〜 今日から高校生 〜
――なぁアキラ……俺とお前は、どっか心の奥で繋がってるって信じてた……。
合格発表の日、俺は一人浮かれてた。
同じ合格者の中に、お前の名前を見つけたから、高校生活が楽しみで仕方なかった。
でも。
「陽! 一緒に学校行こっ!」
家が隣で幼馴染のこいつ、木下亜美が初日早々押しかけて来た。マジでうぜぇ。
「何でお前来んだよ。一人で行けよ」
「だって同じ高校だし、いいじゃん」
なんで同じ高校受けんだよ、信じらんねぇ。
俺は、中学三年の秋に、藤木を受けるって決めたんだ。アキラが藤木に来るってわかってたから、だから俺は、お前と一緒に居たくて……なのに、木下も来やがった。
それまでは前島行くってうるさかったのに、俺が変えたの知ったとたん覆しやがって。
でも、アキラと同じクラスになれるとは限らねぇんだよな……七クラスもあるし、でも、俺には自信があった。
俺たちは、また出会える、そんな奇跡を夢見てたんだよ。もしも、もしもだ、万が一、同じクラスになれなくても、絶対にあいつはテニス部に来る。それは確信だった。
「えっと、俺のクラスに……」
アキラの名前を探してた、なのに。
「陽! 同じクラスだよ! 行こっ!」
そう言って、アキラの名前を確認する事も出来ずに、俺の腕を引っ張る木下。
「六組だよ」
「お前帰れ」
思わず口を衝いて出てしまった。帰れっても、こいつも入学してる訳だし、それは間違ってんだけど。
「何でよ」
「何・で・で・も!」
「あ、おはよう沙希! あ、美紀もいるぅ、いいなぁ同じクラスなの?」
そう言いながら、木下は他のクラスの同級生に挨拶しながら俺の後を付いてくる。
「亜美だっていいじゃん、また旦那と離れずに同じクラスでしょ?」
旦那とか言うな! どっかにアキラがいたらどうすんだよ! 聞かれたくねぇ!
「へへ、そうなの〜」
お前も否定しろっ! 紛らわしい……もうこいつ知らね。
俺は木下から離れて、さっき聞いた六組を目指した。ちょこちょこと他のクラスを見流しては、アキラがいないか確認する……って、俺、どんだけアキラ依存症?
そう思いながら六組の前に着いて、途端に俺の体が止まる。
――嘘だろ。
目の前に、ずっと探してたアキラの姿がある。これは夢か、幻か?
いや、これは現実だ。俺の心が躍る。走り寄って抱きしめたい衝動に駆られる。でも、いや、待て俺。落ち着け。
静かに深呼吸して、俺はただ、アキラを見つめた。
変わらない、綺麗なままのアキラが、そこに居る。
それだけで、なんだ、この幸せな気分は……。
「誰か探してるの?」
「え?」
「だって、さっきからキョロキョロしてるし」
「いや、特に……南小の奴、いねぇかな〜と思って」
――アキラ……。
「ふぅ〜ん」
「あのさ、さっきから気になってたんだけど……」
「なんか、カトって、男の子みたいな喋り方だね」
どんな喋り方だっていい。お前はお前だ……俺にとっては、そんなもん邪魔にならねぇ。
「え?」
「ん、なんとなく」
「き、きのせいだ、よ」
「そうかな?」
「ん、でもカトってなんか格好いいから違和感ないや。あ、格好いいっていうか、綺麗系?」
そうだな、マジで綺麗になったよ、アキラ。俺が想像してた以上に、お前は綺麗だ。
「きっ?!」
「あ、カト可愛い、赤くなってる」
可愛すぎる、マジで可愛すぎる! ちょっと褒められたくらいで赤くなって、俯いて……アキラ、俺を見ろ……昔みたいに、俺だけを見てろ。
「ちょっと! アキラ! 何ボサッと突っ立ってんのよ〜早く教室入りなさいよ、入れないじゃない!」
「あ、ああ、悪ぃ」
うるせぇな、木下の奴……せっかく久しぶりに会ったアキラを見て感動してたのに。
俺はそんな事を思い不機嫌なまま、席を探した。江口、江口……って、マジで?!
