今だけでもいい
次第に部員が集まり始め、買い出し班と食事班に別れ、それぞれの支度をしていく。基本、天文部なんて夜がメインだから昼間は暇なんだよね。それでも準備はある訳で……。
私は、合宿施設に鞄を置くと、そのまま隣接するバーベキューコーナーに足を向けた。
みんなと他愛ない会話をしながら準備を進める。
「来月の流星はどうだろうね」
一年の時から同じく天文部にいる佐知子が言いながら空を仰いだ。
「きっと綺麗だよ。でも大群とまではいかないだろうけど」
私も同じく空を見上げる。
「え? 今日は流星見れないの?」
あまり天文が好きじゃない恭は、残念そうに会話に入ってきた。
「今日は見れないよ。なにせ卒業記念の突発的な合宿だし」
「だよね〜。ああ、このメンバーで見たかったな〜、だってさ、ほら有馬君って結構詳しいじゃない? そういう説明聞きながら見るの好きだったんだよね」
佐知子の言葉に、一瞬ドクンと胸が高鳴る。隆哉の名前を聞いただけで、苦しくなる。
「無理だよね、みんな高校バラバラだし」
「だよね〜。かぐやは戸宮だし、少し遠いよね」
佐知子はすごく残念そうに肩を落とした。
私は「そうだね」と、言いながら苦笑いするしかなかった。理由はそれだけじゃない。だけど、みんなはいいよ。隆哉に会おうと思えば会えるじゃない? 一緒に星を見ようと思えば見れるじゃない?
私なんか、もう……会えないんだよ。
ううん、違う――……会えるけど、それは。
「お〜い、これで足りるかな〜」
そんな事を考えているうちに、隆哉たち買い出し班が帰ってきた。ぞろぞろとはしゃぐ男子たちが、バーベキューコンロを囲み込んでくる。
そんな騒がしい男子の最後尾に、物静かな隆哉の姿があった。そして、その後ろには、あの未来人。
やっぱり夢じゃないんだよね。
何度も夢かもって思おうとした。だけど、その度に、未来人の姿が視界に入り、現実だと知らしめる。
そして、そんな無口な隆哉の横には、すかさず恭が立っている。
その位置は、恭のもの――……なんだよね。
「あ、未来君!」
そんな声を弾ませて佐知子が未来人に駆け寄っていく。佐知子だけじゃない、他の女子もわらわらと未来人を囲む。
従兄だとは言ったものの、みんなに名前を聞かれて焦った。彼は規則だと言って名前を教えてはくれなかった。だから、私が即席に思いついた名前を付けた。
未来人だから、未来君……なんてネーミングセンスのない私。
だけど、彼は何一つ嫌な顔せずに「はじめまして、須賀野未来です」そう言ってくれた。
でもよかった、あまり疑われずに彼が溶け込んでいる。
慣れ親しんだ仲間と、楽しい時間を過ごすのも、これが最後……寂しい……悔しい……苦しい……だけど。
隆哉……今だけでもいい、少しでもいい……隆哉の姿をこの目に焼き付けておきたい。そう思い、私の視線は隆哉から離れなかった。でも、当然のように恭の姿が映り込む。
そうだよね……隆哉の隣はいつだって恭。今までも、そして、これからも。
これは変えられない事実なんだね。
あ、やばい。いろんな事考え過ぎて涙が溢れそう。
そんな時だった、視界に人影が過り、二人の姿を遮った。
「かぐやさん」
「あ」
「これはここでいいですか?」
未来人がにっこりと微笑んで、買ってきた袋を私の目の前に差し出した。どうやら女の子たちを振り払ってきたみたい。佐知子をはじめ、取り巻いていた女の子が寂しそうにこっちを見てる。
「あ、うん、そうね」
しどろもどろの返事に、未来人が更に頬を緩ませた。
「大丈夫、泣かないでください……」
「え?」
何もかも察したように、未来人は優しく囁いてくれた。
「辛かったら……僕が盾になりますよ」
気付かれてた……私の考えてる事……想い……でも、そんなこと言われたら、もっと寂しくなるじゃない。
「だ、大丈夫、だから」
そう言って、私は俯くしか出来ない。ううん、ほんとは少しだけ救われてる。幸せそうに笑ってる恭を見るのは正直、辛いもんね。それに何より、その恭に、笑いかける隆哉を見るのはもっと……。
「そうですか……だったらいいんですけど」
言いながら、未来人は「無理しないでくださいね」と付け足して、目の前のテーブルに買い物袋を置いた。
無理……してるのかな……やっぱり、そんなふうに見えるのかな。でも、どんな無理をしてでも、ずっと隆哉を見ていたいのも事実。
そう思い、再び視線を向けると、恭が私を見ていた。そのまま、ゆっくりと私に近付いてくる。
「かぐや」
「な、何?」
「ずいぶん従兄と仲いいのね」
なんて耳元で囁かれる。
「な、何言ってんの?! そんな事……」
「慌てると尚更怪しいな」
「恭!」
わざわざそんな事を言いに来たの?
