〜 涙 〜 


 

   

 結局、朝まで眠れなかった。いつ、服部が帰ったのかさえ分からない。

 

 あれから二人は何をして、何を話してとか、何もかもが気になって仕方なかった。だけど、好きなものは変えられない。これはどうにもならない、抑えようのない気持ちだ。

 

 だから、俺は決めたんだ。思いを伝えようって。

 

 今日こそ、今まで心の中でくすぶっていた感情を伝えようって。

 

 徐にベッドから起き上がり、制服に着替えた。

 

 きゅっと唇を結び、晶の部屋をちらりと見流す。

 

好きだ――……その想いが溢れる。

 

ずっと晶しか見て来なかった。

 

小学生の頃も、中学生の頃も、晶に会う事が俺の力になった。まっすぐに、前だけを見据えて歩いて来られた。

 

この想いを伝えないままだなんて、辛すぎる。

 

もちろん、晶の幸せは考えている。

 

それが、晶の選んだ相手なら誰だろうと応援してやる。

 

そうだ、本当にそれが幸せなら……。

 

 

 

 

 

 

溢れんばかりの気持ちを抱えたまま、いつもより早く家を出て、晶を待つ。

 

 はっきり言って服部と昨日、顔を合わせて気まずいのは確かだ。もしかしたら、隣に住んでいるって言われたかもしれない。だけど、どんな顔をすればいいかなんて二の次。俺は伝えるって決めたんだから。

 

 それでも心臓は暴れる。

 

 これ以上高鳴りすぎて止まってしまうんじゃないかって思うくらいだ。

 

「お〜い、学校遅れるぞ!」

 

 晶の親父さんの声がかすかに漏れ聞こえた。

 

 そろそろ出てくる。

 

 晶が――――……。

 

「お〜い、晶!」

 

「うるっせぇな、わかってるよ!」

 

 いつものように晶の怒鳴り声も聞こえる。

 

 そう……いつもと同じ……。

 

 考え込んでいると、目の前を親子が通り過ぎた。保育園くらいの子供ははしゃいで母親の手に纏わり付き、楽しそうな笑みを浮かべている。

 

 いいな、こういうの……俺の子供を、晶が……とか変な妄想に走ってしまった。

 

 俺は頭を振り、今は晶に伝えることだけを考えようと思いなおした。

 

 その時だった。 

 

「ママ、あの人コワイ〜」

 

 さっきまで笑っていた子供が、変に怯えて母親の後ろに隠れた。見れば、玄関から出てきたなりの晶を見てる。

 

「え?」

 

 思わず俺も声が漏れた。

 

 なんて格好してんだよ。

 

 晶は、目深にパーカーのフードをかぶり、顔が見えないくらいに大きなマスクをしてる。そこから覗く目さえも、間近から覘きこまない限り見えないほどだ。

 

 なんで……風邪でもひいたって感じでもないだろう。

 

 そうこう思っているうちに、子供に言われたことが堪えたのか、晶は徐にフードを外した。そして、俯きながらマスクをとる。

 

 俺は目を見開き、晶を茫然と見つめた。

 

 目の前に……昔の晶が、いる――……。

 

 短く切った髪が、そう感じさせた。

 

 さらに俺の鼓動は加速していく。

 

 可愛い……可愛すぎる。今すぐ駆け寄って抱きしめたい衝動に駆られた。

 

 いやいや、落ち着け、俺……。

 

 そう自分に言い聞かせて、そのままいつものように平常心を装って晶に近づいた。

 

 俺に気付いた晶が顔を上げると「え?」と声をもらし、息をのむ。

 

「よお」

 

 いつものように、素っ気なく言ってしまった。

 

 だけど、そんなことはどうでもいい……晶の顔を見た瞬間、今度は鼓動が止まるかと思った。

 

 赤く充血した瞳……なんで……。

 

「髪、切ったんだ」

 

 電柱に寄りかかりながら腕組をして、また俺は違う言葉を選んでいた。

 

