〜 勝負 〜
昨日は一睡も出来てねぇよ……。まいったな……陽、亜美と付き合ってたんだ。
そりゃそうだよな、キ、キスまでする仲なんだし。
あ――――――――っ! もうっ!!
こんな時に勝負なんか出来るかってんだ!
パートナーはやっぱ彼女の方がいいに決まってんだろ?
なのに、なんで……俺を指名なんかしたんだよ、陽。
お前、全っ然、意味わかんねぇぞ!!
あ、でも、先輩も言ってたっけ。
『江口の実力に対等なのは加藤だって私も思ってる』
俺の腕か……それだけか……やっぱそうだよな〜……はは、なんか、少しでも期待した俺って、馬鹿みたいだな。
俺は、ベッドの中で思う存分捩れきって、徐に上半身を起こした。
それから、カーテン開けて、眩しい朝日を部屋いっぱいに注ぐ。
それにしても、近ぇ……近すぎる。
目の前には何の景色も広がらなくて、後ろの家のベランダがめちゃくちゃ近ぇんだよな。俺の部屋のベランダと、隣のベランダ、十センチも開いてねぇんじゃねぇの?
お隣さんとの挨拶は親父が済ましたし知ってはいるんだけど、後ろの家って付き合いねぇな……どうせ道一本違うし、あんまり顔合わす事もねぇし。
どんな奴が住んでるのかと思って見張ってた事もあったけど、あ、男だったら嫌だからさ。でも、俺より少し年上っぽい、姉ちゃんだったな。
目の前の景色はいいとして、まぁ、ちゃんと上から日は射すし、いいんだけど。
俺はそんな事を思いながら、窓際に飾ってある物に視線を落とした。
そっと、手に取って見る。
汚れないように、埃も被らないように、きちんと袋に収納されたそれは、陽が、最初で最後にプレゼントしてくれたリストバンドだ。
身に付けるの勿体なくて、ずっととってあったけど……なんか、もういいんじゃねぇかって思える。なんか一つでも繋がってたくて、ずっと大切にしてたんだけどさ。
でも、まだ、いいか?
俺は、お前の思い出に縋ってても……いいよな?
もう少し、忘れるまで、時間、掛かりそうだし……。
「お〜い、晶〜朝飯できたぞ〜」
あ、親父……帰ってたのか。昨日は徹夜残業だって言ってなかったっけ? まぁいいけど、それすら気付かなくて、昨日はあのまま寝ちまったんだ。
「お〜い」
「今行く!」
あ〜今日は亜美との勝負の日だ。なんか行く気しねぇ……つか、会いたくねぇ……。
それでも俺は、渋々と一階に下りて、食卓に座った。
「おい、お前、足どうしたんだよ」
「え?」
あ〜やべぇ……つか、ここんところ『やべぇ』って事ばっかだな。昨日、亜美に突き飛ばされて捻ったんだ、ったく、ついてねぇよ。
「お前、今日も部活だろ?」
「ああ」
「そんな足で大丈夫なのか? 今日くらい休めよ」
「いや、いいよ。どうせ大したことないし……それに、昨日より痛みは引いてんだ」
「そうか、無理すんなよ?」
「ああ」
「なんたって、俺の大事な一人息子だからな〜」
まだ言うか、このくそ親父。お前のせいで今、どんだけ苦労してると思ってんだよ!
「はっはっはっ、冗談冗談、お前最近綺麗になったもんなぁ〜」
言いながら俺の肩を叩くのやめろ、足に響く。
「はぁ?!」
親父が、からかうように俺の耳元で囁く。
「恋でもしてるのか? うひひ」
「ばっ!」
ばっかじゃねぇの? なにが『うひひ』だ。マジでバカ野郎、って相手する気力もねぇ……恋どころか、失恋したてホヤホヤだっちゅうの!
傷口に触んな……。
「あれ? 今日は何も反抗してこない?」
「うるせぇ」
「寂しいなぁ、パパ」
「な〜にがパパだ、今まで一度もそんな風に呼んだことねぇだろ」
「そうだっけ?」
あぁ、こんな親父に付き合ってらんね……。
「早く仕事行けよ、親父、週末休みなしだっていってたろ」
「ああ、そうそう、今夜こそは帰れないから、ちゃんと戸締りしとくんだぞ。昨日、鍵開いてたじゃないか、不用心だな」
「ああ、悪ぃ」
それどころじゃなかったって言うか……な。
ちらりと時計を見やると、もう八時ちょい前。
「あ、やべ」
行かなきゃ、そう思って俺は急いで飯を喉の奥にかき込んだ。
「部活何時から?」
「九時」
「送ろうか?」
「いい、歩く」
「そか」
親父は、あまり俺の事は干渉しない。あまりしつこくもない。だから、会話のある時はちょっとウザいけど、友達みたいにいい関係を保ってると思う。年頃の女が思うような、親父臭い、とか近寄るな、とか洗濯物分けて云々とか、ねぇもんな。
「行ってくる」
「ああ、行って来い」
少し痛みの残る足首をかばいながら、俺は靴を履いた。
あ、でも大丈夫かも……あんまり力は入らねぇけど……無理に動きさえしなければ。しかも、悟られないように歩かなきゃな。
こんな足で試合するっつって、同情されたくねぇし。
***
「気合入ってんな〜」
俺はベンチに座り靴を履き換えながら、既にコート内でアップを始めている亜美を見ていた。
「そうね、なにがなんでもアキに勝つ気みたい、闘志がむんむん伝わってくる」
俺を心配してか、京子も、午後からのはずなのに早く来てくれている。あと、平塚先輩が今、コートに入ってきた。
「おはよう」
「おはようございます」
「どう? 調子は」
「ええ、まぁまぁです」
「そう」
そう言って、亜美を見やった。そして、その視線が、男子コートへと向けられる。
え? 男子も今日は午後からのはず……って、え?!
