さよなら、大好きな人
「よし! バーベキューの準備が出来たぞ!」
そう言って顧問が網の上に野菜や肉をのせていく。香ばしい匂いが辺りにたち込めて、みんなの喉を鳴らす。
「早く食べた〜い!」
「牛肉は半生でもいいよな?」
それぞれが待ちきれない様子で箸を持った。
「せんせ〜! こっちの肉、少なくないですかぁ?!」
「何言ってる! 均等に分けたぞ」
「ずるい! 先生のところ肉しかないじゃん!」
「そんな事ない! いちゃもんつけんな! これは野菜だ!」
そう言って明らかに肉であろう物体を先生は高々と掲げて見せた。
「肉じゃん!!」
楽しげな笑い声が、悲しい事なんか忘れさせてくれるみたい。
このまま時間が止まればいいのに、そんな事、昨日から何度考えただろう。
隆哉は、私の隣の班だ。バーベキューも観測も、同じじゃない。前は残念だと思ってたけど、今は、その方が良かったとさえ思える。
だってさ、同じ班だったら、こんなに見つめていられないじゃん?
少し離れてるから、誰にも気付かれないで、ずっと隆哉を見ていられるもんね。
「……って、邪魔なんだけど」
またしても未来人が私の視界に入りこんだ。
「え?」
「え? じゃないでしょ? 解ってるくせに」
そう未来人の耳元で囁いて、私は頬を膨らませた。すると、未来人は隆哉を一瞥して呟いた。
「そう言えば、あれから隆哉さん、俺に何も言っ……」
「え?」
言いかけて未来人は「いえ、何でもありません」と笑った。
「あ、ほら、かぐやさんの目の前の野菜も肉も、焼けてますよ?」
未来人は甲斐甲斐しく、私の持つ皿に肉と、野菜をたっぷり取り分けてくれた。
「いいのに……あんたが食べなさいよ」
ってか、野菜多すぎだっつうの……思いながら、今度は私が未来人のお皿に、肉ではなく野菜をたっぷりと取り分けてあげた。
「え、こんなに? 野菜だけ……?」
「肉がまだ焼けてないんだから我慢して、私のあげようか?」
「いえ」
てんこ盛りの野菜を見て未来人の表情が引きつる。
「まさか、野菜嫌いだとか言わないでしょうね」
「いえ……そんな事は、ない、です、けど?」
怪しい。
「けど?」
「いえ、何でもないです」
そう言って、未来人は野菜を少しずつ箸で千切って口に運んでいった。というより、野菜千切るってどんだけ器用なのよ……でも、明らかに皿の上はおかしい事になってんじゃん?
「ちょっと」
「はい?」
「何で綺麗にピーマンだけ避けてんのよ」
「あ、いえ、これは……上手く千切れな……」
そう言いながら未来人は視線を外した。
「あ、後で食べようかな、と」
「うそつき」
「え?」
「ピーマン嫌いでしょ……」
その問いに、未来人の目は泳いだ。
「好き嫌いしちゃダメよ、ほら、もしかして玉ねぎも苦手? あ、よく見ればナスも残してるじゃない?」
その指摘に、未来人は歩が悪そうに肩をすくめた。
「すみません……食べられません」
「はぁ? ちゃんと野菜も食べなきゃ、野菜には野菜のいい栄養が詰まってんだから!」
「……あ」
私の言葉に、未来人は少し目を丸くした。
とくに変な事は言ってないつもりだけど……?
「なに?」
「いえ、そうやってよく、母さんに怒られます」
そう言うと、未来人の頬が少し紅潮した気がして、そのまま、いつもの笑顔が目の前に現れた。
「で、でしょうね。怒らない親はいないと思うけど……」
思わず、私まで熱くなっちゃったじゃないの。照れる所じゃないじゃん。
そう思いながら私は、自分の皿にのせられた肉と野菜を頬張った。と、同時に未来人は得意の耳打ちをしてきた。
「でも、ピーマン食べると肌が緑になるって知ってます?」
「はぁ?」
「ナスを食べるとお腹の中に種がたまって、芽が出るとか。ニンジンを食べるとウサギに……」
めちゃくちゃ真顔で言うもんだから、思わず今、まさに食べようとしていたピーマンを吐き出すところだった。
「な、誰がそんなこと教えたの?!」
「え? 父さんに……ですけど」
「まさか信じてるんじゃないでしょうね?」
その答えがなかなか返って来ない。まさかとは思うけど、ホントにまさか?
