〜 天使の羽根 〜     No.12




 途方に暮れたまま、穂高は居間で座り不機嫌に項垂れている。

 その横では、あずみは智子と打ち解けたようで、嬉しそうに未来での生活の話をしていた。

 何もかも手に入る便利な世の中になる事を、智子は嬉しそうに聞いている。まるで、昨日自殺をしようとしていた人間とは思えない程に、体調も回復しているようだった。

 流石に、戦争の結末を話題にはしていない。

 こちらにしても話難いが、この時代の人間にとっても、それを聞くのは怖い事なのかもしれない。

「服、乾いたよ」

 奥座敷から豊子が、二人の制服を持って居間へ入ってきた。昨夜の雨はどこへやら、今日はすこぶる天気が良く、服の乾きも早かった。

「あ、ありがとうございます」

 あずみは、崩していた足を整えると、丁寧にお辞儀をする。

「それにしても凄く短いスカートね」

 智子があずみのスカートを広げ、マジマジと見入っていた。

 穂高は、今まで女同士の会話に入れなかったせいか、その言葉には反応して見せた。

「だろう? これって絶対パンツ見せるために穿いてると思わねぇ?」

 穂高にとっても、そのスカートの短さには納得していなかったようだ。ここぞとばかりに言って、あずみを見流した。

「露出狂かよって思うよな、マジで」

「マジで?」

 智子は首をかしげて見せた。

「あ、本気って意味? あずみは本気でパンツを……」

「穂高!」

 穂高の頭を小突いてあずみが注意したが、智子は顔を真っ赤に染めている。

「あ、でも、暫くはあたしたちと同じような服を着た方がいいかも知れないわね」

 気を使って言った智子の言葉に、あからさまに嫌な顔をして見せたのは穂高だった。

「は? ヤダよダサいし……」

「穂高! あんたはどうしていつもそうなの? こんな得体の知れないあたしたちを置いてくれるんだから、少しくらい我慢しなさいよ」

「へぇ、そういうあずみもやっぱダサいと思ってるから我慢なんて言葉が出るんだろ?」

「……穂高、ひねくれ過ぎだよ……」

 あずみは今一度、拳を振り上げた。だが、智子はそんな痴話げんかを止めに入るように、あずみの腕を捕まえる。

「ダサいって、格好悪いって事よね。でも、いいじゃない、本当の事だし」

「智子さん」

 渋々あずみは、その腕を下ろす。穂高はそんなあずみに舌を出して見せた。

「でもあずみさんの言うとおり、未来がどんなに安全な時代か知らないけど、この時代は本当に危ないと思うの」

「どう危ないんだよ」

 つっけんどんに穂高は言った。

 智子はチラリと、機嫌の悪そうな穂高の髪を一瞥する。

「それは……ただでさえ髪赤いし……目立つし……兵隊さんに見つかったら拷問受けるかも」

「ごっ……拷問って、マジ冗談じゃねぇゾ」

 驚く穂高に、あずみは「だったら言う事聞きな」と、先程のお返しのように舌を出した。

「ちっ」

 とことん機嫌を損ね、舌打ちをする穂高の態度に、智子はしゅんと俯いた。これではまるで、穂高が智子を虐めているようだ。

「智子さん、気にしないで。こいつは元からこういう奴なの。別に性格は悪くないと思うんだけど、口下手っていうか、生意気っていうか」

「全然フォローになってねぇ」

 穂高は呟きざま、あずみに背を向けた。

 ここまで穂高の機嫌が悪いのは、過去に飛ばされてしまった状況だけではなかった。

――プレゼントも渡せないまま、こんな事になって……この先、絶対に帰れるのかよ。

 心の中で引っかかっている事はプレゼントだった。

 鞄に忍ばせたまま置いてきた大切なプレゼントだ。渡す事もなく誰かに拾われてやしないかと気が気ではない。同時に、自分の気持ちも伝えられぬままなのだ。どうにも抑えきれない苛立ちが募っていくようだった。