「あはは、ごめんごめん、でもイケメンだよね、ほかの女の子が騒ぐのもわかる」
うんうん、と頷きながら、微笑んでいたかと思ったら、急に恭の表情が真剣なものに変わった。
茶化しに来ただけじゃなさそう。
「で、なに?」
「うん、あたしさ今日、隆哉に告ろうって言ってたじゃん」
「あ、うん……そ、そう、だね」
何だ、その話……今、聞かなきゃダメかな。だけど、動けない。
足が、動かない。
聞きたくないのに、耳が勝手に恭の声を通してしまう。
「同じ高校行くのは解ってるんだけど、ここらで関係進展したいって言うか……」
呆然と聞き入る私に、恭は突然、拝み倒すように両手を合わせて頭を下げた。
「だからお願い! みんなが観測しているうちに隆哉を呼び出して欲しいの!」
「え……?」
突然の申し出に、鼓動が加速していく。
「そ、んなの……自分で……」
二人がいつかは結ばれるって解っているのに、苦しい……凄く苦しい。なんで私が二人をくっつけるような事しなきゃならないの? なに? これも、もう決まってる事なの?
私が……二人を……それが未来へ繋がるとでも。
「合宿所裏にもう一つ空き地があるでしょ? 隆哉が来るまでに心の準備をしたいって言うか、それまで練習っていうか……」
「あ、でも」
「八時にお願い!」
「八時?!」
思わず上擦った声が漏れた。でも、当然。それって私がいなくなる時間じゃない。今にも喉から心臓が飛び出しそう。
どうして、さよならする前に、極めつけに二人の事、応援するとかあり得ないよ。
嫌だ……助けて、誰か。
「すみません、かぐやさんは僕と約束があるんですよ」
静かに今のやり取りを聞いていた未来人が、すっと横から割って入ってきた。
「え、かぐやと……ってやっぱりそんな仲?」
キョトンと恭子は口を開けたまま頬を赤らめた。
「違っ……馬鹿、何言ってんの?」
慌てる私の肩に腕を回し、更に彼はにこやかに恭を交わす。
「察してくださいよ」
その言葉で、恭は納得したように溜息を一つ。
「何だ、じゃぁ仕方ない……自分で言うか……」
「え、ちょ」
仕方ないって何??
「邪魔しちゃ悪いもんね」
そのまま、怪しげなウインクをして、恭は、そそくさと自分の持ち場に戻っていく。
そりゃ、助けてほしいとは思ったけど、こんな。
「絶対に誤解されたから!」
「でも本当の事でしょ? 八時に用事があるんだから」
そう彼は笑って言った。確かに間違ってないけど、でも明らかに恭は、私たちの仲を誤解しちゃったよ?
「でも、だからって、あんな言い方」
「ああでも言わなきゃ、あの人引きそうになかったから」
「そんな事……」
また笑ってる……でも知ってるんだから、その笑顔の裏に冷たい心があるの……だって、簡単に人を抹消するとかいう人だもん。
「それとも、かぐやさんが邪魔します? あの二人の仲……好きだって言っちゃいます? そんな事したらみんな消えちゃいますけど」
そんなこと出来ないのわかってるくせに、やっぱりこの人は意地悪だ。そう思いながら私は頬を膨らませた。
「その手を離しやがれ」
「え?!」
今度は、いつの間にか私たちの背後に隆哉が立っていた。そして、未来人の手をド突くように撥ね退ける。
「た、隆哉」
うそ、いつから居たの? まさか、聞いてた?!
「従兄だか何だか知らんが、馴れ馴れし過ぎなんだよ」
「普通ですよ?」
「普通じゃねぇよ!」
「あの、隆哉……いつから、そこに?」
恐る恐る聞いてみる。すると、隆哉の表情はあきらかに強張った。
「あ? いつからとか何? 聞かれちゃまずい事でも話してたわけ?」
ものすごく機嫌の悪そうな声だ。
「や、別に、そんなんじゃ……ない、けど」
「内緒です」
うわ。この人何考えてんの? そんなこと言ったらいかにもって思うじゃない!
