〜 天使の羽根 〜 No.2
授業にも出ないままずっと屋上に寝そべる穂高は仰向けになったまま空を見上げていた。
いつもならあっという間に過ぎる時間でも、今日は一向に重くならない瞼に遊ばれている気分だった。
突き抜けるように青く澄んだ空に、小さな雲が流れていく。
思うように動けなくても、ただ風に身を任せている存在が穂高には羨ましく映る。
――何の為にみんなは生きてるんだ……。
現実逃避のような、そんな疑問が穂高の中にはあった。
やりたい事も特にない穂高にとって、勉強が全てではないという蟠りが常に燻っている。
将来の為……それになんの意味があるのかが解からない。
そんな考え事をしている視界に、突然とあずみの顔が飛び込んできた。
「いつもここで何してるの?」
そんな聞き慣れた声にも、穂高はやはり素直になれずそっぽを向く。横向けた背中に、あずみの視線を感じる。
「別に何にもしてねぇよ」
「ふ〜ん……」
そっけない返事にもかかわらず、あずみが穂高の横に腰をおろした気配が風を起こした。
「ったく、お前はいつも何で俺に構うんだよ」
言いながら上半身を起こした目の前に、いつものハンカチが映る。
「もうお昼だよ」
「あ……」
「お弁当、いつもどうして自分で持ってこないのよ? 穂高のお母さんにいっつも頼まれるんだけど」
「俺は頼んでねぇじゃん」
「しかも、高校に来てからずっとだよ。でも、まぁ嫌な事でもないけどさ」
「って言うか。お前人の話聞いてんの? 俺は頼んでないって言ってんだろ」
そんな言葉も無視するかのように、あずみは大きく空に両手を突き上げて背伸びをした。
「あ〜〜気持ち良いね〜ここ。あたしも一回サボってみようかな〜」
――やっぱ聞いてねぇのかよ。
そう呆れながらも、穂高はあずみの持ってきた弁当を手に取った。
こんな、いつもの光景が穂高には当たり前になって、だからこそ湧き上がる感情がある。
中学から成績でもトップクラスのあずみは、もっと他の進学校も狙えたはずだったが、穂高がこの高校を受けると知って推薦を蹴った事は有名だ。
先生どころか、内心、穂高まで焦ったほどだ。
だが、当の本人は何も気にしていない様子で、誰の言葉にも耳を貸さなかった。
穂高はその理由を聞けないまま、時だけが過ぎていった。
そんな二人の仲を誰もが気になるところだろうが、あえて聞いてはこないのが現状だ。
ましてや穂高の誰も寄せ付けないオーラが漂う中、二人を茶化す者もそういない。
そのまま幼馴染の関係で季節を重ね、早くも皆が進学や就職活動に忙しさを増す三年の夏が終わろうとしている。
授業をサボりがちの穂高を心配し過ぎるあずみ自身も、そろそろ進学の為に受験勉強に気を引き締めなければならないのは事実だった。
のん気な穂高に勉強か就職か決めるように促されもしたが、やる気がない以上何を言われても無駄だ。
それは穂高自身でも解っている事で、その上手くいかない感情が更に高ぶって成り行きに身を任せられないでいる。
穂高にとって、献身なあずみの態度を断る理由も見つからない気持ちにはもどかしいものが募るばかり。
悶々と流れ行く時間、打明けられない心、既に気持ちを伝え合う時期を逃してしまったかのようだ。
このままでも良い。そう思う心があるのかもしれない。
反面、気持ちが解らない事に苛立つのだ。
不て腐れながらも弁当を開ける穂高を見つめて、あずみは優しく微笑むと、自らも弁当を広げた。
肩を並べて一緒に弁当を食べるという行動も、穂高は見流すだけで何も言えない。
何故自分の隣なのか……だが、その答えを聞くのは正直怖かった。
本心は、あずみが傍にいる事が心地いいと知っている。それが壊れてしまうかもしれないと思うと怖いのだ。
「そういえば、智子婆ちゃんが体調悪いみたいよ」
あずみが箸を口にくわえながら思い出したように言った。
「あのクソババァが?」
「何その言い方……智子婆ちゃんに失礼じゃない。昨日気分悪くなって病院行ったらしいよ。お母さんが言ってた」
「あのババァ口悪いからな。ちょっとは大人しくなるんじゃねぇの?」
「またそんな事言って、罰当るよ」
穂高は白けた態度で口を尖らせると、あずみの言葉を無視して弁当を頬張った。
「そうだ今日、部活終ったらお見舞いに行こうと思うんだけど、一緒に行く?」
「病院にか?」
「ううん、すぐに薬貰って家に帰って来たって」
その言葉を聞いて穂高は少し安堵した。
「だったら良いじゃん。大した事なかったんだろ」
「冷たいわね〜小さい頃からお世話になってるんだよ」
「世話って……駄菓子屋やっててちょっとオマケしてくれただけじゃん」
「それでも世話は世話でしょ。まったく穂高ってありがたいって気持ちがないの?」
「別に……」
「え〜信じらんない。穂高って薄情者〜」
茶化したような物言いのあずみに、穂高は短く溜息を落とすと、静かに箸を止めた。
「俺、今日はもう帰る……」
視線を落としたままポツリと呟くと、おかずを半分も残したままあずみに弁当箱を渡すと、穂高は立ち上がった。
「え? 何、午後はサボるわけ?」
あずみの言葉を背中で受けながら穂高は「ああ」とだけ呟くと、振り向かずに片手を上げ屋上を後にして行く。
「単位足りなくなって卒業できなくなるよ!」
あずみの叫ぶ声は、虚しくも空を突きぬけていった。
励みにして頑張ります!!