〜 溢れる想い 〜 




 

 放課後、俺は三年の送別会兼、一年の歓迎会の為に、京子と共にコートへと向かった。既に、二年が準備を済ませ、香ばしい匂いが漂っている。俺はかなり後に来たみたいだ。

 

 テニス部のみんなが、三つ用意されたバーベキューコンロを囲んで楽しそうに話している。

 

 でも、その中に陽の姿はない。

 

 少しホッとしたような、残念なような……。

 

 何も会話がない分、陽を見る事だけが救いだったような気がするから。

 

「あれ? 加藤、髪切ったの?」

 

 平塚先輩が、さっそく髪を短く切った俺に気付いた。少し戸惑いながら、自分の髪を撫でる。

 

「え、ええ、まぁ……」

 

 ちらりと亜美を見やったけど、こっちを見ていない。会話は聞こえているはずなのに、見ないって事は、かなり分が悪いんだろう。

 

 俺は、すぐさま、髪の話題を変えようと思った。

 

「も、もうみんな来てるんですか? 美味しそうですね」

 

「ああ、そうね、後は江口と服部だけみたいだけど……二人とも来ないのかな?」

 

「へぇ」

 

 平塚先輩が飲み物を片手に、周りを見回した。それに続いて、俺も素知らぬ顔で周りに視線を配る。そう言えば、啓介もいないや……。

 

 ふと、久石先輩の瞳とぶつかった。

 

 なんだ……やけに睨まれてる気がするんだけど……俺、なんかしたっけ?

 

 そう思いながら首を傾げたが、思い当たる節はない。

 

 ま、いいか。そう考え、俺はすぐさま、視線を外した。

 

「やだ、加藤さん、髪、切ったの?!」

 

 せっかくその話題を辞めようと思ってんのに、また誰かが戻し、わらわらと群がってくる。

 

 髪くらい、みんなも切るだろ。

 

「本当だ、髪切ったんだ!」

 

「わぁ、本当だ!」

 

 みんなが寄ってたかって俺に集中。そんなに髪切るの珍しい事ですかね?

 

「なんか、格好いい……ねぇ」

 

「うんうん、マジでいけてる」

 

 そんな事言われても、別に嬉しくないんですけど。自分じゃ、背が高い部分も重なって髪切ると男みたいになるから嫌なんだよね。

 

 でも、俺の思いも裏腹に、周りは勝手にはしゃぎだす。また、昔のように、女として見てもらえないような気がして、なんか複雑。

 

「せっかく伸ばしてたの切るのは勿体ないけど、似合ってる」

 

「うんうん、背も高いし」

 

「その辺の男の子よりいい感じ!」

 

 はいはい、男よりは何でも女の子の話は聞けるんじゃないですかね。

 

「しかも加藤さんって自分の事『俺』って言うでしょ? いいよ〜」

 

「そうそう、前みたいなぎこちない喋り方も面白かったけどね〜」

 

 ぎこちなくて悪かったな……つか、もうみんなは俺の言葉使いを知っている。もう何も気にしなくなってから直す事を辞めたから。でも、案外、周りには自然に受け入れられた。なにせ、この背丈と容姿だからな、違和感とかなかったんだろ。

 

「なんで切ったの?」

 

 ポツリと零された言葉を拾ってしまった。聞こえない振りをするのも良かったけど、周りにも、その声は聞こえたらしい。みんながその答えを待つように、それぞれが視線を俺に集中させた。

 

 いや、理由は……その……なんて言えばいいかな。

 

「あ、暑いから?」

 

 苦笑いしながら、そう言うしかなかった。

 

「え――? まだそんなに暑くないし、つか、縛ればいいじゃん」

 

「でも、いいじゃん。切った方が格好いいよ」

 

「え、でも女の子が髪切るのって失恋とか理由ない?」

 

 そんな答えを期待してたのかよ……つか、失恋して切るとか、今どきなくね?

