〜 天使の羽根 〜     No.6




 乗り気ではなかった高志に無理を言って日曜に付き合わせた穂高は、華も何もない男同志と言う事もあってか、お洒落をする必要もなく、ジーンズに細身のパーカーといったラフな格好で、朝も早い時間にいそいそと家を出た。

 勿論、この日も両親は不在だ。

 自由と言えば自由だったが、楽な半面納得していない部分はあるのだろう。

 不て腐れた表情を浮かべながら、まだシャッターが閉められた駄菓子屋の店先に隠れるように立ち、高志が出てくるのを待った。

 苦手な智子に出くわし、いつもの如く小言を聞きたくなかった穂高は携帯を取り出すと、早速、高志にメールを打つ。

『今、家の前に着いた。早く出て来い』

 だが、その合間にも思い浮かぶのは、あずみの事だったらしく、携帯を閉じる前に、無意識にあずみのアドレスを開いてしまっている。

「誕生日……か」

 智子に言われたからではない、と自身に言い聞かせるも、ソワソワする態度は隠しきれなかった。

「おっせーな……」

 呟く穂高の目の前を、生温いつむじ風が緑桜の葉を舞い上げてすぐだった。大きな音を立ててシャッターが上がる。

「待たせたな」

 と、軽い調子で高志は、背丈よりも低く開けたシャッターを潜って出てきた。穂高はその姿を確認するように横目に見流す。

 高志はメガネを外しコンタクトにしているようだ。

 いつもは野暮ったい格好をしている高志が、目深にニット帽を被り、薄手のジャケットのインナーには黒のカットソー。スキニージーンズを穿いて、首には腰まで垂れ下がったストールを巻き付けている。

「……つうか、お前ナンパする気満々かよ」

 と言いながら穂高は歩き出した。

「そんなんじゃねぇけど、まぁ良い子がいたら……っていうか、どこに買い物行く訳?」

 大欠伸を一つかましてから渋々と言った感じで、穂高の後を歩く高志が訊く。

 しかし、穂高は口を噤んだまま何も言わない。

「なぁ、どこの店に行くんだよ。教えてくれてもいいだろ」

「……」

 ただ足早に穂高は歩き続ける。高志は小さく溜息を落とした。

「ばあちゃんの言った事、当たったな」

「何だよ」

 ようやく、ぶっきらぼうに穂高は返した。

「うん、穂高はきっと、あずみのプレゼントを買いに行くはずだってさ。どうせ、そうなんだろ? ま、俺も……」

 話も途中に、バコンっと思い切りいい音が風に紛れた。頭をはたかれた高志は、痛みの走ったそこを両手で押さえながら訳が分からず穂高を睨み返す。

「いって〜な、何すんだよっ!」

 だが、その威勢もそこまでで、高志は反撃する気をなくしたようだ。

 穂高は耳まで赤くしている。図星だった事が余程効いたらしい。

「それ以上言うなよ……べ、別に俺はババァに言われたから行くんじゃねぇんだよ。ただ……」

「ただ?」

「ま、前にあずみが、しつこく……その強請るもんだから……」

「ったく、素直じゃない奴らだな……」

 呟くように吐いた言葉に、穂高は「うるせぇ」と返すと再び歩き出した。やれやれと言った感じで高志は、穂高の後を追う。



    ◇



 二人が駅前に着いて既に二時間以上は経っただろうか。

 開発が進み両街道に幾つもの高層ビルが立ち並ぶ駅前ストリートと名付けられた街中を、黙々と行ったり来たりするだけで、穂高は歩みを止めない。

 来た時には閑散としていたストリートにも、既に大勢の人が行き交い始めた。

 穂高は、その人波をかき分けるも、どこにも足を踏み入れようとはしない。駅前最大のアミューズメントビルには、いくつもの店舗が目移りするほど入っているというのに、そこにすら入ろうとしない穂高に、いい加減痺れを切らし始めた高志がぼやき始めた。

