〜 名前 2 〜
で、俺は今テニス部の見学に来てる訳なんだが……何だ、このギャラリーの多さは。
適当に数えても絶対に二、三十人はいるよな。陽が打つたびにきゃあきゃあ叫んで、うるさすぎる。よくもまぁこんな中で練習に集中できるよな。
手前に男子コートが四面、その奥に女子のコートが四面。
まさか、これみんなマネージャー狙いか?
「嘘だろ」
思わず口に出てしまう。
「やっぱ格好いいよね」
なんて語尾にハートマークでも付いてそうな甘い声で、周りが囁いてる。
当たり前だ、陽が格好良くない訳ないだろ。
だから、俺もアイツにくぎ付けになるよ。陽のフォームには乱れがなくて、無駄がない。やっぱすげぇや、陽は……と、まさか、こっち見てる?
さっきから、何度か、ちらちらと見てる気がする。
「ねぇ、なんか江口君、さっきからこっちばっかり見てない?」
お隣のギャラリーさんも気付いた様子だ。やっぱ、見てんだ。まさか、俺?
って、んな訳ねぇよな……でも、少しくらい勘違いしてても、いい、か?
駄目だ、苦しい……胸の奥がキュってなる。やべぇ。
「だって、あの子がいるもん」
「あの子って?」
俺の心の呟きのように、もう一人が聞く。
「ほら、あそこ……」
そう言って、そいつが目配せで、俺の隣の隣の、そのまた隣の……亜美だ。
「幼馴染だって、家も隣なんだって」
「でも、彼女じゃないでしょ?」
「そうだけど、彼女面してるって噂だよ?」
「へぇ、ムカつくね」
何でお前がムカつくんだよ。陽が選んだんなら認めてやれよ。って、俺も同じか。きっと思ってなくても体が反応するんだ。
さっきの胸のキュってやつがなくなって、今度は息が出来ないくらいに押し潰されそうだよ。違う意味で、苦しい。
今、陽が見てるのは、俺じゃなくて……亜美なんだって思ったら。
帰りたい……もう、ここに居たく、ねぇ。
「服部君、いないなぁ」
ぽつりと京子が吐きだした。
ああ、そっか、俺は今、京子に付いて啓介を見に来てるんだった。一人で帰ったら京子に悪ぃ……。
「あれ?!」
ふいに、後ろから声が聞こえた。なんか、聞き覚えのある、声。そう思って振り向いた。
「なっ、けいすっ……!」
あわわわ、やべぇ、隣に京子がいるんだぞ。名前で呼べるかっ!
そこに居たのは、京子のお目当ての啓介だった。きょとんとして俺を見てる。
「お前、もしかして……」
そう言って啓介が、俺の両肩をがっしりと掴んだ。
ややや、や、やめろ、啓介、京子が見てる! それに、陽も……。
「お前、あきっ……!」
「言うなっ!」
「……ふがっ……!」
俺は慌てて啓介の口を両手で塞いでしまった。そう、しまったぁぁぁっ!!
「カト??」
京子の不安げな声が聞こえた。
ああ、ヤバイヤバイ、マジでヤバイ。
ちらりと、陽を見やる。あ、やっぱ見てる。
俺は恐る恐る、啓介の口から両手を放した。
「……カト……って?」
啓介が不思議そうに呟いた。
「ああ、加藤だからか、へぇ、でもアキ……」
「ちょ、ちょっと!!」
啓介が俺の名前を言う前に、その腕をグイッと引っ張った。
「へ?」
「こっちにこ、いや、来ていただけますっ?!」
そして、その場から逃げだす。
ああ、やっぱ陽見てるよ、こっち見てる。でも今は、こいつをこの場から引き離すのが先決だ!
