〜 譲れない 〜 




 

 

 

「昨日、お前の部屋で、服部と何やってたんだよ」

 

 いや、違う。

 

「服部と付き合ってんの?」

 

 違う違う。

 

「あいつの事、好きなのか?」

 

 違う――……違うっつうの。

 

 俺は気持ちの整理も付けられないまま、部屋中を行ったり来たりしてる。

 

 カーテンが閉められたままの、隣の部屋を気にしながらも、何も出来ないでいる。だからって、晶に何を聞くか練習するとか情けない。

 

 つうか、言いたい事はそれじゃないだろ。

 

 と、自分に突っ込んでみるが……虚しい。

 

 既に苛立ちは頂点だ。

 

 服部が、まだ部屋にいるのかも、帰ったのかもわからない。

 

 すぐにでも怒鳴り込みたい感情がこみ上げたけど……俺にそこまでする権利さえ、今はない。

 

 彼氏でもないんだから――……。

 

 

 

『江口君は、もうちゃんとアキに伝えてくれるよね』

 

 

 

 長田に背中押されて、想いを伝える気になったけど、でも、これじゃぁ……撃沈っつうか。

 

 マジで落ち着かない。

 

 これだけ部屋を往復したのなんか初めてだ。

 

 いや、違う、今、考える事をそれじゃない。

 

 ぴたりと、足が止まる。

 

 いろんな事を考え過ぎて、今度は身体に力が入らない。なんだ、この脱力感は……。

 

 何もわからないまま、俺は、服部と晶がいるだろうの部屋へと視線を移した。

 

嫉妬が俺を支配する。 

 

こんなに近いのに……近くにいるのに。

 

 やんわりと窓際に近付き、手をかけるも、情けない事に震えてる。

 

 この窓を開けて、叫びたい……俺の気持ち……伝えたい。

 

 だけど、そこにまだ服部が居たらどうする?

 

 それ以上に――――……あの二人が。

 

 俺の脳内に、あり得ない情景が浮かぶ。

 

「くそっ……んな訳あるかっ!」

 

 そのまま俺は、真横にある机の上のものを、根こそぎ床に掃い落とした。大きな音を立てて床に散らばるそれらは、まるで俺の心が崩壊した音のようだった。

 

 大きく肩を揺らし、呼吸さえも苦しい。

 

 なんで! 俺は……どうすればいい?!

 

 両手を机に叩きつけて、今にも暴れ出しそうな感情を押し殺す。

 

 その時だ。

 

「あ〜あ……な〜にやってんだか……」

 

 呆れた声が後方から耳に届いた。

 

「ちっ」

 

 舌打ちをかまし、ちらりと見流す。

 

「なにしに来たんだよ、姉貴」

 

「おお、怖い。一人芝居してたと思ったら、今度は怒りだすし。何荒れてんのよ」

 

 どっから見てたんだっつうの。

 

 この盗み見女め。

 

「関係ねぇだろ」

 

 不貞腐れた態度で、俺は姉貴から視線をはずし、脇のベッドにどっかりと腰をおろした。そして、徐に両手で頭を抱え込む。

 

今は姉貴になんか構ってられない。

 

 そう思った矢先だ。

 

 視界に、姉貴の足先が映った。

 

 俺の真向かいに立ち、見下ろしているんだろう。

 

 まだいるのかよ、と思いつつ、やんわりと「何だよ」と言い顔をあげた。

 

 そこには、案の定、眉間に皺を寄せた姉貴の顔がある。

 

「出てけよ」

 

 さらに俺は突き放すように言った。

 

 なのに、姉貴は両腕を組み、微動だにしない。かと思ったら、小さくため息を吐き出し、出ていくどころか、窓際へと歩み寄った。

 

 そのまま、やっぱり何も言わない。

 

「なんで毎日帰って来てんだよ」

 

 俺は、苛立ったまま、その沈黙を破った。

 

「別に……今日はお母さんが居ないから夕飯作ってって頼まれただけよ、何食べたい?」

 

 何だ、そんな事わざわざ……今はそれどころじゃないって思った俺は更に苛立つ。

 

