〜 AVENGE 〜  再会




以前はピシッと着こなしていたはずのスーツだった。なのに、そのシワシワとボロい手帳が、必死に妹を探しつづけた証のようだと、アサミには思えた。

 

「佐川京子って主婦。旦那に聞いたんだけど、それまでは時間惜しみなくチャットやメールに嵌ってたって。子供がいない分、旦那も奥さんのそんな行動を、寂しいんだろうと目を瞑ってたらしい。なのに、その趣味を突然やらなくなったって。その上、家に掛ってくる電話にも怯えて出ようとしなかったらしくて、挙句に自分の耳にボールペン突き刺して聞こえなくしたんだって。にもあき足らず、奥さんは旦那の携帯まで叩き壊したって言ってた。で、ある日、旦那が仕事から帰ってきたら、部屋中に嵐が来たみたくグチャグチャで、どこにも奥さんの姿はなかったらしい。これは俺の知る限りでは初めての行方不明者で、世間では誘拐強盗で通ってる」

 

「真紀子も、電話に怯えてた……」

 

 アサミはそう呟きながら、その話の光景を頭の中に浮かべた。だが、その想像に痛ましさを感じ、目を硬く閉じ、脳裏の映像を散らした。

 

「口を聞かなくなったのは?」

 

 それでも、聞かなければならない。可奈は逃げなかったのに、自分だけ目を背けるわけにはいかない、とアサミは心を奮い立たせて聞き入る。

 

 アサミの様子を心配そうに覗いながら、太郎はまた、パラパラと手帳を捲った。

 

「引きこもったのは小学生の子。五年生の山戸薫ちゃん。普通に明るい子で、塾に通ってたから連絡を取る為に携帯を持たせてたんだけど、やっぱり突然いらないと言い出したとか。学校にも行かなくなって、塾にも。で、いつもなら早起きの薫ちゃんが、いつまでたっても起きてこないから、親は心配になって部屋に呼びに行ったら、これまた、こつ然と姿を消してた」

 

「携帯は?」

 

「ああ、そう言えば、ないって言ってたな……家に帰ったら携帯は親が預かってたはずなのに、それだけ無くなったって言ってた。でも、携帯が一人で勝手に足がはえて歩かないだろ? きっと薫ちゃんが黙って持っていったのかもって事になってた」

 

 携帯が歩く。そんな馬鹿な、アサミはそう思いながらも、真紀子の病室で見た自分の携帯を思い出していた。あれは確かに真紀子に向かっていた。

 

「部屋は?」

 

 アサミはとりあえず、他の情報を引き出そうとした。

 

「やっぱり荒れてたらしい」

 

「親は気付かなかったの?」

 

「薫ちゃんの部屋は建て増しで、一階の廊下は繋がってるけど、二階は少し離れてるからって」

 

「そう」

 

「もう一人の小学生も突然暴れたらしいんだ。六年生。いきなり裸足のまま庭に飛び出たかと思うと、やみくもに木を切り出したって」

 

「木を? どうして?」

 

「その子が小学校に入学した記念にって桜の木を庭の隅に植えたらしいんだけど、春に散ったはずの桜が、この時期に突然、満開になったんだって。それを、その子は気味悪がって。それで、その子は部屋に慌てて戻ったらしくて、すぐに親も追いかけたけど、部屋には、その子の姿がなかった、で、それっきり」

 

「……満開?」

 

アサミは、可奈のパキラを思い浮べていた。

 

枯れたのに、生き生きと生まれ変わったパキラだ。それも、何か関係があるんだろうか、とアサミの頭の中は困惑し始めた。だが、何かが繋がりつつもあった。

 

アサミの経験と、太郎の情報には、何かしらの共通点がある。

 

「それから……」

 

 太郎は今まで聞きまわった事を、アサミが問うまでもなく話し出した。

 

「女子高生も、家族の人は話たがらない人もいて、全部が全部聞けたわけじゃないんだけど。大体は単なる家出だから、そのうち帰ってくるって言い張る親がほとんど。三人一緒にいなくなったケースもあって」

 

「三人?」

 

