〜 今日から高校生 〜
誰もいない教室。俺は自分の机を見つけた。
『加藤 晶』
――ここか。
そう思って、椅子に座る。
引っ越してきたばかりで友達もいねぇけど、大丈夫か、俺。でも、高校はいろんなところから来るからな。俺だけが一人ってわけじゃねぇよな。
今日から、俺は県立藤木高に通う、ピカピカの一年生だ。
あ、いけね、俺じゃなくて、もといあたしは、だったっけ。
まだ、この言い方には慣れない。何せ、小さい頃にお袋が、じゃなくて、お母さんが亡くなって、男手一つで育ててくれた親父……お父さんの言葉使いがうつったまま直さなかったもんな。同じテレビ見て馬鹿笑いして、お前は俺の息子だー、なんてふざけてて。
でも全然、嫌じゃなかったし。
それでもみんなは普通に接して……普通に?
いや、普通だったか?
そう言えば、女とつるむ事も少なくて、男と遊ぶ事が多かった気がする。髪も短かったし、女として見てもらえてなかったかも……女にもチョコもらったし。
ま、まぁそんな俺が言葉を直す気になったのは、五年の時だったか。
隣町の男の子を、異性として気にしてからだ、うん。
たった一カ月、仲良くしただけだったけど、アイツといるとなんか、すげぇ楽しかった。
でも、すぐに俺は親父の転勤で転校して、この町から離れて、アイツの住んでる家も名字も知らないままだった。
知ってるのは、名前だけ。
アキラ……。
そう、同じ名前で意気投合して、たぶん、あれは――……恋だったと思う。
だから、俺はもっと女らしくするために努力を……努力を……。って、言ってる傍から「俺」だもんな。なかなか直らねぇよ。
でも、今、またこの町に帰って来た。しかも、アイツの住んでるはずの町だ。きっと、アイツもいるはずなんだ。
そして、きっとこの高校に……いるはずなんだ。
いや、アイツと今更、どうこうなろうってんじゃねぇけど……ねぇけど……。
でもさ、会いたいって思っても罰は当たらねぇよな。
ふと、ガラス窓に映る自分の姿を見やる。くるくると髪先を指に巻いて……。
髪も伸ばしてるし、少しは女に、見える、かな?
「おはよう」
後ろから誰かが声をかけてきた。俺は少し緊張して振り向いて。
「あ、おっす……じゃねぇ、おはよう」
そこにいたのは可愛い女の子だった。
どこからどう見ても女の子してて、天然がかった柔らかそうな髪も、守ってやりたいって男心をくすぐるような笑顔も、俺にはない女の子の部分で。
「私、東雲中から来たんだけど、あんまりココ東雲中の子いなくて」
はにかみながら女の子が言う。
「へぇ」
「あ、私、長田京子、京子って呼んでね、よろしく」
「あ、お、あ、あた、しは……加藤、カトって呼ばれてた……」
「へぇ、カト……」
そう言って、京子は机を見回し、俺の前が自分の席だと確認すると、すかさず座った。
そして、俺の席に振り向き、机に両肘をつけて、俺を見つめる。
「どこ中?」
「え、あ、あた、し? えっと、宮西中」
「え〜その中学、どこにあるの?」
「あ、ああ、県外だよ、そこの藤木二丁目に引っ越して来たばかりなんだ」
「そうなんだ、じゃぁ友達まだいないよね?」
「ああ、まぁな。でも、小学校は藤木南小だったんだ」
「じゃ、戻って来た感じ?」
「ああ」
「でも、南の子もあまりいなかった気がするなぁ」
それを聞いて、俺は少し安心した気がする。だって、俺が男みたいだったってバレなくてすむし……しかも、学年七クラスあるし、ま、大丈夫だろ。
「でも、北中の子たちならたくさんいたと思うけど、知り合いいない?」
「北中?」
そう聞いて、俺は息をのんだ。たぶん、アイツが北中のはずだ。俺がアイツに出会ったのは、北中の学区内だったからな。
「いや、北中は……知らねぇ」
でもここは、そう言っとく。どうして素直に言わなかったのか自分でもわからないけど。
「そっか、こうやって席が前後になったのも何かの縁ね。今日から友達になってね、よろしくカト」
京子は人懐っこく満面の笑顔で言った。
「あ、ああ、よろしく」
そう言っている間にも、教室はざわめきを増していった。同じクラスになる奴らが、徐々に流れ込んでくる。
その中に、アイツはいない。と、思う。まぁ、七クラスもあるしな、同じになる事のが奇跡だよな。
「誰か探してるの?」
「え?」
「だって、さっきからキョロキョロしてるし」
す、するどい。
「いや、特に……南小の奴、いねぇかな〜と思って」
「ふぅ〜ん」
京子は何かを疑ってるようだ。
「あのさ、さっきから気になってたんだけど……」
何、をだ……?
