〜 五年生の初恋 2 〜
それからほぼ毎日、俺はアキラとコートにいた。
そう、夏休みの宿題なんかしないままだ。まずいとは思ってたけど、でも、アキラに会うのが楽しくて、そんなの二の次になった。
「な、明日、八幡の神社で夏祭りあんじゃん」
ふと、練習の合間にアキラが言った。
夏祭りか、そう言えばそんなのあったな。
「一緒に行かね?」
「え?」
「嫌か?」
俺は返事をする事無く、首を横に振っていた。
嫌じゃ……ない。
「やった、じゃ明日どこで待ち合わせする?」
そう言えば、お互いの家も知らないんだっけ。八幡って言ったら、アキラの家の方が近いから、そっち側で待ち合わせすればいいんだろうけど……。
「俺、お前、迎えに行こうか?」
「は? いいよ別に」
もうすぐいなくなる家なんだ、今さら来ても、意味ないよ。
「え〜じゃぁどこにするよ〜」
「そ、そうだな……現地集合でいいんじゃね?」
「現地? ま、それもそっか、よし、決まりだ」
そう言って、アキラが小指を出した。
「何だよ」
「指切りげんまんだ」
「何でっ」
「約束破らないように」
「俺がいつ約束破ったよ。お前に言われる通り、俺は毎日、お前の相手してやってんだぜ」
「ま、それもそうだけど」
痺れを切らしたように、アキラは無理やり俺の小指を絡めとった。
「いいじゃん別に、指切りくらい、減るもんじゃなし〜」
そう言って、笑いながら俺の指を振る。
待て待て待て……小指がじんじんするぞ。熱くて、そこから俺の破裂しそうな心臓の音が伝わりそうなんだよ。
でも――……俺はその指を離せない。
繋がっていたい……心のどこかで、そう思ってしまってるんだ。
「じゃ、明日、花火もあるから夕方六時な」
その日は、そう言って別れた。
「すっげぇ人だな」
俺は約束の時間よりも早く着いてしまっていた。
「う……五時ってなんだよ、五時って……一時間も早ぇ」
これじゃぁまるで、俺が楽しみにしてたみたいじゃねぇか……つうか、マジで楽しみだったんだけどさ。おかげで昨日は眠れなかったぜ。
そう思いながら、俺は神社の鳥居に足を運ぶ。
ハッとした。
人混みに紛れて、見慣れた姿を見つけたんだ。
「アキ、ラ?」
俺は一目散に走って、走って、アキラの待ってる鳥居に辿り着いた。
「なんで?!」
「よぉ」
当たり前のように、アキラが手を挙げ、また俺の頭を撫でる。
「早く着いちまった」
そう言って笑うアキラに、またドキドキして。
「……俺も」
それだけ言うのが、やっとだった。
いろんな夜店を見て回って、いろんな話をして、すげぇ楽しい。いつもテニスしてるアキラの表情しか見た事しかなかったから、なんか、新鮮。
「そろそろ花火、始まる時間じゃね?」
「ん、ああ、そうだな」
人混みをかき分け、俺たちは何とか川沿いの土手に座る事が出来た。
「なぁ、俺、無理に誘ったけどアキラって家、大丈夫なのか?」
何を今さら。
「なんか、遅い時間になって怒られねぇ?」
「大丈夫だよ、俺んとこ親父だけだし、仕事でいねぇし」
「……いないって」
「あ、でも黙って来てる訳じゃねぇよ、ちゃんと友達と花火見に行ってくるって言ってあるから」
「……そっか、良かった」
「お前こそ大丈夫なのかよ」
「ん、俺も平気だ」
「そっか」
言いながら、アキラが何かゴソゴソとポケットを探りだした。そして、俺の目の前に、何かをかざす。
「なに、これ」
「リストバンド、じゃぁ〜ん、俺とお揃い」
アキラの腕にあるリストバンドと、俺の手の中にあるリストバンド。って、これプレゼントか? なんで?
「俺、別に誕生日とかじゃねぇし」
「誕生日じゃなかったら物あげちゃいけねぇの?」
「ん、そんなんじゃ、ない」
「だろ? ありがたく貰っとけって」
「……うん」
なんで、俺にくれるんだ……。
それからのアキラも変わりなく「まだかなぁ」なんて言いながら、俺たちは土手に背中を預け、まだ暗い夜空を見上げてた。
そう、見上げてたんだ。
やべぇ、眠い……。昨日あんまり眠れなかったからな……。
「あ、俺ジュース買ってくるわ」
突然、アキラが上半身を起こした。
「お、おう。迷子になんなよ」
「ならねぇよ」
そう言い残して、アキラが遠ざかっていく。
その背中を見送って……遠ざかって……ヤベ、意識が……。
あれ、なんか唇が熱くねぇか?