「ちょ、もういいから」
黙ってて欲しいよ。
「は? 内緒とかあり得ねぇだろ!」
「男の嫉妬は見っとも無いですよ?」
なんだか、未来人は隆哉をからかっているようにも見える。言い合う二人に挟まれたまま身動きが取れない……って、え? 嫉妬?
隆哉が……?
一気に耳まで赤くなり、私は隆哉を見る事が出来なくなった。
どうしよう……もし、そうだったら、かなり嬉しい。隆哉が嫉妬してくれるとしたら、私は……期待、してもいいの、かな? そりゃ未来では娘かもしれないけど、今の私はどんな風に映ってるのかな?
だけど、そこまで考えて私は首を横に振った。
ううん、ダメだよ期待しちゃ。そんなの……嬉しいけど、悲しいんだから。もっと、離れたくなくなるじゃない。
そんな複雑な心を抱えたまま、私は徐に、もうやめて、という顔で、未来人を見つめた。彼は困ったように溜息を一つ吐きながら、髪を掻き上げた。
「お前……まさか、かぐやのこ……」
隆哉が驚いたような声で言いかけた時、遠くから顧問の怒鳴り声が聞こえ、語尾を切られた。
「おい、そこの三人! いつまで遊んでんだ! さっさと用意しろよ」
私たちは一斉に、その声の主を見やり「すいません」と呟いた。
同じ言葉を言ったはずなのに、相変わらず未来人は笑顔だ。でも、隆哉は面白くなさそうに不貞腐れている。そんな対照的な二人を見て、私は思わず笑ってしまった。
「な、何がおかしいんだよ」
そう言って更に頬を膨らませる隆哉。
こんなに近くに感じる……こんなに愛しい。今日はずっと、ドキドキが止まらない。
出来る事なら、この気持ちを素直に伝えたい。
だって、いつも傍にいてくれた。いつも、私に話しかけてくれた。いつも……優しく笑ってくれた。そんないつもの隆哉のはずなのに、今日に限って心臓はうるさいんだよ。
そして、切ないんだ。
それでも、この状況がすごく嬉しくて、時間が止まってしまえばいいのになんて思った私はわがままなのかな。
「お前ら罰として、三人で天望設置して来いよ」
顧問にそう言われて、私たち三人は渋々と高台へと足を向ける事にした。
少しでも近くで、残された時間がどんなに短くても……いっぱい隆哉を感じていたいな。
そう思うくらい、許されるでしょ?
高台の上からの見晴らしは良くて、空を遮るものは何もなかった。
「今日は綺麗な星が見れそうだな」
さっきまで不貞腐れていたくせに、隆哉は目の前に広がる空を見るなり機嫌が直ったようだった。さすが天文バカ。
「うん、そうだね」
「じゃ、設置しますか」
すでに用意されている天体望遠鏡の機材道具を広げ、私たちは組み立て始める。
ふと見ると、未来人は手慣れたように組み立てていくのに気付いた。
もしかして、この人も星が好きなのかな。
「やり方、知ってるの?」
不思議そうに聞く私を一瞥してから、視線を外した未来人は「ええ、まぁ……」と、素っ気なく言ったきり、それ以上何も答えてくれなかった。でも、私も別にそんなに気になる事でもなかったんだけど。
班毎に望遠鏡を設置し、夜空を満喫する準備が整えられていく。それは、私にとって別れの時が来る事でもある。
だんだんと寂しさが増す。
「来月のさ」
不意に、最後の望遠鏡を二人で設置していた時、隆哉が呟いた。
「え?」
そう聞き返すと、隆哉は手を止めて私を見据えてきた。
な、なに?
「来月の、こと座流星群、一緒に見たかったんだけど……」
「あ、ああ、二十三日だっけ?」
「そう」
寂しげに落とされた隆哉の声が、小さくなった。
「ま、そんなに大きな流星じゃないんだけどな……」
「うん、そうみたいだね……わ、私も高校は全寮制だし、一緒とか難しいかな〜なんて」
「……そう、だよな」
ぽつりと吐き出し。大きく肩を落とした隆哉は再び手を動かし始めた。
でも、私にはそんな隆哉が見れた事が嬉しかった。
一緒に見ようって言ってくれた事が、すごく嬉しい。少しでも私の事、考えてくれてるんだって思ったら、それだけでいい。
私はそんな隆哉の思い出を、一人で持っていくんだ。
恭には悪いけど、今だけは独り占めさせてほしい。
未来で、どんな再会をしようと、今の隆哉は、私の好きな隆哉だから……。
そう――……すごくすごく、大好きな隆哉だから。