〜 予選 〜 



 

 

 痛みのある右肘を、擦る。

 

 ズキッと骨が疼いた。

 

 やべぇ、今日は予選だってのに、あれから痛みがどんどん増してくる。

 

 そう、あれから……晶の唇に触れた、あの日から……。

 

 あの時、自分でも止められなかった。どうしようもなく、晶に触れたくて触れたくて、歯止めが利かなかった。

 

 でも、あの時はそんなに痛みが続かなかったのに、それ以降の練習で更にやられたんだろうな。木下の面倒見るだけで精いっぱいとか、笑える。

 

 そのまま放置した結果がこれだ。

 

 俺、晶のこと言えねぇな……プレーヤーとしての自己管理がなってないのは自分自身だ。

 

 視界に、固定用のサポーターが映る。

 

 これをしていけば、少しは痛みが抑えられるだろう。でも、もしもこの怪我がバレれば、きっと晶は気付く。

 

 あの時に、晶を支えて倒れた時、右肘がやられたことに……そしたら、あいつは絶対に自分を責める……晶のせいじゃないのに……あいつは自分を……。

 

 俺が悪いのに……何もかも。

 

 晶の足は捻挫、走って無理したから余計に酷く腫れて、要安静だった。だから、あいつは暫く練習にも出れなくて、今、随分良くなったとはいえ、今回の試合は応援に回る。

 

 せっかく、晶と組めるチャンスだったけど、仕方ない。

 

「あ、そろそろ出なきゃ……」

 

 そう呟いて、俺は、そのままサポーターはせずに家を出た。

 

いつもなら木下が一緒に歩く道も、今日は木下の姿がない。

 

 俺はホッと胸をなでおろした。本当は、俺が時間をずらしたんだ。木下と鉢合わせるのは困る。

 

 そう――……今日だけでも、俺はあいつの顔を見て、予選に挑みたい。

 

 一番、俺に安心をくれる、あいつの顔を……それに。

 

 それに、あいつはあの時、確かに『俺』と言った……まるであの頃に戻ったような感覚に陥った。あの言葉使いが戻っていた。

 

 いつもみたいにぎこちない言葉使いじゃなくて、昔のアキラに。

 

 だから、もうそろそろ、認めて欲しい。

 

 例え、あいつが誰を想ってても、あの頃の俺自身に嘘は付けない。伝えたい想いがあるって事に……だから、認めて欲しいんだ……晶が、あのアキラだってこと。

 

 認めてくれれば、言える気がする。それから、俺を好きじゃないってはっきり言ってくれれば……そしたら――……俺は、自分の気持ちに区切りをつけられる気がする。

 

 溢れだす想いを、止められる気がする。

 

 これ以上、あいつを傷つけなくて済む、そんな気がするんだ。

 

 だけど、やっぱり心のどこかで思ってる――……俺だけを見て欲しい、って。

 

 俺ってどこまで我儘なんだか、晶を困らせる事しかできない。

 

 

 

 暫く歩くと、晶の家と俺の家を結ぶ道が交わる。

 

「だぁ――――――っ!!」

 

 な、なんだ? 

 

 いきなりの叫び声に、俺は驚いて立ち止った。

 

 目の前に、晶が頭を抱え込んでいる背中がある。

 

 何やってんだ、あいつ……。

 

 そう思いながらも、俺はくすりと笑って、その背中に近付いた。

 

「はぁ〜……」

 

 面白い奴、今度はため息が晶の肩を揺らす。

 

「よう、早いな」

 

 俺は、その背中に声をかけた。ピクリと反応するのがわかる。でも、いつまで経っても振り向かない。

 

いつもお前の顔が見たくて仕方がない。声を聞きたくて仕方がない。どんなに一方通行の気持ちでも、俺にはお前しかいない……かなり重症。

 

 なのに、なんで今、お前は振り向いてくれない?