「なんか、カトって、男の子みたいな喋り方だね」
「え?」
どこが変だった? 俺は、ちゃんと「あたし」って言ってたぞ?
「ん、なんとなく」
「き、きのせいだ、よ」
「そうかな?」
京子はまだ首を傾げてる。
「ん、でもカトってなんか格好いいから違和感ないや」
格好いい? 俺が? 髪も長いのに? マジかよ……俺、努力足りてねぇじゃん。
「あ、格好いいっていうか、綺麗系?」
「きっ?!」
そんなこと言われたの初めてだ。俺、今、絶対に茹でダコ状態だろ。
「あ、カト可愛い、赤くなってる」
「う……ぅ」
うるせぇ、って言い返せない。思わず俯いてしまったが、なかなか顔をあげれない。綺麗って、綺麗系って、マジかっ。
「ちょっと! アキラ! 何ボサッと突っ立ってんのよ〜早く教室入りなさいよ、入れないじゃない!」
アキ、ラ?
驚いて俺はその声の方向を見上げた。教室前の入り口で、男が一人、突っ立って、こっちを、見て、る?
「あ、ああ、悪ぃ」
そう言って、そいつは後ろから来た女に背中を押されて教室に入って来た。そして、俺の隣の机にカバンを置く。
「あ、私の席、ここだ。アキラと近い、やった」
一緒に来た女の子は、俺の後ろだ。
そっと、隣の席の名前を見やった。
『江口 陽』
これも、アキラって読むのか……知らなかった。
やべ、心臓バクバクしてきた。
ふと、視線をあげてみる。アキラは、後ろの女と喋ってる。
「まぁた、木下と同じクラスかよ」
「またって何よ、またって。いいじゃない、これも運命なのよ」
「何が運命だ、頭おかしいんじゃねぇの?」
「おかしくないもん!」
そんな会話を耳にして、俺の心臓がチクチク痛みだす。
「お? また陽と亜美は同じクラスかよ、仲良いねぇ」
他の男が二人を茶化す。
そっか、この二人、仲良いんだ。
「勘弁してくれよ」
陽は、参った、という風に頭を抱え込んだ。
「いいじゃねぇかよ、お前ら家も隣なんだし、これも縁だと思って諦めな」
隣、幼馴染か……幼馴染って言うのは、よく漫画じゃ恋人になったりするもんだよな。って、何考えてんだ、俺。
「何を諦めんだよ、ふざけんな」
「なに陽、怒ってんの? いつもなら聞き流す癖に〜」
そう言いながら、この亜美ってやつはまんざら嫌そうじゃない。
「よ、ご両人! そのまま結婚しちまえ!」
「うるせぇつってんだろっ!!」
陽は机を両手で叩き、立ち上がった。その怒鳴り声で、茶化してた奴が引き気味になる。
「な、何だよ、冗談だろ? 冗談。ねぇ?」
そいつは、なぜか俺に同意を求めてきた。
「は?」
なんで俺に振るんだよ。
「さ、さぁ」
なんて言っていいかわかんねぇよ。俺はちらりと陽を流し見る。ほら、な。何か睨んでるっぽいぞ。
陽は大きな溜息を落として、また席に座る。
なんか、あれだな。亜美ってやつは陽を好きなんだろうな。不貞腐れた態度の陽を見て、亜美は少し頬を膨らましてる。で、陽は亜美の事、なんとも思ってない感じか? それとも、照れてるのか?
