〜 AVENGE 〜  ティンク




 

 長い時間待たされたが、ようやく二人は建物の中へ入る事が出来た。ここまで来ればもうすぐだ。そう思うも、二人の表情はすでに疲れきっている。

 

 長蛇の列を耐え、建物の中に入って更に二十分。人とのすれ違いも出来ない真っ直ぐの細い階段が一三段、そこを上った所に狭い踊り場があり、黒いカーテンを潜る。すると、更に五人ほどが並べる細い通路に、重苦しい金属の扉を構えた部屋があった。

 

その扉を一人、また一人と中に入って行く。

 

 その向こうにティンクがいると思うと、二人は緊張してきたのか、額に汗が滲んでいた。

 

可奈の言った通り、占いを終えた人達は、この通路を通らないらしい。その扉からは入る一方で、誰一人として出てくる者はいない。

 

「次の方、どうぞ」

 

か細い声が響く。やっと、アサミ達の番が来たのだ。

 

すかさず太郎とアサミは、錆びた音を弾き出す扉を開け、目の前にぶら下がったカーテンを潜った。

 

三畳ほどの狭く暗い小部屋の真ん中に、円台が置かれている。その上には、小さな白い紙と、鉛筆が置いてある。そして、長い一本の黒い蝋燭に火が灯っていた。

 

その向こう側に、可奈が言っていた『ティンク』らしい女の人が座っている。

 

緑のストレートの髪が腰の辺りまで伸びていて、瞳まで、コンタクトだろうか、緑色だ。全てが輝くエメラルドのように、キラキラと焔に反射する。そこには、暗闇に浮かびあがる神秘があった。

 

全身黒い装束を身にまとって座っているティンクの前に、椅子が三つ。三人までは占えるらしい。

 

 差し出された細い指先に促され、アサミと太郎は、その手前の椅子に並んで座る。

 

 途端に、女の人は一方的に話しを始めた。

 

「私は『ティンク』と申します。何を相談しに来たかは、何も話さなくても、私のこの手が心を覗きます」

 

 アサミは緊張の中、ごくりと喉を上下させた。

 

「宜しいですか?」

 

 その問いかけに、太郎が頷く。アサミと同じく、かなり緊張しているようだ。汗ばんだ掌をぐっと握り、膝に置く。

 

「初めに申し上げておきますが、占いの金額は自由です。全て、貴方達の善意にお任せします」

 

「と言うと?」

 

 太郎が聞く。

 

「私の占いが気に入らなければ、お支払い頂かなくても結構ですし、払って頂くとしましても、金額も定めておりませんので、小銭程度でも、それ以上でも……」

 

 そう言って、ティンクは口端を上げると、

 

「では、宜しければ、目の前の紙に、お二人の生年月日だけ、お書き下さい」

 

 と言って、目を伏せた。

 

 アサミと太郎はお互いの顔を見合わせ、鉛筆を手に、交互に名前を書き始めた。

 

 書き終わると、ティンクはその紙の上に両手をかざした。ゆっくりと、その字を確かめるように手首をしなやかに動かすと、次に、二人の目の前に、その掌を向けた。そして、先程の声とは打って変わった低い声が、ティンクの口元から漏れていくようだった。

 

 どこから響くのかと思う程に暗く、重い声。

 

「あなたは『可奈』さんと言う、お友達を探していますね?」

 

「え?」

 

 すっと差し出された指先に、思わずアサミは、ぞくりと背中を震わせた。見る見る表情を蒼白にさせていく。

 

「なん、で」

 

「そして、こちらの殿方は『いずみ』さんを……妹を探していますね?」

 

「は、い」

 

 二人は、互いの顔を見合わせた後、恐る恐る、再びティンクを見据えた。

 

「信じられない……可奈の言う通り、本当に生年月日だけで当ててみせた。私達が、何も喋ってないのに……?」

 

 アサミは少し興奮気味に言葉を滑らせる。だが、その驚きをよそに、暫らく沈黙を守るティンクは、ゆっくりと両手をテーブルに降ろし、目を開けた。

 

