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懐かしい温もり

 

 

 

 

 体に大きな変化はない。

 

 光に包まれてから全然、苦痛もない。けど、しいて言えば……血液がざわめく感じがするだけ、かな? でもそんなに気持ち悪くもない。

 

 眩しさが差し込んで目を開けてはいられないけど、ふわふわした感覚が心地良くて、まるで夢の中に居るのかなって思う。

 

 重力がなくて波間を漂っているみたい。

 

 ほんと、力が抜けていく……。

 

 でもそれは、ほんの一瞬で、私の意識を現実へと引き戻した。

 

 ガクンと体に重みがかえってきて、力加減が上手くいかずに膝を落とした。冷やりとした感触が掌に伝わる。硬くて冷たい、金属の床に落とされたのかもしれない。

 

 耳鳴りがして、上手く周りの音が拾えない。かすかに、誰かが話しているような気がする。だけど、薄っすらと開けた視界は曇っていて、強い光を受けた瞳には刺激が強過ぎた。

 

「ここ……は……」

 

 もう、未来に帰ってきたのだろうか。そんな事を思うも、勿論、実感はまだない。

 

 さっきの感覚が嘘のように、身体は鉛のように重くて、クラリと視界が揺れた。

 

 やっとの思いで、項垂れていた頭をゆっくりと上げてみる。

 

隔離されてる? 

 

そう思ったのは、変なカプセルのような中に居るから……ガラスで囲まれた小さな空間に私は一人。

 

その周りを取り囲むように、白衣を着た人たちが、各々にカルテのようなものを手に群がっている。

 

まるで動物園でさらされてるみたい。そう思っていると、施錠の外されたような音が響き、目の前のガラスがゆっくりと上がっていった。

 

ようやく目が慣れてきて、辺りを見回す。

 

「最後の迷子のお帰りだ」

 

 群がる一人がポツリと呟いた。

 

 迷子……そんな自覚はなかったけど、これは現実。ここが、居るべき世界。私は乾いた喉に、無理やり唾を押し込んだ。

 

「お帰りなさい」

 

 そう言って目の前に差し出された大きな手に、私は一瞬躊躇ったけど、恐る恐る触れてみた。

 

「震えているね」

 

 その言葉に何も答えられない。無意識に私の身体は警戒しているのかもしれない。

 

「でも大丈夫、最初は誰もが不安がるけど、でもここは然程君がいた時代とは変わりないと思うから。君は若いし、環境に慣れるのはすぐだよ」

 

 言いながら、優しく私の手を引き、立ち上がらせてくれた。

 

「体が上手く動かない?」

 

 私は小さく、こくりと頷いた。

 

「時空間移動は、かなり負担がかかってるからね」

 

 にっこりと笑いかけてくれるその人は、穏やかな瞳で私を見つめてきた。

 

「無理しなくてもいいよ」

 

 細身で背の高い目の前の人は、ところどころ白髪混じりの髪を綺麗にオールバックに固めていて、お父さんくらいの歳だろうか……なんだかホッとする。

 

 それに、優しい声。

 

「……あの……」

 

「ん?」

 

「今は、その……何年かなって……」

 

「ああ、今は2026年、今日は4月23日、ちなみに平成38年だよ」

 

 うそ、私がいた時代よりも20年も先ってこと? 

 

「君は2011年の1歳の時に過去に飛んでしまったんだ。あの頃は少し事故が多くてね……それから五年後の2016年には、ほぼタイムマシンは廃止された。そこから未来政府の修正が始まってね、ここが転送の拠点になったんだ」

 

「ここが……拠点……」

 

 よく、わからないな。

 

「そう、まぁそれは10年前から続いてるから、2016年頃からかな」

 

 なんだか、頭が付いて行かない……脳内の年表がこんがらがってるよ。

 

「君が飛ばされたのは確か、1990年だったかな?」

 

「はい、たぶん……」

 

「たぶん?」

 

なんだか記憶も曖昧で、何か忘れているような気もするんだけど……粗方の記憶は残っているのに……なんでだろう。何かが、足りない。

 