アキラの横だよ、ラッキー! こんな時マジで神様って信じるぜ。
そそくさと俺は机にカバンを置いて、全神経が向いてしまっているアキラの席を見流した。
『加藤 晶』
これも、アキラって読むんだな……はじめて知った、アキラ以外でのお前の名前……晶か……。
「あ、私の席、ここだ。アキラと近い、やった」
そう言って木下は、さっそく俺にちょっかい出してきやがる。何でお前まで同じクラスなんだよ、俺、下手に誤解されたくねぇんだけど……。
「まぁた、木下と同じクラスかよ」
でも、そんなこと気にしてない振りで、こいつは関係ねぇんだよって示しとかなきゃな。
「またって何よ、またって。いいじゃない、これも運命なのよ」
こいつマジであほだろ。
「何が運命だ、頭おかしいんじゃねぇの?」
「おかしくないもん!」
「お? また陽と亜美は同じクラスかよ、仲良いねぇ」
ちっ。俺は心の中で舌打ちをした。
佐々木の奴まで、変な茶々入れやがって。
「勘弁してくれよ」
俺は、参った、という風に頭を抱え込んだ。頼む、誤解しないでくれ。俺は木下とそういう仲じゃねぇから。
「いいじゃねぇかよ、お前ら家も隣なんだし、これも縁だと思って諦めな」
馬鹿だろ、こいつら。
「何を諦めんだよ、ふざけんな」
それ以上何も言うなよ。ただでさえ、幼馴染とか、俺の周りに女いますって感じは嫌なんだからな。晶にだけは、知られたくない。
でも、こいつらは知らないんだ。俺が、横に居る女が好きなんだって……そして、晶も……俺の気持ちなんか知らないんだよな。
「何、陽、怒ってんの? いつもなら聞き流す癖に〜」
聞き流してんじゃねぇよ、相手にしてないんだよ。
「よ、ご両人! そのまま結婚しちまえ!」
マジ、ムカつく……。
「うるせぇつってんだろ!!」
そう叫んで机を両手で叩き、立ち上がった瞬間、佐々木が急に身を引いた。
引けよ引け、もうこれ以上、俺と木下の事を茶化すんじゃねぇ。誤解されんだろうが。
「な、何だよ、冗談だろ? 冗談。ねぇ?」
「は?」
佐々木、てめぇ、なんで晶に振るんだよ!
「さ、さぁ」
ほら、冷たい目で見られたじゃねぇか!
折角、同じクラスになれたのに、しかも隣の席なのに……久しぶりに会った印象がこれじゃ……くそっ!
俺は大きな溜息を落として、また席に座る。
「おはよう〜! みんな揃ってるかぁ?!」
予鈴が鳴って、担任の先生が入ってきた。つか、俺の心配はそこじゃねぇよ。
「よぉし、初日から遅刻はなしだな! 俺がこのクラスの担任の、関口だ。よろしくな」
関口は教室を見回しながら、入学式の説明を始める。
俺は真っすぐ、関口を見据えたまま話を聞いていた。耳が関口の声を拾う。でも、それ以外の全神経が、晶、お前に向いてるだなんて気付かないだろう。
体の芯から、封印した感情が、ぞわぞわと蘇ってくるのを止められない。ずっと前から、押し殺してきた想いが泉のように湧き出てくる。
――晶……お前は俺の事、覚えているか?
「よし、みんな体育館に行けよー」
その声に、俺は席を立った。
「カト、私たちも行こう」
「ああ」
へぇ、晶は「カト」って呼ばれてんのか……なんか、意外。
「陽、私たちも」
そう言って、木下が俺の腕に絡みついてきた。うぜぇ。でも次の瞬間、その視線が晶に向いて、驚いたような声をあげた。
「うわっ、でかい」
そう呟いて笑う。
何だ、こいつ……晶の身長見て笑いやがった?
「は?」
ほら見ろ、かなり怒ってんぞ、晶。
「何センチあるの?」
おい、待て。そんなこと聞くなよ……でも、マジででかいな。つっても、俺の恋の障害にはならねぇんだけど。
「何で?」
「えー? 興味があったからよ。えっとぉ、陽が百八十五でしょ? それより少し小さいから〜」
こいつ、俺と晶を交互に見て面白がってるのか?