その声は、最初と同じく、澄んだ綺麗な声に戻っている。

 

「大丈夫ですよ。すぐに会えますから」

 

 そう言って、ティンクはにっこりと微笑む。

 

「どこに行けば会えますか!」

 

 太郎は、テーブルを叩き、身を乗り出して問い質す。しかし、ティンクは驚く様子もなく、微動だにしない。

 

「会いに行くのではなく、会いに来るのです」

 

「うそっ! みんな消えたのよ?! だから私達は会いに行きたいの! どこにいますか? 教えて下さい! 連れ戻したいの!」

 

 そう叫んだ瞬間、アサミの背筋が凍りついたように、体が固まる。緑の目が、アサミを突き抜けるほどに、睨んだように見えたからだ。

 

だが、すぐにその目は、何事もなかったかのように、元の微笑みを取り戻した。

 

――何? 今の目……凄く冷たい……。

 

「連れ戻したい……どこに行けば会える……ですか?」

 

 ティンクの言葉に、ハッとアサミは我に返る。

 

「はい! 今すぐ妹を連れ戻したいんです!」

 

 同じく太郎も、興奮した様子で、今度は椅子から立ち上がった。

 

「お座りになって下さい」

 

 言いながら、ティンクは再び瞼を閉じた。その様子を見ながら、太郎は「すみません」と落着きを取り戻すように座る。

 

「……そうですね。ここから北へ真っ直ぐに行った先、山間でしょうか……深い谷が見えます」

 

「何と言う場所ですか?」

 

「太郎、流石にそこまでは解らないんじゃ……」

 

 アサミは、そう言って太郎の袖を掴んだ。しかし太郎は、何かに取り憑かれたように、真っ直ぐにティンクを見据えたままだ。

 

「場所はどこですか!」

 

 聞き急ぐ太郎の言葉に、ティンクは突然目を見開いた。互いの視線がぶつかり合う。

 

「本当に知りたいのですか?」

 

「……はい……」

 

 まるで催眠術にでも掛ったような感覚に襲われた二人だった。太郎の眼は、焦点を無くしたかのように虚ろだ。

 

ティンクの艶めかしい視線を向けられるだけで、力が抜けたようになり、ゆっくりと呼吸を促される。なのに、恐怖がすぐそこにあるような冷めた空気が漂う。

 

――あれ……この感じ、どこかで……。

 

アサミには、どこかで感じた事のある違和感だった。

 

「いいでしょう。そんなにお望みなら……」

 

 その言葉に、アサミは再び、虚ろんだ気持ちが我に返される。二人はぐっと手を握り合い、力を込めた。

 

「本来、私はアドバイスや導きをするのです。しかし、今回は、貴方達の気持ちがとても強いと言う事で、私が見えた結果をお話しましょう」

 

「お願いします!」

 

 あんなに疑い深そうにしていた太郎が、既に信じきっている様子で、ティンクの言葉を待っていた。再び目を閉じたティンクが、ゆっくりと口を開く。

 

「神楽御村(かぐらみむら)と見えます。近くに、深い、水を感じる……しかし、今ではもう、枯れ果てているような大地……乏しく、寂しい場所……深い、深い……深い森が見える……そうですね、ここは焼山……」

 

「どうしてそんな所に、いずみがっ?」

 

「さぁ、その方の気持ちの中までは、解りかねます……ですが、確実に、そこが貴方達の行きつく場所であると感じます。後は……行くも行かぬも、お二人次第」

 

「焼山って……具体的には……県名とか解りませんか?」

 

 ティンクはまた目を閉じ、考え深げに眉をひそめて言った。

 

「そうね……海が見える……ここから北西辺り」

 

「北西って……標高はかなりありますか?」

 

「ええ。北西から、そうね……更に西部へ。でもそこには、冷たくて深い霧の中に閉ざされた、触れてはならぬ神の姿が見える。ずっと、ずっと山へと入って行き、深い森へ獣道が続いていく………ここは人間の行くような場所ではない、そこへ行って神楽御村を探している、と聞けば誰もが口を閉ざすかも知れませんね……」