そうこう思っているうちに、予鈴が鳴り、驚いた俺の肩がピクリと上がる。
何だ、俺の心臓、爆発しそうなんだけど。
「おはよう〜! みんな揃ってるかぁ?!」
まだ予鈴なのに、やけに威勢のいい担任が教室に入って来た。体育会系か? 真新しい背広に似合わず、色黒の肌。いかにも体育の先生みたいだ。授業になったら竹刀とかもってそうだな。
「よぉし、初日から遅刻はなしだな! 俺がこのクラスの担任の、関口だ。よろしくな」
関口は教室を見回しながら、入学式の説明を始める。そんな中、まだ、俺の心臓は速いままだ。
落ち着け、俺! こんなに大きな音じゃ、聞かれるような気がして怖い。いや、聞こえるのは俺だけで、絶対に相手にはわからないんだろうけど……。
そうだ、わかる訳ないんだ。
俺が――……俺が、あの時のアキラだって事……そうだよ、覚えてるはず、ないよ。
あ、なんか苦しくなってきた。俺、なんかおかしい。でも、原因はわかってる。
だって、だって――……。
今一度、俺は視界の隅に映る、隣のアキラを見流した。通った鼻筋に長いまつ毛、シャープなフェイスライン。
俺はわかるよ。アキラ。
俺が五年の時に恋してた奴が、今、隣の席に座ってるって。
お前はあの時のまま、格好良くて、柔らかい瞳で、優しい声をしてる。変わってないよ、アキラは……全然、変わってない。
あの時のアキラは、俺の事、男として見てたもんな。だから、今、女の制服着てる俺を、あの時のアキラだって、わかる訳ないんだ。
でも、さっき教室に入る前に、俺の事を見てたのは気のせいか? もしかしたら、俺の事、覚えてるのか?
聞きたいけど聞けない、なんだかな……あ、また痛い……。
俺の心臓、なんか、おかしい。
「よし、みんな体育館に行けよー」
その声でハッとする。関口が移動を促すと、それぞれが席を立ち、ぞろぞろと教室を出ていった。
「カト、私たちも行こう」
京子がまた、可愛い笑顔で言う。
「ああ」
そう言って立ち上がった時だ。
「うわっ、でかい」
そんな声が耳に落ちる。と同時に、クスッと笑い声。
「は?」
ちょっと不機嫌な声を出しすぎたか。その声に振り向くと、そこには陽が立っていた。その後ろには亜美。さっき『でかい』と言って笑ったのは亜美だ。
「何センチあるの?」
答える必要あんのかよ。そう思いながらも、ぎこちなく笑いを零して見せた。
「何で?」
そう言うのがやっとだ。いくら言葉使いが男だからって、中身は女なんだぜ。でけぇって言われて喜ばねぇよ。しかも思いっきりコンプレックスだっつうの。どんな男もでかい女は嫌だろ。
「えー? 興味があったからよ。えっとぉ、陽が百八十五でしょ? それより少し小さいから〜」
一生懸命、陽と俺を交互に見て計算してやがる。はいはい、あんたは小さくて可愛いでございますね。
ああ、うぜぇ。っていうか、陽も俺を見てるって事は、俺の身長に興味あんのか?
「カト、行こう」
京子が俺の腕を引っ張った。
「あ、ああ」
「あ、ちょっと待ってよ」
成るがまま、俺は京子に手を引かれ体育館に向かった。
これって、俺が嫌がってるのわかって、助けてくれたのか? だったら、京子って、なんて良い奴なんだ。可愛いうえに性格も良いなんて、男がほっとかねぇ。おまけに、やっぱ小さいし……。
そこまで思って、なんとなく落ち込んだ。
そうだよな、やっぱ陽も、こんな可愛い子に好かれた方が嬉しいに決まってるよな。俺が男でも、きっとそう思う。
こんな俺より、京子みたいな子に好かれたいって……。
「ねぇねぇ、何センチ?」
まだ聞くか?!
体育館での整列も、教室での名前順だ。当たり前のように俺の後ろは亜美で、横は……陽だ。
「ねぇ」
小声でいちいちマジうるせぇ。無視無視。あ、やべ……今度は胃が痛くなってきた。
「ねぇ」
「百六十九だよ、文句ある?」
俺はいい加減うんざりして、少し後ろ向きかげんに亜美に言った。
「え〜七十ないの?」
あるよ、ある! でも少しくらいサバ読んでもいいだろ、気付けよ!