 

 そりゃ、俺だって切る気なんかなかったよ、唯一、俺が女に見れる部分なんだから……でも……そう思いながらうんざりしていると、隣で京子が口を開いた。

 

「この髪、私が切ったんですよ?」

 

 そう、にこやかに。

 

「え――マジ?」

 

「嘘ぉ! 上手いじゃん!」

 

 えへへ、と京子が照れたように笑った。

 

「もしかして長田って美容師志望?」

 

 俺の髪よりも、今度は京子の腕に話題が繋がる……って、もしかして京子……わざと話題変えてくれた?

 

 このまま「なんで切った」かの話題が続いたら、亜美がますますここに居辛くなるからな。そう思って、また亜美を見やると、今度は俺たちに背中を向けていた。

 

 きっと、いつ俺が「亜美に切られた」とか言うと思って心配なんだろうけどさ……言う気ないのに……なんか、可哀そうに思える。

 

 俺は、周りの先輩方を尻目に、亜美に近付いた。

 

 別に文句を言う訳じゃない、ただ、気にするなって……亜美は悪くないからって、言いたくて……。

 

 だけど、突然、その行く手を阻まれる。

 

 久石先輩だ。

 

 目の前に仁王立ちとか、何なんだよ。

 

「よう」

 

 しかも、なんか、すっげぇ機嫌悪そう。

 

「あ、ども……」

 

 でも俺、この人とまともに喋った事もねぇし、何したって記憶もねぇし……呼び止められる筋合いはないんだけど……。

 

「なんですか?」

 

 一応そう聞いたけど、久石は不機嫌そうな表情を崩さない。

 

 いったい何だってんだ。訳もわからずに「あの?」と、今一度言おうとした時だ。

 

「ちょっと来い」

 

 そう腕を掴まれ引っ張られた。

 

「は? ちょ、何だよ!」

 

 俺は、久石先輩に引っ張られるまま、コートからどんどん離れていく。

 

 みんなは、それぞれの会話に夢中で、連れ去られそうな俺なんか見てない……つか、何、マジで……俺、久石に何かしたか?!

 

 離そうと思えば離せただろうけど、でも一応先輩だし、そう思ってるうちに、いつの間にか校舎裏だ。

 

 げぇ……何だよ、こんなところまで連れて来て……まさか、殴られるのか? いやいや、俺何もしてねぇっての。

 

久石がようやく俺の腕を離す。

 

 思ったより強く掴まれていたんだろう、赤くなった腕を擦りながら、俺は久石の背中を見つめた。

 

「……あの……」

 

 そう言うと、徐に久石は振り向き、また俺に鋭い視線を向けてくる。

 

 だから、俺、睨まれる覚えはないっての!

 

 久石は俺を見据えたまま、動かない。

 

 何がしたいんだ……? まぁ、話があるから連れて来たんだろうけど……でも、何の。

 

「加藤……お前……」

 

「は?」

 

 なんだよ、この手は……マジで、わかんねぇ。

 

久石の手が、俺の胸倉を掴んでいる。この体制ってのは、やっぱ、殴られる前提か? つか、なんで俺が久石に?

 

 そう考えながらも、俺の胸倉を掴んでいる久石の手を捻るように、自分の手を重ねた。

 

「何? 先輩に逆らうの?」

 

 不敵な笑いを浮かべて久石が言う。

 

 何が『逆らうの?』だよ。こんな理不尽な事されて引き下がる奴がいるのかっつうの。人を殴るのに理由もなしかよ。

 

「逆らうっつうか、なんでこんな事するんですか?」

 

「は? 男女(おとこおんな)が何言ってんだよ

 

 だからお前に殴られろってか? そんなもんは理由にはならねぇだろ。

 

「お前さえいなきゃ」

 

 なんで俺がいない方がいいんだよ、訳わかんねぇ事言ってんじゃねぇっつうの。このまま投げるぞ……。

 

「お前さえいなきゃ……木下が泣く事もない」

 

 一瞬、耳を疑う。

 

