〜 勝負 2 〜
「0−15」
それからは、あっという間に、っていうか当然の如く、俺の左が狙われて動けず終い。
俺が走れない事がわかって、ネット際に誘い出しては、大きなロブを打つ。アウトラインぎりぎりに頭上を越されて、俺は成す術がない。
「3オール デュース」
なんとかここまで持ってこれた。でも、早めに決めないと次はない。そう、俺の足が限界に近いんだ――――っ!
何とかサーブを返す。でも……俺の返しに慣れた亜美は、反対側のサイドラインを打つ。
くそ、読めてんのに……あいつの打つコース読めてんのに足が動かねぇ!
そのまま、呆気なく……今度は俺が呆気なくやられた。
「ゲーム木下。チェンジサービス」
嘘だ、誰か嘘だと言ってくれ!
一ゲーム落とした……そ、そうだ、たかが一ゲーム……一ゲーム。
それからの俺は、ボロボロだったのは言うまでもない。
あまり走らないように前に詰めてボレーで返して、なんとかラリーは続くものの、最後には痛みに勝てない。
俺、弱ぇ……。あまりの痛みに顔が歪む。
「ゲーム木下。チェンジエンド」
平塚先輩は、そう言いながら、俺を訝しく見て「終わりにする?」と口が動いている。見ていられない、と続けるも、俺は首を横に振る。
わかってるよ、わかってる。
負けてる……俺が……だけど、このままじゃ終われない。
俺の左足が、もう無理だといっているように、感覚さえ怪しいもんだった。
でも、次のゲームは落とせない! 絶対に落とせないんだ!
そう思って、高々とボールをあげた時だった。
「やめろっ!!」
そう叫んで、コート内に怒鳴りこんできたのは陽だった。
「な、なんだよ、試合中……」
俺の言葉なんかお構いなしに、ズカズカと陽は近付いてくる。
「こんなもんのどこが試合だっ! 試合になってねぇし意味もねぇだろ!」
怒り心頭の陽に対して、平塚先輩もため息を零した。
「そうね、その通りだわ、ゲームセット」
「やった! じゃぁ私が勝ったのね!」
高々と両手をあげて喜んだ亜美に、陽が鋭い視線を突き刺した。
「ノーゲームだ!!」
「なんでよ?!」
陽は、亜美の叫びも聞き入れず、俺の目の前に仁王立ちした。
「お前、なめてんのか」
静かに陽が言う。だけど、その声は怒っていると嫌でもわかる。
「な、なめてなんか……」
「だったらその足は何だっ! そんな足でよく試合出来るって言えるなっ!」
「こんなもん、怪我のうちに入らっ……」
「お前! プレーヤーとしての自覚あんのかよっ! レディーポジションもめちゃくちゃだし、フォームも崩れてる、全然走れてなくてラリーは続かねぇ、第一サーブが入らないなんて致命的だろ!」
そこまで言われると、何も言い返せない。
「お前はそんなプレーヤーじゃないはずだっ! あいつに勝てないお前じゃないだろ!」
「酷い陽っ! でも勝ちは勝ちよ! 私が陽のパートナーになるんだから!」
亜美が陽の腕に縋りつく。
「約束だったもん!」
陽は、容赦なく亜美にしがみつかれた腕を振り払った。
「お前、うるさい」
冷ややかな視線が、亜美に突き刺さる。
「勝ち負けの問題じゃねぇんだよ」
「そんな問題よ! これがこの試合のルールだったの!」
「そんなもん! ルールでもなんでもねぇ!」
「私は陽と一緒に出たいの!」
いい加減にしろ、と言わんばかりに陽は、しつこく付きまとう亜美の手首を掴んだ。今にも触れてしまいそうなほどに鼻先が近い。
「お前と出ても勝てねぇんだよ! 勝負なめんなっ!」
「……陽……」
「先輩」
そう言って、陽は亜美の手を放すと、平塚先輩を見やった。
「こいつ、この足じゃ今度の予選は無理だと思います」
「え、ええ、そうね」
「だったら!」
私が、と亜美が食い下がるが、陽は聞く耳を持たない。
「俺も辞退します」
「え?」
意外な言葉が耳に落ちた。なんで? なんでだよ、陽……。
「アキと組めないんじゃ、意味ねぇし」
意味ないとか、そんなこと言ったら、俺が勘違いするだろうがっ!
