〜 予選 〜
俺は、あのまま捻挫決定……ったく、少し捻ったくらいかと思ってたんだけどな、マジで最悪。
お陰で予選は出れねぇし、結局は陽とのミックスも夢となった。
ああ、くそ。ついてねぇ……。
で、今日は予選な訳。
出ない部員は応援。勿論俺も、応援。
「いってくる」
「おう、今日は送らなくて平気か?」
「ああ、大丈夫だ」
そう言って、俺は履いた靴のつま先で地面を叩く。
うん、痛みもなくなってきた。
あん時、走らなかったらもっと早く良くなって予選出れたかもしれないな。
あ、やば。急に顔が火照ってきた……。
「なに、お前茹でダコになってんだよ」
いきなり親父が顔を覗き込むもんだから焦る。
「ば、あ、赤くなってねぇよっ!」
「よ、恋する乙女、頑張れよ」
「ちげぇって言ってるだろ! バカ親父!!」
そう言いながら玄関を開け、親父のニヤけた顔を視界から消した。
あん時……思い出しちまったじゃないか……走らなければ、足も痛くなくて、不甲斐なく倒れ込む事もなくて、あ、陽を下敷きに……下敷きに……それから。
「だぁ――――――っ!!」
考えただけで無理!
俺は髪を思い切り掻き毟った。
なんであんな事になったのかなんて考えただけで頭ん中パ二くって、夜も眠れないくらいなのに、なのに――……。
あいつは、あの後どうしたんだろうって気になって仕方ない。
避けたいのに、避けられない事実とか、気になって仕方ない妄想とか……もうマジで俺の中で無理なのに……。
でも、その結果は考えなくてもわかるんだ。
あの後、陽は亜美とミックスに出る事になったから。
あんなに嫌がってた亜美とのコンビを、次の日にあっさり了承してんだから、何かあったって勘ぐるって。
「はぁ〜……」
今度はため息しか出てこねぇや。
もう、無理、マジ無理。誰か、俺のこの脳内を違う記憶で埋め尽くしてくれ。
「よう、早いな」
そう思っていると、背後から聞き覚えのある声。そして、今、最も聞きたくない声が聞こえた。
どうする、これは振り向くべきか? それとも聞こえなかった振りを決め込むか?
「てめ、何無視してんだよ」
いや、無視じゃなくて、嫌っていうか……あ、無視か。
「おい、お前いい加減に」
そう言ってその声の主は、俺の肩を掴み強引に引っ張った。
「あ、お、おはよう……き、奇遇だな〜」
なんで俺、こんな締りのない顔してんだろ。もう、ここから逃げ出したいのに。陽の顔なんか、まともに見れねぇのに。
「よ、予選、頑張れよ。俺、出れねぇし、その分も」
「当たり前だ」
「あ、そ、そっか」
そんな他愛ない話だけで、まだ、ドキドキする自分がいる。
「行くぞ」
そう言って、陽は横を横切り、俺の前を歩く。
自然に、俺の前を……つうか、なんで陽ここに居んの?
この地区の家だとは思ってたけど……俺、家出てからそんなに歩いてないぞ。もしかして、家とか、近いのか?
あ、いやいや、そんな事どうでもよくてだな……俺はこの前、陽の前で『俺』とか言っちゃってるんだけど、こいつは気にならないのか?
もう既に、俺の中では諦めがあるけど、なんでそこには突っ込んでこない。
それとも、聞こえなかったか……?
「おい」
ふいに陽が振り向く。
「な、なんだよ」
「お前、もしかしてまだ足痛いのか?」
「は、なんで?」
「遅いから」
「……わ、悪かったな遅くて! 痛くねぇよ!」
そう言いざま、俺は陽を追い越し、先を歩いた。
なんで、こいつはこんな普通にいられんだ、あんな事あったのに……。
あんな事……だぁ――――――っ!
また思い出しちまったじゃねぇか!