陽っ?!
なんで知ってんだ? しかも啓介まで居やがる!
「昨日、寺倉に話しちゃったのよね〜今日の事」
「え?」
「でも、ま、いいでしょ。江口も自分のパートナーがどっちになるか見たいでしょうし」
ええ、そういう問題?
なんか、マジ緊張するんですけど。
いつもなら、全員が揃って練習やってるし、陽が何してても気にならないんだけど……今日は違う。確実に、俺の試合を見るんだ。
その視線に、耐えられるだろうか。しかも、あいつは亜美の……そっか、亜美を応援しに来たって感じかもしれない、そっかそっか。
俺、なに勘違いしてんだ? いくら指名してくれたからって浮足立って、惨めだよな。
平塚先輩は、さっそく審判の位置に着いた。
「レディ、サーバー木下、レシーバー加藤。五ゲーム」
四ポイント先取で、三ゲーム取れば勝ちになる。
ちらりと、俺は陽を見やった。
なんか、啓介と話してるっぽい。でも、目が怖いっていうか、睨まれてるっていうか。
あ、啓介の奴、手なんか振りやがって……へらへらしてんじゃねぇよ。
そのまま、俺は亜美とネットを挟んで、向かい合うように立った。
「負けないから」
そう、一言、亜美に言われて、俺の目も見ようとはしない。
「ああ」
俺だって素っ気なく返事するしかねぇだろ。
「お願いします」
互いに審判に一礼をして、散らばる。
昨日のうちにトスだけはしてあったから、どっちが権利を持つかは決まってた。亜美がサーブ権を持っていった。だから、俺はレシーバーの位置に着く。
こい、亜美。
俺だってテニスに関しちゃ意地があるんだ。恋に負けてもテニスは負けねぇ!
試合が始まる、俺は、この緊張感が好きだ。
高くボールがあげられ、ラケットが空を切る。
来る!
でも、一球目は大きくサービスラインを外れた。
「フォールト」
いきなりアウトだ。きっと、亜美だって今日は違う緊張感があるはずなんだ、絶対に隙もあるはず。
二球目は、インに入ってきた、俺はそのボールを亜美のコートに返す。とりあえず様子見。ネット手前に落としたから、亜美はすぐさま走ってくる。
「0−15」
でも、足遅ぇ……あっという間に、亜美の手の届かない場所にボールが落ちた。
悔しそうに、亜美は唇をかんでる。
亜美が再び、サーバー。
だけど、何度やっても、亜美は俺の球を返せなかった。あいつが打ってくる場所がお決まりだ。亜美の苦手なコースも見極めている。
そのまま、ラリーをあまりする事もなく、俺は呆気なく亜美に勝ってしまった。
「ゲーム加藤、チェンジエンド」
審判の声で、俺たちは互いのコートを変わる。
なんか余裕?
でも亜美は、既に疲れて息をあげている。俺はほとんど亜美のサーブしか打ち返してないし、それでも、返しにくい位置に打ってるから、亜美を走らせている。
昔、陽と一緒にテニスをした時みたいだ。
俺はあの時はなにも出来なくて、無暗に打ってはただ陽を走らせてたっけ。でも今は違う。相手の選手を見て、得意不得意を見定めて打てる。
「ゲーム1−0、サーバー加藤」
絶対に負けない。俺は勝つ。
審判の声を合図に、俺はボールを高く上げた。そしてスイング。
ちょ、待て……あれ……。
なんとかガットにボールを当てた。
「フォールト!」
でも、大きくボールは弧を描いて、ホームランだ。
まさか、俺が? ミス?
つうか…………いってぇ――――――――――っ!!
足、マジ痛ぇ!
力入んねぇじゃね?! じんじん、焼けるように痛いんですけど――――っ!
さっきはあまり動かず、力も入ってなかったから気付かなかったけど、て俺、どんだけ鈍いんだよ。サーブ打つ時に、思いっきり体重掛かる部位だった!
やばい、マジでやばい……気付かれたら終わりだ!
左狙われたら終わりだぞ、俺!
落ち着け、落ち着け。
俺は何でもなかったように、痛みを我慢して、今度は何とかサーブを入れた。でも、いつものように、キレもないし早さもない、亜美には簡単に返されるし、やばい事尽くしだ。
追いつけ!
始めに俺がやったように、亜美もネット際を狙ってくるのは目に見えていた。だから、俺はすぐさまスタートできた。
よし、返した。
って、マジで?!
大きなチャンスボールじゃないか?!
亜美はニヤリと笑みを浮かべ、思いっきりスマッシュを打ってきやがった!
俺は、それ以上、動けないまま、ボールをコートに落とした。
こんなもん、いつもなら取れる球だし、あんなチャンスボールも返さないのに。
しかも、あいつ、俺の左足に気付いたようだ。
――――最悪だ。