「そうだ、記念写真でも取らないかい?」

 そんな穂高を見て、そう提案したのは豊子だ。

「は? こんな時に?」

 だが、穂高はやはり機嫌が悪い。それでも、智子よりは肝が据わっているのか、豊子は穂高の態度など気にせず話を進める。

「道彦は隣の写真屋の息子なんだよ。訳あって軍には入ってないんだがね」

「訳って?」

「まぁまぁいいじゃないか。暫くは着れないその珍しい服を着てさ、来月には帰るかもしれないんだし、記念だよ記念」

 そう言って笑う豊子に、穂高はピクリと眉を上げた。

「かもじゃなくて、帰るんだよ、俺たちは」

「だったら尚更、こんな出会いは滅多にない」

「滅多にあってたまるか」

 豊子は、やれやれといった感じに溜息を洩らした。

「……あずみさんの婚約者は減らず口だね」

「こ、こ、婚約者じゃねぇよ! 何で俺がこんな説教くせぇやつと……」

 豊子の言葉に動揺した穂高は、慌てて否定して見せる。

「あら、そうなの? あたしはてっきり……」

 そう言って豊子はあずみを見流す。

 今度はあずみが、頬を真っ赤に染めて俯いていた。

「否定しろよ、ば〜か」

 悪気もなく言ったはずの穂高だったが、その一言であずみはピクリと肩を上げると、瞳いっぱいに涙を浮かべてしまった。

「ば、何で泣くんだよっ!」

 慌てる穂高だったが、流れ始めた涙は止まらなくなっている。

「泣いてなんかないもん!」

 そこだけはしっかりと否定するあずみだったが、誰が見ても明らかに泣いている。

 そんな心情を察してか、智子がそっと、あずみの肩に手を乗せなだめた。

「泣いてたら写真撮れないよ? 笑って、あずみさん」

「……はい」

 何度も頷きながら、あずみは涙を拭う。

 穂高は、やはり女の涙が苦手らしい。

「ごめん、あずみ……言いすぎたかも」

 自分でも何故、謝っているのか解らない穂高だったが、あずみの泣き顔だけは見たくないと思っていたのだろう。そして、素直になれる瞬間なのかもしれない。それとも、それがあずみの涙だからなのか。



