〜 部活始動 〜
「よろしくお願いします!」
女子テニス部の方から、そう大きな声が聞こえた。
その中に、晶の姿もある。
やっと入って来やがったか……待たせやがって……。
「お、アキがやっと入って来た――――っ」
そんな声をあげたのは、服部だ。
そうだ、こいつ、晶の事を狙ってるのバレバレなんだよな。
あれから毎日、いや毎時間と言っていいほど、二組のくせに六組に来やがる……まさしく要注意人物だ。
「おい一年、さぼってないで、さっさとネット張れよ!」
そう声を荒げたのは、二年の久石先輩だ。今一何考えてんのかわかんねぇ奴だし、なんか俺の事を異常に敵視してくるし、厄介な先輩だ。それ以外の先輩方は、割と喋りやすいし不満はないんだけどな。
「じゃ、まず各自ストレッチやってから二人組になってボレー」
寺倉先輩が全体に響く声を上げる。
この人は穏やかそうに見えて、練習ではきっちりしてるし、何かと頼れる先輩だな。
俺は、ようやくネットを張り終えた。しかし、今日もいつにも増してギャラリーが多い……はっきり言って、うぜぇ。
「あ、江口ストレッチ終わったら一緒にやろうぜ」
そう言って声をかけてきたのは、同学年の村井だ。こいつとは北中から一緒の腐れ縁ってやつだな。
「おう」
それから、俺は村井と組んで、女子コートに一番近い場所を陣取った。
うるさいギャラリーから遠いし、集中できる。それに……少しでも、晶の傍にいたいってのも、あるかな。
「ねぇ、代わって」
「はぁ?!」
暫く村井とボレーをしていると、服部がにこやかに、そう言って来た。
「なんでだよ」
俺は代わる気全然ない。つか、絶対に代わらねぇ!
「だって、そこだとアキ、よく見えるし」
やっぱりな、考える事同じってムカつく。誰が代わるか、バカ野郎。
「なぁなぁ」
しつこい。俺はとにかく無視を決め込む。
「おい一年!」
またかよ。
久石先輩のご登場だよ。
「何やってんだよ、お前ら。一年は校庭側行ってろよ」
ったく、面倒くせぇ……でも、先輩に言われたら代わるしかないか。
そう思って、俺は村井に「あっち」と合図する。そのまま、俺は渋々だが久石とコートを代わってやった。でも服部は違う。
「あ、先輩! じゃぁ俺とボレーしましょうよ」
そう言って久石に近付く。久石も今は相手がいなかったらしいから承諾するし……何だよ、俺だけダメなのかよ。
つか、服部はともかく、久石の奴、自分だって女子コートばっか見てんじゃん。ボレーが零れ過ぎですよ。
いったい誰を見てんだよ……そう思い、女子コートを眺め、久石の視線の先を追いかけた。
ああ、こりゃ、外周走ってる女子だな。あの中に、久石が目当ての女がいるのか……。
そう考えると、少しホッとする。
晶じゃない、他の誰かだ。そう思うと、許してやる気持ちになるから不思議だな。
「そこの一年!」
お、女子の方も誰か怒鳴られてんじゃん……俺は、いつも言われているその言葉に反応して、ちらりと声の方向を見流した。
「……あ」
なんだよ……晶かよ……ったく、何やってんだアイツ。今日来たかと思ったら、既に注意されてやんの。
でも、滅多な事がない限り、女子の先輩方も、晶を責める事はないだろう。
なんたって、晶は全中で優勝してっからな。ありがたい戦力だろ。だけど、晶はそんな事を鼻にかけるような奴でもない、いい奴だって知ってる。
「次、ショート終わったら乱打してサーブな」
練習メニューを叫ぶ寺倉先輩に従い、俺たちはそれをこなしていく。でも、フェンスが近いせいでうるさくて堪らない。
晶は、まだ絞られてるのか、くどくどと女子の部長と向き合ったままだ。
そのまま、俺は練習に集中して、言われたとおりのメニューをこなした。
「とりあえず球拾うぞ、一年!」
サーブ練習も終わり、久石がそう言ってベンチに戻る。まぁ俺らは一年だから仕方ねぇけど、お前も少しは拾えっつうの。
寺倉先輩はちゃんとボールは拾ってんじゃねぇか。どんだけ偉いんですか。
そのまま俺は、腰を屈めて拾いながら、一つのボールで手が止まった。俺の拾おうとしているボールに、もう一つの手が伸びたからだ。
「あ」
服部だ。
なんだか無性にそのボールを渡したくなくて、俺はボールを掴んだ。でも、服部もなぜか放さない。
「何だよ、俺が拾うって」
そう言ってはみたものの、服部に引く気配はない。たかがボール、されどボール。こいつにだけは負ける訳にはいかない気がする。
つか、なんで俺、こんなにムキになってんだか。
「こんな風に取り合って、どっちになびくのかな」
耳元で、服部がそう言って笑う。
なんだ、こいつ……取り合うって、晶の事か?!