俺は、なんか同情されてるみたいで情けなくて、ラケットを持つ手をギュッと握った。
平塚先輩は「何言ってるの?」と眉をひそめた。ベンチから見守る京子も、おろおろとしてる。
亜美と言えば、今にも泣きそうな顔で、俯いちまった。
陽は、また俺に近付き、片膝を落とした。
「おい、足、見せてみろ」
「い、いいよ、こんなもん」
「いいから見せろっ!!」
ビクリ、と肩が上がる、なんでここまで怒ってんだよ。
陽の手が、俺の足首にそっと触れようとした。緊張で、俺の体が硬直寸前だ。
「やだ! 触んないで! そんな女の体にっ……!」
「うるせぇって言ってんだろっ!」
陽は、そう怒鳴ったけど、亜美の方を見る事なく続けた。
「木下、お前は予定通りシングルに出ろ、俺はお前と組む気はない」
追い打ちをかけるように、陽の冷ややかな言葉が落ちる。
「あ、陽のバカ――――ッ!!」
そう叫びざま、亜美はしゃがみ込む陽の背中を力いっぱいに叩いた。
「いってぇな! てめ……」
でも亜美は、陽の声を聞かずに、コートから全速力で走り出ていってしまった。
「あ、おいっ! 亜美」
俺はなぜか、亜美が可哀そうになって、追いかけるように腕を伸ばした。でも、その腕を、陽が掴み止める。
「なんだよ! あんな言い方! 亜美が可哀そうだろっ! 少しは認めてやれよ!」
「ほっとけ」
陽はまた、冷たく言い放った。
ほっとけって、そりゃ、俺だって別にかまう筋はねぇけど、でも、女を泣かせて平然としてるなんてダメだろ。
「うるせぇ! 放せ!」
俺は、そう言って陽の腕を振り払う。そして、亜美を追いかけた。
もう、言葉使いなんかどうでもいい、どうせ昨日でバレてんだ。どっからでも噂にはなるだろ。俺が、男みたいな女だって……でも、もう隠す必要もねぇ。これが俺なんだ。
「あ……っの、バカ! 止まれ!」
俺を制止させるような、そんな声が聞こえたけど、でも、ほっとける訳ねぇ、だって、俺……二回も亜美を泣かせちまったんだぞ!
足の痛みなんか気にならないくらい、俺は走った。つか、もう麻痺寸前だぜ。
それにしても、ったく、どこ行きやがった、亜美の奴。
あいつ、きっと泣いてる……一人で絶対に泣いてる……。
でも、どこを探してもいない……もう、校内にはいねぇのか?
裏庭に来て、木の陰も、石碑の陰も隈なく探した。それでも、亜美はどこにもいなくて……って。
「……な、なんだよ……」
俺の腕を掴み取る手に、振り向く。
そこには、俺が亜美を探したように、俺を追いかけて来た陽がいた。
「はぁ、はぁ……それ以上……はぁ」
「は?」
息を切らし、大きく肩をあげている。
「放せよ」
「ダメだ!」
心が苦しくなる……陽が掴んでいる部分が、熱くて堪らない。まだ、好きだって鼓動が言ってるみたいで、高鳴りが抑えられない。
「放せ!」
そのドキドキが伝わるのが怖くて、俺はまた、陽の腕を振りほどく。
赤くなる顔を見られたくなくて、そのまま俺は俯いた。
「アキ、お前、足を怪我してんだろ……それ以上無理して、悪化させるな……」
さっきとは違う、いつもの優しい声だ……なんで、そんな声で、俺の名前を呼ぶんだよ……諦めようとしてるのに、なんで……俺の気持ち揺さぶるんだよ。
「いい、俺の方こそ、ほっとけよ……」
本心じゃない、ほっといて欲しくない、そんな優しさで俺を追いかけて来てくれた事、嬉しくない訳じゃない……でも、お前は、亜美の……。
そう思ったら、もうどうにも居た堪れなくて、この場から早く離れたくて……陽の横を通り過ぎようと走り出す。
「どけよ」
心にもない言葉を言い放って、走り出したなりだった。
既に感覚のない足が縺れた。
「アキっ!!」
転びそうになって、俺の名前を呼んだ陽が、俺の腕を掴んで、バランス崩して、俺をかばって……あっという間に、俺たちは地面に叩きつけられた。
なんか鈍い音が、聞こえた気がする。でも俺は、足以外は全然痛くない……。
なんてことはない、下敷きになった陽が、俺と地面の間に居る。俺は、陽に重なるように倒れ込んでいた。
「あ、ごめ」
すかさず、俺は陽から離れようと体を浮かせた。でも、足が言う事を利かなかった。
「……いてっ」
そう呟いて、俺の歪んだ表情が、かなり陽に近い。
やばいって、マジで、俺の心臓の音が陽にも聞こえちまう!
早く離れなきゃ、早く……。
でも、陽の腕が、そっと俺の背中に回る。
「動くな……」
「え?」
な、に……すんだよ。
「無理すんな」
そう言って、陽の手が、どんどん上にあがって来て、俺の髪に辿り着く。
陽の指が、心地よく俺の髪を撫でる……陽の鼓動を、こんなに近くに感じて……焦がれた吐息が熱くかかる。
「足、相当、痛ぇんだろ、動くなよ」
陽の瞳が、やけに近い。ここまで近くで見つめるのなんて初めての事で……でも、なんてきれいな瞳なんだって思った。
「ちょ……」
でも、そろそろ動揺が隠しきれない、倒れてから数秒も経ってねぇのに、すごく長く感じる。このままだと、俺、どうにかなりそうだ。
――絶対に、離れたくなくなる。
すると、陽の指が、後頭部の髪をふわりと絡め取った瞬間、ぐいっと引き寄せられた。
うわっ……なんだこれ!
始めは本当に一瞬過ぎて、何が起こったのかわからなかった。
「……んっ……」
陽の唇が、俺の唇に重なってる。
やめ……息……できねぇ……。
でも、陽の手で抑えつけられた頭が、動かない
離れ、られない……。
――熱い……陽の唇が……めちゃくちゃ、熱い……。
なんで、こんな事になってんだろう……俺が、陽と……キスなんて――……。
なんの悪戯だよ。