 

 聞こえてないはず、ないよな……あ、なんかイライラしてきた。

 

 俺がこんなにお前を求めてるのに……なんで。自分の中の矛盾に苛立つ。俺は何をしたいんだ。諦めるのか、それとも奪いたいのか。

 

「てめ、何無視してんだよ」

 

 いい加減に振り向けよ……何のために俺が、お前の出る時間見計らって家を出てきたと思ってるんだよ。

 

「おい、お前いい加減に」

 

 俺は居ても立ってもいられずに、晶の肩を掴んだ。そのまま、俺の求める晶が、振り向く。

 

「あ、お、おはよう……き、奇遇だな〜」

 

 なんて顔してんだよ……そんなに俺に会いたくねぇってか。

 

 そんな感情が滲み出てるよ、晶……。

 

 一気に俺のテンション低……ただでさえ、予選に出てもお前が横にいないんじゃ意味がないってのに、これ以上、俺を落ち込ませるなよ。

 

 そう思っていると、今度は俺から視線を外す。

 

 参ったな、そこまで俺に……そう思っていると、晶の唇が動いた。

 

「よ、予選、頑張れよ。俺、出れねぇし、その分も」

 

「当たり前だ」

 

 晶の言葉を最後まで聞く事なく、俺は答えた。

 

「あ、そ、そっか」

 

 物凄く迷惑そうなんですけど……お前は俺を見るのも、嫌なのか。

 

 それとも、あんな事したから、怒ってるのか……?

 

 

 

『事故だろ』

 

 

 

 容赦なく、あの言葉が蘇る……くそ、マジでイライラしてきた。また、このまま傷つけたくなるから、俺は、晶に触れている手を、ゆっくりと離した。

 

「行くぞ」

 

 そう言って、俺は晶を横切り、歩き出す。

 

 傷つけたくない、でも好きで好きで仕方ないと思う存在を、俺は後ろに感じる。

 

 このまま、お前の気持ちも俺に付いて来てくれればいいのに……とか思ってるからダメなんだな。

 

俺は今日、何のためにここにいるんだ。晶に、言う為じゃなかったのか。自分の気持ちを、伝える為じゃなかったのか。

 

俺は、そんな思いを胸に、意を決して振り向いた。

 

「……っ」

 

後ろにいるはずの晶が……遠い……って、遅くねぇか? 晶の歩幅に合わせてるつもりだったんだけど。

 

 あ、もしかして、まだ足が治りきってないのか。

 

「おい」

 

 俺が呼ぶと、晶は俯けていた顔をあげた。

 

「な、なんだよ」

 

 そんな嫌な顔、露骨にすんなよな。言いたい事も言えなくなるっつうの。マジへこむ。

 

「お前、もしかしてまだ足痛いのか?」

 

「は、なんで?」

 

 なんでって……そりゃ、お前。

 

「遅いから」

 

「……わ、悪かったな遅くて! 痛くねぇよ!」

 

 そう言いながら、今度は晶が俺を追い越す。

 

 何かまずい事でも言ったか、俺……そう思いつつ、今度は晶の背中を追う。

 

 でも、なんだか晶の様子がおかしいのは確かだ。俺の後を付いてきた時は遅かったくせに、今度は早足だもんな。 

 

「おい、無理すんな」

 

 そう言っても、晶は歩みを止めやしない。

 

 考えたくもないけど、やっぱ思うっつうの……俺と歩くのが、そんなに嫌なのか?

 

 俺は、そのままもやもやした気持ちを抱えたまま、晶の背中を見つめるしかなかった。

 

 どんなに想っても、どんなに追いかけても……俺は、お前に何も言えない。

 

 

 

 情けないほど、惚れてるのに……。

 

 

 

 そのまま俺たちは、電車に乗り、予選会場を目指した。でも、そこからの会話は途絶えたまま……また、何も言えずに晶の存在を体の全神経で感じるだけ。

 

 だけど、お前がいるこの空気は嫌いじゃない。例え、言葉を交わさなくても、そこにいるだけで、いてくれるだけで、俺は気持ちが穏やかになっていく。

 

 どんなに俺を避けようとしていても、お前がいるだけで……そんな事、知りもしないんだろうな。

 

 

 

 

     ***

 

 

 

 

「陽、遅いじゃない」

 

 予選会場で、俺を待っていた木下が、痺れを切らせた様子だった。

 

「悪ぃ」

 

 木下がちらりと、俺より先に会場に入ってきた晶を見流す。

 

「なに、一緒に来てんのよ……」

 

 そんな呟きが落ちたけど、俺は聞こえない振り。

 

 木下は面白くなさそうだ。やばい、こんなテンションで試合が出来るか……あ、俺がそうさせたのか……なんか俺、マジでプレーヤー失格じゃね?