そう思って、俺は薄らと目を開けた。
「うわっ……ち!」
くすくすと隣でアキラが笑ってる。
「あ、俺、もしかして寝てた?」
「うん、寝てた」
「何すんだよ、ったく」
「ジュースやめてタイ焼きにした、食う?」
アキラは、俺の唇に焼きたてほやほやのタイ焼きをくっ付けてやがった。他に起こし方はねぇのかっつうの。
「いらね、俺、甘いの嫌いだもん」
「そ、残念」
アキラがタイ焼きを口側から美味しそうに頬張った。なんだよ、これ……もやもやするな……って俺、アキラの口に運ばれていくタイ焼きに嫉妬してるみたいだ。
くそ、タイ焼きの奴め、なんで食われてんだ。
タイ焼きにしたらいい迷惑な嫉妬だな。
俺はすかさず、アキラの手にある、もう一つのタイ焼きを奪った。
「何? やっぱ欲しかったの?」
「うるせぇ、タイ焼きってのは尻尾側から食うんだよ!」
言いながら、思い切りタイ焼きを食べる。
――ぐ……甘ぇな、これ。
「そっか、尻尾側ね」
そう言って、アキラも尻尾をかじった。
「今さら遅ぇつうの」
「あ、ホントだ。尻尾の方が美味い」
「同じだっつうの、馬鹿だろ」
何でもない事に笑って、何でもない事話して、そんで触れ合って……ドキドキして。タイ焼きなんかに嫉妬して……。
やべぇ、わかった。
俺、アキラの事、好きになってる。
でも、この気持ちは言えない。まだ言えない。だって、俺の事、聞くまでは、言えないんだ…………。
――……なぁアキラ……俺の事、女だって知ってるか?
「うおっ! 花火上がったぞっ!」
でも今は、アキラと楽しく横にいられる時間があるだけで、いいや。
「うわ! でっけぇな!」
「いいぞ、もっと上げろぉ〜っ!」
そう、まだ言わない。
女だって事も……引っ越す事も。
そろそろ夏休みも終盤だな。親父には宿題はやっとけって言われたけど、どうせ転校するんだ、やっても意味ねぇだろ。
それより、早くアキラに言わなきゃ、引っ越す事。んで、ちゃんと俺の気持ち伝えて、って、その前に女だって言って……そして、これからも、遠く離れるけど友達でいてほしいって、言うんだ。
だから俺は今日も、アキラのいるテニスコートに行く。
「……っ!」
なんか、コートの方から話し声が聞こえる。
今日は珍しく、誰かいるのか?
「誰、だ、あれ」
アキラと一緒にいる奴を見て、俺の鼓動は速くなった。落ち着け、落ち着くんだ俺の心臓!
女だ……でもなんか、おかしい、喧嘩してる?
何だか出て行き難いじゃねぇか……つうか、誰だよそいつ。
――アキラ。
「なんでよ! 何で私には教えてくれないの?! ねぇアキラ!」
でけぇ声……丸聞こえだっつうの。ああ、テニス教えてほしいんだな……モテモテじゃん。
「……よ!」
アキラはなんて言ってんだ? でも怒ってるっぽい。はじめて見た……アキラでも怒る事あるんだな。
「ヤダヤダヤダ――――ッ! 教えてくれるまで帰らないもん!」
「…………!」
「アキラ!」
あ、あいつアキラの腕掴んでる……おい、こら、離せ。アキラから離れろ。
「…………な、女は大っ嫌いだっ! うぜぇ帰れ!」
――――えっ?
なんて、言った?
『女は大っ嫌いだ!』だったよな?
「もういい! アキラなんか絶交だかんね!」
女が、コートを飛び出してくる……俺の横を、横切る……。
――あ、泣いて、る?
「あ、アキラ! 来たのか、早く来いよ!」
その声で、通り過ぎた女が、俺に振り向いた。そして、すごく悲しそうな顔で、目で、俺を睨んでくる。
「あんたも大っ嫌い!」
「はぁ?」
はじめましての俺に、大っ嫌いって言われても……困るんだけど。
「ああ、アイツの事、気にすんなよ」
いつの間にか、アキラが俺の横にいた。
「あ、ああ……でも」
「いいから、始めっぞ」
「……うん」
アキラは、俺にテニスを教えてくれる。あの子には教えない。その違いは……?
