〜 バレバレ 〜
練習が終わり、帰り支度を済ませ校門を出た俺と京子は、駅に向かって歩いていた。俺の家までは徒歩で二十分、その間に駅があって、そこまでいつも京子と一緒に帰る。
ふと、遠目にコートを見れば、男子がまだ練習をしている。ギャラリーは、既にいない。でも、亜美だけは、いつも陽の帰りを待っているようだ。
ポツンと人影がフェンス越しにひとつ。
いつも、一緒に帰ってるのか……まぁ家が隣だって言うんだし、当たり前って言えば、当たり前なんだろうけど。
「でも、ビックりよね」
京子が呟いた。
「え、え、なにが?」
突然、話を振られて、驚きの声をあげた。でも、京子はまた頬を膨らませている。
「もう、また聞いてなかった」
そう言って、すぐに笑う。
「あぁ、ごめん」
「木下さんよ」
「え?」
「だって、あんな凄い剣幕で、勝負よ、なんて……ほんとビックリだよ」
「ん、まぁ、そうだな。俺もビックリ、はは」
そう苦笑いをする俺の顔を、京子はひょこっと覗きこんだ。
「な、なに?」
「んん、大丈夫かなって」
「ああ、大丈夫だよ」
「ほんと?」
「ああ、マジで大丈夫だから」
「そう、それならいいけど……」
ああ、京子は知らないんだっけ、俺、意外とテニス上手いんだよ。って、言おうと思ったけど、なんか自慢してるっぽいから、やめた。
「だって、せっかく江口君と組めるかもしれないのに、せっかくのチャンスなのに」
「え?」
何言ってんだ、京子の奴……チャンスとかって。
「だってアキ、江口君の事、好きでしょ?」
あまりにもあっさりと言うもんだから、一瞬、何のことかわからなかった。
でも次の瞬間、俺は、言われた事の重大さに驚いて、立ち止ってしまった。
はぁ〜〜〜〜っ?! な、な、なんで京子知ってんの?
一気に体中に火照りが伝わって、絶対に耳まで赤くなってる!
「な、な、な、な、なな」
うまく言葉も出てきやしねぇ、あ、ヤバイ、マジ、焦る。
「あれ? 知らないと思ってた?」
京子も立ち止まり、にっこりと笑顔で振り返る。俺は思いっきり何度も首を縦に振って見せた。そしたら、更に笑顔になって。
「バレバレだよ〜アキ」
「ば、バレバレ??」
「うん、バレバレ」
そう言って、俺に近付くと、真っ赤になっているであろう顔を、じっと見つめてくる。
「いつも江口君ばっか見てるし、教室でも江口君の姿を目で追ったり? で、そのおかげでアキは人の話聞かないの。でもね、アキ、相手の見てないところでいくら目で追っかけても、気持ちなんか伝わらないよ?」
「俺は、べ、べ、別に……」
「だって、アキも気付かないでしょ?」
「な、なにを?」
「まぁ、それはいいんだけど」
いいのかよ! そこまで振っといていいってなんだよ!
「でもね、だから私も安心できてるって言うか……うん」
「あ、安心?」
「そう、服部君はいつもはっきりアキのこと好きだって言うじゃない? 辛くないって言ったら嘘になるけど、でも、アキの気持ちが江口君にあるんだって思ったら、服部君には悪いけど、私、安心して見てられるんだよね」
「……京子」
「えへ、私って結構したたかなの」
京子は、可愛く舌を出してはにかんで見せた。
か、可愛いじゃねぇかコノヤロー……って思ってる場合じゃねぇ。待て、待て、ちょっと待て。京子が知ってるって事は……まさか……。
今度は赤かったはずの顔が、青に変わっていくような気がした。血の気が引いていく。
「あれ? アキは、江口君の事、す……っ!」
「わぁ! わぁかった……から」
俺は慌てて京子の口を掌で塞いだ。
「いい、いい、よせ」
そのまま俺は、周りをキョロキョロ見回して、誰もいない事にホッとした。そして、ゆっくりと京子の口から手を放す。
「アキ?」
「み、認めるよ、だから、それ以上……い、言わなくても……」
「ん、わかった」
「あ、あのさ……俺、そんなに態度にで、出てる?」
俺の問いに、京子は首を縦に振った。
「……マジかよ……だったら、あっちも……」
「う〜ん、どうかな〜……江口君も気付いてるかって事だよね……たぶん気付いてないと思うよ、ほら、私はいつもアキの事見てるじゃない? だからわかるだけだし、あ、でも違う意味で見てるっていったら……」
気付かれてない? そうか、だったらいいんだけど……。
「違う意味、って?」
「う〜ん、内緒?」
「なにがっ!」
京子は、ふふふ、と意味あり気な笑みを浮かべると、すかさず片手をあげた。
なんだ?
