会いたい
あれから、どれくらいの時間がたったのだろう。目が覚めると、また同じ天井……だけど、このまま全部が嘘であってほしいと願っているのは夢じゃない。
誰もいない部屋……だけど、この世界には隆哉もいない。
また、瞳が濡れている。
夢を見た。
あの時の隆哉が夢の中で微笑んでくれている。好きだといってくれた声、抱きしめられた強い腕の中……何もかも全部が夢なんだと思い知らされる。
『あなたは、有馬隆哉には会っていない』
その言葉が延々と頭の中で木霊する。
あれは、どういう意味だったんだろう。考えても考えても答えが見つからない。どうすれば、あの言葉が理解できるんだろう。
私は徐に体を起こすと、辺りを見回した。ふと、時計が視界に移る。
「五時十五分、か」
そのまま私は窓際まで歩み寄り、カーテンを開けた。
薄っすらと白け始めた空を見上げ、ため息をつく。
「どうすればいいの?」
誰にともなく呟いた声が虚しく零れる。
あの子は意味深な言葉だけを残して消えていった。その後、秋路に問い詰めたけど、何も答えてはくれなかった。むしろ、答えたくない雰囲気とでもいうのか……そのまま私を避けていた気がする。
秋路は黙々と自分の作業をこなし、沙織さんを呼んで私を部屋まで連れて行けと言った。
私に何を隠しているの?
そう聞いても、無駄だった。
そして、私は沙織さんに聞いた。
『ここはどこなのか』と。
沙織さんの答えはこうだ。
『昔はここに臨海学校が建っていたの。その施設が使われなくなって、政府が買い取り、今の実験施設でもあり、病院でもあり、学校になってるの』
その言葉で、私が過去から来た位置となんら変わりないことを知った。
目の前にそびえる冷たい建物の隙間から、あの丘が見える。あそこはみんなで星を見た丘だ。そして、ちょうど私が帰ってきた場所が、隆哉に思いを告げられた場所だとわかった。
だったら、隆哉の家にもいけるはず。
仲良くなって、何度か遊びに行ったことがある。近隣の住宅も街も、然程変わらないと聞いた。恭が隆哉と結婚したのなら、もしかしたら家は変わっていないかもしれない。
そう思った。
でも、もしも違う場所で暮らしていたら? そんなことも考えたけれど、今ある私の中の情報では知ることが出来ない。もう、これ以上『もしかしたら』と考えるのは辛い。だったら、自分で探してみよう……そう思ったんだ。
キュッと下唇をかみ締め、頷いた。
「行ってみよう」
そして、確かめてみよう……あの子の言葉の意味を……。
私は、あらかじめ用意されていた服を選び、着替えた。そして、物音ひとつ立てないように気を付けながら、静かに施設を出た。
頑丈にロックされた入り口からは出られない。映画でしか見たことなかったけど、あらゆる布を繋ぎ合わせて窓から出たのだ。出来ないかもしれないと思っていたけど、思いのほか上手くいった。
そのまま、私は丘を目指した。そこから学校であろう校門を見つけ、その横の柵を超えた。少しだけ見覚えのある風景に、私はいけると確信を持つ。
一時間も歩いただろうか、静まり返った商店街にたどり着いた。
「まだ、ここは残ってたんだ」
そこは私の暮らした家の近くだった。
「懐かしい……」
そう思ってる場合じゃない。既に太陽が上がり始めた。そろそろ施設に私がいないことに気づかれるかも知れない。
私は、足早に商店街を通り過ぎ、隆哉の家を目指した。
うる覚えの記憶を辿りながら、道を進んでいく。
「あ、ここは由美の家だ……」
そう呟きながら、間違っていない、もうすぐ隆哉の家だ。そう思った。
鳥がさえずり、人とすれ違うことも多くなった。その度に、私は俯き加減に歩いた。そして、ふと、立ち止まる。
「……あ、あった」
隆哉の家だ。玄関には真新しい『忌中』の札がある。間違いない……隆哉と恭はこの家に暮らしていたんだ……そう思うと、胸が苦しくなった。張り裂けそうな胸を押さえ、私はその家を見上げた。
私の、本当の家。
ここで生まれ育って、一年間暮らした家……その時は何も知らずに幸せだったんだろう。優しい二人に囲まれて、幸せだったんだろう。そんな記憶はないけれど、きっと大切にされていたと思う。
まさか、父親に恋をするなんて、恭も思ってなかっただろうな。過去に飛ばされるなんて、思ってなかっただろうな。