未来人は考え込むように手を顎に宛がい、う〜ん、と唸っている。
「そう言えば、いつも母さんのいないところで……でも、いつも真剣だったし……って、あ」
そこまで言って、未来人は慌てて口に手を当てた。
バカバカしい事言ってるんだって気付いたのかしらこの人……でも、どんな親なのか見てみたいもんだわ。きっと自分が食べられないもんだから子供にも食べさせないでおこうって魂胆なんだ。
呆れた親に育てられたのね。
「言っとくけど、それ全部嘘だから!」
「え?」
「え? じゃないの、え? じゃ……もういいから、全部嘘! わかった!?」
「あ、はい」
未来人は渋々といった様子で頷いた。
もう、ホントにいったいどんな父親なのよ! って言うか、それを信じてるこの人もどうかと思うけど?!
そうこうしているうちに、佐知子が私と未来人の間に入って二人の肩を抱え込んだ。
「なにいちゃついてんのよ。噂通り、あんたたち二人とも、そうなの?」
「な、なにが!? そうなのってなに! 変な事言わないでよね! この人、野菜が嫌いだって言うから食べろって言ってたところなんだから!」
「ふ〜ん」
二ヤついた笑顔を浮かべて佐知子は交互に私と未来人を見流した。
「もう、誰よ、そんな変な噂流してるの!」
「恭だけど?」
「え?」
そう言って佐知子は隣の班の恭に目をやった。
隆哉の隣で、恭は私たちにウインクしてくる。
また、二人一緒なんだ……ね。
正直、さっきまで未来人と話してた時は、自分がこの時代の人間じゃないんだって忘れてた。当たり前にこの輪の中にいるけど、ホントは違和感だらけなんだって事、忘れられた。
でも、すぐにこうやって現実に引き戻される。
そんな蟠りの中、隆哉が私を見ようとはしてくれない事に寂しさを覚えるのも事実。見てるだけでいいとか思いながら、隣に居られない事に嫉妬してる自分がいる。
ホント私って我がまま。
あっちを向きながら、私じゃない誰かと話をしてる……私の事なんか、もうすぐ忘れちゃうんだ。
――今の……私の事なんか……。
「どうしたの? かぐや、泣いてんの?」
少し潤んだ瞳を間近で見ていた佐知子が、きょとんとした顔で言った。
「あ、ううん、煙が目にしみちゃって」
言いながら、私はすっと指先で零れ落ちる寸前だった涙を拭った。
「あ〜風向きが見事にかぐや直撃だもんね、あたし濡れタオル持ってきてあげるよ」
そう言って佐知子は「せんせー」と駆け出していく。
そんな私を見ても、未来人は何も言わなかった。
ただ、隣にずっといてくれた。
さっき言ってくれたように少し前のめりになって、二人が見えないように盾になってくれている。そして、黙々と苦手なはずの野菜を頬張っていく。
大丈夫なのかな、そう思って覘きこんだ未来人の表情に、今は笑顔がなかった。
◆◇◆
空が赤く染まる頃、バーベキューの片付けを終えて、観測の為にみんなで丘の上を目指した。やがて、夕焼けが引き、薄っすらとした夜の姿を映し出す空に一番星が輝き始める。
「よし、それじゃ、それぞれの班に分かれて観測な。三年生は最後の合宿だからな、みんな楽しんで綺麗な星を眺めよう。今日は雲一つない夜だからはっきりと見えるかもしれないぞ」
「新星発見できますかね!」
「無理だな」
間髪入れずに返答した先生の声に笑いが漏れる。
でも私は「最後」という先生の言葉がチクリと胸を軋ませた。
もうすぐ、終わる……ここでの、私の……恋が。
吸い込まれそうなほどの星空を見上げ、思う。
未来の空も、こんなふうに綺麗かな――……隆哉の見る未来の空を、私は普通に見られるかな。
見れると、いいな。
私は、隆哉に借りた二冊の本をギュッと抱きしめた。
今日、返そうと思って、さっき鞄から持ってきたんだ。そんな時間が私にあると思えないけど、でも、最後に何か話したい。何でもいい、そのきっかけにでもなればと思った。