「何でもいいよ」

 

「その『何でもいい』ってのが一番困る訳よ、悩みの原因?」

 

「だったら一生困ってろよ」

 

 姉貴の悩みなんかより、今の俺の悩みの事の方が重大だっつうの。我ながらガキみたいだと感じたけど、それでも気持ちに収拾なんかつかない。

 

 今日の夕飯よりも気になるのは隣の部屋だ。

 

 好きな女が男と一緒にいるんだ、気にならないはずがない。

 

 そんな俺の心情を知ってか知らずか、呆れたように、窓の向こうを見据え呟く姉貴。

 

「あんた、まだ言ってないんだ」

 

「関係ねぇっつったよな」

 

 俺は、淡々と言い放ち、下唇を噛んだ。状況も全然解ってないくせに言ってくれる。勿論、さっき言おうとしたさ。俺の気持ちを……だけど、その前に状況が変わったんだよ。他の男と一緒なのに、告白なんか出来るかっての。

 

沸々と苛立ちが再燃していく。

 

「そうね、関係ない」

 

「だったら放っておいっ……」

 

 苛立ちを含ませた俺の言葉を遮るように姉貴は「でもね」と振り返らないまま続ける。

 

「そんなの、全然あんたらしくないって思う」

 

 そう言って、今度は真っ直ぐに俺を見据えてくる。その言葉に、俺は拳を握った。手に汗が滲んでいる。

 

 らしくないって何だよ……だったら、どうすりゃ俺らしくなるってんだよ。

 

 姉貴には解らないんだ。どんなに好きでも、空回りする現実も……気持ち伝えたくても、どうしようもない時があるって事。

 

 避けられてるかもって思ったら、すごく臆病になる事。

 

 嫌われたくなくて、昔の事とか気付かない振りしたり……少しでも傍に居たくて、安定した距離たもったり、さ。

 

 だけど、やたらと感じるのは嫉妬ばかりで……気持ちも言えない自分への苛立ちで。

 

「私さ、あんたの試合見るの、好きよ」

 

「は?」

 

 思わず、声が漏れた。

 

 何言ってんのか、全然わかんねぇ……なんで今、その話?

 

「どんな相手でも自分をしっかり持って試合に挑む姿……我が弟ながら、いつも格好いいなって思ってた……でも、今のあんたは逃げてばっかりのような気がする」

 

 え?

 

 逃げてる……俺が……。

 

 そう思いながら、肩手で髪を掻き上げるようにくしゃっと掴み、嘆息する。

 

「……逃げ、てるか?」

 

「そうじゃない? やる前から試合放棄とかあり得ない。砕けてもいい覚悟があったから、いつまでも好きなんでしょ」

 

「試合と一緒にすんなよ……」

 

「さっき、あの子の家に、男の子が入っていくの見たよ」

 

 姉貴の言葉に、忘れていた鼓動が高鳴った。

 

 男の子……服部の事か……。

 

 そうか、姉貴は知ってて言ってるのか……なんでだよ、だったら尚更、言える状況じゃねぇって解るだろうが。

 

「……知ってるよ」

 

 だけど、それしか言葉が出てこない。

 

 面白がってるとしか思えねぇよ。

 

これ以上、姉貴に何か言われると、だんだん惨めになっていく気がする。

 

 そんな中、荒れている原因はそれか、と言わんばかりの姉貴の大きな溜息が耳に届いた。

 

「あ、そう……で? あんたは平気なんだ」

 

「平気な訳ないだろっ?!」

 

 思わず怒鳴った。だけど、姉貴は身動ぎもしない。それどころか、さっきよりも更に睨むように俺を見ている。

 

 なんだってんだ。

 

「俺の気持ちなんか砕けたっていいって思ってたさ。それでも伝えたいって。でも、いざとなったら……なんか」

 

 今までに感じた事もない様な情けなさが俺の中で膨らんでいく。

 

「なんか、何?」

 

「情けないほど……弱い自分がいて……がっついてるみたいで格好悪くて……全然、素直になれないんだよ」

 

 その言葉に、姉貴は眉根を寄せた。

 