「おい、無理すんな」
後ろから陽が言う。
無理する、するっての! 今、こんな俺を見られてたまるか、意識してんのバレバレじゃねぇか! こんな、茹でダコみたいな顔、見せらんねぇだろ。
いや、それよりも、お前の顔が見れねぇんだよ。
恥ずかしいとか、そう言うのあるだろうけど、でも、一番気になってるのは、あれだ。
陽は、亜美と何かあったのかなんて……そんなこと考える自分が嫌で仕方がない。
***
「お、次は江口とあの子みたいだな、スタンバってる」
そう言いながら、俺の横に座ったのは啓介だ。
「ああ、そうだな」
「これ勝てば、予選リーグ上がって決勝トーナメントだろ」
「ああ」
「江口のリーグに前島いねぇし、余裕だろうな」
「当たり前だ。前島いたって余裕だろ」
選手、マネージャーは、各々藤木ベンチにいる。俺ら応援組は、コートを見下ろすスタンドだ。
「って、お前はなんでここにいんだよ」
「あ、俺?」
そう言って啓介は屈託なく笑う。
「さっき、前島の三年に負けたから、早々にベンチから撤退してきた」
負けたのか……そっか。
「ファイナルまでいったんだけどな、相手は優勝候補だったけど、最後は俺のミス」
「残念だったな」
「え、慰めてくれる?」
「やだね」
「あっそ」
なんでこいつはこんな調子いんだよ。あ、でも……やっぱ、啓介がこんなに近くに居ても、全然気にならない。それに、陽が言えばドキドキする言葉を啓介が言っても、普通でいられる。
「っていうか、お前、俺の応援してくれてなかったろ!」
「は? 変な言い掛かりつけんな! 俺はちゃんとしてたよ!」
「嘘つけ! お前の声、全然聞こえなかったし、俺がコートから手を振っても無視しただろ!」
げぇ、お前コートから手を振ったのかよ。試合中に有り得ねぇ、こいつ。
でも、応援してたってのは嘘だ、ごめん啓介。
俺はずっと、陽を見てた……ずっと、ずっと、陽だけを……俺、マジで諦めの悪い奴だよな。どんなに目で追っても飽きないし、気持ちがないってわかってても見ていたいだなんて。
「江口ばっか見てた」
「え?」
思わぬ言葉に、俺は仰け反った。だんだん頬が赤くなっていく。
それどういう意味……は、まさか、まさか――――っ?!
京子だけじゃなく、啓介まで気付いてたとはっ!
「え、じゃねぇよ……否定しろよ、ったく」
「いや、あの……そのっ、だから」
「なにキョドってんだよ。分かりやすい奴だな……」
ひ、否定できねぇ――――……だって、陽への想いは嘘じゃないから……。
「それより」
啓介は静かに見つめてくる。この間はなんだ。
「お前、言葉『俺』に戻ってんね」
そう言葉を繋げた。
「やっぱ今まで無理してた?」
啓介が顔を近付け、更に見つめてくる。なんだよ、何が言いたいんだよ。
「この前、あいつとキスしてから?」
「×Ж★ζл※▲!!」
「何言ってるかわかんねぇ……」
ダメだ、耳まで真っ赤だっ! なんで知ってんだ、こいつっ!!
「あ、なんでって顔してる? だって、俺アキ追っかけてったから……そしたらお取り込み中だったし……長田もいたけど」
きょ、きょ、京子も見てただと――――っ?!
あ、あいつ何も言わなかったから、あ、やばい、め、目眩が……。
「おっと、アブねぇ」
後ろに倒れそうになった俺を、啓介が咄嗟に支えた。
「ちょ、ばか、やめ」
近い近い近いっ!
