〜 vol : 3




 逃げたい、でも逃げたくない。

 本当は結絵に聞かれる前からずっと話してしまいたかったのかもしれない想い出。それは開き直りなのかと自分を責め立てながらも、ゆっくりと私は言葉を続けた。

「いつから知ってたの?」

 その質問に結絵は「ずっと前から」と、寂しそうに答える。

「あの絵を見つけたのは三年前、高校に入ってからなんだ。家の裏にある蔵で見つけたの。見た瞬間、心が何だかざわついたのを覚えてる。いつか私もこんな絵が描けたらって……今にも吸い込まれそうな色使いに私は見惚れてた」

 結絵は目を閉じながら、その絵を思い出しているようだった。

「でも、見惚れている間にお父さんが入ってきて……何も言わず私からあの絵を取り上げた」

 今度は、悔しそうに下唇を噛み締め「それからあの絵は見てない」 と呟いた。

「そう……」

「お父さんがあの絵を取り上げた時の目がすごく怖かった。まるで私を憎んでいるような目……」

「そんな事ないっ!」

 私は、その言葉を聞くや否や間髪入れずにそれだけは言いきった。本当は心優しい武雄が結絵を憎んでなどいない事だけは強く否定したかったのだ。

「父さんはね……母さんを憎んではいても、結絵を憎んでいるなんて事は絶対にないから」

 その言葉に結絵は少し引きつった笑みを浮かべながら、また寂しそうな目で見つめて言った。

「でも……金沢のおじいちゃんは、きっと私を憎んでるよ」

 私は一瞬身動ぎ、何も言い返せなかった。

「毎年お盆とか正月にさ、家族で金沢に行ってたよね」

「そうね。でも、ここ何年か結絵は友達優先で……行かなかった」

「行きたくなかったんだよっ! だから私は口実作って断ってたの。どうしても行きたくなかった!」

「どうして……」

「本当は友達との約束なんて何もなかった。誰もいない家で私はいつも一人だった……おじいちゃんにだけは会いたくなかったから」

 結絵は悔しそうに唇を噛み締めた後、言葉を続けた。

「お母さんは知らなかっただろうけど、おじいちゃんさ、私が一人でいる時は必ず言ってたんだ……」

 結絵は我慢できなくなった涙を一滴流すと言葉を詰まらせたが、今まで辛かった事を吐き出した。

「お前はワシの孫じゃねぇ……余所の男の子供だから可愛くねぇ。本当は敷居を跨がせるのだって嫌なのにって。だからっ……」

 そのまま結絵は掌で唇を塞ぎながら嗚咽(おえつ)が漏れそうになるのを我慢していた。次第に私の目にも涙が溢れ出し、自分の知らない所で結絵が辛かったのかと思うと胸が張り裂けそうな思いを抱え込んだ。

「私……知りたいの。あの絵を描いた人が、私のお父さんがどんな人なのか……」

「結絵……」

 結絵は縋るように私の袖を掴んできた。

「お父さんってすぐにケンカすると、私に跡を継ぐ気がないなら出て行けって言うじゃない? そんなに私が邪魔なら本当のお父さんの所に行きたいって思うよ。でも、お父さんの事は嫌いじゃないし……もう、どうすればいいのかわかんないの! 私なんかの夢よりも後継ぎが大事なら、私じゃなくてもいいんじゃないかって思う。どうせ私は浜村の養子なんでしょ? お父さんだって養子じゃない。だったら、また継いでくれる人を養子にすればいいじゃんってっ……そう思うよ」

 結絵に激しく揺さぶられる腕に力が入らなくなっていく。結絵の真剣な眼差しが痛いと感じた。とてつもなく心が痛いのだ。

 結絵が「画家になりたい」と言った時から私はあの人の面影を結絵に垣間見るようになっていた。間違いなくあの人の血が流れている事を思い出させる。

 それはきっと、武雄もそうだったはず。

 いつかは話さなければいけない日が来るだろうと覚悟はしていた。いや、話さなければいけないんじゃない……いつでも私は話したかったかもしれない。

 家に縛られる事なく、自由に生きてほしいと願った日から、私はあの人との日々を想い出に縛り付けておく気はなかったのかもしれない。

 結絵は知りたがっている。まさに今、心のパンドラが開けられる時なのだ。

 私は意を決して静かに瞼を閉じた。今でも鮮明に蘇ってくる幼かった頃の自分と向き合う。

 そして、あの人と……。

 鮮明に蘇ってきた脳裏の幻影に私の心は穏やかだった。

「あの人……本当のお父さんの名前……荒川義孝(あらかわよしたか)っていうの」

 そう、私は語り始める。








    







                

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