「なんだか、何か……忘れているようで」

 

隆哉を好きだった記憶もある。未来から迎えに来た子の事も……家族の事も……だけど、上手く顔が出て来ない。

 

 それに、まだまだ聞きたいことは山ほどあるはずなのに、それ以上の言葉が繋がらない。状況も一気に呑み込めない……変な感じ。

 

 そんな私を察してか、彼は「大丈夫?」と労りながら目を細めた。

 

「転送は一度身体を分解するからね、記憶が交差してるんだよ、きっと、すぐに思い出せるよ……そうだ、自己紹介が遅れて申し訳ない。私は笹崎と言う者です。あなたの主治医の補佐をしております」

 

 補佐? じゃぁ他に主治医がいるって事? どうしてここにはいないんだろう……なんて思ってる場合じゃない。

 

 これから、私はいったいどうなるのか、急に不安が込み上げてきた。

 

 そう思っている間にも、手をひかれるまま、笹崎さんについて行くしかない。

 

「検査の準備をして。血液と心電図、それから一応、無理がないようならCTの用意も、その他は後日、改めて……」

 

 周りに群がっていた人たちは、笹崎さんの指示に頷くと、それぞれの持ち場に拡散していく。

 

「すまないね、簡単な検査だけは受けて欲しいんだ……それでも、無理なようなら言ってくれるといい」

 

 頷きながら、促されるまま、機械の並んだ部屋とドア一枚で繋がった部屋に通された。応接間のようなガラス張りの部屋の中心に設置された牛革の椅子に「どうぞ」と言われ腰を下ろす。すると、目の前に湯気が立ち上った。

 

見れば、傍らにはにっこりとほほ笑んだ女性が、私に紅茶を差し出してくれていた。セミロングの黒髪に、薄い化粧。30前後だろうか……すごく綺麗な人だと思った。

 

「どうぞ、喉が渇いているでしょう?」

 

 私は軽く会釈をしてから、そのカップを手に取った。

 

 甘いアップルの香りがする。

 

 一口啜ると、口の中にもそれが広がった。

 

 ローテーブルを挟んだ向かいに、笹崎さんが座った。手に持ったバインダーを眺めながら、何度か頷いて見せる。

 

 それを凝視していると、その視線に気付いた笹崎さんが顔を上げた。

 

「あ、ごめんごめん。君の資料を見ているんですよ」

 

「資料?」

 

「ええ、今までは主治医のみが目を通していたんで私も見るのは初めてなんですが……過去での生活や、病気、どこの誰に養われていたかとか、後、この時代での君のご両親のことや……」 

 

 そう言われて私は息を飲んだ。

 

 私の両親……隆哉と……恭……だよね。

 

「珍しいですね」

 

「え?」

 

 何が? と言わんばかりに私は目を見開いた。

 

「いや、名前……」

 

「名前、ですか?」

 

「ええ……かぐやさん、ですよね?」

 

「……はい」

 

「過去では『須賀野かぐや』でしたが……この時代での名前は苗字こそ違えど『有馬かぐや』です」

 

「え?」

 

「大体は名前が違うものなんですが、君の場合は同じなんですね。大変珍しいと思いますよ。初めはみなさん名前がしっくりこなくて馴染めないんですけど」

 

 同じ、名前……考えてもみなかったけど、そうだよね、普通は違うよね。なのに私は、同じ?

