に立ち上がった。そのまま、沙織さんと向かい合わせに座る。

 

 目の前には、あのアップルティー。緩やかに湯気が上がっている。

 

私は、カップを両手に抱え持って、一口啜った。

 

「おいしい」

 

「そう、よかった」

 

 沙織さんの笑顔にも癒される。そして、さっき沙織さんが言った事が頭を過る。

 

『同じく記憶を持って帰ってきた』という言葉。

 

「あの、さっき言ってた事って……」

 

 その言葉に、初めはキョトンとした沙織さんは、すぐさま「ああ」と呟いて、また寂しそうな目をした。

 

「私ってカウンセラー失格よね」

 

「え?」

 

「つい、口走っちゃった」

 

「……沙織さん?」

 

「気になる?」

 

 その言葉に、私は頷く。

 

「そうよね、気になっちゃうわよね……ごめんなさい」

 

 そう言いながら、まいったな、といった感じで小さなため息を零した。

 

「実は――……私も時空迷子だったの」

 

「そう、なんですか?」

 

「ええ、今から十五年前なんだけどね」

 

 言いながら、沙織さんは、手に持ったままのカップを唇に寄せた。だけど、飲む事なく、心持ち重い表情で、カップを置く。

 

「時空迷子の九割は帰還転送のショックで記憶を失くして帰ってくる。だけど、僅かな人だけ、記憶を持ったまま帰ってくる……私たちは、その僅かな人間」

 

「……記憶を、無くす?」

 

「強い想いがあり過ぎるのか、過去でのショックが大きいのか、その辺は解明されていない。だけど、事実は事実……私は、後者の方」

 

 そのまま、沙織さんは目を伏せ気味に、紅茶を飲んだ。そして、また溜息。その姿がすごく切なくて、見ているだけで胸が締め付けられる。どんなショックが、沙織さんを襲ったんだろうと考えてしまう。 

 

「沙織さんは、どうやって辛い状況を乗り越えたんですか? 凄く苦しくて、凄く辛くて、受け入れたつもりで帰ってきたのに、全然受け入れたく無くて」

 

「そうね、簡単な事じゃないと思う。だから、無理して忘れる事もないんじゃないかな? でも辛いままでも居て欲しくない。だから私がいる……心の中に溜めないで、何でも話して欲しいんだけど……」

 

「沙織さんは、帰りたくないって思いませんでしたか?」

 

 その質問に、沙織さんの表情に陰りが生まれた気がした。だけど、その影はすぐにも振り払われ、変わらない笑顔を向けられる。

 

「それが今、あなたの聞きたい事?」

 

「……はい」

 

 知りたいと思った。私以外の時空迷子は、どんな状況で、どんなふうにここに馴染んで、乗り越える事ができたのか……それを聞いて答えが出せるとは思ってない。だけど、一人は嫌……同じなら尚更、知りたいって思う。

 

「そうね、私の場合は、早く帰りたかった」

 

「え?」

 

「あなたは過去での生活が長過ぎて、そこでいろんな思い出が出来てしまった。大切な人もいて、きっと好きな人もいたはずでしょ」

 

「……」

 

「だけど、私は、過去で好きな人を失った」

 

「うし……なった?」

 

 力なく呟いた声に、沙織さんは、真っすぐに私を見据え、頷いた。

 

「十五年前。まだ私が中学生だった頃よ……」

 

 そのまま視線を逸らし、馳せるような眼差しで宙を見つめると、静かな声で話し始めた。

 

「彼の父親が館長を務める博物館にも、あれはあったの……彼は凄く頭も良くて、それでいて幕末に興味を持っていたから、有名な彼らに会いたがっていた、だから、私に一緒に行かないかって誘ってきた。勿論、父親の目を盗んで……まだ考え方も幼くて、彼しか見えなかった私は二つ返事で行くと決めた」

 

「……そんな、自分から過去に……でも、その時代の人たちに見つかったら……」

 

「博物館だって言ったでしょ。いろんな衣装だってある、勿論、私たちは幕末の衣装に身を包んだわ……だけど」

 

「……だけど?」

 

「警備を熟知していた彼に連れられて、夜の博物館に忍び込んだまでは良かった……だけど、あれを見つけて動かしたら、すぐにも警報が鳴って、彼は慌てた」

 

 そこまで言って、沙織さんの目に涙が光っているのが見えた。痛みを乗り越えた訳じゃない、今でも、思い出すのが辛いのかもしれない。

 

 だったら私は? 私もいつも思い出してこれからを過ごすのかな。

 

「彼は大丈夫だって言ったの。だけど、帰還設定する暇もなく、彼は行くはずの時代の年号を間違えた」

 

「え?」

 

「動き出したマシンに、私はそこから怖くて逃げる事も出来なくて、そのまま消える事になった……でも、百四十年前の日本のはずが……たどり着いたのは一億四千万年前だった」

 

「……え、っと……そこは――……」

 