そんなことを考えているうちに、玄関のドアが開いた。
驚きのあまり私は声も出ず、動くことさえ出来なかった。
そこから出てきたのは、恭だった。
どれだけ泣いたかわからないほどに目を腫らしているにも関わらず、また、涙をいっぱいに溜めて、そこに立っている。
「見えたの……」
「え?」
「あなたが、ここに来るのが、二階の窓から見えたの……」
そう言って、恐る恐るというように、恭は私に近づいてきた。
「かぐや、なんだね?」
その言葉に、私は小さく頷くと、次の瞬間、物凄く愛しさが伝わる抱擁をくれた。
「会いたかった……」
そして、私は、その思いに答えるように、恭の背中に腕を回した。
「あなたを最後に抱いたときは、小さかったのに……。もう、会えないのかと、思ってた」
震えた声で、精一杯に出した言葉。どんなに寂しくて、どんなに辛く悲しかったかが解る。記憶がない恭にとって、私はもう友達じゃないんだ。
お母さんなんだ……私を生んでくれた、お母さんなんだ。
そう、強く自分の心に言い聞かせながら「でも、お父さんには、もう……会えないんだね」と呟いた。
そして、お互いに顔を見合わせた。
そう言っておいて、凄く寂しくなった。恭の顔が現実なんだと言っている。
苦しくて、苦しくて張り裂けそうな胸が悲鳴を上げている。
「お父さんに……会ってくれる?」
恭はそう言うと、私の手をやさしく引き、家の中へと案内してくれた。
会ってくれる? というのは現実じゃない……きっと、隆哉が笑って写っているだろう写真だとわかっている。
私は、恭の背中を見つめながら、ゆっくりと仏前に連れてこられた。視線を上げれば隆哉が見える。だけど、認めたくない自分がいるのは確かで、なかなか顔をあげることが出来なかった。
「お父さん、かぐやが帰ってきましたよ」
言いながら、恭が目の前に座った。
『かぐや』
今にもそう聞こえてきそうで、鼓動が高鳴る。
私を、その声で呼んでほしかった……その腕で抱きしめてほしかった。
そう思いながら、私は深呼吸すると一度まぶたを閉じた。そして、意を決して顔を上げたときだった。
荒々しく玄関のドアが開けられたかと思うと、その足音が忙しなく近づく。そのまま、呆然とした私の両目を、大きな手が塞いだ。
何も見えない世界で、耳元に荒々しく聞こえる息遣い。どれだけ走ってきたのかと思うほどに乱れた呼吸。
その塞がれた手の隙間から、私の涙が零れ落ちた。
「……あき、じ……」
「かぐや」
「どう、して?」
「見たのか?」
その些細な会話のやり取りの後、私は大きく頷いた。すると、私の両目を塞いでいた手が離れ、すぐさま私は抱き寄せられた。
「いったい、どういう?」
きょとんと目を見開く恭を余所に、私は駆けつけてきた秋路の腕の中で震えていた。動悸が止め処なく押し寄せてきて、息も苦しい。
でも、聞かなきゃ……聞かなきゃ……そう思って、震える声を吐き出した。
「ち、がう……秋路……違うの……」
「解ってる」
「なんで? 何で違うの?!」
今度は声を荒げ、秋路を責めるように叫んだ。
秋路が来る前の一瞬だった。隆哉の遺影が私の目を、まるで長い時間拘束するように飛び込んできた。
だけど、そこに写る隆哉は、隆哉じゃなかった。
「私の知ってる隆哉じゃない!!」
「え?」
恭が、今一度、動けないでいた。
私は、秋路の腕の中で、震えることしか出来なかった。
「有馬さん、すみません、突然……まだ、ここに来させる気はなかったんですが……」
秋路が申し訳なさそうに言った。
「え、じゃぁ、また、かぐやを連れて行くの?」
「すみません」
今度は深々と頭を下げた。
「いやよ! 彼が亡くなって一人になったの! 私から家族を奪わないで!」
今度は、恭が声を荒げた。だけど、私はここにいる自信がなかった。
今にも壊れそうな胸を抱えて、どうすればいいのかわからなかった。
隆哉じゃなかった……だったら、今まで私が見てきた隆哉は、誰だったの?
いろんなことを考えて、ここに来たのに、ますます解らなくなっていった。
隆哉が、隆哉じゃなかったから、あの子はあの言葉を言ったの? 何もかも知っていたんだ……何を? 今度は何を考えればいいの? 何を探すの?
