〜 溢れる想い 〜
バーベキューか……別に参加したくねぇんだけど。
そう思いながらも帰り支度を済ませた俺は、みんなが集まる騒がしいコートを眺めた。
でも、あそこに晶もいるのか。
会いたいな、つっても毎日教室で会ってるけど、それでも俺は晶に会いたい。どんな時も、傍に存在を感じていたい。
自然と足が、晶がいるだろうコートへ向かう。
どんだけ重症?
他の奴には『俺は晶が好きなんだ』って言えるのに、いざとなると本人に言えない。晶を目の前にすると、妙に緊張する。俺らしくない、試合でもそんなに緊張なんかしねぇのに……。
でも、そろそろ限界だ。
晶の気持ちをはっきりと聞かなきゃならない時が来たのかもしれない。
そう思いながら歩いていると、目の前に長田が息を切って走ってくるのが見えた。
「あ、江口君!」
なんだ?
「アキ見なかった?」
晶はあそこにいないか。
「いや」
残念な気持ちを押し殺して、俺は答えた。
「そう、さっきまで居たのに……どこ行っちゃったんだろう」
だったら俺も帰るかな。晶がいないんじゃ意味ねぇし。そして踵を返した時だ。長田が袖を引っ張った。
「待って!」
グイッと引き寄せられ、転びそうになる。
「な、なんだよ」
「あのね、話があるの」
話? 長田が俺に? なんだ。
きょろきょろと周りを見回し、誰もいない事を確認する長田が、息を整えて切りだした。
「あのね、江口君……あのね」
そんなに言いにくい事なのか?
「なに? 俺、帰りたいんだけど……」
少し話しやすいように、先を急がせる。
「あ、ごめん、あのね」
長田は、一度大きく深呼吸した。
「わ、私ね……」
「うん」
「は、服部君が好きなの!」
「は?」
頬を赤く染めて、長田が叫んだ。
告白? え、でも俺、あいつじゃねぇし……なんでそんな事言うんだ? 相手間違ってますよ?
「……あの……長田?」
「だからね、私は服部君が好き! もうずっと前から、この高校に来たのだって服部君がいるからなの!」
「そ、そうなんだ」
訳がわからない。俺にどうしろと?
あ、もしかして仲を取り持って欲しいとか? だったら、一番役どころが違うと思うけど。
「あのさ、長田……俺、あいつとあんまり仲良くねぇし……」
「知ってる」
だったらなんだよ。
そう思った時だ、長田はぐっと下唇を噛みしめて、袖を掴む手に力を込めた。
「私の気持ち、ちゃんと言ったよ」
「え?」
「だから、江口君の気持ちも聞かせて」
「はぁ?」
何言ってんのこいつ……俺に告白したんならまだしも、他の奴が好きだって言う女に、なんで俺が……。
「ずっと見てるでしょ?」
「え?」
「いつもいつも江口君が見てる人、私知ってる」
「……なに言って」
「なんではっきり言わないの?」
「なんで俺が、お前に……」
「私じゃなくて、アキによ!」
晶……に?
「お前」
「男だったら、もっとはっきりしなさいよ。服部君はいつもアキに好きだって気持ち表してるじゃない。なのに、江口君は黙って見てるだけでしょ? そんなの全然、男らしくないと思う。黙って見てるだけじゃアキに気持ちは伝わらないよ」
マジで何言ってんだ。長田は服部が好きなんだよな。でも、服部が好きなのは晶で、それを全部知ってて……。
待てよ、俺を晶とくっつけて服部に諦めさせようって魂胆か?
「あ、あのさ」
「勘違いしないで、私は別に、服部君と付き合いたいから言ってるんじゃないの」
俺の考えお見通しとか、こいつエスパーか?
