〜 AVENGE 〜 迎えにきた友達




 壁に打ち付けられた携帯は、熱帯魚の泳ぐ水槽の中に落ち、沈んだ。

 

途端に、思わずソファに顔を伏せた可奈は、動けない。

 

 暫らくして、恐る恐る顔を上げ携帯を目で追って探した。水槽に沈んだ携帯が機能しなくなっている事に、可奈は落ち着きを取り戻しかけた。だが、可奈はその水槽の真上の壁に違和感を覚え、目を凝らす。

 

 携帯がぶつかり、少しへこんだ壁の窪み。そこから、一筋。また一筋、と血が溢れ出してきたのだ。

 

「いや――――――――っ!」

 

 可奈は慌てて立ちあがり、外に逃げ出そうと窓際に急いだ。そして、閉められたカーテンを思いきり開けた。

 

「きゃあっ!」

 

 けたたましい悲鳴をあげた可奈の目の前に、思わぬ光景が飛び込んだ。

 

 

 そこにいたのは、窓ガラスにへばり付き、大きく恨めしそうな目をこじ開けた人だかりだった。ひんむいた眼球が、部屋の中を覗き込んで見回した後に、一斉に可奈を見つめる。

 

 途端に、可奈の腰は抜け落ちた。目を背けようにも、怖くて出来ない状況がそこにある。

 

 腐乱しきった体中の、穴という穴から血を滴り落としている。その者たちの吐く息が「ハァ〜…ハァ〜」と、おぞましく苦しげに吐き出されると、澱み湿った空気が、窓ガラスを曇らせていく。

 

 骨がむき出しの指先で、ギギギギギ〜ッとガラスを引っ掻く。その剥がれかけた爪の間から血を吹き出し、まるで地獄絵図だった。

 

 ドンっと窓ガラスを叩く音。

 

かろうじて可奈の瞳はカクカクとぎこちなく動き、その音を拾ったかのように、窓の端に動いた。

 

「ま、真紀子?」

 

 可奈は押し潰された声で呟いた。

 

あまりの恐怖で立ちあがれなくなった可奈は、尻餅をついた姿勢のまま後退りする。力の入らない足で床を蹴り、滑りながらその場から逃げようと必死だった。

 

すると、誰かの足が可奈の背中に当たる。

 

「ひっ!」 

 

 可奈は、ゆっくりと振り向き、恐る恐る、その足の正体を見上げた。

 

 だが、その視線の先にいたのは、弟の広志だった。お腹がすいて、部屋から久し振りに出てきたらしい。

 

 広志は、訝しく可奈を見下げている。

 

「何やってんの?」

 

 助かった、そう思った可奈は、すかさず広志の足に縋りついた。

 

「助けてっ! 広志。広志も見たでしょ? あれ!」

 

「あれ?」

 

「あれよ! 壁の血とか、窓の外の血だらけの人達!」

 

 可奈は硬く目を瞑り、下を向いたまま窓を指差した。

 

 広志は不思議そうに首を傾げながら、可奈の指差した方向に視線を向けると、窓際に近付いて行った。そして、何の躊躇いもなく窓を開け、あたりを見まわす。

 

「誰もいないけど?」

 

「そんなはずない!」

 

 顔を上げた可奈の目には、眩しい太陽の光が当たる。その眩しさに目を細めるも、すぐさま慌てて壁を見遣った。部屋中のどこを見まわしても、恐怖に慄くような、それらしい跡などない。

 

「携帯!」

 

 可奈はそう言って立ちあがると、水槽に駆け寄り、荒々しく腕を突っ込んだ。飛沫を上げながら、 その手に踊らされるように、熱帯魚も揺らぐ。

 

「ない! ないっ!」

 

 慌てふためく可奈を尻目に、広志はテーブルの下を覗くと、しゃがんだ。

 

「姉ちゃん?」

 

 そう言って広志は、携帯を拾い上げ、可奈の目の前にかざした。

 

「寝ぼけてたんじゃないの?」

 

 可奈は目を丸くした。

 

「濡れて……ない?」

 

「濡れてないよ。姉ちゃんずっと寝てたじゃん。僕が入ってきたら突然起きあがって、慌ててカーテン開けて、一人で騒いでた」

 

「えっ?」

 

 広志は、可奈の手の平に携帯をポンッと落すように渡した。信じられない可奈は急いで携帯を開けた。だが、そこには何も言葉がなかった。受信メールも、送信メールもすべて空っぽの状態だった。

