〜 勝負 2 〜
俺は、服部を睨んだ。
「始め、コートに入ってきた時からおかしかったんだ」
「なんでお前、言わないんだよ?!」
「確信がなかったからな、でも、今ので完全アウト。あいつ、足やられてる」
その言葉に、俺は息を飲んだ。
やめさせなきゃ、そう思って身を乗り出した。でも、俺の腕を服部が掴み止める。
「なにすんだよ」
「言ったろ? 俺は木下って子に勝って欲しいって……お前なんかと組ませるかっての」
「てめぇ!」
俺は怒り露わに、服部に詰め寄る。
「なんでそんな事が言えんだよ、あいつの足が、どうなってもいいのか?!」
「よくない」
「だったら!」
「でも……このゲームはあいつが受けてんだ。しかも、足やられてんの知っててきやがった……どうでもいい勝負ならあいつも馬鹿じゃない、出ないだろ、でも……」
だからって、このまま続けていい訳がない。この間にも、どんどんゲームが進んでいく。
「ゲーム木下。チェンジサービス」
あいつ、マジで辛そうじゃねぇか……。
「お前、あいつのあんな顔が見たいのかよ」
そう言うと、服部は「見たくねぇよ」と呟いた。
だよな、だったらもう結果は明らかだ。もう誰が止めようとも、俺は晶を止める!
「ゲーム1−2 チェンジエンド」
そのまま、俺はコートの境を乗り越え、晶に近付いた。
また、この期に及んで、あいつはサーブを打つ気満々だ。
「やめろっ!!」
俺は、サーブを打とうとする晶に怒鳴った。
晶が、きょとん、とした眼差しで俺を見て、高く上げた球をコートに落とした。
「な、なんだよ、試合中……」
くそっ! まだ試合とか抜かすのかよっ!
「こんなもんのどこが試合だっ! 試合になってねぇし意味もねぇだろ!」
そう怒鳴って、平塚先輩を睨む。すると、先輩もわかっていた様子で、ため息を零した。
「そうね、その通りだわ、ゲームセット」
当たり前だっ!!
「やった! じゃぁ私が勝ったのね!」
なに能天気に喜んでやがる! お前だって晶の足がダメなの知ってて、そこばっか狙ってたくせに。
そう思って今度は木下を睨んだ。
「ノーゲームだ!!」
「なんでよ?!」
なんでもへったくれもあるか……俺は、食ってかかる木下を尻目に、晶に近付いた。そして、その目の前に立つ。
なに考えてんだお前は……なんでこんな足で、こんな試合……。
「お前、なめてんのか」
心底、腹が立っている。俺は、こんな試合をした木下も許せないけど、それを受けた晶も許せなかった。
「な、なめてなんか……」
「だったらその足は何だっ! そんな足でよく試合出来るって言えるなっ!」
「こんなもん、怪我のうちに入らっ……」
くそ、まだ言うか! 俺は怒りに任せて両拳を握りしめた。
「お前! プレーヤーとしての自覚あんのかよっ! レディーポジションもめちゃくちゃだし、フォームも崩れてる、全然走れてなくてラリーは続かねぇ、第一サーブが入らないなんて致命的だろ!」
そこまで言うと、晶は何も言い返しては来なかった。
「お前はそんなプレーヤーじゃないはずだっ! あいつに勝てないお前じゃないだろ!」
俺の言葉を聞いて、木下が「酷い陽っ! でも勝ちは勝ちよ! 私が陽のパートナーになるんだから!」と腕に縋ってくる。
でも、どうでもいい。俺は今、晶と話をしてるんだ!
「約束だったもん!」
「お前、うるさい」
俺は木下の腕を振り払い、冷ややかな視線を突き刺した。
「勝ち負けの問題じゃねぇんだよ」
「そんな問題よ! これがこの試合のルールだったの!」
「そんなもん! ルールでもなんでもねぇ!」
「私は陽と一緒に出たいの!」
こいつ、いい加減にしろよ!
俺はうるさく付きまとう木下の手首をがっしりと掴んだ。そして、そのまま顔を覗き込む。
「お前と出ても勝てねぇんだよ! 勝負なめんなっ!」
ここまで言えば、もう何も言わないだろう。
「……陽……」
「先輩」
そう言いざま、俺はその手を放し、平塚先輩に向き直った。
「こいつ、この足じゃ今度の予選は無理だと思います」
「え、ええ、そうね」
そうねじゃねぇよ……わかっててなんでやらせてんだよ、今度の試合に勝ちたがってたじゃねぇか! なのに、なんで!
「だったら!」
俺と先輩が話してんのに、まだ割って入ってくるのかよ! でも、もう、こいつを構ってられねぇ!
