〜 五年生の初恋 2 〜 





 それからほぼ毎日、俺はアキラとコートにいた。

 

 そう、夏休みの宿題なんかしないままだ。まずいとは思ってたけど、でも、アキラに会うのが楽しくて、そんなの二の次になった。

 

「な、明日、八幡の神社で夏祭りあんじゃん」

 

 ふと、練習の合間にアキラが言った。

 

 夏祭りか、そう言えばそんなのあったな。

 

「一緒に行かね?」

 

「え?」

 

「嫌か?」

 

 俺は返事をする事無く、首を横に振っていた。

 

 嫌じゃ……ない。

 

「やった、じゃ明日どこで待ち合わせする?」

 

 そう言えば、お互いの家も知らないんだっけ。八幡って言ったら、アキラの家の方が近いから、そっち側で待ち合わせすればいいんだろうけど……。

 

「俺、お前、迎えに行こうか?」

 

「は? いいよ別に」

 

 もうすぐいなくなる家なんだ、今さら来ても、意味ないよ。

 

「え〜じゃぁどこにするよ〜」

 

「そ、そうだな……現地集合でいいんじゃね?」

 

「現地? ま、それもそっか、よし、決まりだ」

 

 そう言って、アキラが小指を出した。

 

「何だよ」

 

「指切りげんまんだ」

 

「何でっ」

 

「約束破らないように」

 

「俺がいつ約束破ったよ。お前に言われる通り、俺は毎日、お前の相手してやってんだぜ」

 

「ま、それもそうだけど」

 

 痺れを切らしたように、アキラは無理やり俺の小指を絡めとった。

 

「いいじゃん別に、指切りくらい、減るもんじゃなし〜」

 

 そう言って、笑いながら俺の指を振る。

 

 待て待て待て……小指がじんじんするぞ。熱くて、そこから俺の破裂しそうな心臓の音が伝わりそうなんだよ。

 

 でも――……俺はその指を離せない。

 

 繋がっていたい……心のどこかで、そう思ってしまってるんだ。

 

「じゃ、明日、花火もあるから夕方六時な」

 

 その日は、そう言って別れた。

 

 

 

     ***

 

 

 

「すっげぇ人だな」

 

 俺は約束の時間よりも早く着いてしまっていた。

 

「う……五時ってなんだよ、五時って……一時間も早ぇ」

 

 これじゃぁまるで、俺が楽しみにしてたみたいじゃねぇか……つうか、マジで楽しみだったんだけどさ。おかげで昨日は眠れなかったぜ。

 

 そう思いながら、俺は神社の鳥居に足を運ぶ。

 

 ハッとした。

 

 人混みに紛れて、見慣れた姿を見つけたんだ。

 

「アキ、ラ?」

 

 俺は一目散に走って、走って、アキラの待ってる鳥居に辿り着いた。

 

「なんで?!」

 

「よぉ」

 

 当たり前のように、アキラが手を挙げ、また俺の頭を撫でる。

 

「早く着いちまった」

 

 そう言って笑うアキラに、またドキドキして。

 

「……俺も」

 

 それだけ言うのが、やっとだった。

 

 いろんな夜店を見て回って、いろんな話をして、すげぇ楽しい。いつもテニスしてるアキラの表情しか見た事しかなかったから、なんか、新鮮。

 

「そろそろ花火、始まる時間じゃね?」

 

「ん、ああ、そうだな」

 

 人混みをかき分け、俺たちは何とか川沿いの土手に座る事が出来た。

 

「なぁ、俺、無理に誘ったけどアキラって家、大丈夫なのか?」

 

 何を今さら。

 

「なんか、遅い時間になって怒られねぇ?」

 

「大丈夫だよ、俺んとこ親父だけだし、仕事でいねぇし」

 

「……いないって」

 

「あ、でも黙って来てる訳じゃねぇよ、ちゃんと友達と花火見に行ってくるって言ってあるから」

 

「……そっか、良かった」

 

「お前こそ大丈夫なのかよ」

 

「ん、俺も平気だ」

 

「そっか」

 

 言いながら、アキラが何かゴソゴソとポケットを探りだした。そして、俺の目の前に、何かをかざす。

 

「なに、これ」

 

「リストバンド、じゃぁ〜ん、俺とお揃い」

 

 アキラの腕にあるリストバンドと、俺の手の中にあるリストバンド。って、これプレゼントか? なんで? 