「あ、ううん、そんな気持ちがないって言ったら嘘だけど、でも、今は違うの」
「今はって……?」
「服部君の気持ちが簡単に変わる事ないって知ってる。私だってずっと見てたもん。私が勝手に好きなの……でも、何も言わない江口君を見てる服部君は見たくないの」
「え? どういう意味?」
「もう十分苦しんでるよ、服部君は、いつも悲しい目で二人を見てる……明るくて顔では笑ってるけど、心はきっと苦しんでるよ」
そんなの、あいつだけじゃないだろ。
「でも、もしかして私の勘違いだった?」
「え?」
「江口君はやっぱり亜美と付き合ってる?」
「つ……! なんで俺が木下と付き合ってる事になってんだよ」
「違うの?」
「違うっつうの!」
「でも、アキもそう思ってるよ?」
「なんだと?! それはお前らの勘違いだ。なんで、どこでどうなって俺と木下が付き合ってんだっつうの!」
「じゃぁ、アキの事は好き? それとも嫌い?」
「すっげぇ好きだよ!!」
あ、つい口が滑った。
長田が笑みを零す。
もしかして俺、釣られた?
俺の顔が真っ赤に染まっていくのがわかる。
「お前……」
「どうして、その気持ちをはっきりと言わないの?」
「それは……なんか、俺、避けられてるっつうか……」
「え? アキが? 江口君を?」
「ああ」
「どうしてそんな事を思うの?」
キョトンとする長田が、視線を逸らさずに見つめてくる。これは理由を言えと言う事なのか。こいつ、大人しそうな顔して、かなり人の心に踏みこんでくるよな。
「お、俺だってずっと好きだったよ。でも、あいつが俺との関係を知られたくなさそうだったから……」
「二人の関係?」
まだ聞くか?
「あ、ああ……俺、あいつの事、小学校の時から知ってるんだ。でも、その事を隠そうとしてるっつうか……入学式の日、あいつ俺に名前を偽ったんだ」
「アキが?」
「そう、あいつが……」
晶は、昔の事なんて思いだしたくもないんだろうと思った。避けようとしているって。だから俺は、何も言えなくなった。
「本当は、もっと早く、再会できた時に言おうって決めてたんだ。でも、それは言っちゃいけない雰囲気になって……」
でも、そう思えば思うほど、好きだって気持ちが募るばかりだった。
会うたびに愛しく思えて、抱きしめたくなる。あいつが他の誰かのものになるなんて考えたくなかった。
「だったら、諦めるの?」
「まさか、諦められる訳ねぇよ……絶対に無理だ……あいつを好きじゃない俺は、俺じゃない」
そうだよ、そんなの俺じゃない。
大袈裟かもしれないけど、今まで、俺の人生は晶中心に回ってきたんだ。
晶がいたから、テニスを始めた。晶がいたから、強くなって全国目指した。晶がいたから、この藤木を選んだ。
いつも、どんな時も、晶がいると思ったから――……。
長田が、やんわりと袖から離れた。
「そっか、ならいいんだ……」
「長田」
「私ね、本当は二人の事だし黙ってようと思ってた。でも、もう見てられないって言うか。江口君の気持ち聞けて良かった」
長田が、まるで自分の事のように涙を流している。
「でも、アキは江口君の事を避けてなんかないと思う」
「なんで?」
「わかんない、それはもう、江口君がアキに聞いてよ……ちゃんと自分の気持ちを伝えてからね」
俺の気持ちを?
