〜 AVENGE 〜  再会




 

 公園に入ると、すぐ入り口に近く置いてあるベンチにアサミは腰掛けた。

 

「かけるね」

 

 横に座った太郎に、アサミは確認するように言った。太郎は無言で頷く。

 

アサミは、太郎の頷きを確認するや否や携帯を開き、また着信履歴を引き出した。

 

 不在、呼び出し四十秒、と記された番号に、アサミは少しの躊躇いを感じながらも、指を動かしかけた。

 

 暫らく鳴り続ける呼び出し音。

 

「出ないよ」

 

 アサミは首を傾げた。

 

「誰だったんだろう?」

 

 太郎も同じく首を傾げる。

 

 アサミは、誰も出る気配のない携帯を耳から少し放した。その時だった。

 

『……もしもし……』

 

 その低い声は聞こえてきた。

 

 慌てて携帯を戻し、アサミはその声に耳をすました。

 

「……もしもし……?」

 

 恐る恐る、アサミは話した。

 

『もしもし、可奈か?』

 

 その男は、また低い声でそう言った。

 

 可奈、と聞いた相手に、アサミは返事を返した。

 

「あの。どちら様ですか?」

 

『えっ! 可奈じゃないのか? だったら君は誰だ? そっちからかけて来たんだろう? それは可奈の携帯だよね? あなたこそ誰ですか?』

 

 先程とは打って変わった怒った口調の男。しかしアサミは、もっともだな、と思った。

 

相手はこれが可奈の携帯だと思って電話をしてきたのに、折り返し電話があったと思ったら、解らない相手に「誰?」と聞かれたのだから、怒っても仕方がない。

 

 太郎が会話を聞きたがって、耳を近づけてきている。その近い吐息が、やけにアサミは気になった。

 

 離れてよ、とアサミは手でシッシッと促す。

 

「誰なの?」

 

 と、小声で聞く太郎に、アサミは、解らない、と小刻みに首を横に振った。

 

「すみません、私、高見沢アサミと言って、可奈の友達なんですけど」

 

『どうして可奈の携帯を? 可奈も側にいるんですか?』

 

「いません。あの火事の日、焼けた跡から、私がこの携帯を拾いました」

 

『……そうですか。可奈はいないんですね』

 

 その声の主は落ち込んで言った。

 

「あの、すみません。そちらはどなたなんでしょうか?」

 

 アサミの質問に一息ついて、男はポツリと言った。

 

『父です』

 

「えっ?」

 

 アサミは思わず聞き返した。

 

『可奈の父親の、丘本和夫です』

 

「可奈の、お父さん?」

 

 アサミの驚きに太郎も目を丸くした。

 

どうして、警察にいるはずじゃ、と言いたい心が電話越しに伝わったのかどうかは解らないが、状況を和夫から話し始めた。

 

『疑いが晴れたんですよ。これが良いと言うのかはわかりませんが、自分が釈放されたとなると次は可奈ですからね。どうしても気になって。携帯なら繋がるかと思い掛けたんですよ』

 

「そうですか」

 

『広志が助かったと聞いて、病院の近くまで来たんですが、入る前に可奈に連絡が取れればと思いまして』

 

「えっ? 病院の近くに?」

 

『はい』

 

「私も今、病院の前の公園にいるんです。たった今、広志君にも会ってきました」

 

『公園に?』

 

「はい」

 

『どの辺りでしょう? 私はいま、公園の西口にいますが、出来れば会ってお話したい』

 

 アサミは、和夫の言葉に立ち上がり、グルグルと辺りを見まわした。

 

「私は……」

 

 公園の入り口に『東口』と掲げられた看板に目をやり、

 

「東口にいます!」

 

 と答えた。

 

『そこに今、行きます』

 

 と言う和夫の返事を聞いて、アサミは何度か頷き、携帯を閉じた。

 

 太郎も思わず立ち上がり、

 

「可奈さんのお父さんが?」

 

 と、記者の血が騒ぎ出したかのように聞いてきた。

 

「うん。でもこれは私情だよ。太郎は仕事できてるんじゃないでしょ?」

 

「まぁ、そうなんだけど」

 