恭のところに行く前に、隆哉と話す事が出来たら――……未来に帰る前に……。
***
観測が始まって暫く、恭の姿が見えなくなった。辺りが暗闇に包まれて誰もが空を仰いでいるから、恭が居ない事に気付かないんだ。
ふと、告白の話を思いだした。
関係を進展させたいと言っていた恭――……もう呼び出してあるのかな。
でも隆哉はまだここにいる。目が慣れてきたとはいえ暗い。けど、隆哉ならその背格好で解る。ずっと見てきた姿だもん……隆哉の息遣い、喋り方、立ち姿……全部が好きだから、解るんだ。
私は暗がりの中、腕時計を確認した。
七時四十分。
もう――……時間がない。
隆哉を、感じていられる時間がもうすぐ終わる。
その時だった。
自分の観測班から隆哉の姿がはみ出したのがわかった。
どうしよう……隆哉、恭のところに行くんだ……もう、呼ばれてるんだ……そう思うと、鼓動はどんどん早くなり、破裂寸前になった。
私はもうすぐ終わる……だけど、恭と隆哉は……始まるの?
息が出来ないほどに苦しくて、私は下唇を噛んだ。そんな居た堪れない想いを抱えていると、ふわりと目の前に風を感じた。
思わず顔を上げる。すると、そこには隆哉の姿があった。
「たか、や?」
驚きを隠せないでいると、隆哉はそっと私に顔を近づけて、耳打ちする。
「かぐや、話があるんだ。来てくれ」
「え?」
思いがけない言葉に、私の身体は硬直した。
うそ、隆哉が私に……話?
隆哉はすっと目の前を横切りながら「早く」と言って、私の腕を掴んだ。そのまま私の身体が引っ張られる。
「え、あ、ちょ……隆哉?」
掴まれた腕の部分が、すごく熱くなって、体温が上昇していくのがわかる。こんなにも鼓動も早くなって、今にも伝わってしまいそうで、怖い。
いつか繋いだ手の愛しさも、今、繋がっている温もりで高揚する想いも――……全部、私の中に仕舞い込んでしまわなければいけないものなのに。
何も言わず、ただ、隆哉は誰もいない場所へと突き進んでいく。
話って何? 恭のところには行かなくてもいいの? 聞きたい事あるのに、何も聞けないまま、私はまた加速する気持ちを抱えて、着いて行くしか出来なかった。
いつしか丘を下りていた私たちは、合宿所裏の空き地に差し掛かかっていた。
あれ、ここって確か……そう思って焦った。
『合宿所裏にもう一つ空き地があるでしょ?』
恭の言葉を思い出す。
いや、ここには恭がいるはず……どうして私をここに……まさか二人の仲を見せつけられる? 話って何?!
「ヤダッ!」
思わず叫んで、隆哉に掴まれていた腕を引き、立ち止まってしまった。
「かぐや……?」
隆哉は徐に振り向き、見つめてくる。
気が付けばここは空き地のど真ん中だ。でも、恭の姿はない。
「あ、れ……恭、は?」
「は? なんで今、高嶺が出てくんだよ。俺はかぐやに話があるって言ったんだ」
「え、でも」
「でもじゃない、誰にも邪魔されたくなかったから、ここまで……連れてきた」
誰にも、邪魔されたく、ない?
それってどういう意味なの?
そんな事言われたら、私……期待しちゃうじゃない。
辺りに生い茂る木々が風に揺らぎ、ざわざわと音を立てる。他に何もない場所。隆哉との距離にも、何も邪魔するものもない。
ただ、空から柔らかな月明かりが二人を照らし出すだけ――……。
「かぐや」
そう言って隆哉は、真っすぐに私に向き合った。
私の身体が震える。どこからともなく恐怖が押し寄せる。何に怯えているんだろう。それすらも解らないまま、私は思わず瞼を閉じた。
怖い――……そうだ、このまま、私の気持ちを言ってしまいそうで怖いのかもしれない。そんな事をしたらダメなんだって解ってる。だけど、こうして隆哉と向き合うと、抑えられない感情が湧きでてくるんだもん。
どうしよう……どうしたらいいの?
