〜 譲れない 〜
「ちょ、マジで、待っ……待て!!」
どんなに抵抗しても、啓介に両手首をがっちり掴まれてて動けない。こんなにも、力の差があるなんて、昔は感じなかったのに。
そうなんだ、俺も啓介も、もう子供じゃない。
わかってるよ、十分わかってるつもりだ。でも、これは違うだろ。いくら体が大人になったからって、啓介と……こういう事……したく、ねぇ。
「待たない」
啓介の力が更に強くなった。
ダメだ、力入れ過ぎてたせいで、だんだん体が痺れてきてる。もう、ここから逃げてぇのに!
「散々待ったんだ……小学生の頃から、ずっと」
俺に跨り、体を拘束する啓介が、視線を合わせないまま言った。
「そんなガキの……」
「ガキだったけど!!」
啓介……?
思わず視線がぶつかり、固まる。
「本気だったんだよ……あの時、もっとお前を引きとめてれば、こんな事にならなかったかもしれない」
な、なんだよ、あの時って……。
「……けい」
「あの時……お前が引っ越す夏休み前、初めてお前の泣いてるとこ見た」
あ……あの時……俺は親父と喧嘩して、家を飛び出して……それから、フラフラしてたら啓介に会って……。
でも、泣き顔なんか見られたくなかったから、心配してくれているのを気付かない振りして、俺はストレスをぶつけるように怒鳴って……それから、啓介の腕を振り払ったんだ。
そして、あの後……俺は陽に出会った。
俺が、今……苦しいほど好きになった陽に――……。
「もっと俺が引きとめてれば! お前はあいつに会う事もなかったはずなんだ! そして今も! お前はあいつなんか見ないで……俺を……俺を!」
「啓……介」
そうだ、啓介は知ってるんだ。俺が陽を好きだって……でも、知っててこんな事出来るのか? 俺が、他の奴を好きだって知ってるのに、こんな事……普通じゃねぇだろ。
「晶……お前が悪い」
「なっ! なんでそうなるんだよ!」
今まで、ずっと友達だと思ってたのに、こんな事するなんて考えもしなかった。する奴だとは思わなかった。
でも、目の前の啓介の顔は、凄く苦しそうに見える。唇をきゅっと噛みしめて、辛そうに見えるのは気のせいじゃない。
そうだよ、こいつは元々こんな野蛮な奴じゃねぇ。
啓介はさっき傷つける事を『平気じゃない』って言った。きっと、こんな事、啓介も良く思ってないんだ。なのに……こうなったのは、俺のせいなのか?
なぁ、啓介……俺の……せいなのか?
「――……晶」
啓介の声が、耳の奥をくすぐる。そのまま、再び啓介の唇が肌に触れた。
わかってるのに!
こんな奴じゃないってわかってるのに……めちゃくちゃ怖いなんて……体の芯から震えの波が押し寄せる。
俺は、今までに経験した事のない怖さと震えに、抵抗する力も出なくなった。
力をなくした腕から、啓介の掌が離れていく。
チャンスだと思った。このまま啓介を押し退けて逃げればいい。そうだ、逃げれば……でも、思った以上にダメージは大きいらしい。震えが衰えるどころか、更に加速していく。心臓が爆発する程に脈を打つ。力が入らない。
啓介の手が、制服のボタンをはずそうとして胸に当たった。
「やめ……」
なんでだよ、啓介。
痛い……心の奥が、重くて……めちゃくちゃ痛い。
ピクリとも動かない、俺の体。やっと持ち上がった手が、啓介の肩を掴んだ。そのまま離そうとしたけど、やっぱり力が出ない。
こんなにも自分がひ弱だったなんて……。
男ってのは、みんなこうなのか? もしかして陽も……?
いや、違う、陽は違う! 嫌がってる奴にこんな事しねぇ。そうだよ、嫌がってる奴には……前にキスされた時、俺はどこかで期待していたのかもしれない。
嫌じゃなかったから……亜美が居たっていい、そんな気持ちがどこかにあった。
俺の震える指先が、啓介の肩に食い込んだ。
苦しい……物凄く苦しい。
痛くて重くて……でもkろえは、人を好きになる時の苦しさじゃない。
「抵抗、止めたの?」
大人しくなった俺を見て、啓介は受け入れたと思い込んだのか、少し躊躇いながらもボタンをはずしていった。
でも、反応なんかしない。好きじゃない奴に、俺の心も体も反応しない。
啓介の事は、好きだった。でもそれは、友達としての感情で、それ以上でも以下でもなかった。
違う……今だって本当は友達だと思ってんだ。
こんな事したら、俺との今までの関係が崩れるとか思わねぇのか?
