〜 AVENGE 〜 メール




 その日の放課後、二人は可奈の母親が勤める病院のロビーの長椅子に座っていた。

 

アサミは、不安に狩られる気持ちを抑えながら、可奈に聞いた。

 

「本当にいいの?」

 

「たぶん」

 

「だって、可奈のお母さん内科でしょ? 精神科とは関係ないんじゃない?」

 

「心療内科って知ってるでしょ? お母さんの恋人……その科の先生らしいから。友達がどうしても心配だから面会させて欲しいって頼んだんだ」

 

「……恋人ねぇ」

 

「お母さんは、自分がやましいから、何でも大抵の事ならいう事聞いてくれるんだよ」

 

 可奈は少し寂しそうに言った。

 

 ふと、アサミが可奈から視線を外した時だ。一人の女の人が、二人に向かって足早に駆けて来るのに気付いた。

 

 

 

 アサミは、一度も会った事はなかったけれど、その人が可奈の母親だと直感し、立ち上がった。

 

「可奈!」

 

 女の人がそう呼んだ。

 

 間違いない。

 

黒髪のセミロングを、後ろにきっちりと束ねて清潔感が漂う。それに賓のある顔立ち。ピシッと着こなされた白衣から覗かないほどの短いスカートを履いている。そこから覗くのは、スラリと伸びた、今にも折れてしまいそうな細い足だ。   

 

アサミの背筋も、その白衣のようにピンと伸びる。

 

「はじめまして。高見沢アサミといいます」

 

 そう言いながら、目線を外さないままに軽く頭を下げた。その先に女の人の名札がアサミの目に飛び込む。

 

『内科主任 丘本小百合』

 

「こんにちは」

 

 小百合もそう言って軽く会釈した。

 

かと思うと、目だけでアサミの全身を二往復ほど見まわした。可奈にそっくりのギョロッとした目に、何とも言えない迫力と威圧を感じたアサミは、少し尻込みした。

 

――人を外見だけで判断しそうな親だな。

 

 と、アサミは思った。しかし、そう思う自分も、初めてあった小百合を、冷たそうな人だと分析してしまっている事に、少し自己嫌悪して俯いた。

 

「で? お見舞いだって?」

 

少々息切れ気味のトーンで、小百合が可奈に言った。

 

「うん。いいでしょ?」

 

「いいけど。山根真紀子でしょ? 大丈夫なのかな? 親でも入れるなって言うんだよね。本人が」

 

「どんな症状なの?」

 

「見れば解る。食事もろくに取らないし、衰弱する一方で困ってんのよね。正直。診察も嫌がって、とにかく誰にも会いたくないって」

 

 小百合は困ったというより、呆れたといった感じに言った。

 

 そんな事よりも、小百合の返答に、アサミは少しばかりチャンス到来だと思ったのだろう。

 

「会いたくないんじゃ、私らも会ってくれないんじゃない?」

 

 と、可奈にあきらめを促す形で口を挟んだ。

 

「…………」

 

 可奈は俯いた。

 

 そんな可奈を見て、短い溜め息を洩らした小百合が、どこか気重たそうに見えた。

 

「でもまぁ。もしかしたら友達になら会うかも知れないし、一応行ってみる?」

 

 そう言って、小百合は「付いてくれば?」と言わんばかりに颯爽と踵を返し、歩き出す。

 

「うん、そうする」

 

 顔を上げ即答した可奈は、小走りにその後を追い掛けた。躊躇したアサミの足も、仕方がない、付いて行くか、という脳の伝達に逆らえないままに歩き始める。

 

 患者達を横目に受付を横切り、館内中央にあるエスカレーターの横を通り過ぎた。ガラス張りになっている中庭に沿って歩き続け、少しばかり陰気臭い廊下へと、案内されるがままに、二人は付いて行く。

 

その廊下の所々に置かれた長椅子に、診察の順番待ちをしている人が目に付く。

 

レントゲン室や放射線治療などの部屋の前を通り抜け、三人は職員用らしきエレベーターに辿り着いた。

 

小百合は「上」の三角のボタンを押す。待つ事暫し。ようやく開いた扉に三人は乗り込んだ。

 

妙に広く長いエレベーターだと思っていた時、それは四階で止まった。

 

開いたドアの向こうに看護師が一人立っていた。何やら白い布をかぶされた物体が担架に乗せられている。看護師が、小百合に軽く会釈したかと思うと、乗せないままに扉は閉まった。 

 

七階をすかさず押す白く長い指を見つめたまま、アサミはハッとした。

 

 このエレベーターは霊安室へ運ばれる遺体を乗せるものだったのだ。アサミは背中に悪寒を感じ、身震いを一つかましてしまった。

 

「山根さんの病室、少し特殊だからビックリしないでね」

 

小さな静まり返った空間に、突然響き渡った前触れもない小百合の声に、アサミの心臓は止まりそうになった。

 

「あ……はい……」

 

 アサミは蚊の飛ぶような小さな声で返事した。

 