私は、隆哉が――……好き!
「これ」
感情を口に出す事を我慢していた私の耳に、そう、優しい声が届いた。
恐る恐る瞼をあけると、隆哉は小さな箱を私の目の前に差し出していた。
「な、に?」
「お前に、プレゼント」
プレゼント? え、でも、誕生日でもない、よね。
「受け取ってほしい」
「私に? あ、でも、い……いつ買いに行ったの?」
「そこ重要?」
「あ、いや」
そ、そうだよね、いつ買いに行ったとか関係ないよね……目の前にある、プレゼントが何の意味を示すのか、だよね。
隆哉が私にプレゼントをくれる、理由は?
何も切り出せないまま、静かな沈黙が流れる中、照れくさそうに頭を掻きながらも隆哉は「昨日だけど」と、ぽつりと呟いた。
昨日は早く帰るって言って……え? わざわざこれを買いに行ってたの? うそ、なんで?
きょとんと眼を丸くしたまま動こうとしない事にやきもきしたのか、隆哉が私の手を掴んで、その掌に小さな箱をのせてくれた。
「ホントにお前はじれったい奴だな、やるって言ってんだからさっさと受け取れよ」
隆哉は月明かりでも解るほどに頬を紅潮させて、そう言った。
私は、掌に収まった小さな箱をまじまじと眺める。
「……かぐや」
やだ、嬉しい……嬉し過ぎて倒れそうだよ。
でも、泣いちゃダメ……今、涙が出たら気持ちを止める勇気ない……私に未来を壊す権利もない……だから、最後くらい笑っていたい。
そう思った私は「開けてもいい?」と隆哉を笑顔で見上げた。
「ああ」
その返事を聞くや否や、私は本を小脇に抱え直し、両手で箱の包みを開いていった。
ゆっくり、丁寧に……すると、そこには三日月のピアスが二つ並んでいた。
シルバーの三日月の真ん中に、青いサファイアが埋め込まれている。
「わぁ! 可愛い! ありがとう、隆哉!」
私は更に笑顔で隆哉を見つめると、柔らかく目を細めて笑ってくれた。そして
「これ」と、言って自分の胸元から指先にチェーンを絡め取って見せた。
「あ……」
よく見れば、隆哉がくれたピアスと同じ三日月がそこにある。
「かぐやはピアス、俺はネックレスな……」
「お揃?」
「そう、お揃な」
「うそ、こっちも可愛い!」
そう言いながら隆哉の胸元に顔を近づけた瞬間だった。ふわりと身体全体が、温もりに包み込まれた。
「隆、哉……?」
私は、いつの間にか隆哉の腕の中にいた。
柔らかな髪が頬を撫でる。大きな胸が私を包み込む。愛しい吐息が耳に触れる。そして、私と同じように早い鼓動が、伝わってくる。
このまま、離れたくなくなる。
「お前が好きだ」
不意に落とされた声が、心地いい響きになって耳の奥を撫でていく気がした。ずっと聞きたかった言葉が胸を熱くしていく。
「好きだ」
優しい声が、すっと心の中に沁み込んでいく。
その想い――……同じだったんね。
そう思うと、もうダメ。涙が止め処なく溢れだすのを抑えきれずに、私は静かに目を閉じた。
私も――……そう言いたい事を、ぐっと我慢する。
だけど、私にはその言葉が聞けただけで、十分過ぎるほど幸せだから……大丈夫だよ。
想い出も、お揃いのプレゼントも、今こうして隆哉といる時間も、ずっと失くさない、忘れない。
だから――……。
「ずっと、かぐやだけが好きだった。絶対に失いたくない」
「でも恭がいるよ?」
私は、この時代に居ちゃいけないんだもんね。隆哉は私を好きじゃ、いけないんだ。
「高嶺の気持ちは知ってる。でも……」
「ごめんね」
言いざま、私はゆっくり身体を離した。そして、互いに見つめ合う。本当はずっと隆哉を見つめていたいけど。それは許されない事なんだって。
私は……私たちはすきになっちゃいけないんだって……。
だから、ごめんね。
そう思いながら、私は一歩後退りする。その地面が、少し揺れた気がした。
ごめんね、隆哉……本当にごめんなさい……何も言えなくて……でも。
「ありがとう……」
小さく言った呟きの後、私の肩に乗せられていた隆哉の手が、ゆっくりと落ちていく。
もう、きっと時間がないよ……隆哉……。
さよなら――……私を好きになってくれた……大好きな人。
「俺……待ってるから……ずっと」
隆哉のか細い声が、耳を掠める。
「たか……や」
絡み合う視線を外せない……だけど、その胸に飛び込む事は出来ない。
だって、私は……私は隆哉の……。
「ずっとだ……お前の気持ちが、俺に――……」
その気持ちだけで、十分幸せだよ。
刹那。
荒々しい突風が辺りを包み込んだ。
「隆哉!」
大好きだよ!