     ◇



「いいだろう、道彦さん」

 確認するまでもなく、既に全員で道彦の家に押し掛けていた。

「ええ、構いませんよ」

 だが、道彦は嫌な顔一つせず了承した。

 すぐさま写真の準備に取り掛かる。

「っつうか、こんな急な申し出なんか断れよな」

 ぶつくさとまだ文句を垂れる穂高の声を耳にして、道彦はカメラを三脚に乗せながら言った。

「今の彼を撮って置いた方が、彼も納得するかもしれないし」

「何だよ、納得って」

「未来で写真が見つかったりしたら、今の方がいいでしょう」

「はぁ? 訳わかんね」

「私にしたら、君の言葉の方が訳が分からないけどな」

 道彦が言うなり、あずみは穂高を見てプッと笑った。腑に落ちる笑みではないものの、穂高は少し安心しているようだ。

「ば〜か……」

 穂高は素っ気なくそう言って、あずみの額を人差し指で小突いた。

「やっぱ、泣いてるより笑ってる方がいいよ、お前は」

「穂高……」 

 あずみは、はにかみながら頷いた。

「写真、写真〜」

 嬉しそうに笑うキヨと百合を前方の中央に立たせ、その両脇に清と豊子が座る。そして、その後ろに智子を中心にして、穂高とあずみが立ち、目の前のカメラを見据えた。

「俺たち、これからどうしたらいいんだろうな」

 こんな事をしていてもいいのか、という不安が籠った声を、誰にともなく呟いた穂高だったが、みんなの表情に影が過る。

「次の満月を待つしかないね」

 だが、豊子だけは当たり前のようにそう言った。

「いつなんだよ」

 前を見据えたまま、穂高は聞く。

「来月の五月二十七日だよ」

「そんな、一カ月も先じゃねぇか……」

 文句を垂れる穂高の顔を覗き込んで、あずみは笑顔を作った。

「仕方ないよ穂高、それでも帰れるっていう保証はないんだし、希望だけでもあっていいじゃない?」

 穂高が納得したかしないか、あずみには解らなかったが、自分にも言い聞かせるつもりで言ったのだろう。

「はい、撮りますよ。こっち向いて、皆さん笑ってください」

 道彦がカメラにかかった暗幕に頭を突っ込んだまま、片手を上げた。

「笑えるかっちゅうの」

 そう言ってそっぽを向いた瞬間、シャッターがきられた。眩しいストロボの中、穂高以外は誰もが笑顔だった。

 それから、周りに変な目で見られないようにと言う事と、生活にも少しは馴染むためにも、穂高は渋々ながらに、この時代の服に着替えた。

 そして、まだ慣れない二人が何も出来るはずもなく、ただ、裏庭を眺めながら縁側に腰かけていた。

「あ〜腹減ったな」

 お腹をさすりながら、ポツリと穂高が呟いた。既に真昼を過ぎている。

「そう言えば……そうだね」

「俺達、昨日から何も食ってないんだぜ」

「うん、だっていろんな事があり過ぎて……お腹空いてるのさえ忘れてた感じだったもん」

 そう思えば思う程お腹がすくのか、一気に空腹感が押し寄せてきたようだ。大きな腹の虫が鳴り響く。

「やっべ、座ってんのに眩暈してきた」

 すると、背後から、クスクスと笑い声がする。驚いて振り向いた二人は、そこに立つ智子に苦笑いを浮かべた。

「お腹空いてるんですね、ごめんなさい、遅くなって」

「いえ、お構いなく」

 あずみは慌てて左右に両手を振った。

「今は配給も少なくてお米がないの……でも、小麦粉ならあるのよ。だから、今お母さんがうどんを作ってるから、もう少し待ってて」

 智子はそう言って笑った。

「うどん?」

 穂高は呟きながら、鼻をくんくんと嗅いで見せる。

「この匂い、良い匂いがすると思ったら、うどんの出汁か……でもこれって何となく」

 そう言いざま、穂高とあずみは顔を見合わせた。

「にてるな」

 穂高が言うと、あずみは大きく頷いて見せた。

 暫くして、円卓に座る穂高の目の前に並べられたうどんに、喉が鳴る。小さな茶碗から香り立つ湯気が鼻腔に吸い込まれていく。そして、我慢出来ずに一気にうどんを口の中に流し込んだ時だ。

「……あ、やっぱ同じだ」

 穂高の呟きに、あずみも納得するような表情を見せた。

「え? 何がですか?」

 智子の言葉に、穂高は「いえ、別に」と俯くと、うどんを忙しなく胃袋に流し込んでいった。

 不思議そうな顔をする智子に、あずみが答える。

「あたしたちの時代のうどんと同じだって思って……凄く美味しい」

「そう、ありがとう。これはお母さんがお婆さんに教わったの。いつかはあたしも、このコシ加減に作れるようにならなくちゃって思ってる」

「そうなんだ、あたしも教えてもらおうかな〜」

 あずみの言葉が余程嬉しかったのか、智子は飛び上るほどに喜んだ。

「うん、今度、一緒にお母さんに教わろうよ」

「いいの?」

「いいよ、みんなに伝えられる味になれば嬉しいじゃない?」

 智子は満面の笑みを浮かべていた。

――やっぱ、この味は……あの婆さんと同じ味なんだよな……って事は……この智子さんは……。

 そう思うも、口に出せないまま穂高はうどんを食べ終えた。満腹とまではいかないが、ここで、このうどんが食べられた事には満足だったらしい。

 しかし、未来でまさか自分が「クソババァ」などと言っているとは言えない。

 穂高は内心、謝りながらも少し反省する面持ちを見せた。






    
   


               

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