「じゃ、私、駅こっちだから」
そう言ってバイバイと手を振る。
ちょっと、待て――――っ!
「お、おいっ!」
かなり話が中途半端じゃね?!
駆け足で駅に向かう京子の背中が遠ざかる。
「おいっ!!」
俺の声を受け止めた京子が、ふと、立ち止まった。そして、満面の笑みを浮かべて振りかえる。
「アキが何を気にしてるのか知らない。でも言いたい事はちゃんと伝えなきゃ損だよ。もしも、アキが自分で言葉使いが男みたいだからって事なんだったら、それは気にしないでいい範囲だと思う……だって、だってアキはアキで、ちゃんと乙女してるよ」
は?
「じゃぁね、また明日、頑張ってね」
自分の言いたい事だけ言って、京子はまた、背中を向けた。京子を引き留めようと伸ばした俺の腕が、虚しく宙に置き去りのままだ。
「お、お、乙女ってなんだよ……」
俺は、ゆっくりと腕を戻した。
俺が気にしてる事……ってなんだ? 自分でもわかんね。でも、言葉使いじゃないって言ったら嘘だ。あ、やっぱ言葉使いなのか?
陽は『女は大っ嫌いだ』って言った。でも、俺は女だから、昔の俺じゃなくて、今の俺を見て欲しいって思った。
だから、男みたいにつるんでた、あの頃の俺を、知られたくなかった。いや、でも本当はどっかで、俺だって知ってほしいって思ってたのかもしれない。
あ――――っ、くそ! わかんなくなってきた。
だいたい俺は、なんでこんなに気持ち隠してんだろ。そうだよ、はっきり言っちまえば済む事じゃないのか?
いや、でも振られるのが怖かったんだよな。いやいや、陽には彼女がいたから遠慮して?
いやいやいやいや……でも、陽がもし、俺が、あの時の俺だって知ってたら、既に『よう、久しぶりだな』って言ってくるんじゃね?
そうだよな、もし気づいてたら、言うよな、普通。
って事は……気付いてない……だったら今さら俺だって言っても『はぁ? あの時の男がお前? キモい』って言われる可能性もあるって訳だ。
そうそう、俺はそれが怖くて……いや、陽がそんなこと言う奴じゃないってわかってるだろ。
って、違――――――うっ!
俺は混乱にしていく頭を掻きむしった。
俺は――……陽を好きなんだって気付くのは簡単だった、でも、伝えるのってこんなに難しいもんだったなんて知らなかった。
だから、いつも素直に好きって言える京子や啓介が羨ましかった。
――言葉で言わなきゃ伝わらない。
その通りだな。
俺だって啓介に言われるまで、全然気付けなかったし……つか、気付いてやれなかった。
あの時、俺がもっと素直に言ってたら、女で陽を好きなんだって伝えてたら、今、こんな苦しむ事はなかったのかもな……あ、ヤベ、泣きそう。
俺は、流れようとする溢れるものを、ぐっと下唇を噛みしめて堪えた。
何やってんだ、俺。
結局、俺は自分から逃げてたんだ。
小学生のころは『俺』でよかったかもしれない。でも、高校生にもなって『俺』って言って、しかも陽を好きなんだって言ったら、嫌われるんじゃないかって思い込んでた。
だから、俺自身が、あの頃の『俺』を封印しようと必死だったのかもしれない。
『俺』は『俺』なのに、無理して『あたし』に変わろうとして、結局、苦しくて。
自分自身を見て欲しいって思ってたのに、俺が自分自身を隠してたんだ。
そうこう思い悩んでいるうちに、なんか家に辿り着いてるし……。
「くそ、何やってんだ」
呟きながら、俺はスカートのポケットを弄った。
ああ、もう無理するのやめようかな……って、あれ?
あれ?
「…………ない」
家の鍵が、ない。
「嘘だろ!」
どこやったんだよ、家に入れねぇじゃんかよ!
あちこち探しても、ないものはない……俺は、今日の記憶を必死で探った。
「あっ」
そう言えば、今日、鎖が切れた鍵がカバンから落ちて、そのままポケットに入れたと思ってたけど、あの時、面倒くせぇとか思って机に放り込んだった。
ああ、マジで血の気が引いていく。今日は何回引けばいいんだよ! ったく。
「しゃぁねぇな」
俺は鞄だけを玄関先に置き、踵を返した。
取りに行くしかねぇよな、スペアねぇし……って、マジで俺、泣きそうだよ!