 

「その村はいまでもあるんですか?」

 

「さぁ……ふふ」

 

 そう言って、不敵な笑いを浮かべたティンクは突然、激しく目を見開いた。

 

アサミはその瞳に、また悪寒が全身を駆け抜け、震えあがった。

 

太郎は身動ぎもせず、熱い眼差しを少しも外す事もなく、まるで、魔術にでも掛ったようにティンクから目を離せないでいた。

 

「でも、そこに、妹は確実にいるんですよね……」

 

 そう聞く太郎から、ティンクも視線を外さない。

 

「……私には見える」

 

 ティンクは、自信あり気に言いきった。

 

「わかった! アサミ行こう!」

 

 太郎は強くアサミの腕を引っ張ると、急いで席を立った。

 

「お帰りはそちらですから」

 

 二人の慌て振りを見ても気にせず、更に落ち着いた様子で流す妖艶な瞳。ティンクは、しなやかな腕お伸ばし指差す。そこは、やはり裏口だった。同じく垂れ下がった黒いカーテンを二人は慌てて潜り抜ける。

 

 出てすぐに『気銭』と書かれた箱が目に付いた。太郎は急いで内ポケットから財布を取りだし、躊躇いなく一万円札をその箱に放り込んだ。

 

「もったいなくない?!」

 

 アサミは思わず叫んでいた。

 

だが、太郎は聞く耳持たず、強引にアサミの腕を引っ張り続けた。

 

アサミは「痛い」という暇もなく、駆け足で細く暗い階段を駆け下り外に出た。昼近くの太陽が眩しすぎて、目に沁みる。

 

それでも尚、走ろうとする太郎を、アサミはやっと足を踏ん張って止めた。

 

「待って! 太郎! あの店!」

 

 その言葉に振り向いた太郎は、どこか、もどかしそうだった。

 

「ほら! あそこにいるお爺さんが売ってるストラップ! 見なくていいの?」

 

 足止めしようとするアサミに太郎は、我を忘れているような形相で振り向きざまに言った。

 

「いいよ! そんなの見なくても十分じゃないか? いずみや可奈ちゃんがいる場所がわかったんだぞ! 早く行かなきゃ、そうだろ!」

 

「何で? 占いなんか信じないんでしょ? それに場所がわかったって言うけど、あんな大雑把な場所じゃどこへ行けばいいのかもわからないじゃないっ」

 

「とにかく新潟に行ってみる」

 

「は? なんで新潟?」

 

「ここから北西で、焼山って言ったら、今のところそこしか思いつかない」

 

「そんなむちゃくちゃよ」

 

「それでもいい、とにかく新潟へ行く。確かに、新潟の西部に焼山があるんだ。それに、あの女は俺達の捜し物、見事に言い当てたんだぞ!」

 

 自棄に詳しい、そう思いながらもアサミは、戸惑いの中にいる。アサミは、人形を売るお爺さんを見遣った。

 

「そ、そうだけど」

 

「あの爺さんは逃げやしないだろ。俺たちは占ってもらったんだ、もし、違ってたら、また引き返してくればいい。その時にでも爺さんに聞けばいいさ。とりあえず今は、その村に行って確かめてからでも遅くない」

 

「……そうかもしれないけど……でも」

 

 半ば強引に言い包められたようなアサミは、また太郎に引っ張られる形で走り出した。後ろ髪引かれる思いでアサミは、その、お爺さんの姿を目に焼き付けながら走った。

 

その姿が見えなくなるまで、何度も振り帰りながら……。

 

 真っ白な髪に、真っ白な長いヒゲ。しょんぼり俯き座るお爺さんは、商売人とは思えないほどにみすぼらしい。

 

 忘れたくても忘れられない、と思うほど、アサミの脳裏に、その姿は焼きついた。









 

    









              

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