「もう、どっか入いらねぇ?」

「ああ」

「朝飯食ってねぇし、腹減った」

「そうだな」

 淡々と返す穂高に、とうとう高志は立ち止まり苛立ちを爆発させた。

「あ〜もうここ通るの十三回目!」

 高志の叫び声に、穂高は「数えてたのかよ」と、やっと足を止めた。

「まさか! 何を買っていいのか解らないとか言うんじゃないだろうな?! あ?」

 少し噛みつく振りをしてふざけて言ったつもりだったが、穂高の情けない程に落とした肩を見て高志はギョッと顔面を蒼白させた。

 またもや図星だったらしい。

「マジかよ……」

 どんよりとした表情を浮かべた穂高が振り返り、高志に助けを求めるように視線を送る。

 女が欲しい物なんて、今まで考えた事もなかった穂高にとってそれは未知の世界に等しいのだ。

 万が一、下手なものでも買って「つまらない」と言われた日には、怒りよりも先に立ち直れない程に心が沈むだろうという先まで読んでいる。

 外見とは裏腹に、意外に繊細な部分があるらしい。

「マジだよ……何買っていいかわかんねぇ」

 その言葉に高志は深く溜息を落とした。

 仕方なく一緒に考えてやる事にしたらしく、ゆっくりと穂高に近付く。

「じゃあ、香水とか結構良いんじゃね?」

「あれは『あたしが臭いからこれをつけろって言うの?』って言われるって」

「誰が言ってた?」

「テレビが……」

 高志は唖然としながらも言葉を続けた。

「じゃ、指輪とか……」

「サイズわかんねぇ」

「それくらい調べとけよ、いつも一緒にいるんだからさ、さりげなく聞くとか出来ただろ」

「馬鹿言え、出来る訳ねぇだろ」

「……そうだな……プレゼントの一つも考えられない奴が気ぃ回らねぇよな」

「うるせぇよ」

「てめぇ人を付き合わせといて態度なってねぇな……」 

 高志は大きく溜息を吐きだすと、やれやれと言った感じで肩を竦めて見せた。

「ところで予算とかは考えてあるのか?」

 高志にそう聞かれ、穂高は「ああ」と言いながら、ジャラジャラとシルバーのウォレットチェーンを手繰りポケットから財布を取り出し広げた。

 だがその瞬間、だんだん青ざめる穂高の顔色に嫌な予感がした高志はその中身を覗き込む。

「ここもマジかよって話だな、こりゃ」

 そこには二千円札が一枚、ぽつんと挟まっているだけだった。

「今朝……入れたと思ったんだけど……」

「つうか、二千円札って珍しくね? あ〜……しゃ〜ないな、俺が出してやるよ」

「いや、それはダメだ」

「何でだよ」

「自分で買わなきゃ意味ないって言うか」

「馬鹿だろ、つか、それだけで何を買うって……あ」

 高志が呆れながらも辺りを見回していた時だ。その視界に一つの露店が目に入った。

 路上にマットを広げただけの簡易な店だったが、そこそこに人気があるのか、既に若い女の子が数人、品を選んでいる。

「……あった」

 そこは、シルバーのアクセサリーを売っている店だった。

「ペンダントとかよくね? それならサイズとか関係ねぇし、学校でも制服の下になるし、いつでも身に付けてもらえるぜ」

 そう言って穂高の腕を掴んだ高志は、もうそれしかないと言った勢いで店先へ走り出した。

「いらっしゃい」

 無精鬚を生やしてはいるが、その店主は二十代前半に見える。きっちりと巻いたバンダナに、今までかけていたサングラスを上げると、店主はにっこりと笑った。

 その脇に立てかけられた看板に、穂高は視線を移す。

「名入れ、できます?」

「いいじゃん、名前掘ってもらえよ」

 高志が肘で穂高を突き、ほら、と穂高の脇腹を小突く。

「あ、いくら?」

「物だけなら千円、名入れで千三百円だよ」

「やったじゃん穂高。これ買ってもコンビニで弁当くらい買えるぜ」

「あ、ああ」

 そう言った穂高の瞳は、既に一つの品物に集中していた。

 すぐにも釘付けにされたそれは、綺麗に立体感を持たせた羽根の形をあしらった物で、二つで一つになるペンダントだった。

 二つの羽根が重なるように並んでいる。

「じゃ、これ……」

 迷う事なく、穂高はそのペンダントを指差した。

「これ、天使の羽根っていう作品なんだ。良い出来だろ……彼女へのプレゼント?」

 自慢気に言った店主がそのペンダントを取り、早速レーザーを用いて手際よく名入れの準備を始めた。

「な、ちがっ」

 思いも寄らぬ質問に、慌てて否定しようとする穂高だったが、それを尻目に店主に向かって耳打ちする仕草を見せた高志が茶々を入れた。

「そうなんですよ、こいつこれ渡して告白するらしいっすよ」

「ちょ、高志、てめぇ」

「何だよ、本当の事だろ」

 調子にのる高志に、穂高は何も言い返せず、ぐっと言葉を呑みこんだ。そんなやり取りを微笑ましく見ていた店主が「名前は?」と、聞く。

「ほ、穂高」

 だが、店主は思わず苦笑いを浮かべた。

「あ、君の名前はさっきそっちの友達が呼んでたから知ってる。知りたいのは彼女の名前……」

「あ……その……あず、み」

「あずみちゃん、そっか、良い名前だね」

「そ、そそ、そうですね」

 無精鬚をもろともせず爽やかに笑って見せる店主は、指先に乗る程の小さな羽根を裏返すと、器用に名前を彫っていった。

 そして、片方ずつの羽根にローマ字で刻まれた名前が、穂高の目の前に翳される。

「これでいい?」

「早いっすねぇ〜、さすが職人技って感じ?」

 高志が感心した声を上げる傍ら、穂高は大きく頷いて見せた。

「ホントはこれ一個ずつなんだけど、代金はサービスして一個分でいいよ」

「マジっすか?!」

「告白……上手くいくといいね」

 そう言った店主に向かい「ありがとうございます」と、穂高は拝むように手を合わせると、天使の羽根をそっと掌に乗せた。






    
   

               

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