「え、今手ぇ放したら、お前頭打つと思うけど」
「うわ、放すな!」
「はは、どっちだよ、俺的には嬉しい設定だけど」
そのまま俺は啓介の腕に支えられたまま、取り押さえられた茹でダコになってた。
それ以上、啓介は何もしないで、ただ、俺が落ち着くのを待っててくれた。
「落ち着いた?」
「あ、ああ」
隣に啓介が並んで座る。こいつ、良い奴なんだよ、本当は俺だってわかってる。でも『好き』じゃないんだ。もちろん好きだけど、それは『友達』としての……。
「なぁ」
「あ?」
啓介は前を見据えたまま、俺に聞いてきた。
「俺がテニス始めたきっかけとか知ってる?」
そう言って、今度は俺の方を見て笑う。
「え、いや。全然」
「その言い方、全然興味ねぇって聞こえるんだけど……」
「そ、そうじゃねぇよ」
「うん、わかってるけど」
クスクスと啓介が、また笑った。でも、すぐに真剣な表情になる。
「俺さ、お前が五年の時、北区のコートでテニスしてたの、知ってる」
「え?」
なんで、だって、そんな素振り一度も見せた事ねぇじゃん。夏休みの学校あった時でも、普通に接してて、何も聞いてこなかったじゃん。
俺はそう、五年の夏を思い出していた。
「すっげぇ楽しそうにテニスしてて、俺、見てたけど、一度も声、掛けられなかった」
「なんで」
「なんでって、好きだからに決まってんじゃん。お前らの間に入り込めなかったっていうか」
またこいつは、さらっと自分の感情を言いやがる。
「だから、少しでもお前と同じ位置に居たくて、同じ場所に立ちたくて」
「で、でも柔道は一緒にやってたじゃん」
「ああ、あれ」
啓介が、真剣な表情を少し崩した。
「でも、あれはお前の親父さんがやってて、お前も仕方なくって感じだったろ? でもテニスやってる時のお前は違ってたよ。なんか、こう眩しいっての?」
「そんな、事……」
俺がテニスやってて楽しかったのは、陽がいたからだ。陽と一緒に居るのが、楽しくて、楽しくて……。
だから、そん時の俺が一番だって言うこいつの言葉は間違ってないんだ。
「だから、俺もテニス始めたの」
「……啓介」
そう呼んだら、啓介の顔が一層に近付いた。そして、啓介はコートに背中を向ける感じになって、それで、軽く……俺の唇に触れる。
ちょ……。
パ二くる前に、素早く啓介は唇を放した。
な、何したっこいつ! 今、何しやがった――っ?!
「俺、マジだから……お前に対する気持ち、マジ……それだけは分かっといて」
「け、い……てめ」
いつものように怒鳴れない……啓介の気持ちが、痛いほど伝わってくるから……でも。
「俺も、あいつと同じ場所に立ちたい……アキの目の前に、同じ位置に……」
だからって、こんなキ、キスする事が……同じって言えるか?
「ごめんね」
そう言って、啓介はまたコートの方に向き直した。
何事もなかったかのように、啓介の唇が、まるで風に当たった感触のように。
苦しい、誰か、俺を助けろ!
「あ、江口、もう試合してんじゃ……」
その声に、俺はコートへと視線を移す。
そこには、陽と亜美がいて、既に試合は始まっていた。
あれ……でも……。
「おかしいな」
啓介も気付いてる。陽、なんかおかしい。
「もしかして、俺がここに居るから動揺してんじゃ」
「んな事あるかよ。なんであいつが動揺するんだよ」
「キスしたとこ、見られたとか」
「あ、あんなもんキスじゃねぇ! さわやかな風だ、風! お前は風だ!」
な、何言ってんだ俺……訳わかんねぇ……でも、早くなかった事にしようとしてる。俺って結構残酷だったりするのか。
啓介が、ちらりと俺を見流す。
「な、なんだよ」
「いや、別に……」
そう言って、また二人で陽の試合を見入った。
やっぱりおかしい、なんか、右腕をかばってねぇか?
そう思った時だ、俺は、あの時の記憶が蘇った。
「あ……」
「江口、右肘がぎこちないな。伸ばしきれてないし、曲げる時も辛そうっていうか、球もネットを超えない」
そうだ、あの時、陽は俺をかばって後ろに倒れ込んだんだ。で、そん時は俺がパニック寸前で気付きもしなかった……陽、右肘を打ったんだ。
「怪我か、気付かなかったな」
啓介の言葉にドクン、と鼓動が一鳴り。
俺のせいだ、俺のせい……俺の。
「ゲームセット!」
審判の甲高い声が上がる。そして、それは陽の敗退を意味していた。
あっという間だった……しかもストレート負けってなんだよ。
「う、そだろ」
陽が、予選敗退とか、有り得ねぇ――……。
いや、有り得ねぇのは誰でもない……俺自身だ。
陽をずっと見てたって、本当にただ見てただけだったんだ。もし、もっと早く気付いてたら、試合なんか出さなかったのに!