「そう、三人。溜まり場になってた木村アリサの家で。でも、その家の母親が言うには、もう一人いたって言うんだ。覗くなって日ごろから言われてたから気にしなかったらしいんだけど、バタバタと暴れるような物音がしたかと思ったら、部屋から転がるように飛び出してきた子がいたんだって。同じ学校の子だったって、日ごろから仲良かったみたいで知ってた、名前は……確か」

 

「真紀子……」

 

「そう! さっき言ってたんだよね。壁に吸い込まれたって子?」

 

「……うん……」

 

 アサミは辛そうに言った。

 

アリサは真紀子がおかしくなった原因に繋がっていたのだ。だから、真紀子がいなくなった時、アリサを見たのは、アサミの見間違いではなかったのかもしれない。

 

「何があったか聞く暇もなくて、物凄い形相で真紀子って子は取り乱しながら、木村アリサの母親を押し退けて、裸足のまま家を飛び出していったらしい。その後は……あれ? 病院で自殺したって書いてある…………そうだよ。俺は、その子も調べる為に、入院してる病院にも行ったんだ。そしたら、もう自殺した後で……葬式だって行ってみたんだ。でも、君は真紀子って子が壁の中に消えたと言ってるのに、病院は遺体を返したんだよな? うん、俺はそう聞いたぞ」

 

 太郎は首を傾げながら、自分自身と会話をしていた。

 

「あれは……真紀子じゃなかった」

 

「えっ?」

 

 俯いたアサミの顔を太郎は覗き込んだ。でも次の瞬間、オカルト雑誌とはいえ太郎は記者だ、さすがに感づいた様子だった。

 

「病院が評判気にしたか……」

 

 溜め息混じりに太郎は呟いた。

 

「まぁ、木村家のその後の部屋は他に同じ。いなくなった小早川里奈と白尾朋子の親は、木村アリサがそそのかして、三人で家出したんじゃないかって、木村さんを責めてる。後は一人暮しの人達で、消えた状況は空白のままだ」

 

 太郎はパタンと両手で手帳を閉じ、「ふぅ〜」と溜め息を一つもらしながら、ポケットにしまった。

 

「俺が調べた限りはここまで、いずみとの接点なんて、とてもじゃないけど見つからなかった。これから、何をどう調べればいいのかわからない」

 

「そんな事ない」

 

 アサミは顔を上げて太郎を見て言った。

 

「えっ?」

 

 二人は見詰め合い、暫らく沈黙が続いた。

 

 アサミには、希望の薄れた太郎の瞳が覗えた。アサミは可奈が帰ってきてくれる事に希望を失ったわけではない。親友を犯人扱いされたまま黙っている事も出来ない。そういう気持ちを映し出したアサミの瞳に共感したように、太郎の瞳にも生気が戻ってきた。

 

「そうだよな! 俺達がやらなきゃ、だよな!」

 

「そうよ。落ち込んでなんかいられないんだから。それにまだ、可奈の弟がいる! 可奈を最後に見てるはず。何があったか知ってるかもしれない!」

 

「そうだな、とりあえず一緒に行ってみるか」

 

「うん!」

 

 頷き合った二人は、可奈の弟が入院している病院を目指し、歩き出した。

 

「後で、見てもらいたいものがあるの」

 

 そう言ったアサミに太郎は、何を、と詮索する事なく「わかった」と、返事をした。

 

 アサミが見てもらいたいもの。それは、一度枯れたはずのパキラだった。

 

 

              ◇




 

「無駄だと思いますよ」

 

 アサミの前を歩きながら、可奈の弟の病室へと案内する看護師が言った。狐のような細い目つきで色白、意地悪そうに口から飛び出した看護師の「無駄」という言葉に、アサミは少々カチンときたようだ。

 

「ここです」

 

 看護師が立ち止まって、どうぞ勝手にお入りくださいと言わんばかりに、細い指が並んだ片手を、スッと病室に向かって差し出して一歩下がった。

 

「警察の方が来ても何も話さないんで、それにもう、警察もあまり来られなくなりましたし、マスコミは、まだ面会は駄目なんですけど、お姉さんのお友達ならと医院長からお許しが出たんです」

 