 

「俺、別に誕生日とかじゃねぇし」

 

「誕生日じゃなかったら物あげちゃいけねぇの?」

 

「ん、そんなんじゃ、ない」

 

「だろ? ありがたく貰っとけって」

 

「……うん」

 

 なんで、俺にくれるんだ……。

 

 それからのアキラも変わりなく「まだかなぁ」なんて言いながら、俺たちは土手に背中を預け、まだ暗い夜空を見上げてた。

 

 そう、見上げてたんだ。

 

 やべぇ、眠い……。昨日あんまり眠れなかったからな……。

 

「あ、俺ジュース買ってくるわ」

 

 突然、アキラが上半身を起こした。

 

「お、おう。迷子になんなよ」

 

「ならねぇよ」

 

 そう言い残して、アキラが遠ざかっていく。

 

 その背中を見送って……遠ざかって……ヤベ、意識が……。

 

 

 

 

 

 

 あれ、なんか唇が熱くねぇか?

 

 そう思って、俺は薄らと目を開けた。

 

「うわっ……ち!」

 

 くすくすと隣でアキラが笑ってる。

 

「あ、俺、もしかして寝てた?」

 

「うん、寝てた」

 

「何すんだよ、ったく」

 

「ジュースやめてタイ焼きにした、食う?」

 

 アキラは、俺の唇に焼きたてほやほやのタイ焼きをくっ付けてやがった。他に起こし方はねぇのかっつうの。

 

「いらね、俺、甘いの嫌いだもん」

 

「そ、残念」

 

 アキラがタイ焼きを口側から美味しそうに頬張った。なんだよ、これ……もやもやするな……って俺、アキラの口に運ばれていくタイ焼きに嫉妬してるみたいだ。

 

 くそ、タイ焼きの奴め、なんで食われてんだ。

 

 タイ焼きにしたらいい迷惑な嫉妬だな。

 

 俺はすかさず、アキラの手にある、もう一つのタイ焼きを奪った。

 

「何? やっぱ欲しかったの?」

 

「うるせぇ、タイ焼きってのは尻尾側から食うんだよ!」

 

 言いながら、思い切りタイ焼きを食べる。

 

――ぐ……甘ぇな、これ。

 

「そっか、尻尾側ね」

 

 そう言って、アキラも尻尾をかじった。

 

「今さら遅ぇつうの」

 

「あ、ホントだ。尻尾の方が美味い」

 

「同じだっつうの、馬鹿だろ」

 

 何でもない事に笑って、何でもない事話して、そんで触れ合って……ドキドキして。タイ焼きなんかに嫉妬して……。

 

 やべぇ、わかった。

 

 俺、アキラの事、好きになってる。

 

 でも、この気持ちは言えない。まだ言えない。だって、俺の事、聞くまでは、言えないんだ…………。

 

 

 

 

 ――……なぁアキラ……俺の事、女だって知ってるか?

 

 

 

 

「うおっ! 花火上がったぞっ!」

 

 でも今は、アキラと楽しく横にいられる時間があるだけで、いいや。

 

「うわ! でっけぇな!」

 

「いいぞ、もっと上げろぉ〜っ!」

 

 そう、まだ言わない。

 

 女だって事も……引っ越す事も。

 

 

 

     ***

 

 

 

 そろそろ夏休みも終盤だな。親父には宿題はやっとけって言われたけど、どうせ転校するんだ、やっても意味ねぇだろ。

 

 それより、早くアキラに言わなきゃ、引っ越す事。んで、ちゃんと俺の気持ち伝えて、って、その前に女だって言って……そして、これからも、遠く離れるけど友達でいてほしいって、言うんだ。

 

 だから俺は今日も、アキラのいるテニスコートに行く。

 

「……っ!」

 

 なんか、コートの方から話し声が聞こえる。

 

 今日は珍しく、誰かいるのか?

