〜 天使の羽根 〜 No.14
茶髪が靡かない穂高は、ようやく家の外に出てもいいと言われた。早速、縮こまった羽根を伸ばすように背伸びをすると、すっきりした頭で、夕暮れの空の下へと飛び出した。
「似合ってる」
背後であずみが嬉しそうに呟いた。
「嘘つけ」
「嘘じゃないよ、この時代の服に茶髪はないもん」
「うるせぇよ、そう言うお前もこの三つ編み似合ってるよな」
穂高は嫌みたっぷりに、あずみの髪を掴んで引っ張った。
「ヤダ、引っ張らないで」
外に出られたと言っても、やはり世間の目に触れる事は避けた。仕事も家もない二人がフラフラしていては、いつ心ない人に通報されるかわからないからだ。
この時代の近所付き合いは半端ではない。どこの誰だと言う事は、大体の人は把握しているらしい。
豊子に教えられた人通りの少ない道を歩き、二人は時代の波にのまれた場所へとやって来ていた。
見慣れた風景が、ここにはない。
よく見れば造りは石橋だったが、木製で傷みかけの欄干が寂しい月夜ヶ橋を眺め、穂高は脇の土手に腰をおろした。
その隣にあずみも座る。
傍らにはタンポポが咲き、橋の向こうには、菜の花が黄色い絨毯を敷き詰めたように並んでいる。
「そう言えば、プレゼント貰い損ねちゃったね」
ふと、真っ直ぐに視線を伸ばすあずみが呟いた。
「ああ、あれ……」
穂高は、チラリとあずみを流し見た。夕焼けに照らされた横顔が、いつにもまして奇麗に見える。
「そうだな。かばんの中に入ったままだし、帰ったらやるよ」
「うん、絶対だよ」
そう言って、あずみは穂高を見つめると、小指を目の前に差し出した。
「何だよ」
「指きりしよ」
「やだよ」
「いいじゃん」
屈託なく微笑むあずみに負けたのか、穂高は渋々と小指を絡ませた。
「じゃ、約束」
穂高は、激しく高鳴る鼓動が、小指から伝わってしまわないかと頬を紅潮させている。
恥ずかしさに、穂高は早々に小指を放すと、照れ隠しなのか、すぐさま背中を地面に転がした。
穂高は、いつもとは違う眺めの空を仰ぐ。
「あ〜でも、帰ったら絶対に捜索願出てんぞ」
「ふふ、そうかもね。帰ったら何て説明しようか」
「笑ってる場合か」
「そうだね」
「俺はいいけど、あずみの親なんかパニックだろうな……そしたら」
「そしたら?」
「いや……もう、家に来れなくなるかなって」
「……穂高……」
寂しげに呟くあずみを見て、穂高は上半身を起こすと「ごめん」と呟いた。
「何だか、最近の穂高って謝ってばっかりじゃない?」
「そうか?」
「そうだよ……でも、素直でいいかも」
言いながら、あずみはそっと穂高の肩に頭を預けて寄り添った。
「ちょ、ちょ……あずっ」
突然の事で、穂高は慌ててその肩を揺らしたが、あずみは「少しだけ」と言って、腕にも手を絡ませる。
「え?」
「少しだけでいいから、こうしてて」
不安そうな表情で瞼を閉じるあずみに、穂高は赤くなりながらも、それ以上の抵抗をしなかった。
――バカやろう……こんな緊張させやがって、言えるもんも言えないじゃねぇか……。
そう思いながら、穂高は寄り添うあずみの温もりを感じていた。
◇
大きな空襲に遭う事もなく、二人はこの時代の生活に慣れようとしていた。
これほどまでに空腹を余儀なくされるとは思ってもいなかった穂高だったが、それでも満月の夜まではと、我慢をしている。
それに、穂高は公な事こそ出来なかったが、自ら進んで智子の家の菜園を手伝うようにもなっていた。
そして、あずみはその合間を縫って、掃除をしたり、子供たちの遊び相手にもなっていた。
「あずみ姉ちゃん、遊ぼう」
「遊ぼう」
そう言って慕ってくれるキヨと百合に、あずみは家族のような感情を持ち始めていた程だ。
「……」
あずみは土間で玉ねぎを軒下に吊るす準備を手伝っていた手を止め、キヨと百合を見つめる。
「どうかした?」
今日は仕事が休みだった智子が、不思議そうにあずみの顔を覗き込んだ。
「あ、ううん。あたし一人っ子だったから兄弟とか憧れで」
「そうなの?」
「うん、何だか嬉しい」
恥ずかしそうに微笑んだあずみは「じゃぁ少しだけ」と言って立ち上がると、キヨと百合の手を引いた。
「じゃ、何して遊ぼうか」
「お手玉〜」
張り切ってキヨが言うと、百合は面白くなさそうに「え〜やだぁ、おままごとがいい」と言い出す。
「やだやだ、お手玉がダメなら石蹴り!」
「やだやだやだぁ〜!」
とうとう百合は、寝転んで足をばたつかせた。キヨは困ったように眉根を下げている。
「あ、じゃぁ、全部やろう」
あずみはそう言って、百合を宥めると、ピタリと泣き顔を止め、見る見る笑顔に変わっていった。
「え、全部?」
「そう、お姉ちゃんは何も知らないから、全部教えて」
「うん!」
二人の元気な声が重なる。