 と噂好きで、一言多そうな看護師は付け加えた。

 

 アサミは軽く頭を下げながら、看護師の前に進み出てドアをノックした。だが、返事はない。アサミは部屋のドアノブを握り、ゆっくりと回した。

 

 真紀子の時があったせいで、アサミは病室というドアを開けるのが怖くなっていたのか、それ以上ドアを押す事が出来なかった。小刻みに震えたアサミの手の上に、大きく温かい手が重なる。

 

 太郎だった。

 

「おれが開ける」

 

太郎は優しく目を細めて言った。

 

 アサミの手からゆっくりとノブは放れ、ドアは開けられた。

 

「こんにちは」

 

 太郎が爽やかに病室に入って行く。明るい個室の部屋に安心したアサミも一歩踏み出す。

 

「……こんにちは……」

 

 可奈の家のドア越しでしか知り得なかった弟だ。初めて顔を合わす弟は、目元が可奈にそっくりだった。と言っても、まだ顔のほとんどには包帯が巻かれたままだ。迎え合わせになっているベッドから起きあがった状態に、座っている弟のその目は、二人を観察するようにジッと見つめていた。

 

『誰?』

 

 と、その目が言っている。

 

 太郎とアサミは、ベッドの脇に歩み寄った。太郎がベッドに吊るされたネームプレートに目を落とした。

 

「広志君って言うんだ?」

 

 と聞く。その言葉に反応して、広志の目線は太郎へと向いた。

 

「俺は、山田太郎っていうんだ。よろしく」

 

 広志の目が疑惑をぶつけるように細くなる。その反応に太郎はすかさず応えた。

 

「嘘みたいな名前だと思ってるでしょう? でも、本名なんだな、これが。な、アサミ」

 

「う、うん」

 

 いきなり振られた会話に慌てて答えたアサミだったが、それがまた、うそ臭く映ったかもしれない。広志が交互にジロジロ見ていた目線は、ピタッとアサミに向けられて止まった。

 

「身体の具合はどう? 私、アサミ。可奈の友達なんだけど。たまに家に遊びにも行ってたんだよ。知らないかな? 会う事なかったもんね、今日来たのはね……」

 

 そう言い掛けた時、広志は横に身体をねじらせて、ベッドの脇に置かれたテーブルの一番上の引出しを開けた。そして、紙と鉛筆を取り出した。

 

徐に書き始めた広志に、アサミと太郎は目を合わせた。

 

 サラサラと走る鉛筆は止まり、広志は紙をこちらに向けた。

 

(あなたが、あさみさん?)

 

 紙に書いてある問いに、アサミは慌てて小さく何度も頷いた。

 

「そう、私がアサミだよ、知ってた?」

 

 その言葉を聞き終わらないうちに、また広志は書き始める。

 

「喉がやられてて喋れないんだな」

 

 太郎が言った。

 

 広志が紙を向ける。

 

(あのひ、さいごにねぇちゃんと、でんわしてた人だよね?)

 

「そうだよ!」

 

 アサミは思わず身を乗り出し、ベッドに両手を付いた。

 

「やっぱり、あの日、可奈はいたのね! あの場所に!」

 

 広志はしっかりとした目を向け、コクンと頷く。

 

「可奈は? どうしたの? 何があったの? あの日、広志君は何かを見た?!」

 

 アサミの問い掛けた質問に俯いた広志は、小刻みに震え出した。だが、何かを伝えたかったのか、震えの伝わる鉛筆を必死に動かし始め、走り書きした文字を向けた。

 

(あんなのみたのはじめてだったから、こわかった、ぼくはすぐに気をうしなって、それからはわからない。ねぇちゃんがいないって、けいさつにきいて、きっと、ねぇちゃんがぼくを助けてくれたんだっておもった)

 

「あんなの?」

 

 太郎は首を傾げながら見ていた。でも、アサミにはわかった。それが何なのか。

 

「警察にはどうして話さなかったの?」

 

 というアサミの問いかけに、広志は、

 

(けいさつはキライだ)

 

 と走り書きした。

 

(おとなはみんな、ぼくら子供の言うことなんかきいてくれない) 

 