「いや、おい、待て。俺も部活に……」
「いいから!!」
不安そうな京子も目に映る。
「京子!」
俺は、京子にも来るように呼んだ。すると、京子は一瞬困った顔をしたが、俺の後に付いてきた。
一気に校庭の隅まで来て、ようやく俺は啓介の腕を放した。息を切らしながら、京子も辿り着く。
「か、カト? いったいどうしたの?」
京子がそう聞くのも無理はない。
「いや、ごめん」
「何だよ説明しろよ、晶」
お前だよ、お前が急に、俺の、名前を呼ぼうとするから……。
「え、二人は、知り合い、なの?」
恐る恐る聞く京子の声が震えてる。
俺は黙って頷いた。
「そ、そうだったんだ」
「同じ南小、で、知ってた……」
「なに、何の会話? つか、俺も部活行きたかったんだけど?」
啓介が、痺れを切らしたように苛立って言った。
「ああ、ごめん」
「つか、久しぶりだよな、晶。お前、いつ戻って来てたの? 藤木受けてたのも知らなかったぜ」
さっきの苛立った声とは打って変わって、啓介は笑顔を零しながら、昔のように俺の肩に腕をまわした。
ちょ、待て、京子が見てる。
そう思って、啓介の腕を振りほどく。案の定、京子は泣きそうだ。
「え、なに、何だよ。久しぶりだってのに冷たいな」
こいつはこういう奴だ。知ってる。悪気もくそもない気さくな奴だって。でも、今は京子の前で、昔のようにじゃれ合うなんてできるか。
「いや、別に……」
「なに? 俺に用でもあったんだろ?」
また、啓介が笑う。口端をあげて、悪戯っぽく。
ああ、変わってねぇな、こいつ。って浸ってる場合じゃねぇ。
「お前」
俺が呟くと、啓介は「なになに?」と、俺を見る。
「お前、よくわかったな」
「何が?」
「いや、俺だって……」
お前が俺をわかったて事は……。
「え? 昔は男っぽかったのに、こんなに綺麗に成長したお前を見て何でわかったかって事?」
「はぁ?」
何言ってんだコイツ。
「そりゃすぐわかるっしょ」
「なんで?」
「だって俺ら昔はずっと一緒に居たんだぜ。幼稚園の時から八年も一緒に居たのに間違える訳ないじゃん、ば〜か」
馬鹿は余計だっつうの。
「そ、そっか……そう言えば俺ら、嫌んなるほどつるんでたもんな」
啓介が俺をわかるって事は、陽も俺の事……そう考えたけど、違うんだな。確かに俺は、本当にずっと啓介と一緒だった。でも、陽といたのは、たったの一カ月だ。
わかる訳ないんだよな……なんか、矛盾してるな俺……陽に、気付いてほしいのか欲しくないのか、全然わかんね。
「じゃぁ、か、カトと服部君は、お、幼馴染みたいな、もの?」
京子が、まだ震える声で聞く。だから、俺はそれを安心させてやりたくて頷いた。
「まぁ、そんなもんかな」
「そう、なんだ」
わ、京子の奴、すっげぇ安心した顔してやんの。やっぱ可愛いや。
「で、晶が俺を呼び出したのはそんなこと聞くためなのか?」
「あ、いや、そうだった……あのさ、実は」
「なになに?」
「俺を名前で呼ぶのやめろ。でないとぶっ殺す」
「へ?」
きょとんと、啓介の眼が丸くなった。
「なに? 晶は晶で、ほかに何なの? 何で俺ぶっ殺されるの?」
「いや、だからさ、つまり……呼び慣れねぇっつうか、カトでいいっつうか」
「呼び慣れないのは俺の方じゃね? なんで今まで晶って呼んでたのに、いきなりそんなカトなんて呼べんだよ」
まぁ、確かに、そうなんだけど。
「なんか、理由ある?」
勘ぐるように啓介が俺を見る。いや、陽に名前、知られたくねっつうか、そんな事が言えるかっての。
でも、何で俺、こんなにアイツに名前知られたくねぇんだろう……なんか、そんなこと聞かれたら俺自身が分からなくなってきたじゃねぇか。
「いや、その……」
啓介が不機嫌そうに俺の言葉を待ってる。
「前の学校で、そう呼びなれちゃって、今、お前に晶って呼ばれても、反応出来ねぇっつうか」
「ふぅ〜ん」
あ、こいつ明らかに疑ってる……だよなぁ、いきなりそんな事言われても、俺でも納得できねぇわ。
そんな事を思ってると、啓介は、ふぅっとため息を落として、指先で俺の額をピンっと弾いた。
な、なんだ?