だったら尚更、このボールは渡せねぇ!
「放せよ」
「お前こそ放せよ」
「お前こそ……!」
「何やってんだよ」
横やりに来た寺倉先輩が、俺らの手にあるボールをひょいっと取り上げた。
「そこまで取り合いになるような良いボール?」
にこやかに、かつ呆れたように寺倉先輩はそう言った。なんか、恥ずかしくなってきたじゃないか。
でも、ボールはともかく……晶は……俺にとっては良い女だ。
「お〜い、アキ! 頑張ってるか〜!」
「ちっ」
ムカつく。
服部が、俺の横でコロッと態度を変えて晶に向かって手を振ってやがる。
なんで、俺はお前に、こんなにも近付けないんだよ……昔はもっと……もっと俺たちは近かったはずなのに。
「何よ、アイツ、誰よ!」
服部のファンらしい。でかい声で晶に文句言いやがる。
その周りではコソコソと話し声が聞こえる。
「なにアイツ、舌なんか出しちゃって、可愛いつもりかしら」
いや、普通に可愛いだろ。
「ああぁん、もうマジでウザい!」
「ウザいのはそっちだろ」
あ、やべ、思わず声に出ちまった。でも、まぁいい……唖然としている女が、俺を見ている。
「悪口言ってて、楽しいのか?」
「え、別に、陽君に言った訳じゃ、な……」
「誰だって同じだろ、聞いてていい気分じゃねぇよ」
冷ややかな俺の言葉に、女は、そのまま黙りこんでしまった。それでも、周りにはいっぱい女がいる訳で……なにも聞いちゃいない奴らがどんどん口を滑らせていく。
「部員だからって、いい気になってんじゃないの?」
「啓介君や陽君にかまってもらえるからって、マジうざい」
「ああいう勘違い女が出てくるの嫌よね」
勘違いしてるのはてめぇらだっつうの。コソコソ話しててくれてよかったよ。こんなもん聞こえたら、晶は喧嘩売られたと思って買うかもしれないな。
そうだよな、あいつは男勝りで、負けず嫌いで……でも、いつも一生懸命で、優しくて誰の悪口も言わない。
「あの女、啓介君のなによ……でかいくせにムカつく」
「黙れ」
いい加減にしろよ。
「え?」
晶の事を悪く言う奴は許さない。
「お前ら、マジうるさい」
「陽君?!」
「毎日毎日、練習の邪魔、いい加減に帰れ、二度と来るな」
そう言ったなりだった。肩に圧し掛かる感触があたる。見れば、服部がにやにやと、俺の肩に腕をまわしていた。
「よく言った、江口」
「なんだよ、服部」
「俺も今、そう言おうと思ってたとこ」
「はぁ?」
「け、啓介君?!」
そのまま、服部はギャラリーの女どもに満面の笑顔を向ける。でも、その瞳の奥は笑ってない。
「俺さ、アイツ好きなんだよね」
「ええっ??!!」
口を揃えて誰もが驚く。
つうか、俺も驚いてんですけど。いきなり何なんだ、こいつは?! よくも抜け抜けと……。
「あれ、知らなかった?」
今度は俺に向かって聞いてくる。
知ってたよ、そんなもん、嫌でも気付くだろ。
「け、啓介君、ホントなの?!」
「やだ、そんなの!」
「あんなでかい女のどこがいいわけ?!」
それでも、服部は笑顔で対応。俺は不機嫌極まりない。
「なに、その口、裂かれたいの?」
服部の言葉に、その女は慌てて両手で口を塞いだ。
「だからさ、アイツに何かしようとか考えない方がいいよ」