なんで……ここで亜美が出てくるんだよ……その名前を聞いただけで、久石を掴む俺の手が緩んだ。

 

「何、言ってんすか?」

 

 俺は俯き加減に言った。久石は更に胸倉を掴む手を強める。

 

「俺は、木下が泣いてるとこ見たんだよ、だから!」

 

 その言葉で、俺は理解した。

 

亜美が泣いていた、だから、久石は面白くない、その理由が俺だって聞いて……そうか、こいつは、亜美の事が好きなんだ……まぁ、俺が亜美を泣かせてるのは間違いないもんな。だって、亜美は陽の彼女だから、俺の事が気に入らないんだよな。

 

 陽の事を、好きだって言う俺の事を……。

 

 でも、だからって久石にこんな事される筋合いねぇだろ。

 

 久石は亜美の彼氏でもなんでもねぇんだから……好きな女が泣かされるのを許せない気持ちはわかるけど、でも、言ってみれば俺と同じ立場だろ。

 

 好きな奴に相手がいて……でも俺は、誰が陽の事を好きでも、こんな風に傷付けたりしたくねぇ。

 

「は? だから? なんで俺なんですか……つか、久石先輩が出てくるところじゃ……」

 

「関係なくねぇよ!」

 

久石は、言葉を最後まで聞かないまま怒鳴ると、更に俺を引き寄せた。

 

 顔が近いっつうの。

 

「俺は江口も気にいらねぇ! ちょっとテニスが上手いからって、我がまま放題だ。木下の気持ちも知ってるくせに……」

 

 亜美の気持ちも知ってるくせに? なんだそれ……意味わかんねぇ……つうか、久石……だっせぇ……。

 

「ああ、嫉妬ですか」

 

「何だと?!」

 

「だってそうでしょ、江口がテニス上手いからとか、そんなのただの醜い嫉妬でしかないっつうの。亜美の事だって、嫉妬の上に嫉妬重ねて、醜いっすよ」

 

「てめぇっ!!」

 

 ああ、言わないでもいい事まで言ったかも……久石の顔がどんどん赤くなっていく。これはかなり怒らせちまったな……。

 

 久石は大きく、もう片方の腕を振りかぶった。

 

 殴られるの、本望じゃねぇんだけど。

 

 そう思い、俺は、久石の腕をぐっと握った。そのまま、久石を背負い投げしてやろうと思った。

 

 でも――……次の瞬間に、久石の体が俺から引き離されたかと思うと、大きく宙を舞い、その背中を地面に叩きつけた。

 

「げほっ! ごほっ! くっ……そぉっ!!」

 

 久石が咽かえり、上半身を起こそうとしたけど、あまりの衝撃に起き上れないでいる。

 

 何が起こった?

 

 そう思う俺の目の前に、久石を背負い投げした影が落ちる。

 

「あ……啓、介……?」

 

「先輩、八つ当りは止めましょうよ」

 

 啓介がそう言って、笑いながら久石を睨む。

 

「服部! てめぇ……先輩を……!」

 

「はぁ? 今さら先輩面っすか? 女の子を殴ろうとする先輩なんか、俺、嫌なんですけど」

 

「そ、そいつは女じゃねぇだろっ!」

 

 その言葉を聞くや否や、啓介は久石に近付くと、まだ起き上れないでいる視界にしゃがんだ。

 

「まだ、投げられたいっすか?」

 

「なに?!」

 

「あいつは女ですよ……他の誰よりも良い女……言葉使いだけで決めつけんなよ」

 

 すると、久石はようやく上半身を起こし、啓介を睨みあげた。

 

「お前、このままで済むと……」

 

「俺が偶然にも通りかかって良かったすね?」

 

 久石の言葉を遮り、啓介が嫌みたっぷりに微笑んで言った。

 

「は?」

 

「俺に投げられて正解。もし俺が来なかったら、先輩、あいつに投げられてますよ」

 

「なん、で?!」

 

