〜 天使の羽根 〜     No.7




 露店の簡易包装では色気もクソもないと高志に言われ、プレゼント用の小さな箱を買い足した穂高は、お陰で財布が寒くなってしまったのは言うまでもない。

「あ〜昼飯代もなくなったな」

 残念そうに財布を覗き呟いたが、どことなく満足気に笑っている。

 そんな、ようやく目的を果たした穂高を見て、高志は自分の事のように喜んで「昼飯くらい奢る」と言った。

 だが、穂高は首を横に振り断った。

「いや、今日は無理して付き合わせたのに、本来なら俺が奢るべきなんだよな。だからそこまでしてくれなくても……」

 話も途中に高志はやれやれと言った表情で穂高の肩に肘を乗せた。

「ば〜か、なに遠慮してんだよ」

「別に遠慮してねぇよ」

「してるよ、ったく、あずみの事となるとさ、てんでらしくねぇな」

「うるせぇって」

 心を見透かされた穂高は、頬を紅潮させ高志から視線を逸らす。そんな表情を見てクスクスと茶化すように笑う高志は、ポンポンと穂高の肩を叩いた。

「だったらウチ寄ってさ、久しぶりに、ばあちゃんの作ったうどんでも食ってくか?」

「高志んちか……そう言えばクソババァのうどんって美味かったよな。昔はよく食った」

「だろ? 朝からばあちゃんうどん打ってたんだ。今日の晩飯はばあちゃん特製のうどんだ、懐かしいだろ。食ってけよ」

「……そうだな」

 穂高は懐かしいと言った味を思い出し、生唾が滲みでたのか喉を上下させた。

 子供の頃、あずみと共に智子のうどんを目当てにしては、高志の家へ昼時を狙っては遊びに行っていた。智子は解っていたかのように毎週と言っていい程、自家製のうどんを作って食べさせてくれていたものだ。店で食べるうどんよりもコシがあり、穂高の大好物の一つだった。

 その言葉に甘えるように、穂高は高志の家へと行く事になった。

 だが、穂高にとっては智子にも増して苦手な人間がいる。

 暫く会っていなかった為に忘れていたが、店とは襖一枚で隔たれた茶の間に入るや否や、その人物は穂高を見るなり満面の笑みを浮かべた。思わず穂高は身を引いてしまう。

「やぁ〜久しぶりだね穂高君、遊びに来たのか〜入って飯でも食っていきなさい。今日は穂高君の大好きなうどんだよ〜」

 そう言ったのは高志の父、高生(たかお)だ。

「おや〜穂高も来たのかい? 今、うどん出来るから食っていきな〜」

 居間の奥に続く台所から、忙しなく動き回る音と共に智子の声も聞こえた。

 高志の家に母親はいない。十年も前に離婚している。

 だが、高生は再婚もせず、家事全般は智子に任せていた。動けるうちは、と言って智子は何でもこなすものだから気力もあるのだろうが、高志は口にしないが心配しているのは見ていて解った。

 それでも、穂高の家には決してない音に耳を傾ける。

――やっぱ、家に人がいるっていいよな。

 穂高は、そんな事を思っていた。

「ささ、入った入った」

 三人姉弟の末っ子で可愛がられた高生の性格は人懐っこく、今年五十歳を迎えたとは思えない程に元気で若々しい。普段は凛々しく上がった眉も眼つきも、穂高を見る時には下がってしまう。

「あ、お邪魔します」

 のそのそと動く穂高を見かねて、高生は軽快に腰を上げた。そして、一目散に穂高に近付くと強引に腕を引っ張った。

「早く入ってゆっくりして。いや〜大きくなったね〜」

「え、それほどでも……」

 頭を掻きながら穂高は促されるままに高生の隣に座らせられる。

 人間的に嫌いなのではない、ただ、この馴れ馴れしさに違和感があったのだ。

 高生は、初めて会った時には無口で冷静な人だという印象で、子供ながらに穂高は嫌われていると感じていた程だ。なのに、いつしか自分の子供よりも穂高を可愛がっているようにも見える。穂高の家の諸事情を知ってか知らずか、いつも一人でいる穂高を気遣ってくれているのかもしれない。