 

「もう、行こ」

 

「あ、ああ」

 

 俺たち選手は、会場コート脇にあるベンチへ移動した。応援組は、コートを見下ろすスタンドへ移動だ。

 

 晶が、応援組と合流して、スタンドへと姿を消す。

 

 ここのコートは二十面ある。コートを挟んで真中にスタンドがあって、その南北両面に十面ずつコートがあった。北側コートでは、シングルが行われる。俺たちミックス、ダブル組は南側コート。

 

 晶は、どっちのコートを応援するんだろう……俺はそんな事を考えながらベンチに付くと、既に他の選手は揃っていた。

 

「おはよう、江口、遅かったな」

 

 寺倉先輩が声をかけてきた。

 

「ええ、すみません」

 

「いや、いいんだけど……お前らコンビは江口がいるからシードされてる。七試合目だから出番はまだだ」

 

「そうですか」

 

 予選はリーグ戦だ。それを勝ち抜けば決勝トーナメントに上がる。俺は寺倉先輩の手にあるリーグ戦表を覗き込んだ。

 

シードか……微かに予想はしていたけど、ミックスは初めてだから違うと思ってた。これを見る限り、俺たちは二試合勝てばいいんだな。

 

「シードだからって緊張すんなよ」

 

「いえ、俺は別に」

 

 そう答えた俺を見て、寺倉先輩は「いや」と付け足す。そして、そのまま俺の横を指差した。

 

「お前じゃなくて、その子……」

 

 木下か……見れば、さっきまでの態度もどこへやら、かなり緊張した様子で、肩が上がっている。

 

「おい」

 

 俺は見かねて声をかけた。

 

「え、な、なに?」

 

「緊張してんじゃねぇよ」

 

「し、してないわよ」

 

 また強がりやがって、声が裏返ってるっつうの……俺は、ため息を落として、その緊張を解す為に、木下の頭に手を宛がう。

 

「俺がついてる……お前は、いつも通り前衛で、自分のところに来る球だけを見てろ、後はフォローするから」

 

 そう言った。

 

 すると、木下は、安心したように「うん」と、笑顔を零した。

 

 大丈夫、このまま、俺の腕がもってくれれば、何もないはずだ。そう自分にも言い聞かせた。

 

「俺たちのリーグに前島がいないから、大丈夫だよ」

 

 そう言うと、寺倉先輩が口を挟む。

 

「なに言ってんだ、前島がいたって楽勝だろ」

 

「ええ、まぁ、たぶん」

 

 自信がない訳じゃない……ただ、腕が……。

 

「何だよたぶんって、お前なら大丈夫だって」

 

 言われて、俺はなにも返さなかった。そのまま、自分の肘を庇うように掌で覆う。

 

 そう、この腕さえ、これ以上、壊れなければいいんだ。

 

 リーグ戦、第一試合目は、相手が新人同然だった事が幸いだった。木下の力でも十分、前衛で決めてくれたおかげで、俺があまりフォローしなくても、勝つ事が出来た。

 

 でも、腕は軋む。それは止められない。

 

 ふとスタンドを見れば、晶が、俺たちを応援してくれていた。応援組は二組に別れてそれぞれ南北のコートにいるはず。向こうでは、服部が試合をしている……なのに、晶がそこにいるって事は、俺の応援で、いいんだよな……。

 

 晶が、俺を……そんな自惚れが俺を支配する。

 

「とりあえず、ベンチに戻ろう」

 

 木下の言葉に、俺は頷くと、ベンチに向かった。

 

「おめでとう、一試合目、楽勝だったな」

 

 俺の横に座る木下に、そう声をかけたのは久石先輩だ。木下も、嬉しそうに「ありがとうございます」と言った。

 

 でも、その久石の視線が、俺に突き刺さっているのは何故ですか?

 

 だけど、俺はそんなものは気にしない振りで、また視線をスタンドに向ける。

 

「そう言えば、ダブルの試合に棄権があったから、少しスムーズに試合運んでみたいだよ」

 

「え、そうなんですか?」

 

「ああ、だから、ほら……ここの十コートと九コートに、シングルの選手が試合してんだ。今日のシングルは接戦で、試合運び悪いみたいだから」

 

 なに……?