「え?」
言いながら服部は、俺から離れた。そして、フェンスに顔を近付け、真剣な表情に代わる。
「もし、アイツに何かあったら……少しでも傷つけるような事あったら、俺、あんたらに何するかわかんないからさ」
覚悟してろよ、と付け足しながらも、再び服部は笑顔を取り戻す。でも、その笑顔の裏はマジだと思う。
「じゃぁね、ファン続けてもいいけど、期待しないで」
そう言って服部は、軽く片手をあげると、この場を立ち去っていった。
目の前の女どもは、既に怯えきって、それ以上何も言わなくなっていた。なにをするかわからない、と言う服部の言葉が本気だとわかったからだろう。
でも、あいつが言った『好きなんだよね』って言う言葉は、多分、俺に向かって言ったものだとわかる。
挑戦、か……でも、何でもいい、俺は絶対に晶を渡さない。つっても俺の女でもないけど……今はまだ、アイツの気持ち、わからないから。
だけど、もしあいつが、他の誰を好きでも、俺はその気持ちを壊したくない。
渡したくないけど、傷つけたくない。
晶――……お前の気持ちが一番大事だからな……。
***
俺はいつも教室で、晶の姿を見ているだけで、その声を聞いているだけで、今は満足してるんだよな。見つめる事は出来なくても、隣に居るって感じるだけでいい。
「おい、陽、数学の岩田、今日休みだって」
「へぇ」
「助かったよ、俺、予習して来てないもん、あいつすぐに誰にでも当てるからわかんねぇんだよな」
「そうだな」
そんな他愛ない話の声の中にも、俺の中では晶の声だけがやけに大きく存在する。
「ア〜キ〜」
くそ、服部の奴、また来やがった。
「なに?」
晶、あんまりそいつに構うなよ……俺の平常心がどっかに行っちまうじゃないか。仲良く話してるとこなんか見たくねぇ……だったらその中に入ればいいじゃんって思うけど、なかなか出来ねぇし……ああ、俺ってへタレかよ。
俺はそのまま、なるべく視界に服部を入れないように机に突っ伏した。
「何って、アキに会いに来てあげてるだけだよ。新しい学校で同級生も少ないアキを心配してだね」
また服部の奴、抜け抜けと言いやがる。
「京子、お願いですから、この啓介の相手してやってくださいませ」
ナイス、晶!
「え?」
「え、長田さん俺の相手してくれんの?」
お前は女なら誰でもいいのかよ。でも……あの時の、服部の瞳は真剣だった。
晶が服部を交わす度にわからなくなる。お前は一体誰が好きなんだ……それとも誰も好きじゃないのか。
「ねぇねぇ陽〜お昼買いに購買まで付いてきてぇ〜」
うぜ。
「うるせぇな、そんなもん一人で行けよ」
俺はそのままの体勢で、木下に言った。でも、木下は動じずに無理やり俺の腕を持ち上げ、起こした。
「ヤダ、陽に選んで欲しいの!」
「お前、自分の食いもんくらい自分で選べよ」
「だってぇ」
だって、じゃねえよ。
ほら、晶が見てるじゃねぇか。俺は、晶にだけは勘違いされたくねぇってのに!
「絶対に、やだ」
「もう、陽のケチ!」
「ケチ上等」
そう言いながら、俺はまた机に縋るように突っ伏し、寝たふりを決め込む。
「陽〜……陽ってば〜ねぇ起きてよ〜」
晶――……俺も服部みたいにはっきりと、好きだって言えたらいいのにな。