そりゃ、もう伝えてしまって、答えは欲しかったけど……また、これ以上に避けられるようになると怖いっつうか。
マジで俺ってへタレっぽいな。
「アキね、高校に入った頃、必死に言葉使いを直そうとしてたの」
「ん……知ってる」
「きっと女の子らしくなりたかったんだと思う」
「あいつは……十分に女らしいと思うけど」
「うん、そうだね。でも、コンプレックスって人とのズレがあるんだよ」
そう言って、長田は涙を拭い、笑った。
「人から見ればどうでもいいような事に悩んだり、不安になったり……ぜんぜん変な事なんてないのに妙に気になったりさ」
言われてみれば、そうなのかもしれない。長田の言うとおり、本人が気にしているほど他人は興味を示してない。
「特にアキは、ホント何でも気にし過ぎるんだよね。言葉使いは男の子みたいなのに、心はその辺の女の子よりも乙女だし」
「そうだよな、で、意外に泣き虫だったり?」
「よくわかってるじゃない、江口君」
わかってるよ……いや、わかってるつもりだった。
なのに、俺は自分が傷つきたくなくて、言えなかっただけなんだ。
「長田……ありがとう」
「え? なに?」
「いや、なんか、モヤモヤしてるもんが取れたって言うか……このままじゃダメなんだって背中押してくれて……」
「そんな、ありがとうだなんていいよ……私はただ、聞き逃げされたくなかっただけだもん」
「聞き逃げって……」
「ん、なんか江口君に言ったら、服部君にも言いたくなっちゃった……ごめんね、江口君のことばっかり責めるような感じだったけど、本当は私だって言えてないんだよね、気持ち」
「……長田」
「江口君は、もうちゃんとアキに伝えてくれるよね」
「ああ、言うよ」
「そっか、良かった……あ〜あ、もう告白しちゃおっかな〜ダメ元で」
言いながら、長田は俺に背を向けた。
「頑張れよ」
そう言うと、長田は小さく頷く。そして、小さな声で「ごめんね、お節介で」と呟いて、コートに戻っていった。
誰かを好きになって、みんながみんな両想いじゃない。それでも、抱えきれないほどに募った想いを打ち明ける。
胸の奥に溢れる想いを、優しく掬いあげる。
それには、とてつもない勇気が必要だと思う。
服部のように毎日毎日『好きだ』っていう軽い口調でも、そこには同じ想いがある事を知っている。本当は、その心の中が激しく脈を打っているんだと思う。
言えないなんて男らしくない、か。
長田の奴、言ってくれるよな。でも、そのお陰で、俺の長年の想いをぶつけられそうな気がする。
例えどんな結果になっても。
どんな玉砕が待っていても。
服部のように……長田のように……俺は俺に正直でありたい。
何も言えないままじゃ後悔するのは目に見えて明らかだからな。
俺は、長田の背中を見送った後、家路を急いだ。
いつも隣にいるのに、臆病で何も言えなかった。
いやいや、まずは晶の誤解を解かなきゃならない。俺が木下と付き合ってるとか、絶対に有り得ない!
それから……俺の本当の気持ちを伝えるんだ。
同じ高校に来たかった事……いつも隣にいた事……ずっと、ずっと好きだった事。
玄関を入るなり、階段を駆け上がる。
学校にいなかったんだ、もう家に帰って来てるかもしれない。
そう思い部屋へ急ぐ。
いつも閉ざしたままだったカーテンを開け、窓の向こうを見やる。ベランダ越しに、晶の部屋がある。
俺は、今日こそお前に――……そう思い、ゆっくりと窓を開けた。
「な……に……?」
だけど、思いもよらない事態に体が硬直して動かなくなる。目の前にいる奴も、同じように動けないでいる。互いに視線を逸らす事なく見つめ合う。
「なん、で……お前が……そこに……?」
震える唇がそう動いた気がした。いや、そう聞きたいのは俺の方だ。
「服部……てめぇ……」
そう呟くも、すぐさま晶の部屋のカーテンは閉められた。
「ちょ、待っ……!!」
宙をさまよう俺の指先は、何も掴めないまま、拳を強く握りしめ壁を叩く。
「……っくしょう! なんでお前が晶の部屋にいんだよ!」
伝えようと思っていた気持ちが、ガラガラと音を立てて崩れていく。どこにも想いをぶつけられないまま、有り得ない想像に打ち消されていく。
ふと、視線を上げると、晶の部屋のカーテンが揺れた。
何やってる……お前ら、そこで、何やってんだ!!
憤りに支配されたまま、俺は再びカーテンを閉め切った。
どうすればいい、俺は――――……どうすれば……。