「白亜紀よ」

「白亜紀?!」

 

 沙織さんの言葉に、私は息を飲んだ。いくら私でもその言葉は知っている……白亜紀、そこは人間の住む世界じゃない。

 

「恐竜の全盛期……そんな場所から……どうやって」

 

 さっきの『早く帰りたかった』と言う言葉が過った。その意味も解る。いきなりそんな世界に放り込まれたら、早く帰りたいに決まってる。だけど、沙織さんはさっき、帰還設定と言うものをしなかったと言っていた。

 

だったら、どうやって――……。

 

「警報に気付いてくれた人たちが、私たちの行った先を見て急いで帰還設定をしてくれた……だけど、行く前にしなかった設定を後からやっても正確じゃない事は誰でも知っていた……それに」

 

 そこまで言って、沙織さんの言葉が止まった。カップを握る手も更に強さを増す。

 

「それに、マシンは往復一回分のエネルギーしか蓄積されていない。そのエネルギーを蓄えるにも日数と費用がかかる。だから、一度きりのチャンスだった」

 

「たったの一度……」

 

「そう、だから、あなたの迎えも最初で最後だったでしょ……しかも今は廃止が決定されているから、一人に一度のエネルギーしか与えられない」

 

「そんな……」

 

「一か八か……帰還設定された場所に私たち二人がいる必要があった」

 

「だけどそんなの」

 

「そう、私たちには解らない……しかも時代が時代だから同じ場所になんか止まっていられなかった」

 

 沙織さんは、大きく肩で息をすると、全身の力を抜くように項垂れた。

 

「だけど彼は、きっと転送された同じ場所に帰還設定されるから動かない方がいいって言ったの……だから、彼は『こんな目に遭わせたのは自分だから』って、危険な場所に飛び込んでいった」

 

「どういう……こと?」

 

「あの時代で私たちは餌にすぎない……だからギリギリまでそこにとどまっていた。向こうも夜だったし安心してた部分もあったかもしれない。だけど、腹を空かせた肉食恐竜に見つかって……彼が囮になって――……」

 

「……」

 

 私には、沙織さんにかける言葉なんて無かった。どんなに怖かったか、想像すらできない。目の前の沙織さんは、少しばかり淡々と話しているようにも見えるけど、違う。

 

 平気なんかじゃないはずだよ……だって、声が、微かに震えている。

 

「助けられたのは、私たちが飛ばされてから二時間後だった……でも、設定はほんの五分にも満たない時間だったそうよ……ここでは五分、過去では二時間、そのズレが彼の命を失う結果になったの」

 

 そう言いざま、沙織さんの手の甲に、一滴の涙が落ちた。

 

「物凄く長い時間だった……まるで一生分の時間がそこに流れているような気がしてた……彼が目の前から消えて、ほんの数分後に私は帰還されたけど、その時間の方が長くて、怖くて――……」

 

 どうしよう、何を言えばいいんだろう。

 

「あの……だったら、その、後日でもエネルギーを蓄えて、過去に行く前の彼を助けられなかったんですか?」

 

 こんな事、聞いてどうするんだろう……もしかしたらって可能性も無い訳じゃないって思ってるのかな。沙織さんを苦しめる質問だったかもしれないのに……だけど……もしかしたら、亡くなる前の隆哉に、って――……自分でも思ってるのかもしれない。

 

 期待とか、しちゃってるのかも――……。

 

「それは出来ない事なのよ」

 

 沙織さんは、考える事なく静かにそう言った。

 

「彼は過去で死んだ。命を失った――……もし怪我をして足の一本でも失ったとしたら、その怪我をする前の健康な体を持った自分に警告は出来るかもしれない。そのまま過去に行かせなければ足を失う事もないかもしれないからね……だけど命を失ったら、それがどの時代であれ、存在しなくなる……生きているはずの過去へ飛んだとしても……もう、彼自身は存在しない世界になってる」

 

 心を抉られる思いがした。

 

「だから政府は廃止に踏み込んだのよ。いるはずの人間がいなくなれば未来の子孫も消えてなくなる……そう、教えられたでしょ? 命がなければ、どこにもいないのよ。勿論、その時代に存在する人間の自然死であれば、その人間はそれ以上の未来には存在しないのだから、過去では会えるけど……それとは逆に、過去の人間を未来に連れて来て、そこで新しい生活を始めてしまったら、また、生まれるはずの子孫は消える……自然の流れを変えちゃいけないのよ」

 

 そう、だよね……でも、私は会うだけでいいのに……もう一度だけでも、一目だけでも。

 

「それに、この時代にはもう、マシンはない。全て未来政府に持って行かれたから」

 

 何もかも見透かされているようだった。私は、そのまま何も言わずに唇を噛みしめる。

 

 沙織さんだって、私なんかよりも何十倍も、何百倍も辛い思いをしているのに……なのに、私は……私は……。

 

 

 自分のことしか考えてなかった気がする――……。

 

 

 



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