 

「誰、だ、あれ」

 

 アキラと一緒にいる奴を見て、俺の鼓動は速くなった。落ち着け、落ち着くんだ俺の心臓!

 

 女だ……でもなんか、おかしい、喧嘩してる?

 

 何だか出て行き難いじゃねぇか……つうか、誰だよそいつ。

 

――アキラ。

 

「なんでよ! 何で私には教えてくれないの?! ねぇアキラ!」

 

 でけぇ声……丸聞こえだっつうの。ああ、テニス教えてほしいんだな……モテモテじゃん。

 

「……よ!」

 

 アキラはなんて言ってんだ? でも怒ってるっぽい。はじめて見た……アキラでも怒る事あるんだな。

 

「ヤダヤダヤダ――――ッ! 教えてくれるまで帰らないもん!」

 

「…………!」

 

「アキラ!」

 

 あ、あいつアキラの腕掴んでる……おい、こら、離せ。アキラから離れろ。

 

「…………な、女は大っ嫌いだっ! うぜぇ帰れ!」 

 

――――えっ?

 

 なんて、言った?

 

『女は大っ嫌いだ!』だったよな?

 

「もういい! アキラなんか絶交だかんね!」

 

 女が、コートを飛び出してくる……俺の横を、横切る……。

 

――あ、泣いて、る?

 

「あ、アキラ! 来たのか、早く来いよ!」

 

 その声で、通り過ぎた女が、俺に振り向いた。そして、すごく悲しそうな顔で、目で、俺を睨んでくる。

 

「あんたも大っ嫌い!」

 

「はぁ?」

 

 はじめましての俺に、大っ嫌いって言われても……困るんだけど。

 

「ああ、アイツの事、気にすんなよ」

 

 いつの間にか、アキラが俺の横にいた。

 

「あ、ああ……でも」

 

「いいから、始めっぞ」

 

「……うん」

 

 アキラは、俺にテニスを教えてくれる。あの子には教えない。その違いは……?

 

 そっか、そうだよな、そうだ。アキラが、女は大っ嫌いって言った。

 

 

 

――だからだ。

 

 

 

 だから、俺に優しかったのも、何でも教えてくれるのも、指切りも……アキラの中では、俺らは……男同志だったからだ。

 

 今日は全然、練習って気分じゃねぇ。

 

「おいっ!」

 

 アキラが、初めて俺に怒鳴った。

 

「お前、やる気あんのかよ」

 

 ある訳ねぇだろ、誰のせいだよ、バカヤロ―。

 

「お前、今日、おかしいぞ?」

 

 言いながら、アキラが近付いてくる。

 

「熱でもあんのか?」

 

 額に、アキラの掌が当たる。

 

――やっぱ、熱い。でも――……。

 

「……んな……」

 

「は?」

 

「触わんなって言ってんだよっ!」

 

 俺は思い切り、アキラの手を振り払った。

 

「アキ……なに、どうした急に?」

 

 俺が女だって知らなかったから優しかっただけなんだ。俺が、俺が……。

 

 この気持ちどうしてくれんだよ!