「俺もアイツも、柔道で段位持ってますから……先輩、嫌でしょ……女に投げられたなんて噂が回ったらカッコ悪ぃし……木下にも嫌われるだろうし……だから、男の俺で良かったねって話です」

 

 そう言って、啓介は更に満面の笑顔を作った。でも、笑っていない……啓介の目が、全然笑ってない。

 

「くそ……」

 

 久石は、悔しそうに拳で砂を握ると、そんな言葉を呟き、痛むだろう背中を庇いながらやっとの思いで立ち上がった。そして、俺を一睨みすると、すかさず背を向けてこの場を去っていく。

 

 なんだ……何がしたかったんだ……亜美が泣いたから、それが俺のせいで……だから、久石は俺を許せなくて……えっと、でも陽が久石よりもテニスが上手いのも根に持って……で、なんで俺にとばっちりが来るんだっての。

 

 わかんなくなってきたじゃないか!

 

 そう考えているところへ、啓介は俺の顔を覗き込んだ。

 

「大丈夫か?」

 

「あ、ああ……」

 

 啓介は安心したように、胸を撫で下ろした。

 

「でも、あんな奴、俺一人でも」

 

 そう言うと、啓介はそっと俺の頭に手を載せた。

 

「無理すんなって、まだ足も完全に治りきってないくせに、それ以上痛めたらどうすんだよ」

 

「ま、まぁ、そうだけど」

 

「あいつはかなり嫉妬深い奴だから、気をつけろよ」

 

「ああ、でも、それなんだけど……俺、全然意味わかんなくて」

 

 すると、啓介の表情が少し訝しくなった。

 

 啓介は男だから、久石の気持ちってのが俺よりは分かるんだろうけど。

 

「たぶん……久石が一番嫌いなのは江口陽だろ……でも、本人には何もできないちっせぇ奴だから、一番傷つく方法を……」

 

 そこまで言って、啓介は「やっぱ何でもない」と言って勝手に話を切り上げた。

 

「何だよ、だったら何で俺なんだって話だろ? なぁ」

 

「何でもないって」

 

「なんで、啓介わかってるみたいじゃんか! 久石はなんで俺を……」

 

 話をはぐらかそうとする啓介の袖を掴み、強引に引っ張った。でも、啓介はその腕を振り払う。

 

「だから! わかんねぇって、あいつの考えてる事なんか、これっぽっちも!」

 

 大きな声を張り上げ、本当に何も言いたくない様子だった。

 

 何だよ、そんなに怒鳴る事じゃねぇだろ……でも、すぐさま啓介は「ごめん」と謝る。

 

「は? 何で謝んだよ」

 

 もう、それ以上、啓介を問い詰める気にはなれなかった。

 

 なんか、今日はもう正直、引いた。

 

髪を切られたことに始まり、久石の事といい、なんで俺が殴られそうにならなきゃならないんだっての! このままみんなのところへ戻る気にもなれない。

 

「あ、俺、このまま帰るわ」

 

 俺がそう言うと、啓介は慌てて俺の肩を掴んだ。

 

「送る」

 

「いいよ」

 

「送るって!」

 

「いいって言ってるだろ! お前はみんなのところへ行けよ、一回も顔出してねぇだろ」

 

 でも、啓介も引き下がらない。

 

「俺はいい、別にバーベキューとか興味ねぇから」

 

「そう言う問題じゃ……」

 

「もし、また久石が来たらどうすんだよ。待ち伏せとかされたら」

 

「それはねぇだろ……俺には勝てないってわかったんだし」

 

「いや、実際、お前は女なんだし、もしも他に仲間とか引きつれて来たら、多勢の男の力に勝てる訳ないじゃないか」

 

「はぁ?」

 

 なに心配してんだよ……考え過ぎだっての。

 

「いいから、送る」

 

 啓介はガンとして引かない。

 

「それに、たまにはお前の親父さんにも会いたいし」

 

「はぁ?」

 

