〜 五年生の初恋 1 〜 


 

 

「はぁっ?! 引っ越し?! 俺聞いてねぇぞっ!!」

 

 そう言って親父を怒鳴ったのが五年生の夏休み入ってすぐの時だった。

 

「だぁかぁらぁ、ごめんって」

 

「何だよその言い方っ!」

 

「だってほら、曖昧な時には言えないし、本決まりになって……」

 

「だからって何で一ヶ月後なんだよ! 二学期に俺はみんなと同じじゃねぇじゃんか!」

 

「ホントごめん、でも、晶一人置いてけないだろ?」

 

「はぁ? 置いてけよっ! 親父一人でいけよっ!!」

 

「そんな無理言うなよ」

 

「無理じゃねぇよっ!」

 

「でも、また帰って来れると思うし」

 

「いつの話だよっ! 親父のバカヤロ――――ッ!!」

 

 そう叫んで俺は、むしゃくしゃして家を飛び出したんだ。

 

 いつもバカやって、つるんでる奴らと、何で今さら離れなきゃなんねぇんだよ。何で、今さら転校なんだよ。くそっ。

 

「お? 晶じゃないか?!」

 

 そう言って声をかけてきたのは、同じクラスの服部だった。声掛けるなり、俺の肩に腕まわして、顔を覗き込む。

 

「何? なんか機嫌悪い? もしかして泣いて……」

 

「何でもねぇよ」

 

 覗きこんだ服部の顔から視線を逸らして、腕を振り払った。

 

「うわ、マジ機嫌悪ぃのな。何があったんだよ」

 

「だから、うるせぇって言ってんだろっ!!」

 

そのまま、なんか心配そうにしてる服部を避けて、更にイライラしながら歩き続けた。目的もないまま、さまよって、何がしたいんだ、俺。

 

そんな時、ふと周りを見て、俺の住んでる三丁目から、隣の二丁目まで来ている事に気付いた。

 

隣なのに、学校が違う区内、俺を知ってる奴もいねぇだろうな。だったら、こんな苛立ってる時に、誰にも会わなくて済む。

 

泣き顔、見られなくて済む。

 

 そう思ってたら、いきなり「おい」と、また声をかけられた。

 

 知らない声だ。

 

 また不機嫌に振り返る。

 

俺は、そいつとフェンス越しに向き合ってた。

 

「お前、俺の相手しねぇ?」

 

「はぁ?」

 

 何言ってんだコイツ。そんなこと思って、無視しようとしたら、そいつは「ちょっと待て」と言って、フェンスを回り出て、駆け寄って来た。

 

 そこは、この区内のテニスコートだった。

 

 あまり使われていないようなボロいテニスコートだ。それでも、俺はそいつが自分の元に来る前にずらかろう、と思って歩き出す。

 

「おい!」

 

 そいつは、俺の腕を掴んで、無理やり振り向かせた。

 

「何すんだよ、離せよっ!」

 

「いいから、ヤな事、忘れるぜ」

 

 そう言って、また無理やりコートに引きずり込もうとした。

 

「待て待て待て! 誰がやるっつった?!」

 

「え?」

 

 と、不思議そうに振り向いて、一言「俺」と言って、また腕を引く。

 

 コートに入って、俺は佇んでた。二コートしかない小さなコート。誰もいない。

 

「やろうぜ」

 

 そう言って、そいつは俺に笑顔を向ける。

 

「でも、俺、ラケット持ってねぇ」

 

「俺、二本持ってるよ」

 

「それに、やった事ねぇ」

 

「俺が教えてやるよ」

 

 そいつは言いながら、ラケットの面にボールを弾ませて見せた。そして、満面の笑みを零した。

 

「俺、これでもジュニアのエース」

 

 親指で自分を指して自慢げに言って見せたそいつは、俺にラケットを手渡した。

 

「何で一人でやってんだよ」

 

「あぁ、今日は休みだから」

 

「俺、区外の人間だぜ、ここ使っても……」

 

「い―のい―の、俺が区内だから」

 

 そういう問題なのか?

 

「俺の入ってるジュニアクラブってさ、月水金しか練習ねぇの。でも、俺は毎日、こうやって練習してるんだ。ちょうど相手探してたとこ」

 

「相手って、俺じゃ」

 

「いーのいーの」

 

 また、そいつは笑う。そして。

 

「俺、強くなりたいから」

 

 と、眼差しを変えて、コートの先を見据えた。

 

 ドクン、と鼓動が高鳴った感じがした。会った瞬間は軽薄そうな奴って思ったけど、今の、そいつの眼が、あまりにも真剣すぎて。

 

 俺の周りの男どもは、みんな遊びが一番で、毎日ゲームやテレビの話なんかしてて、なのに、こいつは自分のやりたい事、こんな風に言えてて、なんかすげぇって言うか。

 

「なんで、そんな強くなりたい訳?」

 

「ん? ああ、倒したい奴がいて」

 

「は?」

 

「俺、始めはテニスなんかって思ってたんだけど、俺の姉ちゃんがテニスやってて、それでさ、試合見て、姉ちゃん負けて、泣いてたから……」

 

「へ、へぇ」

 

「すごく悔しそうに……だから、俺が仇を取ってやるって思ってさ」

 