「俺も辞退します」
静かに俺は、そう言い放った。
「え?」
「アキと組めないんじゃ、意味ねぇし」
「何言ってるの?」
平塚先輩は、そう聞き返したけど、そのままの意味だ、そう思った。
そして、俺は先輩の返事は聞かず、晶に近付き、片膝を落とす。
かなり腫れてるんじゃねぇか? こいつ、無理しやがって……テニス出来なくなってもしらねぇぞ。
「おい、足、見せてみろ」
「い、いいよ、こんなもん」
「いいから見せろっ!」
怒鳴った事で大人しくなった晶を見据え、そのまま足の具合を見ようとした。
でも、そんな俺の耳に、またしても雑音が響き渡る。
「やだ! 触んないで! そんな女の体にっ……!」
「うるせぇって言ってんだろっ!」
何度も何度も邪魔しやがって。
「木下、お前は予定通りシングルに出ろ、俺はお前と組む気はない」
そう言ったなり、俺を罵倒した木下の声が聞こえたと思ったら、今度は思い切り背中を殴られた。
「いってぇな! てめ……」
でも、すぐさま木下は殴り逃げだ。そのまま走ってコートを出ていってしまった。でも、これで静かになる。そう思った……なのに。
「あ、おいっ! 亜美」
なんでお前があいつを心配すんだよ。なんでそこまでお人好しなんだよ。俺はそんな晶に、更に苛立つ。
「なんだよ! あんな言い方! 亜美、泣いてたぞっ!」
「ほっとけ」
今はお前の怪我が先だ、そう言おうと思ったのに、晶は木下を追いかけようとした。だけど、行かせない。
こんな足で、まだ走る気なのか? そう思い、俺は晶の腕を掴んだ。
でも……
「うるせぇ! 放せ!」
今にも泣きそうな顔で、俺の腕を振り払うと、晶は、すかさず亜美を追いかけた。
「あ……っの、バカ! 止まれ!」
くそ、マジでなに考えてやがるんだ!
あんな足で、しかも走ったらどうなるかわかってるだろうに!!
晶が全力疾走でコートを出ていったもんだから、思わず俺も、追いかけた。
男子コートに立つ、服部を横目に「お前は来なくていいからな!」そう言って。
校舎から死角の位置にあるテニスコートから一歩出れば、もう、どこに行ったのかわからねぇ……それにしても怪我してるのに逃げ足速ぇ……くそ、確かこの辺に走っていったと思ったんだけど……そう思って、俺は校舎裏まで来ていた。
でも、木下はもう、帰ってんじゃねぇか? あいつは泣くと、いつも自分の部屋にこもる癖があったからな。
そう思った時だ。
目の前に、息を切らした晶を見つけた。俺は、ホッとして晶に近付く。そして、うろうろするその腕を掴んだ。
「……な、なんだよ……」
いつも探してた、どんなに想っても離れようとする晶が、今、俺に振り向く。
「はぁ、はぁ……それ以上……はぁ」
「は?」
お互いに、息を切らし、大きく肩をあげている。
「放せよ」
「ダメだ!」
絶対に放さない!
今、またこの腕を放したら、二度と掴めない気がする。
「放せ!」
それでも晶は、俺の腕を放そうと必死に腕を振った。
ダメだ、絶対に放さない、絶対に!
「アキ、お前、足を怪我してんだろ……それ以上無理して悪化させるな……」
「いい、俺の方こそ、ほっとけよ……」
放っておける訳ないだろ!
でも、そう思った瞬間、晶が俺の横を通り過ぎようとする。
「どけよ」
そう言って、俺が腕を放すのを望んだ。
でも、俺は放さないと決めたんだ、だから……そう思っていると、晶がバランスを崩した。
ほら見ろ、もう、お前の足は限界だ!
「アキっ!!」
これ以上、お前に怪我させてたまるかっ!
その想いだけだった。俺は、何の迷いもなく、晶が地面に叩きつけられそうになるのをかばった。俺はどうなってもいい、お前さえ無事なら!
その瞬間、俺の体が地面に打ち付けられた、と同時に、俺の右肘が鈍い音を立てて軋む……やべぇ……。
「あ、ごめ」
晶の声が、目の前に落ちる。こんなに近くに感じる息使い。
無事だ……それだけで十分だった。これ以上、怪我してお前の辛い顔は見たくねぇからな。
そして、今、俺の上に、晶がいる……それだけで嬉しさのあまり鼓動が速くなっていくのに、まだ、俺から離れようとしている。
でも、足がいう事を効かずにもがいているようだ。
――――放さない……その想いから、俺は自然に晶の後ろに腕をまわしていた。
「動くな……」
「え?」
「無理すんな」
愛しくて堪んねぇ……ずっと昔から、晶だけが欲しかった……俺の指先が、晶の髪を撫でる。そこから伝わる温もりが心地よくて、俺の理性を心から弾き出そうとしている。
動くな……このまま俺の傍に、居ろ。
「足、相当、痛ぇんだろ、動くなよ」
そんな言葉を吐きながらも、近過ぎる晶の瞳に吸い込まれそうになっている。心は、もう、止められなくなっている。
「ちょ……」
傷つけまいと思ってた……触れちゃダメだって思ってた。
でも、晶がこんなに近くに居るだけで、俺は本当におかしくなる。
――ただ、触れたい……ずっと、お前に、触れていたい。
もう、俺が俺じゃなくなってた。指先が晶の髪を絡め取ると、もう解けないようにと願いながら引き寄せていたんだから――……。
「……んっ……」
晶……好きだ……。
俺の唇から、この感情がすべて……お前に注がれればいいのにと願って止まない。