 ますます訳わかんないよ、啓介……つうか、男の思考回路とか意味不明。

 

「あ、まぁ親父は、今日遅番だって言ってた気がする、かも……」

 

「だろ? 俺、小学校以来会ってないんだぜ、たまにはあの親父の顔見せろ」

 

 見せろって……見ても大した顔じゃねぇだろうに……マジで男って……。

 

 そのまま、俺は啓介と一緒に帰る羽目になってしまったんだが……なんで、こうなる。

 

 陽がいなくて良かった。もし、啓介と二人でいるとこ見られたら……って、いいのか。陽には関係ない事なんだもんな。

 

 見られたくないのは、俺自身だ。

 

 俺がまだ、陽を引きずってるからなんだろうな、変な誤解は招きたくないとか思ってるなんて……。

 

「お前も親父さんも、急にいなくなるんだもんな」

 

 隣を歩く啓介が、ふいに言葉を吐き出した。

 

「急じゃねぇだろ、お前には親父から夏休み中に言ってあったはずだろ」

 

「あ、俺、ちょうどその日は休みだったんだよな……だから引っ越す事、何も知らなかった。誰も教えてくれなかったし……」

 

「なんだ、そうなのか」

 

「ああ、でも俺もそろそろ柔道は辞めようと思ってたし、やりたい事も見つかった頃だったし……ちょうど夏休み明けから、あんまり柔道も行かなくなったし……」

 

「へぇ」

 

 啓介のやりたい事、それがテニスってか……。

 

 

 

『少しでもお前と同じ位置に居たくて、同じ場所に立ちたくて』

 

 

 

ふいに、そんな啓介の言葉を思い出す。

 

なんか、恥ずかしくなってきた。そうだ、こいつは俺の事が好きだって言ってたんだった。

 

俺は、横に並んで歩く啓介を、ちらりと流し見た。

 

こんな俺のどこがいいんだか……啓介の趣味を疑う。

 久石も言ってた、俺は『男女(おとこおんな)だって。

 

 もちろん否定はしない。でも、やっぱ面と向かって言われると堪えるっていうか。

 

 だから余計に、俺のどこが好きなのか、気になる――……。

 

 いつもさばさばしてて、付き合いやすくて、気も張らなくて……それに啓介は俺に真っ直ぐで……。

 

 もしも、陽に会ってなかったら、今頃、俺は啓介を好きになってたのかな――……。

 

 そんな有り得ない感情が心に湧き出たけど、すぐさま俺は「いや、でもきっとどこかで陽に出会って、好きになってただろうな」と思い直した。

 

 そうだ、啓介は俺にとって良い友達なんだから……。

 

今までも、そして、これからもずっと。

 

 

 

   ***

 

 

 

「親父?」

 

 啓介を居間に通して、親父を部屋へ呼びに言ったけど返事がなかった。

 

 仕方なく、そのまま啓介の元へ戻る。

 

「あ、悪ぃ……親父、寝てるわ」

 

俺がそう言うと、啓介は残念そうに笑った。

 

何だ、寝てんのか、あの親父……」

 

「うん、ごめんな」

 

「いや、いいよ」

 

 言いながら、啓介は部屋を見回した。

 

「何見てんだよ」

 

「いや、お前の家に来るの、初めてだな、と思ってさ」

 

「そうだっけ」

 

「そうだよ、昔はよく前のアパートに行ってたのにな……」

 

「ああ、そう言えばそうだったな、毎日のように来てたな啓介……んで親父にいつも、うるせぇって怒られんの」

 

「はは、そうそう」

 

 懐かしいな、そう言えば、マジ啓介とは毎日のように遊んでたっけ。

 

 今じゃ、学校でしか会わないし……時間が経つの速いって思う。

 

本当は何も考えないで子供のままでいたいって思いはある。誰が好きとか嫌いとか関係なく、友達として遊んで、はしゃいでとかが、いつまでも続けばいいと思う。

 

でも、誰も昔のままじゃ、いられない。

 