露わになった下着に、啓介の指先がそっと触れる。
そ、それ以上、外すなよ! 外したら……啓介! もうお前とは!!
でも、その体が物凄く震えている事にも気付いた。
「……啓、介……」
力なく、俺はポツリと呟いた。
その声に啓介はピクリと肩をあげ「なに?」と上擦ったように聞き返した。だけど、手を止めようとする気配はない。自分だって震えてるくせに、ゆっくりと、俺を纏う薄い布を外そうとする。
俺は、ぎゅっと下唇を噛みしめ、大きく顔を背けた。
もう嫌だ……こんな事……俺は……俺は陽が……。
「諦めて、俺のものになる決心付いた?」
「……ふざけんな」
「俺は、晶が好きだ……ずっと、好きだったんだ」
体と心の重みを感じながら、俺はゆっくりと啓介に見向いた。
上目遣いに言う告白の言葉が、なんの重みもなく俺の耳を通り過ぎていく。
「なんで今さら髪切ったんだよ」
「は? なんで今……これは」
「また昔みたいに、あいつと仲良くテニスするためか? ガキの頃の思い出を、再燃させようってか?」
「違う!」
「何が違うんだよ。後生大事にあいつとお揃いのリストバンドまで持ってるくせに、俺がどれだけお前を好きか知ってんだろ?!」
な、リストバンドの事まで。つうか、それとこれとは……お前が好きなら何してもいいってわけじゃねだろ。
「もう、あいつなんか見ないで欲しい。俺だけを見て欲しい……俺だけ、好きだって言って欲しい……俺はお前が、好きなんだ」
心に響かない言葉……簡単じゃない言葉だってわかってる。啓介だって、その言葉にはちゃんと意味があって、真剣に言ってくれてるって事もわかってる。
でも、違うんだ、啓介……俺は、お前を受け止められない。
啓介……その想いは、お前に気のない俺には、重すぎるんだよ。
「お前はこんな奴じゃなかったはずだ、でも、ここまでお前を変えたのが俺だってんなら、もう何も言わない……お前のしたいようにすればいい」
啓介は一瞬、躊躇ったように見えた。このまま離れてくれたら、なんて思ってる。
「何、開き直りとか? そんな事を言っても、俺は同情して止めねぇよ?」
「好きにすればいいって言ってんだよ」
本当は良くない……良くないよ、好きになんかして欲しくねぇっつうの……でも、あまりにもお前が真剣だから……力じゃ勝てねぇから……無理やりとか、好きじゃねぇから。
俺は、真っ直ぐに啓介の瞳を見据えた。
「わかった、好きにする……俺は俺の思うように、欲しいままにお前を抱く」
「だっ?!」
だ、だ、抱くとか……いざ目の前で言われると、マジで心臓がヤバイっつうの。
一気に頬が赤くなって、体中が熱くなっていく。
でも、目の前の啓介が、陽だったらなんて頭を過った俺って、やっぱ残酷なのかもしれない。わからないところで、自分が一番、人を傷つけてるような気がする……。
啓介が、柔らかな唇で、俺の首筋にキスを落とした。そのまま肩へ熱さが伸びていく。
ゆっくりと瞼を閉じながら思う事。
やっぱり頭の中は、陽の事でいっぱいだ。
もしかして、陽もこんな事、亜美と……あぁ、情けねぇ……なんで今、そんなこと思うかなぁ。ヤバイ状況だってのに。
でも、今ここにいるのが、もしも陽だったら……。
――……陽。
「でも、啓介……ひ、一つだけ言っておく」
俺は、目を閉じたまま言った。
「す、好きにしていいって言ったけど、譲れないものはあるから」
「は?」
啓介の唇が、肌から離れる。
「譲れないもの?」
「そう……絶対に譲れない」
「なに?」
そう聞かれたところで、俺は再び啓介を見据えた。凄く近くてビビった。でも、伝えなきゃいけない。
これだけは――……どんなに残酷でも。
「俺の体が、今、一度でもお前のものになっても……」
「なっても?」
「心だけは譲れないから」
「…………」
「何があっても、心だけは啓介に渡さない、お前が欲しいものならさっさと持っていけばいい、でも心は……俺の心は陽のものだから。陽以外は考えられない。俺が好きなのは今までも、これからも陽だけだから」
「お前の……心……?」
「そうだ、絶対に譲れない」
そう言って、俺はまた顔を背ける。
「……へぇ……でも、いいや」
そう言いざま、啓介は自分の肩にある俺の腕を掴むと、その指先にキスした。そこから徐々に、啓介の唇が肌を這っていく。柔らかな啓介の髪が、肌にまとわりつき、くすぐる。
やばい、震えが止まんねぇ……怖くて、仕方ねぇ。
味わった事のない感触に襲われて、冷汗を伴い、背筋が凍てついた。
いやだ……本当はいやだ……でも……でも。
そう思っていると、啓介の唇の動きが止まった。
なんだ? 啓介の奴、今になって諦めてくれたのか?