 穂高の父親同様、出張も多く家にはほとんどいない高生だったが、違ったのは、仕事の疲れも見せずに子供に向き合おうとする姿勢だった。

「いや、しばらく見ないうちにすっかり大きくなったよ」

 そう言って高生は穂高の頭をくしゃくしゃと撫でた。

 高志はその様子を見て苦笑いを浮かべている。

「母さ〜ん、ジュースなかったか?」

「客じゃないんだからアンタが取りに来なさい」

 智子に言われ、高生はそそくさと腰を上げ台所に向かった。その隙を見て、穂高は高志に耳打ちをする。

「つうか俺、お前の親父が苦手なんだよ。帰ってるなら言ってくれよ」

「はは、解る解る。でもオヤジは見ての通り穂高を連れてきた方が喜ぶだろ、いいじゃん別に」

 からかうように笑う高志に、穂高は口を尖らせた。

「どうだい穂高君、ジュースの前に一緒に風呂でも」

「結構です!」

「ははは、冗談だよ」

 と、言いながらでもがっくりと肩を落とすものだから、その言葉が本気なのかと疑う。

「さぁ〜出来たよ。熱いうちに食べなさい」

 智子が運んできたうどんが食卓に並ぶ。立ち上る湯気に混ざって懐かしい匂いが鼻を擽った。

「ささ、遠慮しないで、沢山あるから」

 高生も自分の分まで差し出す始末だ。

 流石に穂高は両手を左右に振り断ったが「沢山ある」と智子にも勧められ、穂高の目の前には二つのうどんが並べられた。



     ◇



「え? 明日あずみちゃんの誕生日?」

 突然、表情に暗い影を落としたのは高生だった。

 夕飯も終わり、寛いだ時間の中で他愛もない会話をしていた時だ。智子が発した「あずみの誕生日」という言葉に静けさが過ったのだ。

「どうかしたのか親父」

 何気に聞いた高志の声に、ハッと俯いた顔を上げた。

「あ、いや別に……もう明日は九月十五日か……」

「当り前だろ、そんなしみじみすんなよ」

「ホント早いなぁと思ってな〜もう十七だろ? いや〜早い早い、どうりで色っぽくなった訳だ〜」

 笑いこそしているが、その表情がどことなく強張っているのが解る。

 あずみの誕生日は昔から知っているはずなのに、何故、高生は驚いたように言ったのか、穂高には気になる部分だった。

 だが、一瞬の静けさを振り払うかのように、智子が大きな笑い声を上げた。

「なんだい、忘れてたのかい? 馬鹿だよこの子は、自分もそれだけ年をとってるんだよ」

 言いながら智子は、高生の背中を思い切り叩いていた。

「そっか、俺も五十だもんな……ん、待てよ? と言う事は、高志の誕生日は」

「とっくに終わったよ!」

 つっけんどんな態度で高志は言った。

「そりゃ残念だったな〜」

 そんな高志の態度に、高生は申し訳なさそうに頭を掻きながら笑ってごまかす。

 しかし、穂高はその瞳の中に燻る曇りを見逃していなかったようで、一緒になって笑えなかったようだ。穂高の視線を感じた高生は、分が悪そうにいそいそと「もう寝るか」と言って腰を上げる。

「さっさと寝ろ寝ろ」

 高志の言葉に押されるように居間を出て行こうとする高生だったが、ふと動きを止めた。微かにその体が震えていると感じるのは気のせいだろうか。

「ところで穂高君は泊って行くのか?」

 振り向かないままに高生が聞く。

「いや、帰るけど……」

 その言葉にも何かを考えるように動かなかった高生は、今度はお茶らけた表情で振り向いた。

「な〜んだ、そうかそうか。帰るのか〜せっかく一緒に寝ようと思っ……」

「遠慮します!」

「ははは、そんな即答しなくても冗談だよ。じゃ、父さんは寝るからお休み! 穂高君はごゆっくり〜」

 そう言って軽く手を上げると後ろ手に戸を閉めた高生の背中が、穂高には寂しげに見えた。

「さて、そろそろ私も寝るとするかね」

 今度は智子がやんわりと腰を上げ居間を後にする。

 賑やかだった空間に残された二人の間に、ぎこちなさだけが募っているようだ。

「ったく、人様の誕生日は覚えてるくせに、俺の誕生日は忘れるんだぜ?」

 暫くして、その空気を破るように大きな溜息を落として高志がぼやいた。

「ははは」

 穂高は空笑いを返すしかなかった。

「ちなみに親父は穂高の誕生日まで知ってる」

「へぇ〜」

 高志は、感心のなさそうな返事をする穂高を流し見た。

「俺思うんだけど……」

「何をだよ」

 訝しく聞いた瞬間、高志は身を乗り出すと、穂高の耳元に囁くように言った。

「親父ってホモなんじゃないかって」

 思わず仰け反った穂高は「馬鹿じゃねぇの?」と甲高い声を上げてしまった。

「だってさ、お袋と別れて随分経つのに再婚もしねぇし、気持ち悪いくらい穂高に甘いし」

 絶対と言わんばかりに高志は腕を組み頷いて見せる。その思考回路が信じられないと言った様子で、今度は穂高が大きく肩を落とし溜息をつく。

「気のせいだろ。ちゃんとお前が生まれてるじゃないか」

「いや、これは俺の感だね、男としての」

「何が男としてだよ。ふざけんなバ〜カ」

「カムフラージュってやつだ」

 一歩も引きそうにない高志の言動に、穂高は「はいはい」と呆れたように言うと立ち上がった。

「一生言ってろ、俺帰るわ」

 見下ろした高志は「おう、じゃな」と愛想なく呟くだけで穂高を見ようとはしなかった。

 どうやら、自分の誕生日すら忘れていた高生に苛立っているらしい。だが、穂高はその気持ちには触れないまま、高志の家を後にすると、明日には満月を輝かせる明かりの下、家路へと急いだ。






    
   


               

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