そっか、そうだよな、そうだ。アキラが、女は大っ嫌いって言った。
――だからだ。
だから、俺に優しかったのも、何でも教えてくれるのも、指切りも……アキラの中では、俺らは……男同志だったからだ。
今日は全然、練習って気分じゃねぇ。
「おいっ!」
アキラが、初めて俺に怒鳴った。
「お前、やる気あんのかよ」
ある訳ねぇだろ、誰のせいだよ、バカヤロ―。
「お前、今日、おかしいぞ?」
言いながら、アキラが近付いてくる。
「熱でもあんのか?」
額に、アキラの掌が当たる。
――やっぱ、熱い。でも――……。
「……んな……」
「は?」
「触わんなって言ってんだよっ!」
俺は思い切り、アキラの手を振り払った。
「アキ……なに、どうした急に?」
俺が女だって知らなかったから優しかっただけなんだ。俺が、俺が……。
この気持ちどうしてくれんだよ!
「やる気、ない」
俺が俯いて、そう呟くと、アキラは少しため息を落とした。
「そっか、じゃぁ今日は仕方ねぇな、明日にするか?」
何でそんなに優しいんだよ、俺、さっきお前の手、振り払ったんだぞ。それに、お前、女の子泣かしたんだぞ。
「明日も、無理」
「は? なんでだよ。折角うまくなってきてんのに、もったいない。夏休み終わって学校違うとかだったら気にすんなよ。どうせ家近いんだろ? いつでも……」
「うるせぇよ!」
「アキラ?」
「俺は、初めからテニスなんかやる気なかったんだ! なのにお前が無理やり誘うから、来てやってたんだよ。察しろよ!」
「もしかして、嫌だった?」
そう言った途端、アキラの表情が曇った。眉間にしわ寄って、怒ってる。
だよな、当たり前だ……俺、今なんかすげぇ事口走った気がする。でも、止めらんない。
嫌じゃねぇ、全然嫌じゃねぇ。むしろ嬉しかったってのに……。
アキラは、もう一度ため息を落として、俺に背中を向けた。その背中が『じゃぁ帰れば?』って言ってるようで、苦しくなった。
「俺、もう来ないから」
そう呟いて、俺もまた、アキラに背を向けた。なんか、もう、終わり、なのか?
苦しくて息が出来ねぇ……今にも、心臓、止まっちまいそうだよ。でも、振り向く勇気ない……俺、なんか酷い事、言ったから……。
長い沈黙に耐えきれなくて、俺は歩き出した。
どんどん背中が離れて行くのを感じる。でも、アキラが言った言葉が、俺の耳に届いた。
「俺……待ってるから、ずっと」
そう言ってくれたんだ。でも、俺の足は止まらなくて、どんどんどんどん、コートから離れて行って……。
「あ、雨か」
引越しの日は、夏休み最終日だった。
俺はもう、ここからいなくなる。
あれから一週間、コートには行ってない。
『待ってるから』
だからって、本当にアキラが待ってたかなんて、知らない。
行く勇気がなかった。アキラの前で泣いて、女だってバレるのが怖かったから。そしたら、きっとアキラも冷たくなるって、思ったから。
だから、このまま、優しいアキラの思い出を、俺の中に残しておきたかったんだ。そして、いつかはアキラを忘れるって思ってた。
でも駄目だった。日が経つにつれて、寂しく辛くなる一方で、全然、諦める事なんて出来なかったんだから、俺って結構、未練がましいっていうか。
新しい土地で、男じゃないかって誤解されないように、女らしく振舞おうって決めた。でも、それも長続きしなくて、結局、自分の言葉使いも封印できないままだった。
持続力のない俺って駄目だよな。
でも、アキラへの気持ちの他に、もう一つ持続してる事はある。
それはテニスだ。
俺は、あれからテニスを始めた。もしも、今度会う事があったら「上手くなったな」って言わせてやる。そう思って。今度はお前を走らせないぞって。
そうしたら、また親父の転勤が決まって、その土地がアキラのいる場所だって知った時。戻れるってわかった時。今度こそ、女に変わってやろうって思ったんだ。
アキラが嫌いだって言った女だけど、でも、俺は女だから、女として見て欲しくて。
髪を伸ばして、「俺」から「あたし」って言えるように頑張ったんだ。
高校は、絶対に藤木に来るって確信があった。中学の時、全国大会でアキラは優勝三連覇をしてる。だから、この県でもテニス部が強い藤木に来るって。
だから、俺は……じゃなくて、あたしは藤木を受けたんだ。
でも、まだ知られるのが怖い。
あたしが……あの、アキラだって知られるのが、怖いんだ。
「女だったのか」って言われるのが、まだ、怖いんだ。
だから言えなかった。
アキラだよ、って言えなくて……アキって嘘、ついちゃったんだよ。