「どんな試合だって結果はやってみなきゃ解らないじゃない。テニス始めた頃のあんたは、どんな強い相手にも立ち向かってたし、上手くなった今でも、弱い相手にも手を抜かなかった。自分らしい試合をしてた。どんな試合でも、どんな相手でも真剣に向き合ってた」

 

「それとこれと何が同じなんだよ。だからテニスと一緒に……」

 

「同じだよ」

 

「え?」

 

 面白がってなんかない、姉貴の真剣な眼差しが、俺を見据えてくる。

 

「テニスも恋愛も同じ。弱くてもいいじゃん、負けたっていいじゃん。自分の抱えてる気持ち全部出し切って、全力でぶつかって伝えなさいよ!」

 

「……姉貴」

 

 俺は、ごくりと唾を飲み込んだ。

 

「テニス弱い子がさ、強くなりたい一心でボール追っかけて、強い相手のボールに食らいついて、それでも空振りばっかして。でも、それって全然、格好悪くないよね? 一生懸命だから、凄く格好良く見えるじゃない。始めたてのあんたがそうだったよ。恋だって同じ。昔、あんたがあの子と一緒にいた頃は凄く一生懸命で、その子に会う為に頑張ってたのも、もがいてたのも、すごく格好良かったよ」

 

 言いながら姉貴は、徐々に俺に歩み寄ってきた。そして、前屈みになって俺の顔を覗き込む。

 

「でも、今のあんたは何?」

 

「……俺は……」

 

「情けなくてもいいじゃない。弱くても、がっついてても……そう言うの全部、相手にさらけ出してなんぼでしょうが。建前だけで格好付けてたって前には進まない」

 

 そう言って、俺にデコピンをかました。

 

「いってぇ……」

 

「フン、今のあんたはすごく格好悪い」

 

 弾かれた額を擦りながら、ポツリと呟いた。

 

「うるせぇよ」

 

「指咥えて見てるだけのあんたなんか、あんたじゃないよ」

 

「べ、別に指咥えて見てるだけじゃねぇよ!」

 

「あら、そう?」

 

 言いながら姉貴は、すっと背筋を伸ばすと、窓の外を軽く一瞥してから、ドアに向かった。そのまま出ていくのかと思いきや、ノブに手を乗せたまま、動きが止まった。

 

「格好悪くても、私は好きだけどね……でも、やっぱ素直な弟君が好きな訳よ……」

 

「え?」

 

「心配して損しちゃった」

 

 振り向きざま、舌を出して笑った姉貴の表情を見て、どうして俺の部屋に来たのかがわかった気がした。

 

 だけど、俺は何も言えないまま、姉貴の背中がドアの向こうに消えていくのをじっと見つめる事しか出来なかった。

 

 長田に背中を押され、今度は姉貴に……。

 

 

 

『さっき、あの子の家に、男の子が入っていくの見たよ』 

 

 

 

たぶん、姉貴はそれを見て、俺が振られて落ち込んでんじゃないかと思ったんだろう。

 

で? もしかして慰めにとか?

 

そう思うと、ふっと笑みが零れた。

 

昔の俺は自分でも真っ直ぐだったと思う。

 

好きな子に積極的に話し掛けたり……好きだから一緒にいたいって思って、しつこいくらいに誘ったり……好きだって気持ち、全面に押し出してた気がする。

 

まぁ、結局は気付いてもらえない上に言えず終いだったけど。だけど、心は繋がってるって自信があった。

 

そう思うと、更に笑えた。

 

そんな自信、どっから湧いてたんだろうな。

 

だけど、もう、この燻った想いを抱えるのは正直辛い。なら、早く伝えてしまいたい。

 

 俺は、ベッドに腰掛けたまま、窓の外を見つめる。

 

 昔のように素直になれたら。

 

 そしたら、忘れる事は出来なくても、また、昔のように笑いあえるかもしれない。

 

 だったら、それだけでも、気持ちを伝える価値はあるんだ。

 

 晶が、例え誰を好きでも……構わない。俺が晶を好きだって気持ちは変えられないんだから。

 





 

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