 と付け加えて。

 

 現実から目を背け、自身の回りを手っ取り早く片付ける事ばかり考え、面倒臭い事には蓋をして、決して見ようとはしない。大人の汚さが広志にはわかっているのだ、とアサミは思った。

 

 事実、その通りだ。

 

 小百合も死を持って、その後悔に気付いたに違いない。自分が投げ出した我が子の巻き添えを食ったのだろう。小百合が目を背け、可奈を信じなかった非現実的な出来事に……かと言って、例え百歩譲って、小百合が理解していたとしても『何か』から逃れる事が出来たか、となるとわからない。

 

 とその時、聴いた憶えのある音楽が病室に鳴り響いた。


 可奈の携帯だ。

 

 アサミは、カバンに入れて持ち歩いていた可奈の形見を取り出した。その瞬間にも、広志は目を皿のように見開いた。

 

『わぁああああっ―――!』

 

 と、出ない声を無理やり絞り出したような悲鳴を上げたかと思うと、慌てふためいた広志はベッドから転げ落ちた。

 

 何が起こったのかアサミにはわからない。 

 

 広志は「大丈夫?」と、近付こうとするアサミの手を振り払いながら、逃げるように壁に背中を押し当てへばりついた。

 

訳のわからないアサミは、更に近付こうとする。広志は警戒しながら、壁と背中合わせに伝い、首を横に振り続ける。

 

涙ながらにアサミの手に握られた可奈の携帯を指差して「うぅ! うぅ!」と訴えながらに怯えていた。

 

 太郎も訳がわからないまま「どうしたんだ?」と立ち尽くしている。

 

 アサミは自分の手に目線を置いた。

 

「これが……どうかしたの?」

 

 そう聞くアサミの差し出した手を、思いきり広志は叩き付け、可奈の携帯を部屋の隅に飛ばした。

 

「何?!」

 

 と聞くアサミに、首を横に振り続けるだけで、そのまま広志は頭を抱え込みしゃがんでしまった。その身体は、何かの恐怖に怯えるように小さく縮こまった。

 

携帯の音を拾わないように、耳を両手で強く塞いだままだ。

 

それからずっと、そのまま広志は動こうとはしなかった。立ち上がろうとしない広志を見ているだけで、可哀相に感じた太郎がナースコールを押し、看護師を呼んだ。

 

『どうしました?』

 

「すぐに来てください!」

 

 太郎がそう言って間もなく、看護師は病室に飛び込んできた。

 

「何をしたんですか? こんなに怯えさせて! ただでさえ火事で母親を亡くして情緒不安定になってるんですよ! 少しはこの子の身になって考えてあげて下さいよ!」

 

 急いで駆け込んで来た看護師は、広志に走り寄った、さっきとは違う優しそうな、少しふくよかな看護師にアサミ達は怒鳴られた。

 

「それに、あの携帯は何ですか? 病院は携帯禁止ですよ!」

 

「……すみません……」

 

 と、アサミは部屋の隅に駆け寄り、まだ鳴り続けている携帯を拾い上げ、すかさず電源を切った。

 

「帰ってください」

 

 と促されたアサミ達は、渋々病室を後にするしかない。

 

 この携帯の何に怯えたのか……その疑問が残っただけだった。

 

「で? さっきの着信誰だったの?」

 

 廊下を歩きながら、太郎は思い出したように聞いてきた。

 

 アサミは携帯を開き、電源を入れると、着信履歴を開いて見た。

 

「知らない。可奈の短縮にも入っていないみたいよ、この番号」

 

 誰とも記されていない携帯を、太郎も覗き込んだ。

 

「かけてみれば?」

 

 太郎が言った。

 

「何で?」

 

「だって、可奈ちゃんの携帯ってわかっててかけて来たのかも知れないし、もしかしたら何かわかるかも知れないし」

 

 アサミは太郎の言う事にも一理あるな、と考え、

 

「わかった。じゃあ、かけて見ようか?」

 

と言うと、足早にロビーを抜け、病院を出た。

 

そして、病院前の道路を横切り、向かいにある公園へと走る。その後を、太郎もすかさず付いて走った。





    









              

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