いろんな恋して、嬉しかったり楽しかったり、苦しかったり傷ついたり――……でも止められなくて……いろんな感情を糧に大人に近付くんだろうな。

 

「なぁ、お前の部屋とかもあんだろ?」

 

「ん、ああ」

 

「見ていい?」

 

「何で見んだよ、つか、何もねぇよ……部屋も男みたいにシンプルだし」

 

「いいのいいの、二階?」

 

 そう言いながら、啓介は立ち上がると階段下から上を見上げた。

 

「ああ」

 

「行っていい?」

 

「いいけど」

 

 そう啓介を見流しながら言った。

 

 啓介が嬉しそうに階段を上っていく。

 

 部屋なんか見て、何が面白いんだ?

 

 そう思いながらも、俺は啓介に出すアイスティーをコップに注いだ。そのまま、テーブルに二つ揃え置き、戻ってくるのをソファに座って待つ。

 

 グラスの中で氷が解けて、冷たい音を弾かせた。啓介の奴、なかなか下りて来ない。

 

 何してんだ……そう思い立ち上がり、俺も二階へと上がる。

 

「おい、啓介、何も珍しいもんなんかないだ……」

 

 言いながらドアを開けると、啓介は窓際に立ち竦んでいた。背中を向けたまま、動かない。

 

「何してんの?」

 

 声をかけると、少し肩が上がった気がする。

 

「あれ、つうかカーテン閉めたのか? せっかく良い天気だし窓も開けていったのに」

 

 俺は、返事をしない啓介を気にしないまま、窓際まで歩み寄る。そして、カーテンに手をかけた。

 

「なに?」

 

 俺の腕を掴み止める啓介を、見流した。

 

 冷たい……啓介の、手……。

 

「啓介? 俺、窓開けたいんだけど……」

 

「……開けるな」

 

「は? なんでだよ」

 

 今まで俯き加減だった啓介が、真っ直ぐに俺を見据える。

 

「隣に……人が、いるから……」

 

「ああ、隣っつうか、後ろの家の人? 綺麗な女の人だったろ?」

 

「は?」

 

 俺の言葉に、啓介の眉が上がる。すると、そのまま啓介の視線は下に落ちた。

 

「……このリストバンド……」

 

 その声に釣られるように、俺も視線を見向けた。

 

「ああ、それ……昔、貰ったんだ」

 

「誰から?」

 

 誰からって……陽からだけど……ここは言ってもいい事か? それとも言わない方がいいのか?

 

 そう思いながらも、俺は「忘れた」という言葉を吐き出していた。

 

 啓介は、いかにも不機嫌そう。

 

「俺、これ知ってるよ……昔、有名ブランドから限定発売されたやつだ……品数少なくて持ってる奴も少なかった……でも、俺の周りで一人だけ、これ持ってる奴、知ってる……」

 

 啓介の言葉に、俺は喉を上下させた。

 

限定とか、全然知らなかった。

 

 そう言えば、あの時はテニスに対して無知に等しかったからな……俺は。

 

「あ、そ、そうなんだ……へぇ、偶然だな」

 

「もう片方は?」

 

「え?」

 

「これ、片腕しかない……確か両腕セット……もう片方は?」

 

 なんか、もうバレてるっぽいけど……忘れたと言った手前、今さら思いだしたとか言うのも変、だよな……どうしよう。

 

「あ、ああ、なくした……かな?」

 

 そうはぐらかしてみたけど、俺の腕を握る啓介の手に力が入った。

 

「俺の知ってる奴も、片方しかしてなかったんだよな」

 

 やっぱ、やばい……嘘ついた事、啓介はわかってんだ。

 

 ここは素直に謝って、本当の事を言うしか……――……。

 

 そう考えていた時だった。

 

「うわっ!!」

 

 いきなり後ろに押し倒された。俺の背中がベッドに埋もれ、揺れる。

 

啓介の真剣な瞳が、驚きを隠せない俺を覗き込むように重なる。

 

「な、なにす、んだ?」

 

 ちょっと待て啓介! この体制は、おかしいだろ! 

