〜 勝負 1 〜
『あんた自身の心に、嘘なんて必要なくない?』
昨日姉貴に言われてから、ずっと考えてた。
嘘はついてない……ただ、言えないだけ。それでも、姉貴は同じなんだって言いたかったんだろうけど。
『応援はしてあげる』
それだけで十分。俺にとって、勇気を出すには、そういうの一番必要なのかもしれない。情けないほど、誰かに背中を押してもらう事が……。
誰にも言えなくて、落ち込んでた。晶への気持ち、溢れすぎて必死になって塞ごうとしてた。
いくら晶に合わせるっつっても、このままじゃダメだとは思ってたさ。
だからって、晶がダメだからって木下に行こうなんてこれっぽっちも考えてない。そこもちゃんと『違う』って言わなきゃダメなんだろうな。
みんなが進むには、ちゃんと気持ちを伝えなきゃならない。
晶の進む道が、俺じゃないとしても……俺の進む道に、晶がいないとしても。
そう思いながら、俺は晶の家の前に立っていた。
今日の勝負の前に、俺の気持ち伝えて、もしも気持ちがすれ違っても、晶と一緒にミックスに出たいんだって事。
伝えようと思ってた……なにもかも。
「あれ、お前……」
でも、出てきたのは、晶の親父……。
「どうも」
俺はなんとなく緊張しながら頭を下げた。
「その制服……なんだ、お前も晶と同じ高校行ったのか」
「……はい」
俺は晶の親父と面識がある。何を隠そう、晶が藤木を受けると教えてくれたのも、この人だ。
中学三年の秋、後ろの空き地に家が建つ事になった。その家の建ち前が済んだ頃だ。なんとなく、姉貴の部屋からその様子を覗いてた。そしたら、この人がいて、愛想よく俺に話しかけてきたのがキッカケ。
『よう、坊主、これからトンチンカンチンうるさくなるけど、我慢してくれな』
そう言って屈託なく笑った。
『いえ』
『お前いくつだ? 中学生か?』
『あ、はい……中学三年です』
『そうか、だったら俺の息子、じゃなかった、娘と同じ年だな〜』
なんでこの人は自分の娘と息子を言い間違えるんだ? そう思っておかしかったのを覚えてる。
ちょうど休憩に入った大工もいなくて、その人は一人で暇だったんだろう。俺に向かって『ちょっと来い』と言って手招きした。
まぁ、俺も暇だったし、そのまま言われるままウチの裏口から出て、その人のところまで行った。
そしたら、嬉しそうに、まだ木枠の骨組みしかない家を案内してくれた。
『ここが居間なんだ、で、こっちが座敷で……そうだな、ちょうどこの上が娘の部屋な』
そう嬉しそうに説明してくれた。
『はぁ』
なんでこんなこと聞いてんだろう、くらいにしか思ってなかったけど、自分の家をこんなに楽しそうに案内してくれる事はなんとなく新鮮だった。
『ちょうど坊主の部屋の隣か……近いな』
訝しげに上を見上げて呟いたその人の心配はそこだった。娘の部屋の隣に居る俺が、気になって呼んだのかもしれない。俺っていう人間を見定めるため、とか?
『いえ、あそこは姉貴の部屋で』
『なんだ、そうか、だったら安心だな』
そう言ったなり、パッと花が咲いたように表情が変わった。わかりやすい人だな……そう思うも、息子って言い間違える娘でも可愛いんだろうな、と思った。
でも、次の瞬間、俺は耳を疑った。
『俺の娘な、まぁ男勝りで言葉使いもなったもんじゃねぇんだけど、なんか最近女らしくなってよ、心配っちゃあ心配な訳……あ、名前も男みたいでアキラっつうんだけどな』
『……はぁ、え?』
アキラ? まさか、だよな……まさか……あのアキラか?
と、とりあえず遠まわしに聞いてみるか。でも、名前を聞いただけで浮ついた心がそこにある。
もしかしたら、もしかする。
『オ、オジサンって、前はどこに住んでたんですか?』
思わず変な事を聞いたかも、そう思った。でも、不思議がる事もなく、オジサンは素直に教えてくれた。
『ん? ああ、千葉から引っ越してくんだけど、その前は南区のアパートに住んでたんだ。俺の娘な、五年の夏休みにここ離れたんだけど、てんで切れ方が半端じゃくてさ、あの時は参ったね』
そう言って、頭を掻きながら笑う。
南区に住んでた……アキラ……五年の夏休みに、引っ越し??
アキラがいなくなった頃と同じだ。
そのまま俺の思い出と、目の前にいる人の話が繋がっていくように思えた。
『そう言えば、このへんでテニス強いの前島なんだって?』
『え、ええ』
なんでテニスの話?