「……仇って」

 

「んん、でもよく考えたら、姉ちゃんだろ? 既に中学行ってるし、だから俺がどんなにやっても、その相手とは試合できねぇって思って」

 

 少し恥ずかしそうに、笑って俺を見る。

 

「考えなくてもわかる事じゃん、馬鹿じゃねぇの?」

 

「ん、馬鹿だった」

 

「変な奴」

 

「でも、やってるうちにテニスが楽しくなって、ほかの誰より熱は入ちゃってさ」

 

「やっぱ馬鹿だ」

 

 そう言うと、そいつは思いっきり頬を膨らませて「うるせぇよ」と呟いた。でも、すぐに笑顔に戻る。

 

「お前、南小だろ? 何年?」

 

「五年」

 

「俺と同じだ、俺はアキラ、よろしく」

 

「え?」

 

 更に、心臓がうるさくなった。

 

「なに?」

 

 きょとんとして、アキラが聞き返してくる。

 

「お、俺も……アキラってんだ」

 

「へぇ、同じ名前かぁ、なんか呼ぶの照れくさいな」

 

 はは、と言ってアキラは、握手を求める手を差し出す。

 

 その時は躊躇いなんかなく握ったけど、でも何だろう……触れた手が熱くて、めちゃくちゃ緊張した。

 

今まで男の手なんか、嫌ってほど握った。肩だって組んだ。でも、どんなに触れても、こんなにドキドキした事はない。

 

 俺は生まれて初めての体の変化に、戸惑いを覚えた。

 

「じゃ、やるぞ、乱打」

 

「お、おう」

 

 って、なんで俺、やる気になってんだ?

 

ま、いっか。そう思って始めたはいいけど、空振りばっかりで、アキラの相手にもなんねぇ感じだった。

 

「何で当たんねぇんだよ!」

 

 息切らして、何度振っても、俺は何もできなかった。だんだん自棄になってきた。

 

「じゃぁさ、こういうのはどう?」

 

「は?」

 

 向こうのコートから、アキラが叫んだ。

 

「ムカつく奴の顔思い出して」

 

 言いながら、アキラは俺にボールを打ってきた。

 

「その球、そいつだと思って打つ!」

 

 ムカつく相手、ムカつく相手……親父っ!

 

 そう思ってラケットを振ったら、当たった。

 

「ナイス」

 

 アキラが手を叩いて笑ってくれた。そして。

 

「すっきりした?」

 

 と聞いてくる。

 

「あ、ああ、まぁ」

 

 俺の打った球は、コートなんか無視してホームランだったけど、でも、なんかスッとした。

 

「筋は良いから、絶対にアキラもテニスうまくなるよ」

 

 そう言って、何度もやってるうちに、自然とボールに当たるようになっていった。

 

 でも、向こうのアキラは、なんかバテバテだな。

 

「ちょ、タイム!」

 

 アキラはそう言って、その場に倒れ込んだ。

 

「もう無理、休ませて」

 

「何だよ、だらしねぇな」

 

 俺も、その場に座る。

 

 わかってんだ。アキラが疲れる原因。

 

 俺の打つ球は、コートを思う存分に使って乱れ打ち状態だった。でも、どこに飛んで行こうと、アキラは追いかけて打ち返してくる。しかも、俺をあまり動かさないように、俺のいる場所だけに。

 

 目いっぱい走らせて「だらしねぇ」は言い過ぎたか……。

 

「ごめん」

 

「は? 何謝ってんの?」

 

「いや、だって、ほら、俺、下手だし」

 

「始めは誰だってそうだよ、でも、ありがたいんだ」

 

「え?」

 

「ばっちし、俺の練習相手に相応しい!」

 

 アキラは、親指を立てて、笑った。

 

 それから暫くして、コートの使用時間が過ぎて、二人で片づけ始める。アキラが誘った側だから座ってろ、なんて言ったけど、そんな訳にはいかない。

 

「いや、俺も使ったし」

 

「そっか、じゃ、ネットの端っこ持ってくれる?」

 

「ん、ああ」

 

 ブラシもかけ終わって、コートから出る。久しぶりに体育以外で良い汗をかいた。それに、何より、初めのイライラがどっかに吹っ飛んで、今は気持ちがすっきりしてる気がする。

 

――ありがとう。

 

 そう言おうとしたら、アキラが「また明日も来いよ」って言った。

 

「はぁ? 何のために」

 

 ホントは嬉しいんだ、嬉しいんだけど……なんか素直になれなくて。

 

「いいから、俺の練習相手」

 

「ヤダよ、もう、疲れた。絶対に明日、お前のせいで筋肉痛だよ」

 

「はは、運動不足だからだよ」

 

「うっ……」

 

 返す言葉がない。

 

「じゃ、明日も待ってるから」

 

 アキラは、そう言って俺の頭をくしゃりと撫でた。

 

――熱い……。

 

 アキラに触られた部分が、熱いよ。

 

 俺の事なんか何も知らないまま、アキラが大きく手を振って、何度も振り返りながら帰っていく。

 

「……明日、か」

 

 なんか妙に俺の心が弾んでるんだ。

 

 なんだ、これ、なんだ?

 

 でも、その時はこれが「恋」だなんて、気付きもしなかったけど……。

 







 

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