 

 でも、有馬は隆哉の苗字だ……だったら私はやっぱり、隆哉の娘なんだって事だよね……覚悟してきたつもりなのに、いざ、目の前に突きつけられると複雑って言うか……痛いな。

 

「須賀野……」

 

 笹崎さんが顎に手を添えて首を傾げた。なんだか知っている様子だ。だったら、お父さんもお母さんもこの近くに住んでるのかな……だとしたら……会いたい……でも、覚えてない、よね。

 

 だけど笹崎さんはそれ以上の言葉は繋げずに、仕切り直したように一つ咳払いをした。

 

「今はまだ倦怠感が抜けないと思いますし、しばらく休んでください。その後、検査に入ります」

 

 えっと……何か聞きたいんだけど。その何かすら出て来ない。

 

「君、かぐやさんの部屋に案内してあげて」

 

「はい」

 

 笹崎さんは、傍らに立つ女の人にそう告げると、そのまま立ち上がり「私も準備がありますので」と、言って部屋を出て行った。

 

 カップを持ったまま、私の身体が固まっている。

 

 今まで育ててくれた両親はどこに居るんだろう。

 

 恭と隆哉は、会いに来ないのかな。

 

 今日は検査だけなのかな。

 

 いろんな事を聞きたい。

 

 私はそう思いながら、傍らの女の人を見上げた。

 

 その視線に気付いたように、また、優しく微笑みかけてくれる。

 

「片山沙織です。よろしく」

 

 言いながら、握手を求められた。私はすぐさまカップをテーブルに置き、差し出された手を握った。

 

「片山さん……あ、私は、須賀……じゃなくて、あ、有馬……かぐやです」

 

 そう言うと、片山さんはクスッと笑った。

 

「沙織でいいわよ」

 

「えっと、じゃぁ……沙織さん」

 

「私はあなたのカウンセリングを担当するの、落ち着いたら言ってね、部屋に案内するから」

 

「部屋?」

 

「そう、あなたがこれから生活する部屋」

 

「えっと……家に、帰れるんじゃ……」

 

「ええ、そのうちね」

 

「そのうち?」

 

「暫くはここに居てもらう事になるの。あ、ここは幼稚舎から大学まで一貫校なんだけど、その敷地内に政府公認の研究所もあるの。時空迷子はまずここの寮に入って、学生なら学校に通って慣れてもらうのよ」

 

「そう、なんですか……」

 

 隆哉に、すぐに会える訳じゃないんだ。そう思うと少し、安心したような落胆したような。

 

 早く会いたい気持ちもあるけど、やっぱりいきなり『お父さん』なんて呼べないし。

 

 思いながら、私は視界にカプセルを映し出した。ガラス越しに見える研究所内部には、慌ただしく人が行きかっている。

 

「あれは、もう……使わないんですよね?」

 

 その言葉に沙織さんも研究所の方に視線を向けた。

 

「ああ、あれ……そうね。あなたで最後だったから、もう誰も転送されてこないでしょうね」

 

「あれが、タイムマシンなんですか?」

 

「違うわよ、あれは未来の政府がここに設置した受け入れのみのカプセルだから、あそこからどこへも行けないわ」

 

「そう、なんですか……」

 

 そう言えば、あの子が言ってたな。この時代のタイムマシンはすべて廃棄したって……そっか、今はもう、会えないんだ。

 

「でも、回収しに来るのかしら」

 

 沙織さんはそう呟きながら首を傾げていた。

 

 私は沙織さんが入れてくれた紅茶を飲み干すと、大きく肩で息をした。

 

 もう、後戻りはできない。でも、これで、あの子のいる未来に繋がったんだよね。これでよかったんだよね。

 

「そろそろ大丈夫かしら?」

 

 沙織さんの声に、私は「はい」と返事をすると、徐に立ち上がった。さっきまで感じていた目眩も少ない。

 

 そのままドアを出ると、白い壁に白い天井が長く続く廊下があった。

 

 私は、沙織さんの後に続き、真っすぐに進んだ。

 

「今が何年って言うのは聞いてたわよね……何か他に聞きたい事とか、ある?」

 

 前を向いたまま沙織さんが聞く。

 

「あの、えっと……両親は……」

 

 その言葉に少し沈黙があった気がする。だけど、沙織さんは何事もなかったように言葉を繋げた。

 

「ご家族には連絡済みよ。会いに来ないんじゃなくて、来れないのよ」

 

「え?」

 

「やっぱりあなたの事を考えて、今まで育ててくれたご家族の事もあるし、はいそうですかって簡単に切り替えられないでしょ?」

 