 違う……今、言いたいことはそれじゃない。

 

「あ、ああ」

 

 その反応を聞くや否や、俺は晶に一歩近付く。だけど、晶は顔を背け、更に一歩下がった。

 

 傷つくんですけど……そう言いたい言葉をのみ込む。

 

「で? なんでそんな避けてんの?」

 

「別に……」

 

 言いながら、晶は首をすくめた。

 

 そんなに俺に会うのが嫌か? 俺はこんなに、いつもどんな時でもお前の傍にいたいのに……。

 

「でも、さっきマスクしてたでしょ? 風邪? それとも顔、見られたくないとか?」

 

 風邪とかだったら俺に移したくないからとか言ってほしい。でないと、俺が壊れる。こんなに避けられる理由がほしい。

 

 いや、だから違うって……。

 

 でも、なんで晶……こんなに目が腫れて……。

 

 そこまで考えて、変な想像が脳裏をよぎった。

 

 まさか……ね。

 

 その思考回路を何とか跳ね返し、さらに俺は晶の顔を覗き込んだ。だけど、やっぱり避けられた。

 

 服部は家に入れるのに、俺には会いたくもないとか言うなよ……そんなん言われたら、俺は立ち直れそうにない。

 

「なんで、いつも俺を避けるんだよ?」

 

「別に、避けてなんか……」

 

 しどろもどろに晶が答える。俺は、そのまま小さくため息を落とした。

 

 泣いた理由も言わない。おまけに近付かせない、なんなんだよ。マジへこむ。

 

「そ、そんな事より、あ、お、お前……なん、で……ここ、にいるんだよ」

 

 お前に会いに来たに決まってんだろ。

 

「アキに、言いたい事があって」

 

 そうだよ、伝えるために会いに来たんだ。

 

「え?」

 

 そう言って、晶が俺を見上げた。

 

 まともに顔見れた気がする……愛しくて堪らない、お前の顔。

 

 だけど、思ったより充血が酷い。

 

 なんでここまで……本当に何があったんだ。

 

「それよりお前、なんでそんなに目が充血してんだよ……」

 

 再び聞いた途端、晶はしまった、という顔をして、また顔を背けた。

 

 そのまま、歩き出して俺を横切る。

 

「べ、別に……夜更かし? さ、さっさと学校、行こうぜ」

 

 俺は、晶に聞こえないような小さな舌打ちをした。

 

「夜更かし? 誰と?」

 

 ぴたりと晶の足が真横で止まる。

 

 俺の顔を見て答えろよ――……晶。

 

 そう思うも、晶は何も言わないまま俺をちらりと一瞥すると、視線が合わさった。

 

 だけど、晶の唇は動かない。

 

 俺はまた、ため息を漏らした。

 

「あのさ」

 

「な、な、なんだよ」

 

 言いたくないなら、それでもいい。だけど、今日俺がここに来た理由は伝えたい。

 

 奪おうなんて気はない。いや、出来れば奪いたいさ。でも、それが晶を悲しませることだってんなら、諦めるしかないだろう。

 

 だから、せめて俺の気持ちだけは……。でもこれって、重荷になるのか?

 

 晶……。

 

 考えあぐねていても仕方ない。

 

 誤解だけでも解きたい……俺が誰を好きで、いつも誰を見ているのかを。

 

「俺、木下と付き合ってないから」

 

「は?」

 

「は? じゃなくて、お前が、俺と木下が付き合ってると思ってるって長田が言ってたから」

 

「京子、が?」

 

「そう、だから、その誤解を解きたくて……」

 

「や、でも……」

 

 なんで否定的な言葉なんだよ。

 

「でもじゃねぇ、付き合ってないもんは付き合ってねぇの」

 

「いや、だって……」

 

「だから、なんでそう否定しようとすんだよ、本人が言ってんだから信じろよ」

 