「おい」
今度は、啓介よりもかなり不機嫌そうな声が飛んできた。
それぞれが、その声を見やる。
「江口」
啓介が脹れっ面で言った。
あ、陽っ?! 何でここに居んの?
「何だよ、江口。今、いいとこなのに」
いいとこってなんだよ、いいとこって。変な誤解されんだろうがっ!
つか、腕組みして俺らのとこ睨んでる陽が、怒ってるっぽいのはなんでだ?
「さっさと部活戻れよ、さぼんな、服部」
そ、そういう事か……。
「へぃへぃ」
渋々といった様子で、舌打ちをした啓介が、部活に戻ろうとする陽の後を追う。すると、陽がふいに振り向き、今度は俺だけを睨んだ。そして、歩み寄ってくると、俺を見下ろす。
俺もでかいけど、陽は更にでかい。威圧感あるんですけど。
「な、なに?」
「アキ、お前もいつになったら部活入んだよ」
「は?」
とぼけた声を出したのはわかってる。わかってんだけど。
「痛ぇ!」
陽が俺の片耳を摘みあげた。
「なにマネージャー候補のギャラリーに混ざってんだって聞いてんだろ!」
ぐぁんぐぁんする。耳元で陽が叫んだせいで、俺の耳が、耳が。
で、でも、何でテニス部入るって知ってんだ?
「なんで……」
そう言いかけて、陽が手を放した。
「先生の机に、お前の入部届けがあったから言ってんだよ」
そう言って、陽は「早めに入れよ」と、付け加えて、部活に戻っていく。
「行くぞ、服部」
そして、歩きざま振り返り、俺に向かって舌を出した。
陽の背中が離れてく。
「わかった」
「え?」
陽ばっか見てたから、啓介の存在忘れてた……。
「な、何がわかったって」
「今度から、俺もアキって呼ぶ。それならいいだろ? ラは言わねぇよ」
「は? 何で?」
「アイツが、お前の事、そう呼んでたから」
そう言って、啓介も「じゃ」と肩腕をあげて、部活に戻っていった。
ま、いいけど……。
「カト?」
あ、また忘れてた……今度は京子の存在。
「な、なに?」
「テニス部希望だったの?」
「ああ、さっき言ったけど、なんか京子、聞いてなかったみたいだから」
これは事実だろ。隠す必要ねぇし。
「え、そ、そうなんだ。ゴメン、私、何も聞いてなくて」
「いいよ、別に」
「あの、じゃぁ、私……」
京子が言いたい事はわかってる。きっと、啓介の事だろ。
「私も、アキって呼んでいい?」
「へ?」
なんか違う。啓介の事じゃなくて、俺の事?
「え、啓介の事は、いいの」
「え?」
「ほら、友達のよしみでマネージャーに、とか」
そう言ったら、京子は真っ赤になった。わかりやすい奴。
「ううん、いいの。マネージャーの事は、ちゃんと自分で頑張ってなりたいし」
「ふぅん。でも、頑張るって何?」
「うん、あのね。あんなにいっぱいいるでしょ。だから先生がちゃんと試験して決めるらしいの。何も知らないより、テニスの事ちゃんと知ってる子を筆記と面接で選ぶみたい」
「へぇ」
「何だか受験とか就職みたいでしょ」
「ん、まぁな」
だったらなおの事。俺に縋ってもよさそうなのに……京子はそんな事はしないみたいだ。
俺はまた、昔から知ってる啓介の事、取り持って欲しいとか何とか言うのかと思ってた。それで、俺がテニス部入るから、マネージャーにでも推薦してくれとか……。
でも違った。京子は、そんな事は考えていない。
それだけ、啓介の事、真剣なんだって伝わってくるよ。
「ま、俺は何もしてやれねぇけど、頑張れよ」
俺の言葉に、京子は嬉しそうに微笑んだ。
でも、俺も心の中が笑ってる。
入学式以来、喋ってなかった陽と、成り行きどうあれ、また喋れたんだから……それに。
そっと耳を撫でてみる。
アイツの触れた部分が、熱い――……。
それが、俺に知らしめる。
まだ、アイツの事、好きなんだろうなぁ、って。