「ええ、まぁ」

 

「あなたが帰ってくるプログラムは一週間前から伝えられているから、その旨はご家族にも言ってあるの……今、あなたがここに帰ってきた事も知っているはずよ」

 

「…………」

 

 何も言えないでいると、沙織さんがぴたりと足を止めた。そして徐に振り返る。

 

「すごく会いたがってらしたわよ。もう何年も探していたんですもの……見つかった時にはすごく喜んで……」

 

 そう言って優しく、慰めるように微笑んでくれた。

 

「心配しないで……あなたはこの時代でもちゃんと愛されているから」

 

 その言葉に、何とも言えぬほどに胸が熱くなった。

 

 私をずっと探してくれていた家族が、ここに居る。

 

 待っていてくれた家族が……須賀野のお父さんとお母さんと、秋路と離れるのは辛かったけど……隆哉の事を知って、ショックだったけど……それでもここに帰ってくる価値が私にはあるんだって思うと……嬉しかった。

 

 元の家族には忘れられた存在だけど、ここには、私を何年も何年も、待っていた家族がいるんだ。

 

「あ、先生?」

 

 ふと、沙織さんが小走りに、一人の男性に向って行った。廊下の突き当りに、大きなガラス窓があった。森林をバックに、白を基調としたテラスが広がっている。その一角に、ぼんやりと佇んでいた男の人。

 

 先生? 学校の? それとも医者?

 

 そう思っている間にも、沙織さんと一言二言の言葉を交わした男の人が、私に視線を移した。

 

 そのまま、軽く会釈したんだけど、その人は、ただ、真っすぐに私を見据えている。

 

 でもあの人……礼服を着てる? 喉元には、無造作に緩められた黒のネクタイ。

 

 そのまま、ゆらりと動き出して、こっちに向ってくる。

 

 誰?

 

 沙織さんは、そんな男の人の背中を見つめたまま動かない。

 

 いつの間にか目の前に立つ男の人は、どこか憔悴しているようで儚げだった。

 

 眼鏡をくいっと中指で上げ直すと、まじまじと穴があくほどに見つめられた。動けなくなるほどの目力が、私を硬直させる。瞬間、どくんと鼓動が跳ねあがった。

 

 私……この人に会った事、ある? どこで? ダメだ、脳内がいろんな思い出を駆け巡らせて、定まらない。

 

 考えれば考えるほど、心臓が加速していって、だんだん、呼吸すらも辛くなっていく。

 

目が隠れるほどの前髪に、襟足も長い黒髪。目鼻立ちも整っていて、すごく綺麗な……男の人。一度見れば、忘れないほど綺麗なのに……えっと……どこで。

 

ふと、視界に長い指先が映った。徐々に近付いてくる掌が、私の頬を捉えた。

 

 ピクリと身体が跳ねる。

 

 脳内を駆け巡る疑問とは裏腹に、頬に添えられた手は、温かくて、どこか懐かしい気がした。

 

「だ、れ?」

 

 聞きたかった言葉が口を突いて出た。

 

 すると、男の人はフッと笑い、手を引っ込めた。

 

「沙織、この子少し熱っぽいから検査は中止してやって」

 

 そう言って沙織さんを一瞥してから、また、私に視線を戻した。

 

「今日はゆっくり休むといい……明日、改めて検査させてもらう」

 

 私の返事を聞かないまま、男の人は踵を返した。心なしか足取りがおぼつかない。

 

「あの」

 

 私の声に、彼の足が止まる。だけど、振り向いてはくれない。あの手の優しい温もりが、誰なのか知りたかった。

 

 懐かしいような、そんな感覚。

 

「あなたは……だれ?」

 

 その疑問に、今度は彼の肩がピクリと上がった気がした。

 

「俺?」

 

 そう言いざま振り向いた彼は、背に光を浴びている。逆光が眩しくて、私は再び目眩を覚えた。

 

「俺は、須賀野……」

 

「え?」

 

「須賀野秋路……君の主治医だ」

 

 




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