 

 俺は久石の言葉に導かれるように、そのコートを見やった。

 

 そこには、たった今、服部が前島相手に試合をしているところだった。

 

 押されてるのか……服部が……今、何ゲーム目だ……。

 

 でも、晶が、そこにいるのは、俺の応援じゃないのかもしれない……そんな考えが、俺の頭を埋め尽くす。

 

 嫉妬と、諦め……俺の心が動揺する。

 

「あ、俺、あの試合後だから行くわ、亜美ちゃん、応援してよ」

 

「え、でも私もすぐに試合なんで」

 

「そう、残念」

 

 そう言って、久石は木下に手を振り去っていった。

 

「陽、勝ててよかったね。次の試合も勝てるといいね」

 

 木下が、一試合で自信を持ったのか、試合前までの緊張感はなく、リラックスした顔で話し掛けてきた。だけど、俺はそれどころじゃない。

 

「陽?」

 

 でも、そうも思っていられない。今、木下まで不安にさせる訳にはいかないだろう。

 

「あ、ああ、お前の動きも、いつもより良かったからな」

 

 そう言うと、更に満面の笑顔を零す。

 

 余程、嬉しいんだろうな、木下のこんな笑顔、久しぶりにみた気がする。

 

「次の試合、すぐだよ」

 

「ああ」

 

 俺たちはベンチに戻るなり、水分補給をした直後、次の試合に備えた。

 

次に試合が行われるコート脇まで行き、前の組の試合が終わるのを待つ。でも、俺の神経は、スタンドの晶に集中していた。

 

 晶は、応援組から少し離れたところで一人、座っている。

 

 晶――……今、お前の瞳は誰が映っている?

 

 それが、今だけでも俺だったら、どんなに嬉しいか……そう思っていると、晶の横に人影が映った。

 

 あ…………服部?!

 

 なんでそこにいるんだ? お前はさっきまで向こうのコートで……そう思い、服部が試合をしていたコートを見やった。

 

 既に、次の試合が行われている。

 

 終わったのか……でも、そこにいるって事は、負けて……じゃなくてだな、なんで、晶の横には、いつもお前がいるんだよ。

 

 徐々に胸のあたりが疼きだす。

 

 やばい、やばいぞ……気持ちが穏やかじゃない……試合前だってのに、全身が震えるように疼きを増していく。

 

「……ら」

 

 なんで、いつも俺をこんなに戸惑わせるんだ。こんなことなら、今朝、はっきりと聞いとくべきだった。

 

 お前はどうして隠したがるのか……お前は、誰を好きなのか……それから。

 

「陽!」

 

「え?」

 

 木下が俺の腕を引っ張り、叫んだ。

 

「試合、終わったよ……準備」

 

 コートを見れば、既に前の試合が終わっていた。

 

「あ、ああ」

 

 そう言いざま、俺はコートに足を向ける。

 

 それでも、視界の端に、晶と服部の姿をとらえてしまう。

 

 言いようのない蟠りが、俺を襲う。

 

 でも、今は試合だ……ここに集中しなければ、勝てない。木下だって、この日の為に練習してきたんだ。明らかに上達した。なのに、ここで俺が、頑張った木下の足を引っ張る訳にはいかないんだ。

 

 集中しろ、集中だ!

 

 そう思い、俺は自分自身を奮い立たせ、グリップを強く握りしめた。

 

 暫く乱打で相手の力量を計る。

 

 上手いな……率直にそう思った。このままだと、木下は無理だ……男の方はどうあれ、相手の女は、確実に木下よりも実力は上だと見える。

 

 俺のフォローがどこまで利くか。

 

「レディ、サーバー町田、岡部ペア、レシーバー江口、木下ペア、五ゲーム」

 

 俺は、後衛で構え、深呼吸する。

 

 大丈夫だ、きっと……。

 

 でも、そんな気持ちとは裏腹に、木下が相手のサーブで崩された。

 

「ごめん」

 

なんて早いサーブを打ちやがる。あんなもん、木下に取れる訳ねぇだろ。

 

 そう思いながら、今度は俺が、サーブを受ける。

 

 でも、あのサーブなら、木下はダメでも俺なら……そう思っていた。

 