太郎は心なしか残念そうに呟いた。

 

 

 

 

          ◇ 

 

 

 

 和夫が来るのを、今か今かと姿を探す二人の視界に、遠くから走って来る背広姿の中年の男性が映った。

 

「あの人かな?」

 

「多分」

 

「背広でジョギングしないもんね」

 

 そう言ってる間にも、その男性は間違いなく二人に向かって走ってきていた。

 

一気に老けたように感じる所々の白髪に、弁護士なのかと思わせるような無精ヒゲ。その襟にネクタイはなく、上からボタン三つ開けられたワイシャツが覗く。白かったであろうワイシャツが、今はくすんで見える。

 

かなり疲れ切っている面持の男性は、生気のない瞳を引っ下げて、アサミと太郎の前に辿り着いた。

 

ゼイゼイと息を切らし、膝に両手を付いたまま、少し猫背の背中に、二人の目線を落とさせている。和夫の息が整えられるのを待っていられなかったアサミは、すぐに自己紹介に入った。

 

「こんにちは。私は、高見沢アサミといいます」

 

 そう言って差し出したアサミの手を、和夫は身体を起さず、顔だけを上げて見た。

 

「はぁっ…ああぁ…はぁはぁっ…こんにちは……お、丘本、です」

 

 そう言い、ようやく身体を起した和夫は、アサミの手を取った。横目に、太郎を見た和夫は「こんにちは」とアサミの手を離すなり、太郎にも差し出した。

 

「初めまして、山田太郎といいます」

 

 和夫の顔が少し歪んだが、気を取り直したように、

 

「あ、ああぁ。初めまして」

 

 とぎこちなく挨拶を交わした。

 

やはり、山田太郎なんて、初対面の人には受け入れがたい響きがあるのかもしれない。慣れれば馴染みやすいのだが、初めて聞くと敬遠されるのかも、とアサミは思った。

 

「はぁ」と、短い溜め息を洩らしている太郎を尻目に、アサミと和夫はベンチに並んで腰掛けた。

 

 太郎もすかさず、何故か、アサミと和夫の間に無理やり割って入るような形で「ちょっと、すいません」などと言いながら腰掛けた。思わず和夫は眉を上げ、身を横に少しずらした。

 

「奥さんの事。お悔やみ申し上げます。でも、幸いと言って宜しいかは解りませんが、広志君が助かって良かったですね」

 

 太郎がさっそうと切り出した、かと思うと。

 

「ところで、釈放になったって事は身の潔白が証明されたんですか? まさか、可奈さんを疑ってるわけないですよね? 自分の娘だし。でも、火事の日は、何故すぐに駆け付けなかったんでしょうか? 聞けば、愛人宅にいて、アリバイが成立しなかったとか? 何か最近、家族の方達に変わった様子とか、言動は有りませんでしたでしょうか?」

 

「…………」

 

 和夫はキョトンとした面持ちで、言葉を失っているようだった。

 

 これは太郎の性格なのだろう。自分の聞きたいことは全部一気に吐き出してしまわないと気が済まないらしい。アサミでも身を引きたくなるような太郎の質問攻めに、和夫もまた、飽きれたようにポカンと口を開けている。

 

アサミは慌てて太郎の袖を引っ張り、耳元で囁いた。

 

「太郎、そんないきなり聞いてもわかんないよ、てか、失礼じゃん。愛人とかなんて」

 

「あっ、ごめん。つい職業病が出ちゃった」

 

 頭をかきながら太郎も囁いた。

 

「いいんですよ」

 

 聞こえていた和夫は、少し苦笑いを含めて言った。

 

「警察でも何時間も同じ事の繰り返しでした。何度も何度も、自分はやっていないと幾ら言っても聞き入れてはくれない。愛人も所詮、私をかばっているだけだなんて理由で事情聴取されていたし。彼女には悪い事をした。だが、私が否定し続ければ、今度は娘に警察の矛先は向いてしまい、どうにも居た堪れない気持ちになった。勿論、可奈の事はこれっぽっちも疑っていない。確かに家族に会話はなかったが、愛情がなかったわけじゃない」

 