だったら性格悪ぃぞ、木下。
「カト、行こう」
「あ、ああ」
「あ、ちょっと待ってよ」
木下が俺の腕からするりと抜けて執拗に追いかけようとする。腕が離れたのはいいんだが、絶対にあの様子じゃ晶は身長の事を気にしてる。
俺はアイツを傷つけたくない。だから木下の腕を掴みとり、止めた。
「やめとけよ」
「え、でも、だってぇ」
だってじゃねぇよ、マジ疲れる。こんな奴と幼馴染なんて嫌だ。でも仕方ない……家が隣なんだから、俺の決めた事じゃねぇし……。
***
「ねぇねぇ、何センチ?」
おいおい、木下の奴、まだ聞いてんのか、しつこい奴だな。
「ねぇ」
晶、無視しとけ。
「ねぇ」
だぁ、マジしつけぇ。
「百六十九だよ、文句ある?」
あ、挑発に乗ったよ。
ん、でも百六十九か、全然問題ないだろ。俺と十五センチ以上は差があるし、って、俺はそんなの関係ねぇんだよ。
「え〜七十ないの?」
もういいだろ、散々聞いて答えまで貰ったのに、これ以上、晶に食い下がるってんなら……って、おい、マジかよ。
晶、フラフラしてんじゃねぇよ。た、倒れるのか?!
急に、横に立つ晶が、俺の方に体を預けてきた。
木下の悲鳴が、耳に痛い。
「おいっ! しっかりしろっ!」
俺は咄嗟に晶を抱きかかえた。
「おいっ! アキラっ! 大丈夫かっ?!」
突然の事で、自分が晶の名前を呼んだ事すら、その時は気付かなかった。
揺すっても起きねぇ、完全に意識ねぇ。顔色もかなり悪い。
そう思うと、居てもたってもいられず、俺は晶を抱き上げると「保健室行きます!」そう叫んで体育館を後にしていた。
入学式だって事も忘れて、周りの目も何もかも忘れて、ただ、お前を助けたかった。
その一心だった。
◇◆◇
ベッドに晶を寝かして、俺はまだ震えてた。
晶、お前がどうにかなったら、俺はどうすればいい? 折角、会えたのに、俺の気持ち、まだ言ってねぇのに……。
そんな心配を余所に、先生は「大丈夫よ」と言った。
「ただの貧血、入学初日で緊張しすぎたのかもしれない」
そう言って先生は俺に安心をくれた。
「そうですか」
ホッとしたら力が抜けて、俺はベッドの横のパイプいすに座り、安堵のため息を漏らした。
「随分必死だったわね、何事かと思ったわよ」
「え?」
「彼女?」
「え、あ、違いますっ!」
――今は……って言えねぇ。
でも、そんな自信も……ない……。
先生が茶化すもんだから、俺は一気に赤くなった。
初心ね、先生がそう言って、俺を横切った。どっか行くのか?
「私はまた入学式に戻るけど、いい?」
「え?」
「私も新任だから挨拶があるの、だからあなたに任せてもいいかなって」
「え、あ、はい」
「君もその方が安心でしょ?」
そう言って、フフ、ッと笑った意味はなんだ?
でも、先生の言ってる事は間違ってない。他の誰にも預けたくない。晶は、俺が傍で見ていてやりたい。
俺が頷くと、先生は保健室から出て行った。そして、俺と晶だけ……昔のように、二人の時間が、ここに存在している。
晶、俺は忘れてないよ……お前と過ごした一カ月。いや、俺はもっと前からお前を知ってたけどな……お前は全然、気付かなかっただろうけど、俺はずっとお前だけを見てたんだ。
そして今も、ベッドに眠る晶を見つめる。俺の理性が吹き飛びそうだ。壊しちゃいけない、そう思いながらも、触れたくて、触れたくて堪らなくなる。
俺は、懐かしく愛しい顔を覗き込んだ。
柔らかそうな唇……一度だけ、触れた事のある唇。俺は、その唇を指先で撫でた。
また、俺は罪を犯すのか?
黙って、晶に触れるのか?
――……やめた。
そう思って、俺は強く拳を握って、晶から離れた。
「あ、れ?」
離れた瞬間に晶が、気付いた。
「目、覚めた? ここ、保健室、わかるか?」
「うわっ!」
晶は驚いた声をあげて飛び起きた。ば、バレてねぇよな、俺が晶に触ってたなんて……やべ、落ち着け、俺の心臓!