 何を疑ってんだよ。はっきり言ってんじゃねぇか。なのになんでお前は、そう――……俺を信じないんだよ。

 

 俺の気持ちは嘘じゃない。

 

 今まで、何もかも頑張ってこれたのは、この感情あってだからな。

 

 やさしくハンカチで顔を拭いてくれた時から、お前に会いたい一心でテニスを始めた。格好いいって言ってたから、晶の瞳に少しでも移りたくて頑張ってた。

 

 認めてほしくて、お前の傍にいたくて、強引に練習に付き合わせた時も、晶だから……それは全部、晶だったから。

 

 中学の時も全国大会に出れるように頑張った。

 

 お前がいたから、会いたかったからだ。

 

 そして今も……お前がいるから、この高校に来た。

 

 いつも傍にいたくて…………欲を言えば、抱きしめたくて。

 

 そう……俺のこの感情が全てだった。

 

「俺が好きなのは、お前だから」

 

 やっと言えた。

 

 ずっと言いたかった。

 

「俺が好きなのは、今も昔も、ずっとお前だけだから」

 

 この言葉に、嘘偽りなんかない。

 

 俺の全てなんだ。

 

「――……あ……」

 

 そう言ったまま、晶が固まる。

 

 この反応が何を意味するのか、言葉で返ってこないからわからない。だけど、一度口にしてしまえば、もう止まらない。

 

「聞いてる? 俺が好きなのはお前なんだって。他の誰でもない、木下も関係ない。俺は加藤晶が好きなんだ」

 

 ずっと、わかってた。

 

 自分の名前を偽ったって、俺には何もかも。

 

 それも知ってもらいたい。どれだけお前を見ていたか。お前だけを見ていたのか。

 

「小学生の頃、初めて会った日から、ずっとお前だけを見てたんだ」

 

 そう――……ずっと。

 

「それを……言いに来たんだ」

 

 一方的に言葉を繋げた。だけど、相変わらず晶の反応はない。

 

 何を想ってる? 今……俺の気持ちを聞いて、何を……。

 

 そう思っていた時だ。

 

 晶の頬に、涙が伝った。

 

 正直驚いた。

 

 その涙の意味するところがわからない。

 

 何かを言いたげに唇が動く。だけど、声は聞けない。

 

「なんで、泣いてんだよ」

 

 泣くほど迷惑だとか言わないでくれ。

 

 頼む――……そう思っても。

 

「やっぱ、この気持ちは言わない方が、良かったか?」

 

 そんな言葉が突いて出た。

 

「でも、もう限界だった。ずっと抱え過ぎて壊れそうだった……お前が……」

 

 俺はぐっと拳を握り、そのまま、指先が勝手に晶に向った。その涙を拭う為に……俺のせいで泣かせたかもしれない……そう思うと放っておけなかった。

 

 だけど、伸びた指先が鼓動と連動するようにピクリと跳ねた。

 

 頬に向っていた俺の指の矛先が変わる。次第に晶の首筋に伸びていく。

 

 確かめたい……何を……?

 

 晶の首筋に張られた絆創膏が意味することは?

 

 気持ちを言って迷惑をかけたかもしれないのに、これ以上、嫌われたくないのに、そう思っても、止まらない。

 

 でも、それに晶も気付いた。あからさまに俺を手ではね退ける。

 

 絆創膏の端から見えた赤い、痕。

 

 それが何を意味する?

 

「――……晶」

 

 そう呟いて、俺は強く唇をかんだ。

 

 昨日、部屋にいた服部。揺れるカーテン。首筋に残る赤い、痕。

 

 それぞれが俺の中で繋がっていく。

 

 一番想像したくなかった事に……心が打ちのめされる。

 

「服部に……」

 

 思わず一番だしたくなかった名前を口にした。

 

 諦めなければならない現実に押し潰されそうになる。

 

「……なんか、された?」

 

 聞きたくないのに、勝手に言葉になる。

 

 どこまで傷つけば諦められるんだ、俺は――……。

 

 もう、晶は手の届かない存在なんだと、はっきりとさせたいのか。そんな事聞いて、俺はどこまで耐えられる?