 

「夢? ううん、あれは絶対に夢じゃない、だってマジでリアルだったし……だから」

 

 首を横に振りながら、可奈は呟いた。

 

「俺も結構見るよ」

 

「え?」

 

「リアルな夢」

 

 広志は呆れたように言うと、キッチンへと向かう。

 

「あ! お母さんまた物に当たってキレたの? みんながいない間に片付けてるのは僕なんだよ! もう!」

 

 そう言いながら、渋々とタオルを取りだし、床を拭き始めた。

 

「ホントに夢、だったのかな」

 

呟きながらも、出来ればそうであってほしいと願う可奈は、キッチンで愚痴を零す広志の行動を眺めた。

 

「ったく、母さんのヒステリックのせいで、僕の仕事が増えちゃうんだから」

 

そんな広志を見て、可奈はくすりと笑った。今の事が全て夢なら、何も心配する事なんかないのだと思う安心感からだろうか。

 

「そうなんだ。誰もいない時には部屋から出てきてるんだね」

 

「え? なに?」

 

「ううん。今まで、片付けてるのはお母さんだと思ってた。自分のした事だしさ……でも違ったんだね、つくづくダラシのない親」

 

 そう言って可奈は重く溜息を洩らすと、再びソファに安堵した様子で腰かけた。

 

 自分を落ち着かせる意味も含めて、違う事を必死に頭の中に詰め込もうと考えていたのかもしれない。

 

「そうだ! 姉ちゃんの携帯についてる、それ」

 

 突然、広志が叫ぶように問いかけた。

 

「え? どれ?」

 

 可奈は、徐に携帯を見遣る。

 

「その変な木彫りみたいなやつ」

 

 それとは、ピノキオの人形の事だった。

 

 広志は、吹き終わったタオルを洗いながら、話しを続けた。

 

「それさぁ。全然可愛くないね」

 

「え、知ってるの、これ」

 

「うん。似てるだけなのかなぁ、チャットで知り合った人がそんなの持ってるって言ってたんだけど『ピノキオ』みたいな木彫りの人形って。その人、凄く気に入ってるみたいだったから、そんなに良いものなのかと思ってたけど、見た感じ、ただの人形だよね。ってか、ただの木?」

 

「そんなにいいものって、何で?」

 

「渋谷の路店で、爺さんから買ったらしいんだけど、その人はそのストラップ付けてから、自分の思う事と同じ考えを持つ友達が出来たんだって。何でも聞いてくれる友達みたいな? ま、所詮メル友だったみたいけどさ」

 

「だって、これ友達が出来るっていうストラップだもん」

 

「姉ちゃん友達いなかったっけ?」

 

「出来たから必要なくなったの」

 

 ふうん、と広志は洗い終わったタオルを、壁の手すりに干しながら言った。

 

「でも、よく考えたら、そんなメールの中の友達なんて変だよね。まぁ僕もチャットの友達しかいないから人の事言えないけど。同じ意見を持つような友達ってなかなかいないから、それ聞いてすこ〜しだけ羨ましく感じたのかなぁ? でも、それは可愛くないよ。それなら、僕はいらないな」

 

「…………」

 

 可奈は、暫らく押し黙ってそのストラップを見つめた。

 

「どうしたの? 何? 僕そんなに傷つく事言った?」

 

 返事を返さない可奈を、不思議そうに見つめる広志。身動き一つしない可奈は「まさか」と思っていた。

 

「そう言えば……これを買った子だけ……」

 

 あの時、このストラップを買った子達だけがみんな消えたのだ。

 

『可奈は友達』

 

 そうメールは入って来た。

 

今考えれば、いつも誰かに見られているような感じが可奈にはあった。友達の出来るストラップ、とキャッチコピーを引っ下げて売られていたピノキオ。

 

「そうだよ……これを買ってからだったかもしれない。変なメールを受信したのも、みんな、いなくなっていったのも」

 

「え、なに? 何か言った?」

 

「広志。そのチャットの人は今、どうしてる?」

 

 可奈は、確かめるように聞いた。

 

「知らない。そう言えばここ一週間ほど入ってこないな〜。そのメル友にでもはまってるんじゃないの? 今度会うんだって張り切ってたみたいだけど……ま、所詮チャットだしどうでもいいや」

 