 

「やる気、ない」

 

 俺が俯いて、そう呟くと、アキラは少しため息を落とした。

 

「そっか、じゃぁ今日は仕方ねぇな、明日にするか?」

 

 何でそんなに優しいんだよ、俺、さっきお前の手、振り払ったんだぞ。それに、お前、女の子泣かしたんだぞ。

 

「明日も、無理」

 

「は? なんでだよ。折角うまくなってきてんのに、もったいない。夏休み終わって学校違うとかだったら気にすんなよ。どうせ家近いんだろ? いつでも……」

 

「うるせぇよ!」

 

「アキラ?」

 

「俺は、初めからテニスなんかやる気なかったんだ! なのにお前が無理やり誘うから、来てやってたんだよ。察しろよ!」

 

「もしかして、嫌だった?」

 

 そう言った途端、アキラの表情が曇った。眉間にしわ寄って、怒ってる。

 

 だよな、当たり前だ……俺、今なんかすげぇ事口走った気がする。でも、止めらんない。

 

 嫌じゃねぇ、全然嫌じゃねぇ。むしろ嬉しかったってのに……。

 

アキラは、もう一度ため息を落として、俺に背中を向けた。その背中が『じゃぁ帰れば?』って言ってるようで、苦しくなった。

 

「俺、もう来ないから」

 

 そう呟いて、俺もまた、アキラに背を向けた。なんか、もう、終わり、なのか?

 

 苦しくて息が出来ねぇ……今にも、心臓、止まっちまいそうだよ。でも、振り向く勇気ない……俺、なんか酷い事、言ったから……。

 

 長い沈黙に耐えきれなくて、俺は歩き出した。

 

 どんどん背中が離れて行くのを感じる。でも、アキラが言った言葉が、俺の耳に届いた。

 

「俺……待ってるから、ずっと」

 

 そう言ってくれたんだ。でも、俺の足は止まらなくて、どんどんどんどん、コートから離れて行って……。

 

 

 

     ***

 

 

 

「あ、雨か」

 

 引越しの日は、夏休み最終日だった。

 

 俺はもう、ここからいなくなる。

 

 あれから一週間、コートには行ってない。

 

『待ってるから』

 

 だからって、本当にアキラが待ってたかなんて、知らない。

 

 行く勇気がなかった。アキラの前で泣いて、女だってバレるのが怖かったから。そしたら、きっとアキラも冷たくなるって、思ったから。

 

 だから、このまま、優しいアキラの思い出を、俺の中に残しておきたかったんだ。そして、いつかはアキラを忘れるって思ってた。

 

 でも駄目だった。日が経つにつれて、寂しく辛くなる一方で、全然、諦める事なんて出来なかったんだから、俺って結構、未練がましいっていうか。

 

 新しい土地で、男じゃないかって誤解されないように、女らしく振舞おうって決めた。でも、それも長続きしなくて、結局、自分の言葉使いも封印できないままだった。

 

 持続力のない俺って駄目だよな。

 

 でも、アキラへの気持ちの他に、もう一つ持続してる事はある。

 

 それはテニスだ。

 

 俺は、あれからテニスを始めた。もしも、今度会う事があったら「上手くなったな」って言わせてやる。そう思って。今度はお前を走らせないぞって。

 

 そうしたら、また親父の転勤が決まって、その土地がアキラのいる場所だって知った時。戻れるってわかった時。今度こそ、女に変わってやろうって思ったんだ。

 

 アキラが嫌いだって言った女だけど、でも、俺は女だから、女として見て欲しくて。

 

 髪を伸ばして、「俺」から「あたし」って言えるように頑張ったんだ。

 

 高校は、絶対に藤木に来るって確信があった。中学の時、全国大会でアキラは優勝三連覇をしてる。だから、この県でもテニス部が強い藤木に来るって。

 

 だから、俺は……じゃなくて、あたしは藤木を受けたんだ。

 

 でも、まだ知られるのが怖い。 

 

 あたしが……あの、アキラだって知られるのが、怖いんだ。

 

「女だったのか」って言われるのが、まだ、怖いんだ。

 

 だから言えなかった。

 

 アキラだよ、って言えなくて……アキって嘘、ついちゃったんだよ。

 

 




 

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