 

だけど、徐々に晶は小刻みに震え始めた。まるで、何かに怯えているように。

 

 なんでだよ? なんで…………俺は諦める方向に傾いていた思考を止めた。

 

 ちょっと待て、もしも晶が服部を好きなら、万が一、そうなったとしてもこんなに目が腫れるまで泣くのか?

 

 こんなに震えるのか?

 

 俺の中で、違和感がどんどん募っていく。

 

「やっぱり服部が……好きなのか?」

 

 ゆっくりと、俺は確かめるように聞いた。

 

 答えによっては、もう、抑えられないかもしれない。

 

 その問いに、晶が俺をまっすぐに見据えてくる。

 

 何とか言ってくれ……その答えによっては……。

 

 すると、晶は小さく首を横に振った。そうする事だけが精いっぱいのようで、何かを語りたいような唇が震えている。

 

「違うのか?」

 

 その言葉に、今度は、はっきりと頷いた。

 

 嘘、だろ?

 

 だったら、なんで昨日、服部と一緒に部屋にいた?

 

 ただの幼馴染だからって、服部の気持ちはわかってたはずだ。警戒心なさすぎもいいとこだろ。

 

「お……俺、は……」

 

 小さく呟くような声を、俺は遮った。

 

 晶の身体が跳ねて固まる。

 

 俺は、無意識のうちに、晶の首筋にある絆創膏を撫でていた。

 

 なんで、こんなこと……こんなに泣き腫らすまで……こんなに怯えるまで……。 

 

 どうして傷つけたんだ、服部!

 

 そのまま、流れ続ける涙を拭い、ぐっと拳を握った。

 

「お前、今日は学校来んな」

 

 俺の言葉に、晶は目を見開いた。

 

「このまま家に戻れ、いいな」

 

「……で……」

 

「いいな!」

 

 今一度、念を押すように言うと、晶をその場に残し踵を返した。

 

 あのまま学校なんかに行ったら、何を言われるかわからない。

 

 これ以上、晶を傷つけてたまるか!

 

 腹の中が煮えくり返っている。

 

 今まで何も言えなかった自分自身の不甲斐なさへの怒り。

 

 あんなに泣くまで傷つけた服部への怒り。

 

 どの怒りも入り混じって、もうどうにもならない。

 

 真っすぐ、ひたすら真っすぐに俺の足は学校へと向かっている。

 

 何も聞こえない。何も見えない。

 

 教室に入り、服部の姿をこの目に映すまで、我を忘れていたような気がする。

 

 もちろん、向かったのは自分の教室じゃない。

 

 服部のいる、二組だ。

 

 窓際に、外を眺めながら頬杖を付いている矛先を見つけた。

 

「おい」

 

 その不機嫌極まりない声に、服部は視線だけを配せてきた。

 

「……なんだよ」

 

「来いよ」

 

「どこに?」

 

 服部が半笑いで答えた事に、更に怒りが爆発した。

 

 何も考えなかった。

 

 そう――……何も。

 

 気がつけば、俺の右手に鈍痛が走る。と、同時に周りから悲鳴が聞こえた。

 

 目の前には椅子から崩れ落ちる服部の姿があった。

 

 だけど、服部は何も言わずに切れた口端を拭うと、ゆらりと立ち上がる。

 

 俺を見つめる目に、生気がない。

 

 そう思っているうちに、今度は俺の頬に痛みが走り、ガタガタと机を揺らして自分自身が後ろに倒れていた。

 

 徐々に悲鳴が大きくなっていく。

 

「場所……変えようか」

 

 小さく呟いた服部が、俺を見流したまま教室を出た。

 

 俺は小さく舌打ちをして、その後に続く。

 

 誰もが俺たちを避け、行く道筋を通し開けた。

 







 

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