「特殊って?」

 

 可奈が聞いた。と、同時に扉が開く。

 

「このエレベーターからしか、七階のこの通路には来れないいんだけど、精神病患者ばかりだから」

 

 小百合はまた、勝手に歩き出しながら、周りを見てごらん、と言わんばかりだった。

 

 全てが白い壁に覆われた廊下。十メートル置きに並んだ扉には、アサミが背伸びしてやっと覗けるような小さな小窓が一つ。

 

 こんな所から出れないだろうと見てもわかるのに、ご丁寧に鉄格子まで付いている。ドアノブには鍵、プラス南京錠。そして、膝元近くに、こちら側から開けられるようになってる郵便ポストのような変な扉があった。縦五センチ横二十センチといったところか。でも、それはすぐに食事を運び入れる扉なのだと、アサミにはわかった。

 

 ここまでされるのには、どんな風におかしくなってしまった人達なのか、アサミには想像すら出来なかった。

 

 いくつのドアを通り過ぎた頃か、ようやく一つの扉の前で小百合の足が止まる。

 

 突き当たりに近い、奥から二番目の部屋だ。

 

 小百合は中腰になり、食事用の扉を開け、中を覗き込んた。

 

「こんにちは、山根さん。面会したい人連れてきたんだけど、いいかな?」

 

「…………」

 

 返事はない。

 

 小百合は、チラッと可奈の方を見て言った。

 

「本当は駄目なんだよね、ここでの面会は禁止なの」

 

 そんな事を今更言われても、とアサミは思った。二人を内緒で連れてきてやってるんだ、と恩着せがましさも覗えた言葉だった。自分が娘に申し訳の無い事をしているくせにとは、アサミでも流石に言えない。

 

「山根さん、どうする?」

 

 小百合の、真紀子に問い掛ける言葉の中に「帰れ」と言って欲しいような感じさえする。そう感じるのはひねくれた考えのせいだろうか。

 

「真紀子! あたし! 可奈だよ!」

 

 たぶん、可奈も小百合の言葉だけでは自分が来た事は伝わらないと思ったのだろう。「嫌だ」と真紀子に返事をされる前に、可奈は慌てて扉に向かい問い掛けていた。

 

 その時、微かにだが、真紀子の声が聞こえた。

 

「…………か、な?」

 

「そうだよ! 心配だから来たんだ! 良かったら中に入れてくれないかな? 少しでもいいから話しよう?」

 

「……可奈、なのね?」

 

 確かめる真紀子の言葉には、さっきよりは力が入っていた。弱りきったような足取りの覗える、ヒタッ、ヒタッという足音が徐々に近付いてくる気配。

 

小百合はまだ用心している様子で、鍵を開けようとはしない。真紀子が扉の前まで来たのか、その足音が止まる。

 

「山根さん? 面会するのね? 本当にいいのね?」

 

 小百合は何度も真紀子に確かめた。

 

「……可奈なら……会いたい……」

 

 息を吐くような力ない真紀子の声。

 

「じゃあ……少しだけ」

 

 そう言って小百合は、ジャラジャラと丸い金属の輪っかに付けられた、幾つもの鍵の中から「707」と刻まれた鍵を探し出すと、まずは南京錠に差し込んだ。

 

『ガチャン!』

 

 と、重々しい音を響かせながら鍵は外され、次に違う輪を取り出し、また「707」の部屋の鍵を差し込んだ。その鍵を回しかけた時、真紀子は怯えるように震えた声をかけてきた。

 

「待って! 可奈、この部屋に入ってくるのなら何も持たずに入ってきて! お願い……」

 

「何も?」

 

「そう何も。そうでなきゃ会わない。ううん、会えない!」

 

「わ、わかった」

 

 可奈は不思議そうに頷きながら、カバンを小百合に手渡した。

 

 そして、ゆっくりドアが開けられた。

 

 更にゆっくり、ゆっくり。どこか未知の世界へでも飛び込む感覚だ。

 

「ひっ……!」

 

 中を覗くや否や、すぐさま可奈は、声にならない声をあげ一歩下がった、アサミまで驚いて同じく一歩下がる。

 

「真紀子、なの?」

 

 恐る恐る聞いた可奈の肩越しに、アサミも、そっと病室を覗きこんだ。

 

 十センチほど開かれたドアの隙間の奥には、赤い髪を振り乱し、真紀子の顔を覆い隠している姿があった。その髪の隙間から不気味に感じる視線が、こちらを警戒するように見ている。

 

「アサミも、一緒なの?」

 

 すわった瞳が、微妙に動いたような気配、低いトーンがアサミの耳に届く。

 

「……うん」

 

 聞こえないような小さな声で、アサミが頷いた。

 

「……いいよ。でも何も持って入らないで……先生は嫌……下がってて」

 

 アサミは、何も真紀子の目に逆らえないような気がして、同じくカバンを小百合に手渡した。小百合は二人のカバンを持ったまま後退りしドアを離れる。

 