「な、なんで、いんの?」
「は? お前が体育館で倒れたから」
平静を装うのも楽じゃない。でも、今度こそ、お前に認められてから、触れたい。
「で、で、で?」
「で? 俺が運んでやった」
「マジでっ?!」
「マジで」
突然、晶は頭を抱え込み、前屈みに布団に突っ伏した。
何やってんだ、こいつ。
「そんな落ち込む事か?」
そこまでされると、何気にちょっとショックなんですけど。
「そう言えば、お前、意外に軽かったな」
「は?」
「ちゃんと食ってる?」
このショック、どうしてくれんの、晶。
そう思いながら、俺は晶に、笑いながら顔を寄せた。
このまま、お前にキス、してもいいんだぜ。
って、俺がしたいんだよ、俺が……お前に、触れたくて堪んね。
「く、食ってるよ! ってか、みんなで抱えてきたんだろ?」
あ、慌てて顔逸らしやがった。嫌なのか、それとも恥ずかしがってんのか?
「いや、俺一人」
「は、どうやっ……」
「勿論、御姫様抱っこで」
そう言ったなり、晶は仰け反って、壁に背中をぶつけた。
そんなにあからさまに嫌がるなっつうの。マジで俺、へこむじゃん。
でも、ま、いいや。こんな可愛い晶を一人占め出来るんだから、我慢してやる。
「な、なんだ、ですか?」
でも、なんか顔が赤い……先生は貧血って言ってたけど、なんか心配で、俺はそっと晶の額に手を当てた。
「熱あんのか? お前、顔、赤いぞ」
――熱い……。
でも熱いのはお前じゃなくて、俺なのかも……お前に振れた掌が、今にも沸騰しそうだ。
「ね、ね、ね、熱なんかねぇ、ない、ですわよ」
何だ、この慌てぶり……つか、ですわよ?
「ぷっ。今時、ですわよ、って」
もしかして無理やり言葉使い直そうとしてんのか?
「マジ腹痛ぇ、ってかお前、面白すぎ」
「わ、笑いたきゃわらえよ」
「は?」
なんか、今。ほんの一瞬だけ昔の晶が見えた気がした。
お前はお前のままでいいのに、俺は全然、そんなの気にしてねぇのに。
「な、なんでもねぇ、ですわよ」
「……ですわよって、くっくっく……」
また、言いやがった。面白ぇ。
あ、でもこれ以上笑ったら晶に悪いか……俺は暫く笑った後、落ち着きを取り戻すように椅子に座りなおした。
「は――ぁっ、それより、俺ら名前呼ばれる前に出てきたから、俺、お前の名前知らないんだ」
教えてくれよ、昔みたいに……お前の名前、お前から聞きたい。でもって、ここからまた始めたい。昔のように、一緒に居られるように……。
「つ、机に書いてあっただ、でしょ。それにそんなに難しい読み方じゃ……」
「でも、人の名前って聞かないとわかんねぇじゃん。俺だってあのままじゃ読めなかっただろ? だから、あれ……なんて読むんだ?」
って、本当は、俺の事をちゃんと覚えてるかどうかが知りたいんだけど。
「俺はもう知ってるよな、木下が呼んでたし……」
「うん」
それは、名前? それとも、昔の俺?
「じゃぁ、お前の名前、教えて」
何で悩んでんだよ。言えよ。お前の名前……。
「お、あた、しは……加藤」
「加藤? 何?」
そう、アキラって言えよ。そしたら、素直に『久しぶりだな』って言える気がする。
「加藤……アキ……だよ」
アキ……アキ? アキラじゃなくて、アキ?
何で隠す必要があんだよ。
なんか、再会して浮かれてたのは俺だけだったのか?
――俺、何も言えなくなったじゃん……。
「晶……そっか、アキって読むんだ」
「あ、うん」
ここは笑っていいのか? 怒っていいとこか? なんかわかんなくなってきた。
「じゃ、これから同じクラス、よろしくな、アキ」
ただ、わかったのは、お前が昔のアキラじゃないって事か……俺の事、覚えてないって事か……それとも、他にいい奴でもいて、昔の俺と向き合いたくねぇって事か……。
目の前の晶は、かなり困った顔してる……そか、俺との付き合いはなかった事に……ってのが正解か?
なぁ、アキラ。
これでも俺、少し期待してたんだけど……俺とお前は、どっか、心の奥で繋がってるって信じてたんだけど……でも、隠したいならお前に合わせる。
傷つけたくないから――……壊したくないから。
――お前に、合わせるよ。