 

「髪、切ったんだな」

 

 何を今さら髪の話してんだよ……つか、そうじゃねぇ……なんで俺が啓介に押し倒されなきゃならないんだ! あ、考えたらこれ、恥ずかしくねぇか? あ、マジ無理。

 

 俺は、紅潮する頬を止められない。

 

「昔の、晶みたいだ……」

 

「なに、言って……」

 

「もう俺は、昔みたいに後悔したくない」

 

「後悔って……なに……」

 

「気持ち打ち明けられないまま突然離れて、俺がどんなに後悔したかわかるか? 俺以外の男と一緒にいるの見て、どんなに苦しかったか……なのに今また、せっかく会えたのに、お前は他ばっかり見てて、どんなに……俺が……」

 

 俺は必死に抵抗して起きようとした。でも、思ったよりも啓介の力が強くて動けない。両手首をがっちりと掴まれている。

 

「けい……ちょ……」

 

「無理……所詮お前は女なんだ……本気になった男の力に勝てる訳ないんだよ……しかも、俺とお前の柔道の力は同等、どんな技を仕掛けてもかわせる」

 

 本気とか、何言ってんだ、啓介……?

 

 そう思ってる間にも、徐々に啓介の顔が近付いてくる。

 

 この前の不意打ちとは違う、明らかに、今、啓介は俺に……俺に……。

 

「キス……してもいい?」

 

「いい訳ないだろっ!!」

 

「なんで?」

 

「なんででも!!」

 

 だけど、啓介の力が弱まる事はない。

 

 なんで、こんな事するんだ? しかもいきなり、啓介は俺の気持ち知ってるんじゃなかったのか?! なのに、なんで!!

 

「……誰にも渡したくない」

 

 啓介は、嫌がっている俺の唇を避けて、頬にキスを落とした。そして、そのまま首筋へと流れる。

 

「なんでこんな事すんだよ!?」

 

「なんでって……好きだから……つうか、大きな声出したら親父さんに聞こえるよ……俺はもう止めねぇけど……」

 

 お、親父……そうだ、親父が下で寝てんだ……くそ、こんな状況、絶対にあり得ねぇのに……でも親父に気付かれたくねぇ……。

 

「な、なんで? す、好きだったら何してもいいのかよ……」

 

 俺はぐっと堪えた声で、啓介に問いただした。

 

「俺のモノにしたいんだ」

 

「……俺はモノじゃねぇ」

 

 こんなん有り得ねぇ! 

 

「お前の好きってなんだよ。お前は好きな奴を傷つけて平気なのか? 俺はヤダ、好きな奴も友達も、誰も傷つけたくねぇ」

 

 少し涙交じりにそう言うと、ピクリと啓介の動きが止まった。

 

 でも……。

 

「俺だって……平気じゃねぇよ……でも、お前を失いたくない」

 

 そう言いざま、再び啓介の唇が、俺の首筋を撫でた。

 

 やめろ、啓介……啓介!!

 

「失うとか、そんなもん……こんな事したら……俺は」

 

 ダメだ、力が抜けていく……くそ。

 

「でも、人を好きになるなんて、誰かが傷つくに決まってんじゃん……傷つかない恋なんかねぇよ」

 

「そ、それでも、こんなのは違うだろ?」

 

「違う……かもしれない。でも、俺はお前が欲しい……ずっと昔からお前だけ……」

 

いやだ――……やめろ……!!

 

「……アキ、ラ……」

 

 俺は、もう訳がわからなくて無意識にあいつの名前を呼んでいた……何を言っても止めてはくれない啓介の唇が、幾つもの赤い痕を残して、胸元へと滑り落ちていく。

 

 こんな、俺にとって非常時なのに、頭の中は陽の事でいっぱいだ……あいつだけで埋め尽くされて、想って……涙が溢れる。





 

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