あ、マジやばい。目の前クラクラしてやがる……あれ? 足が……立ってらんねぇ……。
遠くに、悲鳴が聞こえた気がする。女の甲高い、声。それと……。
俺を心配する――……声。
◇◆◇
えっと、目の前が真っ暗で、あれ、俺、目ぇ閉じてるな。なんでだ? 入学式出てて、それから名前呼ばれるの待ってて……それから。
薄らと瞼を開けた視界に、白い天井が映し出される。
「あ、れ?」
ここは、体育館じゃねぇ。
「目、覚めた? ここ、保健室、わかるか?」
この声――……優しい声……アキ、ラ?
まさか。
「うわっ!」
思わず飛び起きた目の前に、陽がいた。ベッド脇の椅子に腰かけて、足組んで。
「な、なんで、いんの?」
「は? お前が体育館で倒れたから」
ヤバイヤバイヤバイ……また心臓がおかしい。ドキドキがとまんねぇ。
「で、で、で?」
「で? 俺が運んでやった」
「マジでっ?!」
「マジで」
か――――っ、大失態だ!
俺は頭を抱え込み、前屈みに布団に突っ伏した。
なんでだぁ! 俺とした事が! 好きな男の前で情けねぇ!
「そんな落ち込む事か?」
落ち込むよ、落ち込むに決まってる。小さい女なら、こんな時喜ぶんだろうけど、お、俺はただでさえ「でかい」んだぞ。
「そう言えば、お前、意外に軽かったな」
「は?」
「ちゃんと食ってる?」
そう言って笑いながら陽の顔が俺に近づく。
近い近い、マジ近すぎる。
「く、食ってるよ! ってか、みんなで抱えてきたんだろ?」
「いや、俺一人」
「は、どうやっ……」
「勿論、御姫様抱っこで」
思わず仰け反って、俺の背中が壁に当たる。
あまりにもニヤニヤしてる。絶対にからかってるぞ、こいつ、からか……っ!
「な、なんだ、ですか?」
陽が、俺の額に、そっと掌を宛がってきた。ヤバイ、心臓が止まっちまう。
「熱あんのか? お前、顔、赤いぞ」
誰のせいだぁ――――っ!
「ね、ね、ね、熱なんかねぇ、ない、ですわよ」
「ぷっ」
ぷって、ぷって……笑いやがった。
「今時、ですわよ、って」
あ、腹抱えて笑い堪えてやがる。うわ、マジ俺、死んじまいそうだ。つうか、死にたい。
「マジ腹痛ぇ、ってかお前、面白すぎ」
「わ、笑いたきゃわらえよ」
思わず小声で、いつもの言葉に戻ってしまった。
「は?」
でも、聞こえてなかったらしい。
「な、なんでもねぇ、ですわよ」
「……ですわよって、くっくっく……」
そんなに堪えないで思い切り笑えよ。くそ。
陽は、また暫く笑った後、落ち着いたのか椅子に座りなおした。
「は――ぁっ、それより、俺ら名前呼ばれる前に出てきたから、俺、お前の名前知らないんだ」
「つ、机に書いてあっただ、でしょ。それにそんなに難しい読み方じゃ……」
「でも、人の名前って聞かないとわかんねぇじゃん。俺だってあのままじゃ読めなかっただろ? だから、あれ……なんて読むんだ?」
陽が、急に真面目な顔になったと感じた。顔は確かに笑ってるのに、瞳の奥が真剣っつうか、そんな感じだ。
「俺はもう知ってるよな、木下が呼んでたし……」
「うん」
「じゃぁ、お前の名前、教えて」
俺は少し不貞腐れた態度で、視線を逸らした。
アキラって言えば……思い出してくれるだろうか。昔、俺たちが遊んだ事、俺自身の事。
でも、なんか、怖い。
お前には今、亜美がいて、だから、俺の気持ち気付かれるのが……怖い。
「お、あた、しは……加藤」
「加藤? 何?」
「加藤……アキ……だよ」
嘘……――ついた。
「晶……そっか、アキって読むんだ」
「あ、うん」
「じゃ、これから同じクラス、よろしくな、アキ」
アキ……その声で、そう呼ばれるだけで、胸が苦しい。あの頃を思い出してしまう。
懐かしくて、甘酸っぱい、あの時の気持ち。
そして、変わらない今の気持ち……。