「気をつけてね。暴れ出すと手が付けられないのよ」

 

 そう忠告をしながら、小百合は壁にもたれかかった。

 

「暴れる? 真紀子が?」

 

 そうアサミは小さく呟きながら、二人は部屋に入ろうとした。だが、それ以上開かないドアに、不思議さを感じた二人は、互いを見合った。

 

 

 

 真紀子の腕に力が入っているのか。何も食べていない割には物凄い力を感じたアサミと可奈は、二人で同時にドアノブに重ねて手をかけた。

 

「真紀子、開けてくれなきゃ……入れないよ」

 

 二人の力をもっても真紀子の力には勝てない。 

 

「……あたしじゃ……ない」

 

 真紀子の瞳が潤んでいる。

 

――真紀子じゃない? どういう事?

 

 アサミは、納得のいかない真紀子の言葉を確かめたくなっていた。ここぞとばかりに火事場のクソ力を掘り起こすように、二人は両足を踏ん張った。

 

 可奈の腕もそろそろ限界なのか震えてきている。

 

「くっ……こんな事って……ある?」

 

 歯を食いしばりながら可奈は言った。

 

「あたしにも……くっ……わかんないよ!」

 

 二人は既に限界だった。最近、筋力を使うような事をしていないせいもあり、体力がないのだ。

 

「何やってんの? そんなにそのドアは重くないでしょ」

 

 後ろから不思議そうに問い掛ける小百合は、理解しきれないと言った様子で、ゆっくりとドアに近付いてきた。

 

「可奈。アサミ。助けて……」

 

 真紀子が涙ながらに訴えてきた。

 

 その時だ。

 

 ガタガタとドア全体が震え始めた。だが、アサミの腕に力が入りすぎて腕が震えているのか、本当にドアが震えているのかわからない。

 

 アサミと可奈がお互いの目を見た瞬間だった。

 

「きゃあ――っ!」

 

 二人同時に尻餅をつく状態に撥ね飛ばされ、ドアがバタンッと大きな音を立てて開かれた。だが、そこに真紀子の姿はない。アサミと可奈は、すかさず起き上がり中に駆け込んだ。

 

「真紀子!」

 

 アサミも可奈も自分の目を疑った。

 

 窓一つない暗い部屋の中。

 

 唯一、ドアからの廊下の光に、今、照らされたような部屋だった。見えそうで見えない部屋の中で アサミは背中に悪寒を感じ震えた。

 

――真紀子じゃない何かがいる?

 

 根拠はなかったが、アサミはそう感じた。

 

「何か聞こえない?」

 

不気味な音に、アサミは言いながら耳を澄ました。それは、ザワザワと何かを引きずるような音だった。何かが床に擦れる音だ。

 

 アサミは暗闇に慣れない目ではあったが、何かが壁の中に消えていくのを見て、目をこすり凝らした。

 

「何?」

 

 アサミが上擦った声を上げた瞬間。

 

『パチン!』

 

 と、いう音にアサミの肩がピクリと上がった。

 

アサミはその音がした方をとっさに見た。可奈が、入り口の壁際にあった部屋の明かりのスイッチを押したのだ。ドアの向こうで、小百合は遠まきに覗き込むように部屋の中を覗っている。

 

「新しいはずなのに……」

 

 小百合はそう呟いた。

 

 アサミは恐る恐る明かりを見上げた。今にも切れそうな電球が点滅を始めている。青白く暗い光が点いたり、消えたり、バチバチと音を弾く。

 

 明かりもままならない部屋の中で、アサミは真紀子の姿を探した。細めた目の中に真紀子の姿がぼんやりと映し出された。

 

「真紀子?」

 

 真紀子はベッドの上の角に、膝を抱えて蹲っていた。部屋の壁にへばり付く形で体中を小刻みに震わせている。

 

「何が、あったの?」

 

 可奈は、真紀子にゆっくりと近付きながら話し掛けた。

 

 真紀子は顔を覆い隠した指の間から、怯えきった目をのぞかせ、震えた声で言った。

 

「……可奈は………大丈夫なの?」

 

「何が?」

 

 当然、身に憶えのない可奈は聞き返した。

 

「……メール……」

 

――メールとは何だろう?

 

 そう思いながら、返事をかえそうとはしない可奈を、アサミは見遣った。

 

アサミは、可奈に異変を感じ取っていた。真紀子に歩み寄ろうとしていた可奈の足が止まっている。何かを思い出そうとしているのか、眉間にシワを寄せている表情が、ちらつく電気に見え隠れしている。

 

「可奈?」

 

 アサミが言ったその時だった。スカートのポケットが突然震えだした。その振動にビックリして、アサミの体が一瞬飛び上がる。

 

「携帯」

 

 アサミはポツリと呟いた。

 

 先程、病院に来ているからと思い、携帯の音を消しバイブにしてあったのだ。そのままアサミはカバンには戻さずに、手っ取り早くポケットに押し込んでいたのを忘れていたのだ。









    









              

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