動揺しきったまま、秋路の腕を離れ、混乱しながらも精一杯、私は恭に頭を下げた。
「ごめんなさい……今日は、戻ります」
「かぐや!」
「ごめんなさい。また……来ますから……心の整理がついたら、帰って来……」
そこまで言って、私はどうにも居た堪れなくなって、そのまま部屋を飛び出した。
「かぐや!」
秋路がすかさず追いかけてきた。
既に人通りの激しくなっている道を、泣きながら走った。もう、誰を信じればいいのかもわからず、なりふり構わず走った。だけど、秋路に腕を強く引っ張られ、立ち止まる。
「知ってたんでしょ?!」
振り返りざま、思わず叫んでしまった。
だけど、秋路は何も言わなかった。
「どうして何も言ってくれないの?! 黙ってないで説明してよ!」
私の腕をつかむ秋路の力が強くなった。
「とりあえず帰ろう」
「とりあえずって何! どうせ、またはぐらかすんでしょ?!」
「ごめん、でも」
「隆哉はどこなの?!」
「彼は……」
秋路は困った顔色を見せたけど、意を決したように言葉をつなぐ。
「帰ったら、ちゃんと話すから……だから」
そう言って、秋路が人目もはばからずに、私をまた、抱きしめた。
もう、何がなんだかわからなかった。
私は、隆哉が好きだった。恭と友達だった。思いが通じ合った。だけど、私はその世界の人間じゃなかった。隆哉が親だと聞かされた。でも、帰ってきたら、隆哉は死んでた。
なのに、その隆哉が……隆哉じゃなかった……。
そして、今、弟だった秋路に抱きしめられている。優しくて、穏やかで、私を追いかけてきてくれた。だけど、何も話してくれなかった。でも、今度はちゃんと、話してくれるんだよね……秋路。
約束してくれたことに安堵した私は、そのまま秋路の背中に腕を回す。
そして一瞥の期待が膨らんでいく――……何か会えない理由がある隆哉が、どこかで生きているのかもしれない、と。
そう思ったら、なんとなく気持ちが軽くなったような気がした。
施設に戻った私と秋路は、テラスの椅子に、向かい合って座った。
話してくれるという秋路を信じて、私はじっと待った。
静かに、言葉を選んでいるのか、秋路もじっと私を見つめる。
「何から話せばいいのか」
そう言った秋路は冷静ではなかったかもしれない。何度も深呼吸を繰り返しながら、落ち着かないでいる。
「何でもいい、知ってること、全部」
「……ああ」
そう言って、切り出そうとしたときだった。
「先生! ここにいらしたんですか?!」
沙織さんだ。物凄く慌ててる。
「何か?」
「大変です! 遠藤さんが暴れています!」
「またですか?」
「ええ、今朝起きたときは異常がなかったんですけど、朝食をとり始めたら、何かを思い出したように混乱し始めて」
「わかりました、すぐ行きます」
そう言って立ち上がった秋路に私は慌てた。
「ちょっと待って! 話は?!」
そう言ったことが秋路には迷惑だったのか、ひどく困惑していたようにも見えたけど、その反面、安堵した表情にも見えた。
「ごめん、後で、ちゃんと話すから……待ってて」
いいざま、秋路は沙織さんと一緒に施設の中へと駆け込んで言ってしまった。
取り残された私は、いささか怒りの残る状況に不貞腐れ、どかんと椅子に腰を下ろした。
お父さんが隆哉だって言ったのに、隆哉じゃなかった状況だよ? 私だって困ってるんだよ? 何もわからない状況で、好きな人とはなれて……。
そう思っていたときだった。
ふと、顔を上げると、目の前を通り過ぎていく人の影。朝日を背中にしているせいで、よく顔は見えない。だけど、その人は私に気付いたらしく、どんどん近づいてきた。
「ねぇ、沙織さん、知らない?」
聞き覚えのある声に、私の鼓動が一鳴りした。
「……う、そ」
「居たでしょ? ここに?」
「……」
「ねぇ、聞いてる? 沙織さん、さっき声がしたんだけど」
一瞬で涙が溢れていく。
逆光が切れて、その人の顔が、私の目の前にはっきりと映し出された。
「隆、哉?」
「は?」
間違いない。目の前にいるのは、隆哉だ。
「隆哉だよね?」
確かめるように聞いたけど、その人は困ったように頭を掻いて「違うけど?」と言った。
でも、信じられない、だって、隆哉にそっくりだ。顔も声も、背格好も、何もかも……隆哉だよ。
「あんた、誰?」