キヨが早速、小さなお手玉を手に取り、得意げに歌を歌いながらやって見せた。
「あんたがたどこさ、ひごさ、ひごどこさ、くまもとさ、くまもとどこさ、せんばさ、せんばやまには、たぬきがおってさ、それをりょうしがてっぽでうってさ、にてさ、やいてさ、くってさ、それをこのはでちょいとか〜く〜す!」
歌い終わって、あずみが感心しながら拍手をすると、キヨが、チラリと見て照れくさそうに笑った。
「キヨちゃん、お手玉上手だね」
「うん!」
「百合もやるぅ〜」
「じゅ・ん・ば・ん! 次はお姉ちゃん!」
そう言われて、百合は頬を膨らませた。
「あ、いいよ。百合ちゃんにもやらせてあげて」
そう言うと、今度はキヨが頬を膨らませた。それでも百合よりは少し年上のせいか、我慢してお手玉を渡す。
「百合が終わったら、今度はお姉ちゃんだからね」
「うん!」
穏やかな表情で、二人を見つめるあずみは、緩やかに流れる時の中で、仄かな安らぎを感じていた。
◇
はしゃいで遊び過ぎたせいか、キヨも百合も疲れたように寝てしまった。あずみは、そんな二人を微笑ましく眺めると、そっと布団をかけてやった。
「お疲れ様。静かになったと思ったら、二人とも寝ちゃったのね」
土間から智子がひょっこりと顔を出す。
あずみはコクリと頷くと、そろりと二人から離れ、先ほどの続きをする為に腰を下ろした。
「元気だよねぇ、いつの時代も子供って」
「あの子たち我儘でしょ? ごめんね」
苦笑いを浮かべた智子が謝ると、あずみは慌てて首を横に振った。
「ううん、楽しかったから大丈夫」
あずみは、心からそう思っていた。
「あ〜あたし、将来保育士になろうかな〜」
「保育士?」
「あ、あたしたちの時代で、子供の面倒をみる仕事って感じかな」
あずみは、未来に思いを馳せるように言った。だが、智子の顔には暗い影が落ちる。
「そう、未来では自分の好きな仕事が出来るのね」
「あ……ごめんなさい」
「ヤダ、どうして謝るの?」
「だって」
「気にしないで、あたしは別にそんなつもりじゃないから」
智子は慌てて取り繕うように言って見せたが、小さく溜息を落とした。あずみは、その仕草を見逃さず、チクリと心が軋む。
「あの子達ね、あたしの妹じゃないの」
「え?」
再び溜息と共に吐き出された智子の言葉に、あずみは眉根を下げる。
「三月に酷い空襲があってね、民間人がほとんど死んじゃったの」
智子は、苦笑いを浮かべるも、さも空襲が当たり前の出来事のように語った。
「空襲……」
「ええ、その空襲であの子たちは親も家もなくしたんだと思う……死んだ大勢の民間人の中にこの子たちの親もいたんだろうね。奇跡的に助かったあの二人が、たまたまあたしの両親と出会って、あまりにも可哀そうだったから家に連れて帰ってきたのよ……」
あずみは黙って、智子の話を聞いていたが、苦しい胸は更に締め付けられ、涙が溢れた。
「たぶん、あの子たちも姉妹じゃないと思うの……途方に暮れた二人が寄り添って生きてたって。今よりも痩せ細って弱ってて、でも唯一、名前だけ自分で言えて、年も解らない。たぶん、四、五歳だと思うんだけど……それにこんな時代、食糧難で誰も面倒を見る人はいない、いつかは死んでしまう子が他には沢山いるけど、父さんと母さんはこの子たちに出会えたのは運命だと思って育てようと思ったんだって」
あずみの涙が、止め処なく流れていく。
「運命」
「そう……あたしには本当の妹が一人いたんだけど……空襲で死んじゃって、だから父さんも母さんも、あの子が帰ってきたと思ったんじゃないかな」
「そう、なんだ」
智子はそっと、手拭いをあずみに渡した。
「だから……未来のあずみさんを見てると、ああ幸せな未来があるんだなって、何だか嬉しくって」
「智子さん」
智子は、改まってあずみに向き直ると、静かに尋ねた。
「あずみさん」
「は、い……」
「未来は過ごしやすい時代ですか? 子供たちは元気に遊んでいますか?」
あずみは、何度も頷き返すと、智子の手を握り締めた。
「大変だけど、子供がひもじい思いをしているのは少ない。便利なものが沢山あって、食べ物もあり過ぎて勿体ないくらい」
「そう……でも、こんな時代に比べればいいのよね」
「だけど……贅沢過ぎて……何だか悪いよ。便利になっていく中で、だんだん何かを失っていっているような気がする」
あずみは、ここには溢れている愛情が、未来にはない気がした。
そう思うと、更に涙は止まらず、暫く泣き続けた。智子は、そんなあずみを静かに見守り、小刻みに震える肩を抱き締めていた。
「ううん。こんな時代に比べれば、絶対に良いと思うよ」
智子は、自分にも言い聞かせるように呟いていた。
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