そう思いながら、その人の言葉を俺は待っていた。
『あいつがさ、あ、俺の娘ね。引っ越す時マジギレしたのに、その後の一カ月は機嫌が良かった訳よ』
『へ、ぇ』
『あいつ、テニスやりてぇって言いだして、自分から何かをしたいだなんて初めてだったから、よっぽど心を動かされたんだろうなって思ったんだ』
『そう、なんですか……』
『でもよ、せっかくテニスやってて強いのに、あいつ前島には行かないんだって、何でも藤木に入りたいって言うんだ』
『え?』
『自慢じゃないけど、俺の娘な、中学の全国大会で優勝してんの、はは、でもなんで一番強いとこに入らないのか不思議で仕方ない訳よ、あ、自慢か』
完全に繋がった。そう思った。
よし、これで確実だ!
『あ、もしかして……オジサンって、加藤っていう名前?』
『ん、ああ』
なんで知ってんだって顔してその人は俺を見た。
やっぱそうなんだ。
この人はアキラの親父だ!
どんどん胸がいっぱいになって、この上ない嬉しさがこみ上げるのがわかった。
しかも、 あの時、俺には嫌だって言ってたのに、本当は好きでいてくれたのか。
なんだ、めっちゃ嬉しんだけど。
『あ、いえ、俺もテニスしてるんで、全国に出てる人の名前とか知ってますよ』
つか、アキラの名前しか、本当は知らないけど……。
『ああそうか、なんだお前もテニスしてんのか〜』
そう言って再び意気投合して、話が弾んだ。
ちらりと上を見上げると、姉貴の部屋が視界に映る。
隣が、アキラの部屋……そう思ったら、即行動だった。
アキラが藤木に来る! だから、俺は前島の推薦を蹴って、藤木に行くと決めた。
それから、何度も姉貴に頭を下げて、部屋を変わってくれるように頼んだのは言うまでもない。
そして、晴れて俺は、あいつの部屋の隣をゲットした訳で……でも、それ以上何も出来なくて、ただ、そこに居るだけで幸せだった。
いろんなこと聞きたかった。
引越しの事なんか、中学で全国行くまで知らなくて、俺は避けられてんだって思ってたから、どうして言ってくれなかったのか聞きたかった。
嫌がってたテニスを始めてたのも、聞きたかった。
それから、あいつの気持ちと……。
「ああ、でも晶、もういないぞ」
出会った頃を思い出しているうちに、晶の親父がそう言った。
「え、もう、ですか?」
「ああ、あいつ、部活九時からだって言ってた気がする。なんか少し早いなとは思ったんだけど」
言ってた気がする、とは何ともいい加減な。
「あ、そう言えばお前もテニスしてるんだっけ?」
「はい」
「じゃ、部活同じか〜……仲良くしてやってくれよ」
「……はい」
仲良く、か……どんだけ俺がそうしたいって願ってるか。
そう思いながらも、俺は今一度、晶の親父に頭を下げ、学校へ向かった。
晶――……もう限界だ。
俺はお前に伝えたい。
好きだって、今度こそ、伝えたい……。
***
俺が学校に付いた頃、晶はベンチに座ってシューズを履いているところだった。
「よう」
しかも、服部も既に来てる。
「早いな、江口」
「……お前こそ」
言いながら、男子コートと女子コートの境に立ち、晶を見やる。
「木下って子、めっちゃ早く来てアップしてたぞ、かなり気合入ってるみたいだ」
服部はそう言って、笑ってた。
「どんなに気合が入ってても、あいつには勝てねぇだろ」
「冷たい奴だな、お前……俺は内心、木下って子が勝って欲しいと思ってんだけど?」
「有り得ねぇ」
そうこう言っているうちに、晶がベンチから立ち上がり、コートに入っていく。
でも、なんか様子が変だ。
少し、足を庇っている感じがするのは気のせいか?
「レディ、サーバー木下、レシーバー加藤。五ゲーム」
でも、既にゲームは始まる。
晶のレシーブか。
次、足を使えばわかるんだが……そう思っている傍から、服部は晶に向かって、手を振ってやがる。
「おい、お前ゲーム前に緊張感なくす事すんじゃねぇよ」
「は? 悪ぃか、俺の勝手だろ」
互いに審判に一礼をして、散らばる。
木下の一球目は大きくサービスラインを外れた。
「フォールト」
二球目は、インに入り、晶は、上手くネット手前に落とした。
「0−15」
相変わらず晶は上手いし、木下の判断力は鈍いな。
でも……やっぱりおかしい。あんなフォームの乱れはないはずだ。それでも判断が付けにくく、ゲームは進んでいく。
「0−40 チェンジエンド」
コートチェンジか……晶の奴、あんまり動かされてなかったから、いまいち掴めない。
「ゲーム1−0、サーバー加藤」
そう、審判が言ったなりだった。
「フォールト!」
晶の打ったサーブはアウトだ。しかもあんなにでかいコースとか有り得ねぇ!
じゃなくて、晶、やっぱり足……痛めてやがる!
そう思った時だ。
「お前も気付いてたのな」
服部が小さく呟いた。