前が見えなくなる程の風力に目を開けてもいられない。大きなつむじ風が私の全身を包み込んでいく。世界が歪む、そんな違和感に覆い込まれて暫く……ピタリと、嘘のようにその風は止んだ。
恐る恐る閉じた瞼を開けてみる。すると、私は隆哉を遠目に、草むらに佇んでいた。
大好きだよ……その言葉が私の中で何度も叫ばれている。だけど、それは届かない声。
「もう、この時代の誰にも、かぐやさんについての記憶はありません」
「え?」
いつの間にか私の横にいた未来人は、静かに、そして悲しそうに言った。
「それから、二人の位置を入れ替えました」
「二人の?」
言いながら私は、隆哉の目の前に居る恭と、自分の位置を見比べた。
「こんな事も出来るの?」
「ええ、タイムマシンの機能を少し使って場所を歪めただけですが、本来はやってはいけな……っと」
慌てて未来人は口に手をあてた。
「聞かなかった事にする」
笑顔でそう言うと未来人は肩を竦めて「助かります」と、はにかんだ。
私は、くすりと笑って、再び隆哉を見やる。
「目が赤いですけど、大丈夫ですか?」
ふいに未来人が聞いてきた。私は軽く「大丈夫だよ」と言いながら頷く。
「それにしても、随分と、落ち着いて居られますね」
「え? もっと泣き叫ぶと思ってた?」
「いえ……でもそれに近い感じかな、と」
その言葉に私はふっと笑った。涙は乾いていないのに、心には余裕があるのかな。
「自分でも不思議……絶対に受け入れたくなかった事なのに、実は心のどこかで覚悟してたのかもしれないし、場所を歪めるとか、いざ目の当たりにしてみて、諦めがついたのかもしれないし……気持ちが繋がってたって解って、満足しちゃったのかも……」
よく解らないけど、というふうに私は言いながら、ふと、返し忘れた本に気付く。
「あ、これ……」
隆哉を見やるも、今更出て行くわけにはいかない。
そこには、恭と楽しそうに空を仰ぐ隆哉がいるんだから……。
しょうがない、想い出の物が増えたと思えばいいかな。そう思いながら、私は手の中にあるピアスの入った小さな箱をきゅっと握りしめた。
「ねぇ、もしかして、ここに恭がいた?」
私の質問に、未来人は少し言いにくそうに「……はい」と、小さく答えた。
「そっか」
だったら恭は見てたかもしれない……私と隆哉を……どんな思いで、ここから私たちを見てたんだろうと思うと切なく、苦しかった。
でも、さっきまで私がいた場所に……今は恭がいる。
本当なら、隆哉の心を動かすのは恭だったんだもんね。私がここに来たから、二人の間に割って入ってしまったから、歪んでしまった時代の空間。
それが今、元通りになっただけの事。
「隆哉が私を好きなのは、きっとどこか繋がっているって感じてたからなのかもしれない……まさか娘だなんて思わないだろうけどさ」
やだ、声が震える……喉が熱い。
再び溢れる涙が唇に伝わるのを感じていた。
認めたくない本当の未来。逆らえない運命なんだと自分に言い聞かせるしかない。それでも、この時代での隆哉の気持ちを嘘にしたくない。隆哉が見てくれていた私だって、本当の私なんだもん。私が好きになった隆哉も、親子とかじゃない、嘘じゃない真っすぐな「好き」だったんだもん。
でも……涙が止まらないよ。
その頬を、未来人はそっと指先で拭ってくれた。
すごく、自然に……優しく。
全然嫌じゃないのは、なぜだろう?