 和夫は短い溜め息を洩らした。

 

前かがみになり、肘を膝に置き、指を組んだ手を額に押し当て目を閉じる。

 

「あなたの、その愛情は、可奈には伝わってたんでしょうか?」

 

 アサミは思わず口にした。

 

愛情があったなんて口では何とでも言える。親は子供に、それをしっかりと態度で示してくれないと不安になるし、わからないのだから。

 

 和夫は、アサミの言葉に反応するように瞼を開け、ゆっくりと口を開いた。

 

「伝わっていなかったかも知れませんね。恥ずかしながらこうなって初めて、自分にとって、どれだけ子供達が大切だったのかが解った気がする」

 

「都合のいい話しですね」

 

 アサミはまた突き放すように言った。

 

こんな事を言うつもりじゃなかったのに、口が勝手に動いてしまったのだ。可奈がどれだけ寂しい思いをしていたのかを、アサミは知っているからこそ、和夫の「愛情」と言う言葉に重みを感じられなかった。

 

いなくなって初めて気付くのでは遅いのだ。和夫は肩を大きく落として「そうですね」と呟いた。

 

 間に挟まれながら話しを聞いていた太郎が、まぁまぁ、といった態度でアサミと和夫を交互に見ながら言った。

 

「でも、心配だったから可奈さんに電話くれたんですもんね。遅くても、気付いたのなら良いんじゃないんですか? 気付かない親だっているんだし、アサミも、お父さん責める為にここにいるんじゃないんだし、どっちとも可奈さんの事が先決じゃないですか?」

 

「可奈はどこにいるんでしょうか!」

 

 和夫は切羽詰ったように、思わず身を乗り出して聞いてきた。

 

 太郎もその迫力に押されつつも、

 

「僕らも今、調べてる最中なんですよ」

 

 と、言い返すしかなかった。

 

和夫は再び溜め息と共に肩を落とした。そして、力なく呟く和夫。

 

「広志の……具合はどうでしたか?」

 

「身体の方は多分、回復に向かっていると思います。しかし、心の方は、まだ火事の事がトラウマみたいで」

 

 携帯に異常に怯えていた事を隠しつつ、どこか太郎は申し訳なさそうに言った。その言葉を聞いて、和夫も更に落ち込んだ様子だった。

 

「これから行ってあげるんですよね?」

 

 アサミは確かめるように和夫に言った。

 

「もちろんです!」

 

 和夫は顔を上げ、真っ直ぐにアサミを見つめて即答した。アサミは、今なら和夫は解ってくれると思い、子供の気持ちを代弁するように訴えた。

 

「広志君。大人を信じられないと言ってました。でも、きっと周りに広志君の話しを向き合って聞いてあげる大人がいなかったからだと思うんです。特に、お父さんとお母さん。子供が人生で最初に接する大人って親なんです。その親が、広志君や可奈を愛情で包んでやれていなかったんじゃないんですか? 親が子供を黙らせる方法って暴力を振るうか、お金を与えるかだと思うんです。どちらかと言えば可奈達には、お金で解決しようとしていたんじゃないんですか?」

 

「…………」

 

「でも、今からでも遅くないと思います。広志君、体は大きくなっても、心はまだまだ子供ですよ。って言うか、親にとって子供はいつまでたっても子供でしょ? ちゃんと向き合ってあげてください。ちゃんと支えてあげてください。ちゃんと、愛してやってください。これから信じ合える友達に出会って、心を開いて行くとは思いますけど、きっと、親にしか与えられない愛情って必ずあると思います」

 

 アサミは可奈の抱えていた心の叫びを伝えた。

 

うまく伝わったかどうかは解らないが、和夫が唇を噛み締めて流した一筋の涙を、アサミは信じようと思った。

 

それから、誰も口を開かなかった。

 

太郎もただ、どちらを向くでもなく黙って前を見据えたまま聞いている。

 

暫くして、和夫はゆっくりと腰を上げると、病院に向かって歩き出した。公園の出口で、ふと足を止めた和夫は、チラッと顔を横に向け頭を下げた。そしてまた、一歩一歩、何かを踏みしめるように歩き出した。









    









              

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