 早いサーブが飛んでくる、でも、俺には見えている。すかさず、俺は球を目で追い、ガットに当てる。

 

 でも、早い上に、そのサーブにはかなりの重みがあった。

 

 球を捉えた俺の腕が、凄しい痛みに軋む。

 

「くそっ!」

 

 そのまま、俺の返したはずの球が、ネットを揺らす。

 

「30−0」

 

 いや、大丈夫だ、次のサーブを取ればいいだけの事だ。

 

 そう思ってもみたが、もう一人のサーブも、負けず劣らずの威力があった。

 

「チェンジエンド」

 

 早くも一ゲーム取られるとか、有り得ねぇ! しかも、俺らは一点も取れてねぇ!

 

「こんな事、あってたまるか……」

 

 俺は苛立ったまま、コートを変わる。

 

 そんな中、気になって仕方がなかったのが、晶だ。

 

 スタンドを見れば、まだ、晶の横には服部がいる。

 

 いつまで居やがんだ、あいつ……そう思っていた矢先だ。急に晶が立ち上がっと思ったら、服部がその腰に手をまわし、引き寄せた。

 

 何やってんだ!!

 

 俺の苛立ちは、更に上昇……そんな、ところで……何やってんだよ。

 

「ごめん、陽……私、全然動けなくて……」

 

 木下の言葉も、俺に苛立ちを上乗せするだけだった。

 

「……いい、お前には無理だから」

 

 思わずそう言ってしまった。

 

パートナーが聞いて呆れる。励ますどころか、追い詰める事を言うなんて……いくら、自分が苛立っているからって。

 

 案の定、木下のテンションは下降だ。

 

 散々練習した木下のサーブも、もう決まらない。入ったところで、簡単に打ち返されて、球は俺たちのコートに沈む。

 

「ご、ごめん」

 

 何度も謝る木下を尻目に、もう何も言えない。

 

 せめて、俺のサーブが決まれば……そう考えながら、今一度スタンドを見流した。

 

 見なきゃよかったと後悔が押し寄せる。

 

「…………」

 

 なに……やって、んだ?

 

 俺の視界に映ったもの……それは見たくもない光景だった。

 

 服部がコートに背中を向けて、晶に近付いて……あれは――……キス、か?

 

「……れっ!!」

 

 言葉にならない声とともに、大きな音がコートに響く。その音で、木下の肩が震える。

 

 らしくねぇ……今までどんな事があってもやらなかった事だ……俺は、苛立ちのあまり、ラケットをコートに叩きつけていた。

 

「あき、ら?」

 

 恐る恐ると言った感じで、木下が俺を見る。

 

「何でもねぇ、悪ぃ……」

 

 負けているうえに、この動揺は半端じゃねぇ……俺は、そう感じながらも、球を高く上げ、ラケットを振りかぶった。

 

 思い切り打ちつける。

 

 今までにない、怒りを込めて……だから、そのサーブも半端ない早さだった。

 

 相手は、身動きが取れないまま。

 

「15−30」

 

 やっとの思いで取り返した点だったが、もう、今ので限界だ。

 

 既に肘の震えが止まらなくなっている。今までかばっていた怪我が、一気に破壊された瞬間だった。

 

「くそ……」

 

 案の定、次のサーブは決まらなかった。

 

「ゲーム、町田岡部ペア、チェンジサービス」

 

 もうダメだ……試合も、晶も……無理。

 

 それからは、情けない試合だった。どんなに追いかけて球を捉えても、肘がいう事を利かず力も入りきらなかった。そして、ラケットもまともに振り切れない。

 

 返してもネットか、アウト。

 

 木下は、もう戦意喪失状態……こんな二人で勝てる訳がなかった。

 

「ゲームセット!」

 

 審判の声が、俺の中に虚しく響く。

 

 一ゲームも取れなかった……こんな、ストレート負けなんて、テニスを始めた頃以来だ。

 

 でも、誰のせいでもない……俺のせい……何もかも、俺のせい。

 

 隣で泣きじゃくる木下に、優しい言葉一つかけてやれない、ダメな俺。

 

 試合に負けたのは勿論、悔しい……でもそれにも勝るこの悔しさはなんだ……。

 

 

 

 

 見上げたスタンドには、まだ、晶と服部がいた。

 

 

 






 

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