「そろそろ、時間軸も過去の修正も整うようです」
どこか冷めているような口調でも優しく感じる。その声に、労りが入り込んでいるような気がして気持ちが温かくなる。
不思議な子……そう思った。
「あなたも、一緒に帰るんでしょ?」
ふいに問いかけてみる。あんなに避けたい存在だったはずなのに、一緒に帰ろうとする自分に笑っちゃうけど、なぜか気になったんだから仕方ない。
未来でもきっと、お世話になるんだろうし。
「一緒には、無理です」
「え?」
一瞬、耳を疑った。
「どうして? じゃぁ私は一人で帰るの? そんな、どうすればいいのか……」
「大丈夫です、向こうには事情を把握して、かぐやさんをサポートしてくれる人たちが待機してますから……まぁ俺も、帰るには帰るんですけど……」
少し戸惑っている未来人の答えを、私は真剣な眼差しを向けて待った。
「あの、えっと……」
「どこに帰るの?」
未来人は諦めたように大きく息を吸い込んで吐き出した。
「僕は――……あなたよりも少し未来の人間なんです」
「私よりも少し……未来の?」
「はい、過去の修正が仕事。あなたの時代のマシンは既に政府の了承を得て全て廃棄済みですので、俺の時代からコントロールしてるんです。でもそれがなかなか上手くいかなくて、この時代に迎えに来てしまって……ごめんなさい……こんな辛い目にあわせるつもりはなかったんです……」
そう言いながら、未来人の瞳が潤んだと思ったのは気のせいなんかじゃない。
「すみません。もういいですか?」
そう言って、はにかみながら髪をかき上げた未来人はすごく困った顔をする。私は「ごめんなさい」と呟きながらも、その髪が揺れ動いた隙間に、視線が止まった。
「え?」
その耳元に光るピアスを見つけたからだ。
言葉が見つからない。
こんな偶然があるの?
それは、さっき隆哉から贈られたピアスと同じものだった。今一度、ぎゅっと箱を握り締める。
「そのピアス……どうして」
「ああ、これですか?」
彼はピアスを指先で弾くと、何の疑いもなく、恥ずかしそうに頬を赤らめて教えてくれた。
「僕が母からもらったお守りです。無事に仕事が終わるようにって」
「あなたの……お母さんから?」
「ええ。これが何か?」
きっと、いつどこで貰った物なのかまではきいてないみたい……もしくは、未来の私が、気付くように教えなかったのかもしれない。
「ううん、何でもない」
そう思うと、なんだか嬉しくなったから本当に不思議だ。あんなに拒んでいた現実を、今、私はしっかりと受け止めていられる。穏やかな気持ちで、帰る事が出来る。
きっと私たちもまた会えるんだね。
貴方が消えなくて良かったよ。
でも、いつか――……そう、いつか貴方の名前も知る日が来るんだ。
「時間です」
彼が、そう言った矢先、先ほどよりも柔らかな旋風が私を包みこんだ。渦を巻きながら地面から這い出た光が、徐々に体を上昇してくる。
「うわぁ」
やがて全てをのみ込むように光の中に吸い込まれて、次第に足下から消えていった。
これで、本当にさよならなんだ。
私は、最後の最後に、隆哉の姿を探した。
涙で霞んだ視界の遠くに、愛しい輪郭が浮かび上がる。
「さよなら、隆哉……また、向こうで……」
正直、これからどうなるのか不安だったけれど、目の前の彼が笑ってくれているから良かったと感じる。消えない彼がいる事で、安心できる。
ここから、私は新しい世界に旅立つ……そう、未来を繋ぐために。
みんなの命を繋ぐために――……。