 あっ気らかんと広志は笑い飛ばした。

 

「そう……きっと真紀子みたいに捕まったんだわ」

 

「え? 捕まったって誰にだよ」

 

「……きっとそうよ」

 

「姉ちゃん?」

 

 可奈はジッと『ピノキオ』を見つめたままだった。

 

と、その時、ピクッと変な感触に襲われた可奈は思わず「いやっ!」と声を上げ、携帯を放り投げた。

 

「これ、ただの人形なんかじゃない!?」

 

そう叫んだ可奈は、確かに自分の手の中で、人形が脈を打ったような気がしたのだ。

 

「え、なに。どうしたの? 姉ちゃん?」

 

「そんな? まさか!」 

 

 可奈は思い違いならいいと、もう一度携帯に手を伸ばして見た。

 

すると、突然携帯が鳴りだし、可奈は驚いて飛びあがってしまった。思わず手を引っ込めたが、すぐさまその音が、聞きなれた着信音だった事に気付く。

 

「アサミ?」

 

呟きざま、すかさず可奈は携帯を取った。

 

「もしもし! アサミ?」

 

『もしもし? 可奈? 何だか声聴くの久し振りだね。可奈の家に行って帰った日から、私学校には顔出してないんだ、可奈はどうしてるかなぁと思って。大丈夫? 元気だった?』

 

 可奈はホッと胸を撫で下ろした。

 

「うん、私も学校行ってない」

 

『そうなんだ。そっかそっか……あ、携帯番号変えたメールは見てくれてた? それも聞きたくて』

 

「うん、見たよ」

 

『そう、良かった………可奈、会いたいな』

 

「うん、私も会いたいよ」

 

『今どこ? 私は家にいるんだけど、ってかずっと家から出てないんだけどね』

 

「私も出てない。ずっと家だよ………それよりも、わかった気がするの!」

 

『え? 何が?』

 

「っていうか、わかったのよ!」

 

『だから、何?』

 

「真紀子達を連れて行ったかもしれない奴!」

 

『…………』

 

 あの光景が頭を過ぎり、アサミの顔色がなくなっていくのが、言葉を失った様子で手に取るように可奈には伝わってきている。

 

『やめなよ。あんな目に合うのはもう怖いよ。可奈にも、そんな風にはなっては欲しくないもん!』

 

 案の定、アサミは良い返事をしない。

 

「そうね、私だって怖いよ。でも、もう始まっちゃった。そんな気がするんだ」

 

『どう言う事?』

 

 可奈の言葉に、アサミは慌てた声を出し続けた。

 

『何? 何が始まったって?』

 

「あの時、アサミに言われた通りに捨てておけばよかった!」

 

『何を? ねぇ! 可奈?』

 

「あのね………」

 

 可奈の涙混じりの声が途切れた。


 

 

 

        ◇

 

 

 

 

「もしもし? 可奈? 聞こえない!」

 

 自室にいたアサミは、座っていた回転椅子から立ちあがり、必死に電話に大声を発していた。

 

「可奈! 何が始まったのよ!」

 

『ガガッ!』

 

「きゃっ! 何?」

 

 いきなり伝わってきた大きな音に、アサミは思わず携帯を耳から離した。

 

――何の音!?

 

 そう思いながらも慌てて耳に戻す。

 

「可奈! 聞こえる?」

 

『……真紀子もアリサも……ガッ……メールが……ガガガッ……』

 

「真紀子? メール? アリサ? 何!」

 

『友達の……ガガガガガッ……ピノ……ガガガガガガッ……』

 

「何? わかんないよ! 電波ない? 聞こえない!」

 

『ガガガガッ……オマエモ、トモダチニ、ナリ、タイカ……ガガガッ……プツッ』

 

「きゃあ!」

 

 鼓膜に響く低い不気味な声に、アサミは思わず携帯を落した。

 

――可奈の声じゃなかった。

 

「可奈!」

 

 またも慌てて携帯を拾い上げたが『通話時間』の表示。すぐさま震える指でリダイヤルを押すアサミだったが。

 

話し中? うそ」

 

もう一度、アサミはかけ直したが、またも話し中だった。

 

何度リダイヤルを押しても可奈には繋がらない。アサミは苛立ちと不安を抱え、可奈の家に直接行った方が早い、と机の上に置かれた定期を片手に、慌てて部屋を飛び出した。







    









              

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