そう思いつつ、やんわりと目を開けてみた。すると、啓介が徐に俺から離れた。そして、ベッド脇に腰掛け、俺に背中を向ける。
解放された? あ、は、早く服を……そう思いながらも、視界に映る啓介の背中が気になった。あんなに取り乱している啓介を見るのが初めてだったから。
襲おうとしたのに、突然解放されるなんて。
お、俺的には助かったと思ってるけど……けど。
「けいす、け」
恐る恐る、名前を口にして、肩に触れようとすると、ピクリと上がった。
「触るな」
さっきとは打って変わった冷たい言葉が落ちた。
「今、お前に触れられたら止めらんねぇ……最後までやっちまう自信、あるよ」
さ、さ、最後とか言うなよな……。
俺は思わず、出し掛けた腕を引っ込めた。すると、啓介は、ふっと笑みを零した。
「お前、めっちゃ震えてるっつうの……」
俺を見ないまま、啓介が言う。
「あ、当たり前だろ。こ、こ、こんな事、さ、されて……」
言いながら、すかさず服を着て、ボタンを留めた。
「めっちゃ顔も強張ってるし、緊張しすぎてて硬くなってるし」
「だ、誰のせいだよ」
「そんなん抱いても面白くねぇし……胸もちっさいし、萎えるっつうの」
「なっ?!」
大きなお世話だ!
啓介は、振り向かずに立ち上がると、一言「帰る」とだけ言って、ドアの前に立った。
「ウソウソ……やっぱ、泣いてる女に出来ねぇし」
そのままドアノブにかけた啓介の手が震えていた。俺と同じように、啓介も……怖かったんじゃねぇの?
自分でもどうしていいかわからない感情に支配されて、動転して……なんで、こんな風になっちまったんだろうな。
「ごめん……啓介……」
俺の言葉に、啓介は驚き振り向くと、目を丸くした。
「な、にを……謝って……」
「お前に……応えられなくて……ごめん」
そう言うと、啓介は眉間にしわを寄せ、徐に拳を握りしめた。
「なに謝ってんだよ、悪いのは俺だっつうの……お前が謝る必要ねぇ……」
言いざま、啓介はドアを思い切り開け、部屋を後にした。
今にも泣きそうな顔を引っ提げて、俺の前からいなくなった。
ごめん、啓介……お前の気持ちに応えられなくて。でも俺は、やっぱりあいつが好きだ。いつも、どんな時でも俺の中にいるのはあいつだけ。
考えるのも、窮地に立たされて思いだすのも、あいつだけなんだ。
ただ、俺たちは恋をしただけなのに。
ただ、人を好きになっただけなのに。
すれ違う想いは、他の誰かを傷つける。
『傷つかない恋なんかない!』
啓介はそう言ったよな。
そうかもしれねぇ……俺だって、京子を傷つけてる。
京子が啓介を好きだって知ってるのに、何も考えずに簡単に部屋に通すとか、バカだ。少し考えればわかる事じゃないか。もしも、俺だったら嫌な気持ちになるよ。
もしも、陽が他の女の部屋なんかに行ったら、嫌でも変な想像しちまう。
そんな事も考えずに、俺は……誰かを傷つけてた。
やんわりと腰を上げ、鏡の前に立つ。
肌に残された幾つもの痕が、更に心に重く圧し掛かる。
「なん、だよ、これ……」
無数に残ったキスマーク。
啓介の行動で感じた恐怖は、まだ夢の中にいるような感覚だ。でも、体に残る赤い痕が、事実だと知らしめる。
「これじゃ、明日、学校に行けねぇっつうの……」
指先でなぞりながら、そう呟くと、頬に涙が伝わる。
陽に会えない。
このままじゃ、陽に会う資格ない……。
「啓介……バカやろう……」
言葉を落とすと同時に、しゃがみ込む。
違う……バカは、俺だ。
好きな奴に想いさえ伝えられない臆病者。何も考えずにとった軽率な行動。
そうだ――……バカなのは、俺自身じゃないか……。
暫く俺は、声を殺したまま泣き続ける事しか出来なかった。
幾重にも渦巻く感情の中で、答えを見つける事も出来ずに……。